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  • from: ぽっぽさん

    2020年06月29日 09時19分23秒

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    改定日米安保発効60年!

    皆さん、こんにちは\(^_^)/
    BGMはメディアプレーヤーで「日本の唱歌(演奏だけですが)」を。。。
    今日の出来事は別のトピックとしまして、やっと完成しました「改定日米安保発効60年」に関するトピックをアップしますね。
    <かなり長くてくどいですが、どうかご笑覧を・・・ネ\(^_^)/>

    「6月23日(沖縄慰霊の日)」のトピックに・・・
    >さらに、今日は「改定日米安保発効60年(1960年発効)」でもあります。
    >(「日米安保」につきましては、既に新聞記事を取ってありますので、別途書かせていただきますネ
    >「安倍総理の祖父・岸信介」が大きく係わっています。
    岸・佐藤・安倍・・・やはり「売国奴の血筋(DNA)」だなァ~!)
    と書きました。

    岸は「改定安保を無理やり成立」させた張本人ですし、佐藤は「基地付き沖縄返還でノーベル平和賞」を受賞しました。
    (二人の兄弟は「国を裏切った=売国奴」であります)

    その「安部家の家系図」を。。。

    上記の家系図のごとく「岸信介」は安部の「祖父」、「佐藤栄作」は安部の「叔祖父(おおおじ)」であります。

    そして、昨日のトピックには・・・
    >(明日、早く目が覚めましたら、「安保関係の新聞記事」をまとめたいと思っております)
    と書きました。

    新安保」、内容が内容だけに「嫌気」が差すと思いますが、一生懸命にキーボードを打ちましたのでよろしくお願いしますネ!\(^_^)/    
    (いつものごとく「太文字」と「<~>」はぽっぽが・・・)

    まずは我が家が取っています新聞の特集記事から・・・
    【安保条約60年 日米関係を問う】  
    日米安全保障条約は・・・
    1951年に締結された安保条約は「旧安保」、60年発効の条約は「新安保」。
    新安保は60年1月に署名、5月20日に衆院で可決、参院では実質審議が行われず、6月10日に自然承認され、同年<1960年>6月23日に発効した。
    正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(前文と10条文)」。

    日米安全保障条約の発効から60年。
    「東西冷戦の激化」「ソ連崩壊と冷戦終結」「米国一極体制から米中対立」へ。
    今、あらためて安保条約と日米関係を問う。

    = 対北・中国 重要課題に =  森本 敏氏(拓殖大総長・元防衛相)
    ・旧日米安保条約は朝鮮戦争勃発の翌年、サンフランシスコ講和条約調印と同じ日に締結された。   <当時は「吉田茂内閣」>
    日本は、朝鮮戦争の行方も分からず、防衛力もなかったので、国家の安全を米国に依存し、全ての資産を戦後復興のために投じた。
    ・この「吉田ドクトリン」と言われる選択で、日本は「戦後の奇跡」ともいわれる経済復興を成し遂げた。
    しかし、この条約は不平等だったので、1960年の安保改定時に追ったのが「安保闘争」、これは戦後のナショナリズムである。
    ・冷戦が激しくなる<19>70年代以降、世論調査によると日米安保体制を肯定的に見る人は6~7割になり、この率は今日に至るもほとんど変わらない。
    その後、厳しい冷戦期を迎え、自ら防衛力を整備するようになり、冷戦後には米国のアジア太平洋戦略を一部、補完するようになってきた。
    ・米国には日米安保条約の片務性に不満があり、日本は「米軍基地問題」「駐留経費負担」「日米防衛協力」「米国製兵器購入」などを含めて、日米安保体制と日米地位協定に基づく「在日米軍の安定的駐留」のために絶えず努力を続けてきて、本年度は5年ぶりに駐留経費分担交渉が始まる。
    ・顕在化する北朝鮮と中国の脅威に対応するため、日米は「中距離ミサイルを配備すべきか」「新たな任務役割を再定義するべきか」など日米安保体制は今、重要な岐路に立たされている。
    <結局、「安保」は米軍が合法的に日本に固定駐留できるってことで、日本を守るという趣旨ではないよです!>

    = 協定に日本の主権を =  孫崎 亨氏(元外交官)
    ・今日、日米安全保障の関係者が、日米安全保障体制を強化しようと発言するとき、「日米安保条約を基礎において」という言葉はあまり使わない。
    それは、現在の日米安全保障協力が、1960年締結の日米安保条約の枠を超え、文字通りの条約履行が望ましくない事態が生じているからである。
    ・安保条約第1条に「国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する」とある。
    他方、国連憲章は第2条で「すべての加盟国は、武力による威嚇または武力の行使を慎まなければならない」と定めている。
    ・冷戦以降、米国は「イラン・イラク・北朝鮮」などを敵とみなし、武力行使や武力による威嚇を行っていたが、これらは国連憲章に基づく行動ではないので「有志連合」の形態をとるが、こういうときに国連憲章と順守を求める安保条約第1条は不都合である。  
    <つまり安保の第1条が邪魔?>
    ・日米安保条約の主たる目的は、米国が「日本に基地を持つ権利をうること」で、第6条には「アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」と明記されていて、米国はこの条約を維持し続けることを願っている。
    1971年10月12日、当時のキッシンジャー米大統領補佐官は、周恩来中国首相にたいし「日本が攻撃されたとき、われわれが日本を防衛したいと思えば防衛する。 
    核の時代において、国家が他の国を防衛するのは条約があるからではない」と述べているがこれが現実だ。
    <つまり米軍は、いざとなった時に全然役に立たない「大飯食らいの居候」である!
    中国や北朝鮮などが日本を脅かすことがあれば「米軍が助けてくれる」・・・
    もうそんな「神話=妄想」は通用しません!>
    ・「60年安保条約」にも続く米軍基地の具体的運用は、同じ年に締結された「日米地位協定」で定められている。
    日本と同様に第二次大戦後、米軍基地を容認してきたドイツは、自国の主権を反映する形で協定を修正してきたが、日本もそういう時期に来ていると思う。

    = 米の拘束に思考停止 =  平山周吉氏(雑文家)
    ・「70年安保闘争」は前年の1969年で事実上ビリオド、日米安保体制は完全に固定した。
    これにたして「それでいいのか。 思考停止ではないのか」といい続けたのが「江藤淳」だ。
    江藤氏は80年、竹内好が天皇制について語った有名は言葉である「一木一草にまでアメリカがしみ込んでいる」と述べた。
    ・拘束としての「アメリカ」はさらに強まっているので、それを突破するための"迷案"は、江藤氏が占領期と戦後について試みた「米国に抑え込まれた日本を言論の力で解体すること」を戦中戦前にさかのぼってみることである。
    具体的には、日米戦争に至る昭和史と原爆投下の正当性を、米国(の知識層)に問いかける場を設けることで、「東京裁判」をもう一度開くのと同じ効果が望めるのではないか。
    ・すでに出た<東京裁判の>の判決を無効にするのではなく、この70年の間に発掘さえた新史料や学術的な成果を上書きして、東京裁判が対象にした昭和3年から20年までの日本の歩みを日米共同で再検討する。
    ・日米の検討会会場には、ノーベル平和賞受賞のオバマ前大統領に来ていただき、会場は東京ではなく広島で開催するのがふさわしい。
    固着した日米関係を揺さぶるにはそれくらいのショック療法が必要だ。
    <ぽっぽは、この"迷案"にはあまり賛成できませヌ! 
    我が国は「わが国独自で"昭和白書"を作成すべきである」とずいぶん前から主張しているのであります!>
    下のイラストは「無料イラスト」からです。
    右は「60年安保闘争」でお亡くなりになられた「樺美智子さんの国民葬」です。

    次にお隣の奥さんから頂いた新聞記事から・・・
    【「岸信介と60年安保改正」】
    まずは記事にあります「岸信介と60年安保改正」の年表から・・・
    1941年10月:東条英機が組閣。 岸信介は商工相。
      45年 9月:岸、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンへ。 51年釈放。
      53年 4月:岸、衆議院議員当選、政界復帰。
         11月:自由民主党結成(保守合同)。
      57年 2月:石橋湛山病気で首相退陣。 岸(当時外相)が組閣。
      60年 1月:ワシントンで新安保条約に調印。
          5月:自民党単独で新条約案を可決。  
             世論反発しデモが連日、国会を囲む。
          6月:安保闘争で女子大生死亡。 
             アイゼンハワー米大統領の訪日延期。  
             新安保成立。  岸が退陣表明。
          7月:池田勇人内閣成立、「寛容と忍耐」スローガンで経済重視に
             路線転換。

    【安保60年 続き対米依存】  原 彬久(はらよしひさ)氏(国際政治学者・東京国際大学名誉教授)へのインタビュー
    ― 60年前の今頃、日本は戦後最大の政治運動の高揚の中にあった。
    安保反対のデモが幾重にも国会議事堂を取り囲んだ。
    「岸信介首相による条件改定は、なぜ激しい反発を生んだか」「あの政治ドラマは、戦後日本と日米関係をどう変えたのか」を「国際政治学者・原彬久氏」に「生前の岸について」のインタビューを行った。 ―

    安保条約はなぜ改定されたのか?▲
    ・1951年9月、吉田茂首相がサンフランシスコで「講和条約と安保条約(旧安保)」の両方に調印した。
    連合軍の日本占領は終わったが、安保の下、米軍の駐留は続くことになった。
    米ソ冷戦の時代なので、米国は共産主義の防壁として日本を考えていた。
    <今でもソノマンマだと思いますがねぇ~!・・・ぽっぽ>

    ▲旧安保は占領体制を色濃く残していて、在米軍は「日本国内の内乱に出動できる」など条約の限界が定めていないが?▼
    ・最大の問題は、米国の日本防衛義務が明記されていなかったことだ。
    米軍が自由に日本の基地を使える「駐留協定」だった。 
    <今でも「同じだ!」と思うのですがねぇ!?>
    ・<旧安保の>不平等な内容に国民の反発は大きかったので、岸は条約を改定して日米を「対等」の地位に置きたいと考えて米国と交渉を始めた。
    改定された「新安保条約」では、日本防衛義務は明記され、内乱条項は削除され、条約の期限も定められた。
    <たしか条約期限は10年だったと思います。 
    60年安保闘争の後、70年安保闘争がありました>

    ▲60年1月の調印時の世論調査では、条約改定を評価する声が多いが?▼
    ・「岸」は、日米修好100年の行事として<1960年>6月に「アイゼンハワー米大統領」を国賓として招待するのに間に合うよう条約の国会承認を急いだ。
    <岸の「外面が良い」ことは、「孫の安部」にしっかりと受け継がれていますよね!>
    5月10日深夜、国会内に座り込む社会党議員を「警官隊」で排除し、「自民党単独」で国会の会期延長と新条約を衆議院で可決したので国民は強く反発した。
    「東条内閣の官僚」だった岸は、<本来の>姿がよみがえった。
    ・<岸の強引さに>安保反対運動は、「戦後民主主義擁護・岸内閣打倒」の運動へと変わった。
    <今でも岸の孫・安部が強引に我が国を「軍国化」しようとしています! 
    血は争えませヌ!>

    ▲そのような経歴の岸が、なぜ首相になれたか?▼
    ・岸は「戦後という時代」を巧みに応用した。  <ずる賢い!
    戦前は力の源泉が軍部だったので、岸はかつて「統制経済の官僚<東条の官僚>」として軍部と密接に協力した。
    岸は「戦後、民主主義の時代」になると、力の源泉は「数」だと考えた。 
    <この身のかわしかたが「ずるい!」>
    ・分裂した保守勢力を束ねて「自由民主党」を作った。  
    保守連合は「財界」も歓迎だった。
    「日本の中立化」を恐れていた米国は、岸を信頼して安保条約の改正に応じた。

    ▲A級戦犯容疑者として「巣鴨プリズン」に入っていた岸は「反米」のはずでは?▼
    ・<岸の>「獄中日記」が残っていて、米国を「仮想の民主主義」と断じてはいたが、反米より反ソが強かった
    岸においては「反ソ」が日米をつないでいた。
    ・岸は政界再編というテーマをつかみ、保守合同を成し遂げ、次に取り組んだのが新しいシステムを作り上げるのが最も得意とする「安保改正」である。
    <実に巧妙でずる賢い! これが安部のジジーでございます!>

    ▲<安保改定の>単独採決から約1か月間のドラマチックな展開は、戦後史で他に例がないが?▼
    ・大きな原因は、岸が日米の結束を政治的に演出したかったので「米大統領訪日」に非常にこだわったことだ。
    <孫の安部は「コロナ禍」の最中でも「自分の事」や「オリンピック・パラリンピックの事」しか考えておりません!
    この国難に晒されている「日本国民は眼中にない」のでしょうねぇ~!?>
    ・6月15日に国会内のデモ隊と警察との衝突で、「樺(かんば)美智子さん(女学生)」が亡くなったことだ。
    岸は米大統領の訪日を断念し、退陣を決意する。   
    <ざまーみろ! あくどいことばかりやるから「罰が当たった!」
    いや、悪い奴は世にはびこる! 「新型コロナウイルス」みたいに・・・!>

    ▲野党勢力は「60年安保」で何を学んだか。  
    また、日本ではなぜ野党が育たないのか?▼
    ・社会党が総選挙で取った最大議席数は、岸政権下の1958年5月の166議席
    岸が60年7月に退陣、11月に「浅沼稲次郎氏(社会党委員長)」暗殺のテロがあった。
    安保の高揚、社会党への同情票の期待など有利な要素はあったが、経済重視に転じた自民党には勝てず、社会党の議席は145に減らした。
    ・<野党が育たないのは>野党自体の責任に加えて、国民の意識やメディアにも問題がある。
    我々日本人は依然、「寄らば大樹の陰」の意識が強い。
    自民党が国民の要望を幅広く吸い上げる包括政党になったため、野党には政権批判だけを期待する、野党を育てて政権を任せようとは考えない。
    ・メディアも政党間の違いばかりを強調する。
    むしろ違いが大きくないから政権交代が可能で、交代することが権力の腐敗を防ぐ

    ▲今年<2020年>は戦後75年、岸の安保改正の遺産をどう評価するか?▼
    ・吉田<「吉田茂首相」のこと>の旧安保を、より対等な条約に変えた意義は大きい。
    しかし、対米依存という基本的な構造は一貫して変わらない
    ・「沖縄の基地問題」でも、先鋭化した形で不平等が浮かび上がる。
    尖閣列島をめぐって日中が衝突したら、米国は助けに来てくれるでしょうか。
    改めて日米関係を考えねばならない時代が近く来ると思う。
    <じゃー、原さんは「どうしたらよいかと思うのですか?」
    いささか「尻切れトンボ」では!?>

    ということで、難しい内容ではありましたが「安保」「日米地位協定」に基づく「沖縄の米軍基地」などなど、我が国は「コロナ禍」だけではなくて、戦前戦中戦後を通した「根強て深い大問題」があります。

    私共は決してこれらの問題に目を背けてはならないと思います。
    (毎年のごとく沖縄へ行っておりました私には「沖縄」という言葉を見聞きするたびに胸が痛みます。
    下の写真は2019年2月に石垣島へ参りました時のものです。
    一日も早く「基地のない沖縄の実現」をと願っております)

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