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  • from: ぽっぽさん

    2017年05月27日 15時45分54秒

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    日本国憲法施行70年!の最終章でございます\(^_^)/

    皆さん、こんにちは・・・
    全くくどい話でございますが、5月3日からトピックに書いています「日本国憲法施行70年」に関する3TV番組の内、「最終の3番目目」を昨日見終えてまとめましたので「最終章」でございます\(^_^)/
    (気の長い方は是非!お付き合いを・・・)

    長文になりますので、要点を先に書きますね・・・
    この3番組目は『NHK アナザーストーリーズ「誕生!日本国憲法 ~焼け跡に秘められた3つのドラマ~」』からでございます。

    自民党は右翼団体などは「今の憲法はGHQが作ったものだ!」と申しておりますが、私が既に5月3日のトピック(下に載せました)で申しましたごとく「自民党の云う事は大嘘だ!」でございました。

    GHQが現在の日本憲法の草案を作ったのではなくて、「我が国の有志が作成した草案」をGHQが修正したのが「GHQ草案」でそれを日本政府と協議して出来上がったのが「日本国憲法」であった事を知りました。
    実は、私も「今の日本国憲法はGHQに押し付けられた」と思っておりました。

    詳しくは下記をご覧いただければ幸いです。
    (一生懸命!番組内容をメモしまして、WORDにまとめましたものを更に要点だけピックアップしたつもりでございます\(^_^)/)

    その前にに・・・5月3日・10日の「たんぽぽ」へのトピック(投稿)を2つ載せますね。
    1つ目:5月3日のトピックに・・・
    自民党
     「改正に向けた道筋を鮮明に示すことが国民各層の願いだ。」
      <私は「自民党の云う事は大嘘だ!」と思います>

    2つ目:5月10日のトピックに・・・
    NHKスペシャル 「日本国憲法70年の潮流 ~その時、人々は~」より・・・
    中曽根康弘 元総理・自民党
    ・「自主憲法を作れ」が根本であった。 アメリカから与えられた憲法ではいけない、そういう根性を国民が持つ限り独立国家になれない。
    <<  なお、中曽根は当時、正力読売新聞オーナ―と「謀」して、専門家が難色を示した「原子力開発」を「権力と金」で強引に推し進めてしまった「」であります。>>

    では、先ほどまでまとめていました「アナザー・ストーリーズ」の内容を載せますネ o(^-^)o

    ***************************************
    NHK アナザーストーリーズ「誕生!日本国憲法 ~焼け跡に秘められた3つのドラマ~」より・・・
    1 アメリカ人女性・ベアテ・シロタ ~日本国憲法第24条~
    日本国憲法第24条 条文
    婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
    2. 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

    ベアテ・シロタ
    ・ベアテは1923年にオーストリアで生まれた。 父は有名なピアニストだったが、ユダヤ人だった一家は迫害から逃れるために「作曲家・山田耕作」の招きで日本に逃れた。(ベアテ当時5歳) ベアテ一家で働いていた「小柴美代」から当時の日本女性の地位が低い事など聞かされていた。
    ・ベアテの映像から彼女は「日本女性は自分の好きな人と結婚できない事をしり、日本国憲法草案の真っ先に書いた」と言っている。
    ・ベアテは19歳で渡米し1945年12月24日21歳でGHQメンバーとして再来日し、太平洋戦争後の両親が無事であることを確認した後、憲法草案に全力を尽くし、その後日本政府との折衝では通訳として活躍した。 幼いころから日本に住んでいて日本に精通していたし6か国語に通じていた。

    GHQによる日本国憲法の草案作り
    ・1945年10月連合軍マッカーサー総司令官は、日本政府(当時は幣原喜重郎内閣)に対して「明治憲法を民主的なものに改定するように」と促したが、日本政府が作成した「憲法改正要綱(日本政府案)」は明治憲法とほとんど変わらないので、1946年2月4日、25名に9日間で草案を作るように密命をした。 ベアテもそのメンバーだった。
    ・1946年2月12日、92条からなる「GHQ草案」が完成し、同年3月4日に日米会議にかけられ、ベアテは通訳として立ち会った。 日米の会議では日本側が「天皇制・男女同権(ベアテの草案)」を拒否したが、GHQの説得で日本側に受け入れられた。
    ・「日本国憲法第24条」は、その後の先進各国の憲法に影響を与えた。

    2 新しい憲法を作る ~立ち上がった7人の男たち~
    憲法研究会 (7人の日本の民間人)

    ・日本国憲法の第1条「天皇は日本国の象徴・主権は日本国民」の発想は7人の日本人(民間人)の「憲法研究会」で、憲法研究会ではGHQの日本国憲法草案よりも早く日本国憲法草案を作成していた。
    ・1945年11月、「7人の侍」が憲法研究会を作った。 
    ・7人のメンバー唯一の憲法学者「憲法学者・鈴木安蔵」は、戦中、軍事教育に反対したとして「反政府活動」により投獄。 出所後も彼の出版物には激しい元老弾圧を受ける。 終戦後、彼は「新しい国家がスタートする時に明治憲法の改正ではなくて、根本的に排除して新しい民主的な憲法を作らなければならないという意欲に燃えた」と言っている。
    ・憲法研究会では「全員一致」がルール。 「天皇は国政を親(みずか)らせず、専(もっぱ)ら国家的儀礼を司る。 ←象徴天皇制」とした。
    ・1945年12月26日、全58条からなる「憲法研究草案」が完成し、鈴木安蔵が日本政府とGHQに届けたが、日本政府は見向きもしなかった。
    ・しかし、GHQの「マイロ・ラウエル中佐」は「この民間草案を基にいくつか修正すれば大いに満足できる憲法を作ることができると云うのが私の見解であった」と語っている。

    日本国憲法草案の審議と日本国憲法第25条
    ・審議までの流れは「1945年12月26日 憲法研究会草案完成」→「1946年2月12日 GHQ草案(憲法研究会草案をGHQが修正)」→「1946年3月6日 日本政府案(GHQ案を日本政府が修正)」→「1946年6月 帝国議会で日本政府案の最終審議始まる」
    ・「森戸辰男(7人のメンバーの一人で戦後、社会党の国会議員となった)」は「人間が人間らしく生きる権利(生存権)を取り返したいと考えていた」として、最終審議の中で「今、国民は日々の暮らしに困っております。 国民の最小限度の生活を保障すると言う事は各人が勝手にやるのではなく、国家がその制度を考えるべきなのである」と主張した。
    ・この考えは「日本国憲法第25条:すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に反映した。  

    3 幻の憲法 ~日本から切り離された島民たち~
    伊豆大島の日本からの除外と大島暫定憲法
    ・1946年1月29日、GHQ覚書による指令で「伊豆大島を日本領土から除外する」と云う事で「伊豆諸島」は「北方領土・小笠原諸島」などと共に日本から切り離された。 ←「大島独立」 その後指令が解除され53日間の「幻の独立国」となった。
    ・「大島独立」に対して伊豆大島6村の代表が集まり緊急会議を開き、席上で「大島元村村長・柳瀬善之助(10年間、東京で教師を務めた)」は「こうなった以上は苦難を甘んじて受け入れ、民意を結集し理想郷大島と建設し楽しい生活を自分たちの手で取り戻そうではありませんか」と云った。 

    憲法作りのきっかけ
    ・「郷土史家・中田保」は憲法つくりについて「自分たちの目標というかこれに向かってゆこうじゃないかと云う確かなものが欲しかったのだと思います。 ゼロからスタートするのだから」と語っている。
    ・「大島憲法研究者・古橋研一」は「一番何が大切かといったら平和。 戦争は絶対いいことはない。 それが基盤にあって、そこに民主主義をのせて作っていた草案だから基盤は平和。 世界中仲良くしなければならないということは、あの戦争で身に染みていると思う」と述べた。

    大島憲法の草案の完成
    ・憲法の草案作りには法律の専門家はいなかったので、試行錯誤であった。
    ・「大島共和国 政治機構案」に対して「名古屋学院大学准教授・憲法学者:榎澤喜宏」は「国会に当たる議会・内閣に当たる執行委員会、それらを取り囲み監視する全島民が権力の暴走を防止する仕組みを自力で考え出していた。(権力分離・リコール)」と述べている。 <TV放映されました組織図をパチリしました>

    ・1946年3月下旬までの2か月の議論で「大島暫定憲法」は完成するが、1946年3月22日、GHQから「行政分離の解除」が発表され日本へ復帰が決まった。 独立命令から取り消しまでわずか53日間、大島暫定憲法は幻と消えた。
    ・大島の中学校では歴史の授業で「日本国憲法」と並んで「大島憲法(大島憲法でも日本国憲法と同様に「国民主権・平和主義」「基本的人権の尊重」が盛り込まれている事)も教えている。 自分たちの憲法を作ろうと島民たちの思いは今でも失われていない。
    ****************************************
    とありました。

    ぽっぽは・・・
    ・上記の事から自民党などが云う「今の憲法はGHQが作ったものなので、日本にふさわしい憲法作り」や中曽根が云う「アメリカから与えられた憲法ではいけない、そういう根性を国民が持つ限り独立国家になれない。」と云うのは全然筋が違うと思います。
    ・現在の日本国憲法はやはり「世界に誇る平和憲法」でして世界遺産ものだと思います。
    ・もう少しまともに「歴史認識」をして欲しいものだと痛感いたします。
    ・まして、「憲法第9条に自衛隊を明記する」などと云うアホな事を考えている安倍は祖父である岸と同様に「辞職」してもらいたいものだと思います。

    私はこの「平和憲法を守る(護憲)」が私共日本国民の使命だと思っております。


    くどくなりましたので「日本憲法施行70年」に関しましては一応ピリオド!としまネ o(^-^)o
    (我慢してお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございます。  でも、沖縄返還45周年の番組が残っておりますのでいずれ・・・)

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