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  • from: ぽっぽさん

    2021年08月30日 07時59分45秒

    icon

    ルーマニア旅行!その1

    皆さん、おはようございます\(^_^)/
    BGMはネットラジオで「クラシックギター」を・・・
    (午前中はクラシックを掛けることが圧倒的に多いです)
    お耳は「虫の音」が「秋ですよ!」と、やや元気ですが「安定」ってとこでしょう
    ネ!
    今日は月曜日ですので「可燃ゴミ」を出しに参りましたが、朝7時前と早かったので、まだまだゴミ袋が少なかったです。

    【ルーマニア旅行!その1】
    「尾瀬!その4」で・・・
    >・2006.7.30~8.6、夫婦で3年越しの念願がかない、ルーマニアへ旅行した。
    >(姪からのお誘いがありました。 ルーマニア旅行は別のトピックに書きますネ!)
    と書きましたので、「ルーマニア旅行」を・・・

    ・2006年にルーマニアへ行く前に・・・
    「尾瀬!その4」で上記の如く「姪からのお誘い~」と書きましたが、その前に・・・2004年に叔母(M嬢)からのお誘いがありました。
    お誘いの案内には・・・
    『2004年 ルーマニア旅行の案内
    日程は提案です。  夜9時くらいまで明るいので、充実した観光できます。  
    天気は安定する時期ですし、さくらんぼ、を初めにたくさんの新鮮な果物や野菜が取れる季節です。  日本で信じられない値段で!』
    の書き出しでスケジュールがありますが、結局その時は所要(?)で実現しませんでした o(TヘTo)

    【ルーマニアの概要】 ネットなどから・・・
    『「ルーマニア(România)」は、東ヨーロッパ、バルカン半島東部に位置する共和制国家で首都はブカレスト
    南西にセルビア、北西にはハンガリー、北がウクライナ、北東をモルドバ、南にブルガリアと国境を接し、東は黒海に面している。

    国土の中央をほぼ「逆L字」のようにカルパティア山脈が通り、山脈に囲まれた北西部の平原の「トランシルヴァニア」、ブルガリアに接する「ワラキア」、モルドバに接する「モルダヴィア」、黒海に面する「ドブロジャ」の「4つの地方」に分かれている。』

    『古き良きヨーロッパが息づく国、ルーマニア
    東欧に位置し、国土の中央にあるトランシルヴァニア盆地を囲んでカルパチア山脈が走り、その周りには平原が広がる、美しい風景が見られます。
    ドナウ川は10の中・東欧の国々を流れた後、ルーマニア東部で黒海に注ぎ、その河口にできた大湿原ドナウデルタは、野生生物の宝庫として世界遺産にも登録されています。

    またルーマニアは東欧唯一のラテン系民族の国といわれ、明るく開放的であたたかな国民性を持っているといわれています。
    民主化ののち2007年にEU加盟を果たしたルーマニアは、首都ブカレストのような近代的な都市がある一方で、ドラキュラ伝説に彩られた古城、静かに佇む古い修道院、中世ヨーロッパの面影の残る町並みなどがあり、汲み尽くせぬ魅力のある国です。』
    とあります。


    【ルーマニアの面積・人口など】
    面積:約23.8万平方キロメートル(本州とほぼ同じ)  人口:約1,941万人(2019年)  首都:ブカレスト(人口約215万人)  民族:ルーマニア人(83.5%)、ハンガリー人(6.1%)など  
    言語:ルーマニア語(公用語)、ハンガリー語  宗教:ルーマニア正教、カトリック

    【ルーマニア語】
     これもネットでは・・・
    『「ルーマニア語(limba română リンバ・ロムナ)」は、ルーマニアの公用語であり、またその周辺地域でも使用されている言語である。
    インド・ヨーロッパ語族ロマンス諸語に分類されるが、孤立して発達したために他のロマンス諸語との違いが大きい。
    モルドバ語はルーマニア語とほぼ同じ言語である。
    アルーマニア語は、ルーマニア語の方言とされる事もあるが、意思疎通が困難である。』

    インド・ヨーロッパ語族中のイタリア語派に属するラテン語の口語、いわゆる俗ラテン語から発展してできたロマンス諸語の一つ
    フランス語、イタリア語などと同族関係にあるが、周囲のブルガリア語、アルバニア語、現代ギリシア語と共通のバルカン言語圏の特徴(後置定冠詞、接続法の多用など)も備えている。

    古ルーマニア語は、紀元1~2世紀にローマ帝国に征服された古代のトラキア人、ダキア人が、公用語としての俗ラテン語東方方言を受容した結果生まれた。
    その結果、当然、基層のダキア語から継承した要素(約100の単語など)をもつが、8、9世紀以後南下してきたスラブ人の言語の強い影響を受け、ドナウ川右岸ではほとんど消滅した。
    しかし、バルカン各地の山間部や海岸には、総数30万人以上のルーマニア系言語集団の村落が散在している。

    ルーマニア語はダキア地方に12、13世紀に成立した封建国家の公用語としての地位を確立し、16世紀なかばからルーマニア語による印刷も始まっている。
    19世紀後半には、ルーマニア統一国家の成立とともにその公用語となり、1860年代にそれまで用いられていたキリル文字のアルファベットがラテン文字表記にかえられた。

    ただし、旧ソビエト連邦を構成していたモルダビア共和国(現モルドバ共和国)では、ロシア語と同じ表記が導入された。
    アメリカへの移住者も含めて、ルーマニア語を母国語とする人口は約2100万人
    主要な方言は、ムンテニア、モルドバ、トランシルバニア方言であるが、差異は大きくない。』
    とこれまた難しいことが掛かれていますねェ~!

    M嬢は「ルーマニアはローマニアなので、6割がイタリア語に通用する」と言っていました。
    私が「クワトロ・スタジオーネ(イタリア語で「四季」)」と言ったら、M嬢は「ルーマニア語を覚えましたね」と。。。
    やはり「イタリア語系」でしょうねぇ!
    (「クワトロ・スタジオーネ」は、イタリアの「作曲家:アントニオ・ヴィヴァルディ」の「四季(ヴァイオリン協奏曲集)」のCDにそのように書いてあったのを思い出しましたので・・・\(^_^)/)

    【時差】
    ・時差日本との時差は「7時間」で、ルーマニアが0時のとき、日本は7時となる。
    ・サマータイム期間中は通常よりも1時間進んで「6時間」となる。
    サマータイムの実施期間は「3月最終日曜の午前3時から10月最終日曜の午前4時」まで適用される。

    では、「2006年のルーマニア旅行」を「旅行記(WORD)」を元に編集してアップしますね。
    長くなりますので2度に分けます。
    <いつもの如く「太文字」「<~~>」はぽっぽが・・・
    今回の「旅行記」は写真入りですので、その時の写真も挿入しますネ!
    なお地図・写真など追加したものもあります>

    ★★ ルーマニア旅行記その1 ★★ 
    7月30日 出発~ルーマニア
    2006.7.30~8.6、夫婦で3年越しの念願がかない、ルーマニアへ旅行した。
    全行程快晴でトラブルも無く楽しい毎日・新しい出会いの連続であった。
    A嬢の家族・M嬢の両親・A嬢の友人家族の暖かいおもてなしと、1週間ドライブしてくれたA嬢の義弟に感謝感謝である。
    (旅行記の記述には敬称略とする)

    【きっかけ】 なぜルーマニア?  少々長い説明ですのでよろしく!
    アマチュア無線仲間の「Oさん」から「国際交流があるのでお手伝いして頂けないか?」とのお誘いがあり「1995(H7).8.19」、夫婦で岐阜県の長良川河川敷まで、「お肉など」の差し入れを持って出かけた。
    ・そこに名古屋大学医学部院生として留学していた「M嬢(ルーマニア女性)」と知り合いになり、その後「Oさん宅」での交流会や「M嬢のアパート(名古屋市内)」へ遊びに行ったり、「水泳仲間の登山」に誘ったりと交流が続いた。
    ・その後、M嬢の姪の「A嬢」が新潟にある「国際大学院」で経済を学ぶために来日したので、「2000.12.18~27」、M嬢の依頼で「A嬢」を我が家に初めてホームステイさせた。
    ・M嬢は我が家に来た事はないが、「我々夫婦を自分の理想の夫婦」と云うほど信頼されていたので、姪のホームステイ先に選んだのだと思う。
    当時のA嬢は日本語がほとんどダメ、我々夫婦の「鬼娘(当時は名古屋の「国連地域開発センタに勤めていた」)」の英語に頼ったり、私のつたない英語でポツポツとコミュニケーションを取ったが、彼女は我が家を気に入ってくれた。
    ・その後、A嬢は「2001.7.1~8.22」「2002.12.26~2003.1.4」「2003.5.30~6.3」「2004.8.5~9」と毎年我が家に遊びに来た。
    我々夫婦はA嬢を「むすめ(義娘)」と呼び、A嬢も我々を「オトウサン・オカアサン」と呼んでくれる。
    ・A嬢は174cmと長身・青い目の美人。
    優しくて、しかも料理が上手なので「家に帰る(もう、ホームステイとは云わない)」と、ふーたんの料理を手伝ったりルーマニア料理を作ってくれた。
    ・3年前(2003年)、A嬢が帰国する時「一緒にルーマニアに来ない?」の誘いにHISで旅券を検討していたが、当時「SARS騒ぎ」があり、我々は「東洋人がお邪魔すればご迷惑になるし、我々も窮屈な思いをして旅行をしたくない」と断念した。
    ・今年(2006年)5月、「ユタ大学院(USA・ユタ州ソルトレイクシティー)」を卒業したA嬢が日本に来ていて、彼女の帰国にあわせて我々もルーマニアへ行くことを検討したが、今年<2006年>は私が自治会の班長(書記)なので「夏祭り(7/29)」を終えてからの出発とし、日程を「7.30~8.6」と決め、A嬢にメールで伝えた。
    ・当初、A嬢が一旦犬山へ来て犬山から我々と一緒に行くことで検討していたが、「東京から犬山への旅費がもったいない」、「A嬢のビザが7月末で切れる」、そして「東京からは安い便がある」などで、A嬢は2日早く(7/28)東京からルーマニアに向けて出発して行き、7月30日に我々をブカレスト空港へ迎えに来てもらうことにした。  
    <きっかけも長くなりましたネ!>

    【準備】
    ・ルーマニアの資料は、3年前に旅行を計画した時にA嬢くれた5種ほどのルーマニアパンフレットやインターネットで検索し印刷した。
    ・航空券は犬山のHISで検討しパリ経由のエールフランス・JALのコードシェアリング(共同運航便)とした。 
    なお、パリ→ルーマニアはエールフランスとコードシェアリングの「TAROM(タロム)」航空である。  <今回も夫婦だけの「個人旅行」でございます!\(^_^)/>
    ・ルーマニアの宗教はほとんどの国民が「オーソドックス(ルーマニア正教)」である。 
    A嬢がいう「オーソドックス」の意味が分らず、キリスト教の歴史(新書版)やインターネットから印刷した「キリスト教」「東方正教会」などを読んでみたが、仏教と同じく複雑である。
    ・旅支度は、私が6月中旬頃からからほとんど「夏祭り」に掛かりっきりなので、ふーたんがコツコツとしてくれた。
    ・パリの「シャルル・ド・ゴール(CDG)空港」での「乗り換え」が不安だったのでインターネットの「地球の歩き方」でお尋ねしたら、二人ほどから「簡単ですよ」とあっけない返事がきた。 
    (以前、CDGからマルセイユへの乗り換えの時、「乗り継ぎ便に間に合わなかった」経験があるので不安である。 CDG、イヤナ!
    ・土産には、風鈴・和菓子・日本のハンカチを各々3組と日本酒2パック(ビンは割れる心配があるのでとパックの清酒とした)を準備した。

    【往復の行程】 飛行機便(時刻は各々現地予定時刻) 2006.7.30~8.6
    「行き」
    ・7.30 セントレア10:05発・AF295 → パリ着15:35
    ・7.30 パリ18:30発・AF1088 → ブカレスト着22:20
    「帰り」
    ・8.5 ブカレスト発13:10・AF2889 → パリ着15:20
    ・8.5 パリ発18:10・AF296 → セントレア着6日13:05
     <セントレア=中部国際空港。 一番気を使いましたのは「時差」でございます!>

    【ルーマニアでの旅行日程】  2006.7.30(日)~8.6(日)
    ・7/30 06:45タクシーで自宅発 → 名鉄犬山駅発07:06 →
    セントレア着08:01 (上記、航空便行程)
    ・7/30 A嬢と義弟が空港へ出迎え → ブラッザ(breaza)の「ホテル・カサ・ルシエ(CASA ROSIE :「赤い家」の意味)」宿泊
    ・7/31 ブラン城と古い城跡など見学、夕食はA嬢の実家、ホテル泊
    ・8/1 ブラショフ市街見学、夕食はA嬢の友人宅・友人宅泊
    ・8/2 トランシルバニアのシギショアラ市街見学 夕食はA嬢宅、ホテル泊
    ・8/3 シナイア市街見学 夕食はブラッザのレストラン、ホテル泊
    ・8/4 ブカレスト市街見学M嬢の両親宅訪問、ブカレストのホテル泊
    ・8/5 A嬢の義弟の車でブカレスト空港へ (以下、上記の航空便日程)
    ・8/6 セントレア発14:20 → 犬山15:16着・ヨーカドーへ「フィルム」と夕食買い物後、タクシーで帰宅・自宅着16:00頃
    <「フィルム」は一眼レフカメラがまだ「フィルム(アナログ)カメラ」だったので>

    = 感想など =
    【7月30日(日)】 快晴 ルーマニアへ出発
    ・名鉄電車でセントレアに着く前にふーたんが切符を無くしてしまったが、改札でその旨告げたら「今回はいいです」と通してくれたのでホッとした。
    (先が思いやられると思ったがスーツケースの輪が壊れた以外はなんのトラブルも無く、ルーマニアの人々の暖かいおもてなしを受けた楽しい旅行であった)
    ・国際線のHISカウンタで航空引換券を貰い,JALの長い列に加わった。 
    スーツケース2個を預け、マイレイジを打ち込んでもらった。 
    (この時、「帰りの便はボーディンクをして下さい」と云われたような気がした)
    ・時間があるので、ふーたんは「日焼け止めクリーム」、私は機内で読む「本(新書版の目からウロコシリーズ)」を買った。
    ・AF295便は「定刻通り」フライトした。 
    機内ではビデオ「アルカトラスからの脱出(クリント・イーストウッド)」「ファイヤーウォール(ハリソン・フォード)」「Last Holidy(クイーン・ラティファ)」「NHKスペシャル・ヒグマ(カムイ)物語」「ミッションインポッシブル3(M・I Ⅲ)(トム・クルーズ)」を見て過ごした。
    約12時間のフライトで15:20分過ぎ、珍しく?定刻より早くCDG空港に着陸した。 
    ターミナル2のF(2F)のゲートから「乗り換え表示(飛行機が交互に書いてある)」に従い階段を降りると目の前がシャトルバスの乗り場になっている。 
    バス乗り場の電光掲示板で我々が乗る「AF1088」が「2B」である事を確認した。
    ・シャトルバスは、「2F→2E→2C→2A→2B→2F」と巡回しているようだ。 シャトルバス内のアナウンスの音が小さくて聞こえにくいので、窓からバスが下りる場所の「2B」を確認した。 (2Fから2Bまで10分程だった。)
    ・CDG「ターミナル2」は、ひらがなの「」の字型に3組ビルが並んでいるが、古くてごちゃごちゃしていてあまり機能的とは云えない。 
    ビル間に「無人トラム(「デトロイト空港」や「ラスベガス」あるいは「愛地球博」のような)」を走らせれば良いのにと思う。
    (こんな所まで芸術性?を持ち出すのかとフランスには呆れる)
    ・我々の便が出発する「B4番ゲート」へは15:40頃着いたが、座るイスが無いのでレストランで「4.6ユーロ」もするオレンジジュースを買って時間をつぶした。 
    近くでは若者が通路に座り込んでいる。
    ・やはりイスが少ないのは長距離移動やお年よりなどへの配慮が足りないと思う。 
    Bゲート」はローカル便の発着が多いとみえてなんとなしに品がない

    ・ふーたんに再度電光掲示板で出発ゲートを確認してもらったら「23B」とある、
    危ない危ない。 
    (「出発ゲート」が変更になっていた!? 電光掲示板の「B4<4番ゲート>」は手荷物検査のゲートのようだ) 
    23B」は4番ゲートの近くの階段を下りる。 
    そこでチェック(出国審査?)を受け、23Bの待合室へは16:45頃着いた。

    ・ブカレストへの「AF1088便」は、19:00前(定刻を20分ほど遅れ)に離陸し、チラッとアルプスを望み、約2時間のフライトでブカレストへは「ほぼ定刻」に着いた。

    ・ブカレスト国際空港は、かつての小牧国際空港に似てシンプルである。 
    乗客の後について行き「イミグレーション」や「荷物の表示」のある方向へと進んだ。
    イミグレーション(入国審査)は「入国カード」も無くパスポートの提出だけでOKであった。
    ・荷物のターンテーブルでは「荷物が着くかな?」と心配したが、無事出てきた。 
    荷物係員まで行き「Japanise」と云ったらすんなり通してくれた。
    出口では背の高いA嬢が手を振っている。 
    A嬢と義弟(A嬢の妹の夫)に挨拶をして、A嬢と義弟が車(義弟の父の三菱パジェロ ・レンタル)までトランクを運んでくれた。
    ・義弟の英語は私より上手くて、私の知らない単語がしばしば出てくるが「三菱の車はルーマニアでも人気だ、この車はレンタルだ」などのおしゃべりをしながら真っ暗な「国道?(E60、E=ヨーロピアン道路)」をひたすら北進しているはずだ。 
    (後で地図を見ると、ブカレストの北西に当たるようだ)
    右側通行だが道路標識はメートル法だ。(フランスと同じ)
    ・23:30過ぎに、A嬢の住む町「ブラッザ(BREAZA)」にある「ホテル(5日間泊まる予定のCASA ROSIE(カサ・ルシエ:赤い家)」に着いた。
      
    ・ホテルの部屋は101号(2階だが101号)、可愛いらしくて綺麗な部屋だ。 
    (ホテルはA嬢が予約しておいてくれた)
    ・隣部屋の客?を起してしまったようで、ご夫人がドアから出てきた。 
    フロントに明日の朝食は8:30と告げ、「ピック・アップ」を午前9:30としてA嬢と義弟は帰って行き、我々はシャワー(バスタブはない)で汗を流して眠る事とした。

    「きっかけ」や「概要」などが長くなりましたので、ここまでとしますね。
    明日からが「ルーマニア旅行」でございます\(^_^)/

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