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  • from: 坪井さん

    2009年11月14日 01時46分55秒

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    石の旅 大名の墓


    古代、中世では、民衆は死なばただ野に捨てられた。平安貴族もそうであり、これを風葬と呼ぶ。平家や源氏の墓は後世に建てられたものであり、平安時代は洛内での埋葬を禁止した律令まであった。洛外に埋葬した盛土の上に置いた川原の石が墓石となった。◆武士の世となり、領主、大名は巨人な台石、笠付き大塔婆、あるいは五輪の塔や宝塔を墓石とした。千葉市の大日寺の境内に並ぶ大小16基の五輪塔は、千葉常兼(つねかね)より16代までの千葉一族の墓である。北条一族の五輪塔と同じ小松石であり、千葉氏がその勢力下にあったことを伺わせる。大多喜には本多忠勝の五輪塔。千葉の山間の地にまで伊豆の小松石が運ばれたことに驚く◆東京は四谷の西念寺には宝篋印塔の服部半蔵の墓があり、寺の奥には大名の巨大な墓石群がある。高井但馬守一族の墓である。但馬の国にあるべき墓石が江戸にあるのは、江戸で生まれ江戸で死したからであり、但馬の国など見たこともない方々か。一人死ぬたびにこの巨台な墓石を真鶴から運び、四谷見附で外堀から引き上げこの高台に運んだのか。無縁仏となったとて、やすやすと撤去させまいぞと巨大石は叫んでいる。などと思いながら墓石群の写真を撮っていたら、警察官がスッと立っていた。警備中の服部半蔵が警察官の姿で現れたか!いや、お寺に不審者と思われ通報されたようである。

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