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  • from: 坪井さん

    2009年04月16日 21時47分30秒

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    下肥は海を渡らない

    大正12年「千葉県東葛飾郡誌」によると東京の塵芥は、船橋に船で輸送され,鎌ケ谷など内陸部で麦作の肥料にされたとある。登戸、検見川、馬加(幕張)でも農産物運搬の帰り船で運ばれた塵芥は、麦、薩摩芋の肥料として使用されており、泥めんこが発掘される場所と一致する◆東京湾の輸送は「五大力船」により行なわれた。海では帆船、川では棹を使う船底が浅い船である。当時の鉄道院史料に「船橋検見川間は三百余艘の和船が低廉な運賃で農産物を輸送し、鉄道を利用するものなし」とある◆一方、東京の下肥(人糞)は江戸川の水運により市川や松戸に送られ、野菜・果樹の肥料として使用された。舟は、肥舟(こえぶね)又は葛西舟と呼ばれた。内部がちゃぷちゃぷ揺れないよう細かく仕切られた「部切舟(へきりぶね)」で、板の蓋があるミニタンカーである。塵芥と物流が異なり、ブツ流は海を渡らなかった。



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