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from: 旅クマさん

2011年02月15日 21時46分17秒

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【Extremadura地方(スペイン)】 Torjillo兵どもが夢の跡1

さて、TorjilloはCaceresからバスで、1時間ちょっとの位置にあります。日本の平泉みたいな古都という説明を読んだので、日帰りで訪ねてきました



さて、TorjilloはCaceresからバスで、1時間ちょっとの位置にあります。日本の平泉みたいな古都という説明を読んだので、日帰りで訪ねてきました。Caceresは続きますよ。

この町の「売り」というのは、ピサロ将軍の故郷という事です。中央の偉そうな銅像が、ピサロ将軍という事です。

「それ、誰?」と聞かれそうなので、ウィッキーベッキー(注:どら社シャッチー)による説明を載せます。

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フランシスコ・ピサロ
フランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro、1470年頃 - 1541年6月26日)は、スペイン人のコンキスタドール。ペルーのインカ帝国を征服した。カスティーリャ王国エストレマドゥーラのトルヒージョの生まれで、父はゴンサロ・ピサロ、母はフランシスカ・モラレス。

来歴 [編集]
1498年から1502年にかけてイタリア戦争に参加した後、1502年にニコラス・デ・オバンド総督の着任航海でエスパニョーラ島へ渡る。1513年にバルボアのパナマ遠征に同行し、太平洋に到達。その後、探検家ディエゴ・デ・アルマグロと共に、何度か南アメリカを探検し、ペルーのインカ帝国の存在を知る。 1528年にスペインに戻り、カルロス1世(後の神聖ローマ皇帝カール5世)からペルー支配の許可を取った。募集した兵士とともに1530年、パナマに戻った。

1531年には約180人の手勢と37頭の馬を引き連れ、パナマを出港し、ペルーへの侵入を開始した。サン・マテオ島で騎馬隊を下船させ、トゥンベスまで南下し、サン・ミゲル・デ・ビウラを建設した。その後、インカ皇帝アタワルパを追って南進した。1532年にカハマルカでアタワルパと会見し、その場で生け捕りにした。アタワルパの身代金として、莫大な金銀を受け取ったが、アタワルパが存在する限り先住民が彼をリーダーに担いで反乱を起こす可能性があると判断し、約束を反故にして、1533年7月26日処刑を敢行した。その後も、インカ帝国の分裂を巧みに利用しながら進撃し、11月にはインカ帝国の首都であるクスコに無血入城した。1535年1月18日に新首都としてリマ市を建設した。

しかしその、支配地の分配、特にクスコの領有権をめぐってアルマグロと対立し始め、1537年から内戦が始まった。1538年にアルマグロを処刑したが、1541年6月26日にアルマグロの遺児一派にリマで暗殺された。
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(@o@;)まぁ〜、ガイドブックに1ページ程度の説明しかないので、標識らしきものを見ながら進みましたが、よくわからんのですよ。一応、確実そうな人に聞いた通り、道を進んで曲がったら、銅像のある広場にぶち当たったのでした。







この堅固そうなCatedoral、しかし中味はCaceresの方が豪華でしたね。一体、新大陸から強奪した銀はどこにやったのだろう?因みにですが、今回スペイン側のルートは、「銀の道(La Ruta de la Plata)」に沿っているのです。







その時!(@@)が惹かれたのは・・・・
広場の背後にそびえる、石の塔やらCastillaだったのでした。

『なぁ〜んだ、まだ続きがあるんじゃん!』

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さて、おねぃさま、その口の馬鹿でかい姐ちゃんは、「ブルック・シールズ系統」の顔立ちなんですが、どなたでしょうか?

実は、Extremaduraの説明、仕方がないのでスペイン語で調べていったのですが、その他の地域に比べると少な〜いんですね。どうも、地元民はそこここに車で乗り付けて、のんびりいらっしゃるんですが、外部から入って来て、うろたんしているのは見かけないんですよ。石の建物が多いから、真夏は暑いだろうし・・・おまけにね、スペイン語の説明や標識しかないんですけれど(苦笑)

エゲレス人ペンパル君は1度レンタカーで、ガガーっと回った事がある、と話していたんですが、BCNのペンパル君は「また変な所へ行くねぇ〜」という反応だったし、空港もないので、訪ねてないでしょうね。一体誰が来るんだろうか?

>アメリカでも敷地内に自分たちの墓地がある大富豪がいるけれど。

これって、Michael Jackson, Elvis Presleyですか?
Kennedy家はArlingtonでしたよね?

昨夜は冷たい雨⇒雪になったので、一目散に帰巣しました。
考えてみれば、Valentineだったのね〜。勿論、おぢさん達には何もあげてないですよ!あげなければもらわずに済む!という事ですね。

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from: myamigoさん

2011年02月23日 16時41分49秒

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「Re:【Extremadura地方(スペイン)】 Torjillo兵どもが夢の跡4」
あれぇ、旅クマさん、もうマカオから帰っていたのね。下へスクロールしなかったので見逃しましたよ。
そうか、マカオのカジノで当てたお札をホテルの部屋にばらまいて喜びにひたっていると思っていたのに。

>> さて、旅行中の食事というのは、『一期一会』!
つまり、”闘い”なのである==33

へっ、Fightなんて、 じゃあ食事ごとにくたびれそうだわねぇ。アムステルダムなら、毎日イモですんで戦う必要ないですよ。 

>> 広場3分の1を、行ったり来たり、よくよく迷ったのであるが、何だか美味しそうだし、

そういうカンがあたったためしがめったにない私。
めずらしく「闘う」と決まって大マズ。
あのワイングラスの画像、ワインの量、まさかあれだけで一杯分じゃないですよねぇ?
次のはオリーブ?
あれ、すごく塩からいからワインどんどん飲めますね。

サンフランシスコで予約がとても取れにくい女シェフがやっているイタリアン(だと思う)では、Carafeに入れたワインをだすけれど、目盛りがついていて飲んだ分だけ払うとか。 これはここらではとても珍しいそう。
でもねぇ、こんなことすると、飲んだ後で水でも入れてごまかす客が出てくるんじゃないかと私は心配です。
そして、ああいう残ったワインはどうするんでしょう。

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