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from: ねこみさん

2014年10月24日 01時16分36秒

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レビー症型認知症

皆さん、こんばんは。相談です。6月に病院を変えて、薬の量が減ったのをきっかけに(おそらくこれがきっかけ。もしくは病気が進行したせいかもしれない)母の体

皆さん、こんばんは。 
相談です。
6月に病院を変えて、薬の量が減ったのをきっかけに
(おそらくこれがきっかけ。もしくは病気が進行したせいかもしれない)
母の体調がガタンとそれから悪くなり、
(今まで車の運転や買い物も一人でしていたが、
動きが悪くなり、外出できなくなった)
そのせいですごい不安になったせいか、
うつ病と被害妄想をするようになり、(誰かに財産を取られた等)
このままでは危ないと判断した父が病院に連れて行った所、
先生に精神病専門の病院を紹介され、即入院しました。
今、2週間たちます。
その病院の先生には、そのうつ病と被害妄想は
レビー症型認知症の症状だと言われました。

母は、初めは食事も点滴ではなかったのですが
ほとんど食べなかったせいか、点滴にされ、
トイレに行くのを我慢して膀胱に問題が起きて熱が続いてしまったことや
トイレに行ってもトイレで寝てしまったりしたせいで(おそらく薬の副作用ですごい眠気がある)
今くだのような物をつけられています。
薬もきちんと体の中に入るようにと鼻に管で繋がれています。

お見舞いに行くと、薬の副作用で(パーキンソンの薬と精神の薬どちらも飲んでいる)
眠気がすごいのか
半分ねているような、かなりぼーとした状態で横になっています。
人が来ないときはおそらくずっと寝ているんだと思います。

先生は、薬が効くのに2週間くらいかかると言っていますが、
なんでこんなにぼーっとした状態でずっと横にされているんだろう、
このままでは動けなくなってしまうんではないかととても不安です。

こういう状態だと他の病院でもこういう対応をされるのでしょうか。
周りの人からそれぞれに違う色々なことを言われて、
初めてのことなので、何が正しいのかわからなくて
どうすればいいのか悩んでいます。
どなたかこのような経験をされた方がいましたら、アドバイスをお願いします。

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from: ヨシさん

2014年11月06日 22時46分20秒

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「うつ病でした」という過去形の理由は、その症状すら外からでは確認できないほど病気が進行してしまったということです。
うつ病かどうかというのは、客観的にうつ症状があるかどうかということですが、今ではもう体も全くと言っていいほど動かない、言葉も交わせない、まぶたも開かない、表情にも喜怒哀楽がない、といった状態になっています。
上限の要介護5になってから3年、今は実質それを超えた要介護「7」程度でしょうか・・
従ってもし本人に以前通りの「だるい・・」「しんどい・・」といった強い倦怠感があったにしても、ただベッドに横たわった状態の中でそれを確認することすらできなくなってしまったということです。

一方では心のどこかで、ある意味そうなったほうがどれほど本人にとっては楽になることか、と考えたことも正直ありました。
以前のあの苦しみ、あれだけ社交的だった母が四六時中死にたいと訴えるほどの辛さから開放されるくらいなら、むしろ正常な意識でなくなったほうが・・、と罪深いことも考えたりしました。
私の母にとってこのCBDという病気は、身体的な機能低下もさることながら、むしろ精神面での苦しみとの闘いのほうが強かったと思います。


8月から療養型病院でお世話になっています。
今まで在宅介護にこだわり、約5年間(発症から7年)の月日を主に嫁が看てくれましたが、それまでの幸せな家族にとっては一転してまるで地獄のような日々でした。
辛さのあまり今まででは考えられないような罵声を浴びせる母、嫁は泣きながら衝動的に何度家を飛び出したことか・・、それを見る私もかなり精神的に辛い日々でしたが、自分達なりには出来る限りのベストを尽くしてきたつもりです。
多感な時期にも関わらず、どこにも連れて行ってあげれない子どもたち三人も一生懸命協力してくれました。
長男は将来医者になって婆ちゃんの病気を治してあげると言ってくれました。次男はいつも婆ちゃんを抱えズボンをおろしてポータブルに座らせてくれました。三男はしょっちゅう婆ちゃんの体をさすってくれていました。
母が小さい頃からどれだけの愛情を孫たちに注いでくれたかを分かっているからこそ、孫たちも優しく接してくれるんだと思います。
嫁も誠心誠意尽くしてくれました。私はこの家族に救われ心の底から感謝しています。

その上で悩みに悩み、探しに探し、家族に崩壊の危機すら感じた時、これはもう限界だということから断腸の思いで入院を決意した次第です。


幸い今の病院は、医師、看護士、介護士、リハビリ、それぞれスタッフの人数、対応ともに申し分なく、珍しい病気の割には親身になって考え、接してくれます。
在宅当時の主治医には申し訳ないのですが、はっきり言ってその先生には全く誠意を感じることができませんでした。
何のアドバイスもなく、動かない体をやっとの思いで連れて行っても、ろくに顔も見ず、触診すらせず、まるで仕方ないから諦めて、みたいな雰囲気でした。

せめてもの救いは、入院の直前、色んな施設をみてまわっていた時、ある別の病院で素晴らしい先生に巡り会えたことです。
それまでの主治医とは全く違い、同じ医師でもこれだけ患者への思いに差があるんだと痛感しました。
その先生とはたった二回の診察でしたが、何でもっと早くこんな先生に診てもらわなかったんだろうと後悔もしました。
今までの主治医から数年間で得たもの以上を、たったニ回の診察で得ることができたのです。
別れ際、その先生は母と私と嫁に深々と頭を下げ、「お力になれず・・」と一言だけ言いました。この言葉に気持ちが救われ私と嫁は自然と涙が込み上げました。

結果的には主治医ではなく、その先生の紹介で今の病院に入っています。
その先生が責任をもって紹介すると言ってくださり、その先生の知り合いの医師が院長をされているので、患者に対するトップの思想が病院全体に息づいているのだと思います。

この病気になってしまったことは努力しても元には戻せませんが、いかに患者に残されたQOLを充実させるかは、どういった人に巡り会い、どういった人達と関わっていくかが大きく影響してくると思います。そしてそれは家族の努力次第でも違ってくるものだと思います。
情報収集、調査、行動、紹介など、その中から巡り会う医師、ケアマネ、リハビリ師、デイサービス、ショート、病院、さまざまな関係者との関わり合いにおいて、自分が納得できる巡り会いができるよう汗をかくことが、私が母に対してできるせめてもの恩返しだと思っています。


今、母は鼻からの経管栄養で延命されています。

嫁は自宅で最後まで看てあげれなかったことを今でも悔いています。

この先どれだけ生きられるか分かりませんが、車で1時間の病院へ今日も明日も私たちは通い続けます。


とりとめもない長文、そして私事ですいません。

この病気の患者様が少しでも良くなられることを、このサークルの皆様がこれからも強く生き抜いていかれることを念じてやみません。

ねこみ様、mikeko様、皆様、どうか共に頑張りましょう。

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