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  • from: ぽっぽさん

    2021年03月20日 06時55分05秒

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    東日本大震災10年!その3(最終回)

    皆さん、おはようございます。
    BGMはネットラジオで「クラシックギター」でございます。
    お耳は相変わらず昨晩から今朝も「虫の音」が元気ではありますが、お陰様で「ピチッ」「キーン」は静かにしてくれて居ます。

    【東日本大震災10年!その3】 「東日本大震災10年!」の「最終回」です。
    お隣から頂いています新聞記事「東日本大震災10年」の記事から下記の2つをご紹介しまして、このシリーズの終わりとしますね。
    例によりまして、難しい内容化と思われますがご容赦を・・・
    (「太文字」「<〇~〇>」はぽっぽが)
    【東北「内なる植民地」】 赤坂憲雄氏(民俗学者) 2021年3月中旬
    「東日本大震災から10年」、もう10年なのか、まだ10年なのか。
    「文明災」という言葉で語られたほどの衝撃を、日本社会はどう受け止めてきたのか、「東北学」を提唱してきた民俗学者の赤坂憲雄氏に聞いた。

    = 中央に貢ぐ仕組み 原発も五輪も同じ 「東京は安全です」 =
    ▲10年をどうみるか?▼
    ・東京電力福島第一原発事故を抱えた福島と、それ以外の地域では、同じ東北でも災禍の意味が違う。
    東北は歴史的にも災害が多い地域、地震と津波の被害を元の戻すのが「復興」ならば、議論は難しくない。
    「モデルなき復興」という難題を突き付けられたのは、やはり原発事故が起きてからだ。
    原発事故が起きて東北が丸ごと汚れた地域であるかのようにみられ、その後は福島が「フクシマ」として理不尽なまでに放射性物質と関連付けて語られてきた。
    <今回の「コロナ禍」でも同様な事=差別が横行していますね!>
    思い出してほしい、放射性物質が降っていたエリアは、北関東・東京にも及んでいたにもかかわらず、福島に限定するように囲い込み、切り離していった。
    東京五輪・パラリンピックをめぐる経緯が印象的だ。

    ▲「東京五輪・パラリンピックをめぐる経緯が印象的」とはどういうことか?▼
    ・もともと、東日本大震災からの復興五輪だったはずが、当時の安部晋三首相は2013年の国際オリンピック委員会の総会で、「東京は安全だ、福島は『アンダーコントロール(制御されている)』だ」と発言した。
    <何度も書かせていただいていますが、この時の安部の発言に私は怒り爆発!
    それ以来、「安部は全然信用できない!」「安部一族はジジー・叔父・晋三と国賊家系だ!」と批判してまいりましたが、今でもその気持ちは変わっておりませヌ!
    菅がそれを払拭してくれるとは思っておりませヌ! 何せ「ガースー=カス」ですから・・・>
    しかし、今も汚染処理水の行き場が決まっていないし、廃炉の行方もわからない。
    ・今は、五輪はコロナに打ち勝ったあかしだ。
    すくなくとも中央=国家から見える地方=東北への視線は、10年経っても変わっていないと思う。
    <政府は卑怯だ! 福島はアンダーコントロールされていると復興五輪をうたい、その後「コロナに勝った」としている! 国民をなんだと思っているのだ!「五輪優先政策」には、誘致当初から真っ向から「大反対」でございます!>

    ▲<赤坂氏は>震災直後の新聞寄稿で「東北はまだ植民地だったのか」と書いている。 「植民地」は具体的な地域を指す言葉としては強い表現だが今でもそうか。▼
    ・戦前の東北は「男は兵隊、女は女郎、百姓は米を貢物として差し出してきた」と言われていたが、その構図が「植民地的」だった。
    「植民地」という言葉は「蝦夷(えみし)征討」以来の千年の歴史を背負わされている、とても強い情緒的は言葉だ。
    それは、五輪招致のために「東京は福島から離れているから安全だ」と無邪気に言われたことと、まっすぐにつながっている。
    10年経つと、「植民地」の意味を、当時とは違う意味で考えるようになった。

    ▲「当時とは違う意味で考えるようになった」とはどういう意味か?▼
    東北に限ったことではないと言うことで、北海道のアイヌの人々、沖縄、台湾、朝鮮半島、満州、国民国家としての日本は「帝国化」の歴史の中で、その周縁部に異質な文化や民族をたくさん抱き込んできた。
    国境をこえたり、国境内部で線を引いたりして、「内なる植民地」を生み出してきた。
    日本だけではなく、近代の国民国家が見えない辺境として抱え込んできた「植民地」が露出しつつある。
    東北の復興の問題は、そうした大きな流れの一つと考えるべきだ。
    <そうならば「中国」における「香港」「台湾」への圧力はどうしたもんでしょうねぇ?>

    ▲<赤坂氏は>震災直後にできた政府の復興構想介護にメンバーだったが?▼
    ・会議では「何をどうすべきか」という問い自体を立てるのが難しかった。
    原発事故は大きいが、同時に甚大な被害を受けた沿岸部は、震災以前から深刻な少子高齢化や過疎化が進んでいたが、震災でそれが一気に加速されてしまった。
    ・私が「福島を自然エネルギー特区に」と提案したのは、この災厄を逆手に取ってしたたかに変わるべきだと考えたからだ。
    「原発に象徴される中央集権型システムが震災で壁にぶつかったのだから、地域分権的な社会を目指すべきだ」と。

    ▲「近代以前の社会に戻らないといけない」ということか?▼
    ・違う、「風土とテクノロジーの結婚」と名付けたが、太陽や風や水の流れからエネルギーをいただき、地産地消の仕組みを作る。
    それを可能とする技術はすでにある。

    ▲政府は創造的復興を掲げてきたが、復興事業の規模・内容ともに前例のないもので、再生エネルギーへのシフトも当然のように語られるようになったが?▼
    ・地域の現象は、再生エネルギーと言ってもメガの発想にとらわれていて、中央集権的なシステムが再編されているわけで、中央の収奪は変わらない
    自然から贈与されたエネルギーが地域の自治・自立に役立つ。
    それが再エネに魅かれた理由だったが、初心が忘れられている。

    = 再エネを通じ地域の自立の芽 復興まだ入り口 =
    ▲「文明災」という言葉で語られるほどの災害でも、日本社会は変わらなかったのか?▼
    ・甚大な被害を受け将来への復興モデルもなく思考停止に陥った人たちを「巨大な防潮堤防を作らなければ復興はできない」といった理論が追い詰めた。
    しかし、すべてがそういう理論で動かされたわけではなく、新しい地域社会をデザインしていこうという草の根の動きも確実に芽吹いている。
    ・地域の人々が、自分たちの暮らしを支える自然生態系を里山を管理する人材を育てるところから、再生エネルギーの地産地消に挑む試みが会津で始まっている。
    ・三陸の海岸部で出会った水産加工業を営む30代の若者が、目の前の海を見下ろしながら、「海はみんなのものだという考えを共有しないと、漁業の明日はない」と話してくれて、とても励ましに満ちた希望の言葉だと思った。
    ・最近では、自然やエネルギーといった生存に関わる条件を昔風に言えば「入会地」「コモンズ」として捉える流れが広がっている。
    山野河海は皆のものだ」という発想からの小さな選択が、中央集権システムへの抵抗のよりどころになってゆくと思う。
    <最近、TVでもよくとりあげていますが、漁師やダイバーが山林を整備して「きれいな海」を取り戻そうとしています。
    山から流れる川が栄養を海に運び、それを餌とするプランクトンが魚たちを育てているという「山→川→海という一連のサイクル」を壊してはいけないと、(元)ダイビング愛好家としましては身をもって感じるのであります!>

    ▲復興に政府の役割は不可欠だが、震災当時の民主政権から自公政権に変わったことは、復興に影響を与えたか?▼
    ・民主党政権の「官から民へ」という方針が悪い方に働いてしまった。
    官の力をそげばいいという潔癖さだけで官僚の能力を生かせず、横断的な官民の連帯の大きな仕組みも作れなかった。
    もっと官僚たちの蓄積された知識や力が必要だった。
    <安部・菅政権で「官僚の知識や力」はあるのかなぁ? 彼らの特技は「忖度」だけ!
    今話題になっています、総務省と通信会社との癒着などなど・・・!>
    ・その後の自公政権では官僚機構が官邸主導で、政府にとってゆがめられてしまった。
    「復興」という言葉を「隠れみの」にして、震災前からの古い利権誘導型政治がまかり通ってきた。
    <「新型コロナウイルス」の対策にしても、政府内に「分科会(尾身会長)」を置くのもやはり「忖度」ではないでしょうか?
    専門家の委員会は政府枠外のガラス張りの場所に位置づけるべきだ!」と思いますが・・・!>

    【「当事者」って何だろう】 2021年3月中旬
    誰が「当事者」なのかーーー  東北に甚大な被害が集中した一方、日本社会全体を揺さぶった「東日本大震災」は、この問いを私たちにかつてなく突き付けた。
    被災地の内や外で問いに向かい合ってきた若者たちは10年経ったいま何を思うのか。
    <山崎氏は「当事者」を、桜井氏・大橋氏は「非当事者」を語っています>

    = 東北を元気に 被災して得た信念 =  山崎泰晴氏(スタートアップ企業「エニバ」CEO
    ・震災当時は中2で、原発から20キロ強の福島県南相馬市に住んでいた。
    相馬市の父方の祖父母宅は津波で流された。  
    祖父は漁船で沖合に出ていて無事だったが、家にいた祖母はいまだに見つかっていない。
    ・あの経験<震災>をしたことで、自分は「普通」の人間から「当事者意識」を持つ人間に変わったと感じている。
    友人とバラバラになったのは原発事故の影響も大きいが、今も東北から人口流出が続き要因は、親や自分たちの世代が求める仕事がないからだ
    ・震災で加速した人口流出を止め、逆に地域を100倍成長させたい、震災を経験したものの責務だ。
    こう考えるようになったし、これが当事者意識だと思う。
    被災した人は被災者意識を持つが、誰でもが当事者意識を持てるようになるわけではないと感じている。
    ・原発問題ではどうしても被害者意識にとどまりがちで、祖父母世代まで当事者意識を強いるのは難しいかもしれない。
    それでも、震災は私に信念を持って取り組む機会を与えてくれた。
    当事者意識を持つ人が1人でも増えてほしいと思っている。
    <「当事者意識」・・・私は小6の時、名古屋市港区で「伊勢湾台風」に遭いましたので多少は・・・>

    = 遠慮なく指導 内と外の「間」で =  桜井うらら氏(
    エル・システマジャパン大槌弦楽講師)
    ・2016年から岩手県大槌待ちで、小中学生にバイオリンを無料貸し出しで教えている。
    エル・システマ(南米ベネズエラで誕生した音楽による教育プログラム)」を「輸入」した団体のスタッフとして<大槌町に>移り住んだ。
    ・<移り住んだ>当初とても悩んだのが子どもたちとの「距離」だ。
    自分では想像もできないような、つらい経験をした子どもたちにどれほど踏み込んでいいのか。
    ・転機になったのが、あるお母さんに言われた「何も気にせずに怒って欲しい
    という言葉だ。
    <子どもたちは>被災地で育っているがゆえに、物心ついたころから、いろんな物をもらったり、外から支援で来た大人に優しくされたりすることが当然になっている。
    そのお母さんは「被害地慣れ」という言葉を使っていた。
    「内」でも「外」でもない立場で居続けている私だからこそ、出来る関わり方もあるのだと、気づかせてくれた。
    非当事者」であることを引き受けながら、ためらわずにできることをやる、そういう人材がこれからの被災地の未来のために求められるような気がする。

    = 僕らに語る資格は? つかんだ答え =  大橋悠太氏(アートユニット「QoiQoi(コイコイ)」共同代表)
    ・震災の被害に遭っていない「非当事者」の僕らに、震災を語る資格はあるのだろうか。
    心に引っかかっていた疑問に向き合うため、「芳次匠生(よしつぎしょうせい)」と立ち上げた、アートユニット「QoiQoi(コイコイ)」で、福島を舞台にした「演劇:Scrap and・・・?」をつくった。
    ・10年前、高1だった僕は埼玉で地震を経験したが、福島に住む祖母が心配だった。
    2019年、ユニットを立ち上げた僕らは、福島第一原発から20キロ圏内の福島県大槻町・浪江町・南相馬市に行った。
    福岡出身の芳次も震災については「語りづらさ」を感じていた。
    ・でも僕らの想定は間違っていたことを現地で気づかされた。
    むしろ「当事者」が語りづらさを抱えていた
    「自分は偶然助かったけど、近所には津波に流された人がいる。」「隣の家なのに賠償額が全然違う。」、震災の「当事者」だって、誰が誰を思うかによって変わりうる。
    福島の叔母は「当事者」だけど、「(沿岸部の)浜通りの人に比べれば」と言う。
    浜通りの人は「家族を失ったあの人に比べれば」と話す。
    ・当事者かどうかで「語れない」ことがないように、「Scrap and・・・?」にはその思いを込めた。
    「コロナ禍」はあらゆる人を「当事者」にした
    突然、当事者となった僕が気づいたのは、自分が誰かに向ける共感と自分に向けられる共感の違いだ。
    わかりたいと思っても理解できない部分は必ず残る。
    だから想像し、考え続けたい。
    アートをする上で忘れたくないことに出会った。
    <大変、重い言葉だと思います>


    と言うことで、「東日本大震災10年」のシリーズからの記事紹介をしました。
    最後に、私共が取っています新聞の3月11日には『死者1万5千9百人、行方不明者2、525人』とありましたので再掲いたします。
    さらに、いまだに4万人余がご不自由な生活を送られておられるとの事。

    改めましてお亡くなりになられた方々のご冥福と、罹災に遭われた方々の一日も早いご復興をお祈りいたしております。
    (下の写真は昨日撮りました「二輪草」です)

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