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  • from: 坪井さん

    2010年05月11日 21時09分04秒

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    続・石の旅 遠野物語


     <font size="3">柳田國男遠野物語100年祭、NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」の水木しげるで話題の遠野へいく。巨大な「続き石」は、弁慶が積んだ石と言われる。最初、近くの巨石に笠石を乗せたが、その石が「一生、笠石の下とは情けない」と泣いたので積み直したそうな。
     巨大な岩石、人為的な岩の割れ目、この斜面は、千葉県の石切場「石射太郎」にも似ている。墓石ほどの大きさの石を切り出した残り石もある。この地に立った時、ここは古い石切り場だと思った。石は黒雲母花岡岩、御影石である。近隣の南部曲り家千葉家の庭の大岩も黒雲母花岡岩であった。
     花岡岩は堅牢がゆえに切り出しや加工に高度な技術と道具が必要であり、大陸系の石工がいた関西では、墓石や石仏の石材に瀬戸内の花岡岩が使われた。江戸では伊豆の安山岩が使われた。
     笠石は武家の墓石や庚申塔に乗せた飾り石。その下が情けないとはどういうことか。この伝説は、武家支配に対する庶民感情が秘められているのであろう。
     南部の山々のど真ん中にあり、海産物と農産物が行き交う交通の要所であった遠野。「中野」と地名を付けたいところだが、名前を付けた支配者の地からは「遠い野」であったのか。
     どこまでも続く「への字」の山並。その谷間に堆積した多くの昔話は、怖い話が多い。河童伝説は、飢饉の時に間引きされた子供の霊の話という。言い伝えは、村の秩序を保つための掟でもあったようだ。(写真:続き石,千葉家庭石,その接写,カッパ淵)

    *カッパ淵の側に、安部貞任の屋敷跡があった。平安時代に東北地方を半独立的に支配していた安部頼時の2子。前九年の役で源頼義・義家軍を撃破、雪深い北国の戦いは京の武士だけでは勝てぬと見た国府側は、隣地である出羽の清原氏に加勢を要請、小安峡から大軍で攻め込まれた安部貞任はついに敗れたが、その勇猛な戦いぶりと敵地の美少女との恋物語で名を残した。

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