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  • from: 坪井さん

    2009年11月01日 20時52分05秒

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    石の旅 房総・相模の国


    関東の筑波・加波・足尾の三山は、良質な花崗岩を産出する。真壁石は有名である。常陸の国では、宋国に技術系譜を引く大蔵派を師匠とする石工が、堅牢で技術を要する花崗岩を用いて、室町時代から五輪塔などの石仏を彫った◆戦国時代になると、軟質で耐久性のない砂岩で石仏が彫られるようになる。銚子や飯岡町にある凝灰岩質砂岩の銚子石である。西は千葉県山武町、東は霞ヶ浦一帯まで流通した。千葉の漁師の先祖は紀州人が多い。宝暦4年には、銚子に隣接する外川浦の網方商人225人中205人が紀州出身者であったという。僧侶もまた、彼らと共に関西からきて、地蔵信仰や観音信仰を広めた。この僧侶の布教範囲に、銚子石の石仏が広まった。真壁石も銚子石も江戸には来なかった。石材の選択は、製品に向く材質によるのであるが、水運というコストと石工集団の技術という要因にもよる◆相模の国では、武士の墓石は、富士箱根の造山活動で造られた安山岩を用い、庶民の信仰の対象である地蔵や庚申塔は、加工のしやすさから丹沢の七沢石で彫られた◆平塚博物館が出版した本「街の中の石材」は、市内の石仏を小松石、根府川石などと石材で分類している。博物館の案内人が親切に説明してくれた。昔の技術では、小松石は硬くて彫りが難しい。庚申塔などの石仏には、粘りがあって細工しやすい七沢石を使用したそうな。船橋市にある庚申塔の石材探しの旅の始まりである。[写真:平塚博物館]

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