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大好き、日本酒

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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2010年02月16日 18時06分11秒

    icon

    磨きをかけた米はやはり美味しい日本酒を醸し出すのだ


    紛らわしい日本酒の表示に騙されないようにしよう。
    ★(⌒杰⌒) AMA-G'です

    日本酒における「精米歩合あるいは精白率」というのは
    酒母造り・仕込みに使用する〝米〟を磨き削り、
    どれだけ雑味のない日本酒を仕上げるかというテーマにとって
    とても重要な指標だ。

    一般的に、純米酒の場合は、
    「精米歩合60%以上」を目安とする。
    つまり、使用米の40%を削り捨てて、残りの60%を使う。
    ※日本酒の場合は、〝削る〟というより〝磨く〟と表現するが…
    →Pho.「素材辞典」サイトよりサム用データを引用

    これが「吟醸酒」や「大吟醸酒」になれば
    精米歩合はさらに向上し、50%…40%とかいって、
    実に使用米の半分以上を削り捨ててまで
    究極の味を追求していくわけだ。

    現在、
    この「精米歩合」に関する規程は撤廃されていて
    それまでの規程を満たしていなくても
    「米だけのお酒」などと表記することで
    品質の良くない安価な日本酒を
    知識のない消費者が「純米酒」と誤解して買うことを狙った
    かつての「三増酒」の時のような愚策を行う
    酒造メーカーがいることは、じつに嘆かわしいだ。

    ま、
    もっとも、それを承知で買って
    急場をしのいでいるワシが偉そうなことはいえないがσ(^◇^;)

    ところで、
    精米歩合の違いを実感するには、
    普通酒・純米酒・吟醸・大吟醸など
    精米歩合の異なる日本酒を数多く飲むことだが
    今回、実に端的に、〝精米歩合の違いが味の違いに出る〟
    ということを実地に確かめることができた。

    ま、
    調査としてはまったく客観性の無い、
    些末で貧乏ったらしい実験ではあるので
    小市民のたわごとと笑って欲しい。

    例によって、
    アコギと弾き語り楽譜に小遣いを使ってしまい
    今月もまともな日本酒が買えなかった。

    仕方なしに、
    スーパーの酒棚から、(純米酒ではない)「米だけの酒」
    というパック酒を買った。

    米と米麹で醸造されているが、
    「精米率82%」なので、純米酒とは呼称できない。
    が。アル添ものや三増酒を飲むよりはマシか、と考え
    その日は、それでブリのの刺身を戴いた。

    やはり、
    82%の限界なのか、
    純米酒の旨みも甘みもコクもまったく感じられない。

    辛口といえば聞こえはいいが
    単に米と米麹を使っているというだけで
    そこには味の特徴もなければ、味わいのかけらもない。

    それは、
    ちょうど〝爽快・辛口〟を声だかに宣伝しながら
    まったくビールとしての〝旨み〟に欠ける
    どこかのスー○ー・ド○イ のようだ。

    そして別の日、
    今度は、これまた純米酒とは呼称できず
    〝米だけのお酒〟をキャッチコピーに使った
    リーズナブルな焼酎などを製造しているメーカーの
    純米のお酒を買った。

    これの精米率は70%。
    この価格でこの精米率はけっこう頑張った方である。
    かつ、使用米はなんとあの「山田錦」。
    といっても、全量が山田錦であるはずは無いので
    掛け米など、部分的な使用ではあろうが…。

    で、
    味はどうかというと、これがまずまず〝いい〟のである。
    82%→70%の差を、我が舌で実感した瞬間である。

    精米歩合の向上は、まず〝香り〟に現れる。
    82%では感じられなかった米の香りが
    70%では冷酒のままでも、しっかりと感じられる。

    ド○イビールで料理を食べると
    それは単に麦芽臭の水代わりであるのに比べ
    麦芽100%のビールだと、杯を重ねても
    きちんとビールとしての味わいが継続する。

    それと同じ事で、
    精米歩合の低い純米の酒は
    他の酒では相性の悪い肴をいただくときに
    仕方なくそれを飲んでいるだけで
    けっして、日本酒と肴との味わいの相乗効果は生まれてこない。

    さてさて、
    実験の続きで、その次には
    地元の某酒蔵の精米歩合60%の純米酒を飲んでみた。

    もう、これは間違いなく
    きちんとした純米酒の主張をしており
    この酒蔵の特徴である、やや硬派な口当たりと
    さわやかな香りがさすがに美味しかった。

    精米歩合のみで日本酒の良し悪しを語るのは
    まったく意味のないことだが
    今回、たまたま、82%→70%→60%と
    三段階の純米といえる酒を比較してみて
    それが、日本酒の一つの指標であることは
    確かなようだ。

    法令による精米歩合の規程撤廃の背景には
    60%以下ではない純米酒であっても
    美味しいものがあり、良し悪しの判断は消費者に委ねるべきだ、
    とするお役人あるいは当該団体責任者の倫理観のなさ丸見えで
    単なるご都合主義といってもいい。

    目隠しして、
    日本酒のテイスティングができるわけじゃないから
    精米歩合が60%でも70%でも、
    ようわその日本酒が美味けりゃいい。

    それはそうだぁ。
    限に、80%表示ではっきり「純米酒」と表示していて
    リーズナブルな価格でありながら
    充分なコストパフォーマンスを発揮してくれる北関東・M酒蔵の
    純米酒のようなものだってあるわけだし。

    ただ、
    前述の「米を磨く」という表現ではないが、
    吟醸酒ともなると、この米を磨く作業もじつに慎重にゆっくりと
    熱が発生したり米が破壊されないように、最新の注意をもって
    行われる、と聞く。

    酒母づくりにしても発酵・仕込みの工程にしても、
    杜氏や蔵人の勘や精神力を総動員し
    実に丁寧に造られているわけで、
    そのために最適な精米歩合が決められているとすれば
    そのことを無視して、日本酒を語るのは「愚」であろう。

    精米歩合表示撤廃の別な背景としては、
    「山田錦」に代表される酒造好適米の収量減少や
    「ササニシキ」など食用米の酒造利用増加なども関係している。

    全国ブランドではない地元産の米を使えば製造単価を低く抑えられるが、
    酒造好適米のようには、「芯白」部分が大きくなく
    それゆえ、精米歩合を高くすると収益性が悪くなる。

    たとえ、
    精米歩合が高くなくても、
    充分に美味しい純米酒が造れるのは
    酒造りに関わる人たちの努力の結果だ。







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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2010年02月12日 19時08分59秒

    icon

    脳みそに刻み込まれた〝好き!〝の記憶…。


    自分の好みの日本酒を探して今日も酒屋に立ち寄る
    ★(⌒杰⌒) AMA-G'です

    日本酒の基本的な造り方には大差がないのに
    蔵ごと、銘柄ごとに、日本酒の味わいが異なるのは
    蔵元・杜氏・蔵人の細かな工夫や志向自体が違っているからだ。

    また、
    人の手を介して生産されるものは
    同じ銘柄の商品であっても、一つ一つに微妙な差が生まれる。

    機械的に製造されるものも
    そのときどきの機械の調子によっては
    まったく同一のものができない場合がある。

    日本酒好き、ことに純米酒が好きな酒飲みは
    蔵ごと、銘柄ごとの味わいの差異を楽しむが
    〝なぜその差異が生まれるのか?〟までは気にしない場合が多い。

    もちろん、
    マニアックだったり、こだわり性格だったり、
    理屈っぽかったり、偏屈だったりする人(どの分野にも必ずいる)
    たちは、日本酒をただ味わうだけでは気がすまず
    あれやこれやと調べて回り、聞きたくもないのに
    あれこれとその蘊蓄を開陳してくれる。
    (人が飲んだ酒の話ほどつまらないものはない)

    「淡麗な日本酒」が好きなひとがしつこい性格だったり、
    「濃醇な日本酒」を好む人が淡泊な性格だったり
    日本酒の好みは必ずしも飲み手の性格を反映しない。

    それは、
    異性の好みにも似て、
    人は概して自分にはないものを恋人や配偶者候補に求めるものだ。

    生き物が自分に不足しているものを補う
    補完的な心理の反映だろうか?

    毎度毎度、ワシが批判の標的にしているけど
    いわる〝淡麗辛口〟というキャッチフレーズが気に入らないのは
    自分の性格がドロドロと濃く、ネトネトしているからというよりも
    なんの主張もなく、世の大勢に流される
    メーカーと消費者の安易さが腹立たしいからだ。

    過去、
    一見(いちげん)で、ラベルや銘柄で純米酒を選んで
    実際に飲んだあと「正解だ」と感じた酒には
    「濃醇甘口」タイプのものが多かった。

    まるで水のようにすすーと喉を伝わる酒もあるが、
    飲んだ気がしない。いまや月並みな常套句の権化である
    〝淡麗辛口〟だった酒を再び買うことは、まず皆無だ。

    まったくの先入観で書くが、
    ワシは女性の好みでいうと、南方系より北方系のタイプが好きだ。
    北方系の容姿と情に厚い南方系の性格を併せ持つ女性なら理想的。
    まったくの先入観…。

    飲めば消えて無くなる日本酒の記憶が
    頭のどこかに保存されていて
    ある日ある時在る場所で、何かの折に口にした純米酒に
    デジャブを見るような不思議さを体験するのは
    人間の舌と脳みそのコラボが如何に優れているかの証明だ。

    普段は意識していない、あるいは本人がまったく忘れ去っていると
    思いこんでいる記憶も、脳みその一部にはしっかり刻み込まれていて
    引き出すこともできるという。

    死ぬまでにほんのわずかしか活用されない脳みそなのに
    そんじょそこらのPCがよってたかっても叶わないほどのスペックを
    すべての人間の脳が備えているのは、
    いったい何のためだろうか?

    まるで、
    普段は使われない洋服ダンスや小物入れを
    頭の中に、たくさんたくさん抱えているかのごとく
    世の中にはとりあえず〝とっておくべき〟情報があふれているのじゃなかろうか。

    使う使わない、役立つ役立たないに拘わらず、
    五感で接したものは、きっと
    なんでもかんでも脳みそにぶち込んでいるのだろう。

    だから、
    忘れっぽいことなど気にすることはない。
    人の名前も顔も覚えておかなくていい。
    カミさんからの用事も、上司のいいつけも、クライアントからの頼まれごとも
    そんなにそんなにきっちりぎっちり覚えておかなくても死にはしない。

    図書館で借りた本が、
    読み始めてほどなく以前読んだことのある本だと気づいたときの、あの落胆。
    二週間で10冊、ヒト月に20冊、一年間で240冊、ここ10年で二千五百冊の
    単行本を読んでいても、この落胆感はやるせない。

    本ならば、
    読まずにそのまま図書館のあの可愛い司書嬢に返却すればいいが、
    買った純米酒はそういうわけにはいかない。

    開栓したら最後まで飲み干す。
    たとえ、どんなに後悔するような味でも
    一升瓶を逆さに立てておいて
    最後の一滴まで絞り落として、飲む。

    その果てに残る悔恨は、
    自分の曇った酒選びの選択眼のせいであり
    決して、醸した酒蔵の某に向けられたものではない。

    一合の猪口に注がれた純米酒を前に
    それをちびちびと、じつに愛おしむように味わう楽しさを
    何に喩えたらいいだろう。

    一度に三合しか飲めないと分かっている、
    先を惜しむ気持ちを
    出会ったばかりの恋人と過ごす、
    別れまでの残り時間のようだ…といえばいいのか?

    それとも、
    唇から口中、舌そして咽頭から食道を経て
    胃の腑に落ちるまでの〝命の水〟を
    すべて自分の五感で味わい尽くしたいと欲する
    貪欲な生きものの飢餓なのか。

    店に置かれたアコギなら、自分のものにする前に
    試し弾きもできようが、
    CDならばNetにアップされた試聴音源で40秒だけ
    試聴することもできようが
    酒屋の棚の日本酒は味見できない。

    当たり外れの少ない純米酒選びはあるか?

    というより、
    これはダメだというのはどんなのだろう。

    基本的に純米酒のみを選ぶので、
    三増酒は論外、かつアルコール添加もパス!

    大手・有名酒造メーカーは飲む価値もないので無視。
    使用米・精米歩合などのスペック無表記も埒外。
    三千円以上のものも、ワシの財政事情からご遠慮いただく。
    〝店長のオススメ〟〝広告の商品〟の引き札付きも
    余計なお世話なので素通り。

    ようするに、
    これらに該当しない、
    2千円前後の初めて見る蔵元の
    ラベルに自信ありげな筆文字と、スペックがびしっと
    書かれた一本限りの〝純米酒〟が、買うに値する日本酒なのだ。

    今日も、
    いつもの酒屋に立ち寄り
    タバコ臭いあんちゃんと、ひと言二言会話して
    〝初物〟の純米酒を選んでこよう。

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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2010年02月02日 18時47分26秒

    icon

    握り寿司にはやっぱり日本酒…ビールは合わん!


    何を飲んでもいいけれど寿司には日本酒でしょ
    ★(⌒杰⌒) AMA-G'です

    ほんと、
    何を飲んでもいいのです。
    ワシがぜったい飲まない〈○サヒの○ーパー○ライ〉だって
    好きだという人がいても、それを否定はしない。
    余計なお世話だと言われる。

    〝辛口〟などという無意味な、宣伝に踊らされて、
    本当に美味くて飲んでるのか? と、いくら心の良心が
    そう叫び嘲笑していても、人が何を飲もうと勝手なのだから
    美味いと思うモノを飲めばいいのだ。

    料理と酒の相性にしても人それぞれで、
    焼き魚にビールを飲もうが芋焼酎を飲もうがそれは人好きずき。
    自分の好みを他人にとやかく言われるほど、怒り心頭なことはない。

    それでも敢えていいたい!
    「寿司には日本酒だ!」と。
    寿司屋でビールなんて飲むんじゃない! と。

    古傷の十二指腸潰瘍のせいで
    胃の幽門部が狭くなったからなのか
    最近、ビールはすぐに腹が膨れてしまうので
    昔のようにたくさんは飲めなくなった。

    グルメな食通(ダブってる?)の人なら詳しく説明してくれるだろうが
    ビールを飲みながら刺身あるいは寿司をつまむと
    どうも口の中で、味覚の不協和音が発生するようだ。

    ワシの場合、
    刺身あるいは握り寿司でビール、はまずあり得ない。
    刺身を後のお楽しみに取っておいて、軽く喉を湿らせるなら
    口開けにナッツなどで軽くビール…
    しかし、本番の刺身ではきっちり純米酒…とこう行きたいね。

    先日、
    カミさんの買い物に付き合っていて
    刺身の6点盛りの半額品を買い物カゴにいれたものの
    タイムセールで握り寿司セットが軒並み半額になったため
    刺身をやめて(普段は夕飯に米を食べないワシも)寿司で晩酌することにした。

    先日買った〈純米酒 月の輪〉がまだ残っていたので
    その夜は、握りをつまみながら、空気に触れてほどよく熟れた
    日本酒を飲もうと思ったのだ。

    握り寿司は〝箸で食べる派〟?〝スリーフィンガーでつまむ派〟?

    もちろん、後者ですよね。
    別に江戸っ子でもなんでもないけど
    握りを箸で食べちゃあ、こりゃ戴けない…。

    右手のスリーフィンガーでつまんで、くるっと裏を返し、
    ネタの先っぽにちょちょっと醤油を付けていただく。
    左手で純米酒を注ぎ入れた片口を取り
    利き酒猪口に注いだら、同じ手で猪口を持ち
    「くいっ!」と一口で行こう。

    日本酒に関するうんちく本は数多く刊行されていて
    「ワイン・蕎麦・ラーメン」などと並んで
    うんちく語りの権化本の代表格でもある。

    そんなうんちく本の中に、
    『少しばかり飲み残した日本酒の一升瓶を
    忘れてほったらかしておいて、
    ある時、ふと思い出して、おそるおそる飲んでみたら
    すごく美味しかった……』
    というくだりがあった。

    新しい酒瓶を開封したあと
    入り込んだ空気に触れた、瓶の中の日本酒は
    最初飲んだものとは味が変わっている。

    これは日本酒飲みの常識だが
    日本酒を購入するときも
    酒のラベルを見て、その製造年から
    2〜3か月ほども経ったものを買う方が
    中の日本酒がほどよく熟成して
    美味しい、と、信州のある蔵の杜氏が語っていた。

    日本酒飲みの〝頃合い〟というものを改めて
    考えさせられる話だ。

    贅沢な夢物語だが、
    自宅にワインセラーならぬ「日本酒セラー」を増築、
    あるいは、純米酒専用の冷温庫を設置して、
    そこに二、三十本ばかりの各地の地酒純米酒を
    保存しておき、日々、違った銘柄を味わえたら
    どんなに至福の世界だろう。

    あるいは、
    すぐ近所に日本酒専門店が開業していて
    突っかけ下駄でそのつど買いに行ける人は幸せである。

    好きではないので住む気にはならないが
    東京の下町のごちゃごちゃと入り組んだ露地ばかりの
    街には、きっとそんなステキな環境の場所がありそう。

    「向こう三軒両隣」とかいうが
    商店街に生家あるいは自宅があって、
    隣近所が、〈酒屋〉〈図書館・本屋〉〈楽器店〉だったら
    もう、ワシの人生、何も言うことがないね。

    人間は堕落しやすい生き物だから
    ありあまる資産を有する小市民が
    自制心を持続させて、真に充実した豊かな
    精神生活を送ることはなかなか難しい。

    ついぞ近所の知り人に〝3億円当選者〟の話を聞いたことがない
    宝くじだって、当選した億万長者の一般人は
    はたして波風建てずに幸せに暮らしているのだろうか?

    ところで、
    ワシは新しい純米酒を一升瓶で買えば
    3回の晩酌で飲み終わるので
    飲みきらずにふた月み月も保存しておくことはない。

    隣の酒屋の冷温室を我が家の冷蔵庫代わりにして
    隣の図書館を我が家の本棚代わりに、
    隣の楽器店に入り浸って高級アコギを弾きまくる。

    それでも、
    やはり田舎暮らしが一番なんだろうな。



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