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  • from: ぽっぽさん

    2022年05月18日 10時07分44秒

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    沖縄返還50年 その3!

    皆さん! こんにちはァ~!
    今日は「カラッ!」とした大快晴です。
    今日の事は別のトピックとしまして・・・

    「5月15日(沖縄返還の日)」のトピックに・・・
    >(明日は「沖縄返還50年 その3」の作成を・・・)
    と書きました。

    また、翌16日のトピックと17日のトピックにも・・・
    >残念ながら今日は「沖縄返還50年」の作成が出来ませんでした。
    まだまだ新聞記事がたくさん残っておりますので、整理しましたら少しずつアップしますね。
    >今日も「沖縄返還50年」のトピックを作成できませんでしたので、明日にでも・・・
    (でも、新聞記事が多いのでシリーズは少し続くと思いますのでよろしくです)
    と書きましたが15~17日は・・・ (TωT)

    そこで今日(18日)、「その3」を・・・

    ◆◆ 沖縄返還50年 その3! ◆◆
    【沖縄・玉置知事に聞く 基地負担 ー国民全体の問題ー】 我が家が取っています5月上旬の記事です。
    ◆ 5月9日、沖縄県の玉城デ二―県知事は報道各社のインタビューに応じた。
    国土面積の0.6%の沖縄に全日米軍施設面積の七割が集中している現状に、「復帰当時に県民が期待した『本土並み』からほど遠い」と強調した。
    基地問題と沖縄振興を結び付ける「リンク論」を巡っては「政府はリンクさせずに両方シッカリ進める責任がある」と注文した。 ◆

    = 復帰50年「本土並み」遠く=
    ・玉城氏は「米軍普天間飛行場(宜野湾市)」の名護市辺野古移設を巡り「政府はわれれが説明を求めても、辺野古が唯一の解決策としか答えない」と批評。
    「日米と沖縄を交えた真摯な話し合いの場をつくってほしい」と要望した。
    ・「基地負担や日米地位協定の現状は沖縄だけの問題ではなく、国民全体で考えて欲しい」とも訴えた。
    ・近年、政府や与党から出ている「リンク論」に関しては「いつまでも『基地か、経済か』となると、問題が根本的な解決を見つけることが出来ない」と指摘した。
    石垣島など南西諸島で進む自衛隊部隊配備は「計画ありきではなく、十分な説明と理解が無ければ地域住民の反発は免れない。
    あくまでも専守防衛のための必要最小限度の整備に徹してほしい」と懸念。

    【沖縄本土復帰50年 読者からの声】 お隣からの新聞の5月中旬の記事です。
    = この島は一体 何に復帰したのか=   50代男性(教師)
    ・アメリカ世(ゆ)に<沖縄で生まれ>、大学時代の旅先で沖縄出身と言ったら「日本語がお上手ですね」と言われたが、それまで「母国語は日本語」と信じて疑ったことがなかった。
    その頃から「内地人(ないちゃー)」と言う言葉の意味を考え始め、自分自身が「外地人(がいちゃー)」であることを知った。
    ・基地への土地提供を拒否した知事が裁判で負けて、「自治権は神話」との占領者の言葉がよみがえった。
    少女が米兵に襲われたが、それでも「協定」は維持されているし、ヘリが落ちても「協定」の壁が姿を現した。 
    <「協定」とは「日米地位協定」の事だと思います>
    ・「危険だ、返還だ」と騒いだが、本土の日本人の本音は「NIMB(Not in my Backyard=私の裏庭はお断り)」だと証明された。
    ・平和憲法下への復帰に「チムドンドン(胸の高鳴り)」した日から明日で50年。
    一体、この島は何に復帰したのだろうか。 「チムワサワサ(胸騒ぎ)」を隠せない。

    = 歴史的背景や現状に関心持って =   70代男性(非常勤講師)
    ・1945年の沖縄戦では約20万トンの爆弾が投下されたという、未回収の不発弾は1900トンを超え、その処理にはこれから百年近くかかるとされる。
    ・また、今なお戦没者の遺骨が地中に約2800柱も眠っている。
    その遺骨が混じった土砂が、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に伴う埋め立て工事に使う計画があると報じられたが、これが沖縄の現実である。
    ・近年、台湾有事を想定した日米共同計画の検討がささやかれ、沖縄が再び戦地になるのではないかと不安な気持ちになっている。
    今、必要なのは「二度と戦争はしない」という平和憲法の原点に立ち返ることではないか。
    そのためにも多くの人に沖縄の歴史や現状に関心を持っていただけたらと改めて思う。
      <まったくその通りでございます!>

    = 心の残る ペンフレンドの一言 =  70代女性(主婦)
    ・私にとって沖縄と言えば、戦死した叔父が眠る地、そして高校時代からのペンフレンドが住み、<私の>母の葬儀には彼女から香典を頂いた。
    ・ペンフレンドとの交流は今年で56年。
    コロナ禍までは毎年のように沖縄を訪れ、<ペンフレンドの>彼女と会っていた。
    一昨年春、<彼女と>ランチに行った際、いつも明るい彼女に「沖縄の人たちは、あっけら何として明るいよね」と何げなく言うと、彼女は「うん、生きていくためにはね」。
    私は予想外の言葉に絶句するとともに、この一言で彼女が、沖縄の皆さんが、こらえてきた大変さが分かったような気がした。

    = 修学旅行で訪問 無知を恥じる =   40代男性(公務員)
    ・1995年、高校の現代社会の授業で沖縄の基地問題が取り上げられ、もっとその背景を知りたいと思うようになった。
    米兵の少女暴行事件に対する県民の怒りが大きなうねりになり、当時の「大田昌秀知事」が米軍用地の使用に関する代理署名を拒否した頃だ。
    ・翌年の修学旅行の行き先が沖縄になり、私はコース設定するメンバーとして沖縄について勉強をした。
    現地では「ひめゆり学徒隊」として陸軍病院に動員された「故・宮城喜久子さん」から話を聞き、ガマに入る機会もあった。
    教科書だけでは分からない沖縄の歴史を学ぶことができた。
    ・今後も、本当の意味で沖縄の人の心に寄り添えるにはどうしたらよいか、考え続けていきたい。

    = 住民を分断 国による「いじめ」 =   70代女性(無職)
    ・今年1月の沖縄県名護市長選挙では、基地の受け入れを「黙認」した現職が、米軍再編交付金を税源に進めてきた「子育て支援策」をアピールして再選された。
    しかし、米軍飛行場移設と子育て支援は本来、直接関係がない。
    子育て支援であるならば、厚生労働省や文部科学省の予算から出すべきものだ。
    このような交付金の使い方は、税金を使った権力の乱用であり「アメとムチ」で沖縄の人たちを分断する「いじめ」と言えないだろうか。
    ・いま、沖縄周辺の島々に自衛隊の配備が進められ、ますます軍事基地化がすすんでいる。
    戦争が始まれば、まず軍事基地が爆撃されるが、その戦争のむごさを肌身に知る沖縄の人達を再び犠牲にするのだろうか。

    【復帰50年 沖縄の現在地】 2022年5月中旬 お隣からの新聞記事より
    = ヤマト化進み 終わる戦後 =  仲村清司氏(作家)
    ・私は大阪で育ったが両親は沖縄出身を隠していた。
    かつて、沖縄の人は自分たちの文化を恥ずべきものだと思い、本土に対するコンプレックスがあった。
    1990年代から「沖縄ブーム」が巻き起こり、それが<コンプレックスを>吹き飛ばした。
    ・今の沖縄は行くたびに景色が変わる。
    琉球王朝の聖地「斎場御嶽(せーふぁうたき)」さえ「世界遺産」になり観光地化された。
    漆器や琉球ガラスなど、本物の伝統工芸も大切にされていない。
    ・注目されたことで、沖縄の人は自信をつけたが、浮かれて本当の沖縄の良さを見失った。  
    本土と同じ景観が広がる「ヤマト化」が進み「本土のしっぽ」になってしまった。
    一方、この25年間は、沖縄ブームと米軍普天間飛行場の移設問題が同時に進んだ。
    ・戦後の沖縄では、沖縄戦を起点に基地問題や復帰を語ってきた。
    でも世代が移り、意識も変わり、過去の出来事に実感が持てない人が増えた。
    そうなることへの想像も足りなかった。
    「沖縄人だから」「沖縄の言葉は知らなければならない」では伝わらない。
    本土との溝以上に埋めるべき溝は沖縄の中にある。
    <単に沖縄を「評論」しているだけで、沖縄に一歩踏み行っていない・・・という印象でございますねェ!>

    = 薄れる文化 引き継がねば =   宮城葉子氏(沖縄の童唄研究家)
    ・生まれたのは「アメリカ世(ゆー:米軍支配時代)」で、その頃は「ウチナーグチ(沖縄語)」「ヤマトグチ(日本語)」「英語」が交って使われており、通貨も「B円(米軍発行の軍票)」から「ドル」へと変わった。
    ・念願の復帰だったが、その後も基地はなくならず、多くの人は騙されたと感じた。
    それから50年、文化もヤマト化していった。
    旧正月から新正月に変わったように、行事の多くを新暦で祝うようになってきた。
    同時に、ウチナーのチムグクル(心根・情感)もだんだん薄れているように思う。
    ・明治時代の「琉球処分」で日本に組み込まれ、100年以上の年月の中で沖縄の言葉は消えつつある。
    簡単ではないが何十年もの時間をかけて、子どもたちに伝え、引き継いでもらうしかない。

    = 青い海と基地の平行世界 =   多田 治氏(社会学者)
    ・戦後の日本は、東京オリンピックや大阪万博という大イベントを呼び込み、交通や観光などインフラ整備を一気に進めた。
    海洋博は、その開発手法を持ち込んだもので、地元の側も基地依存の経済から脱却し、自立するために求めた背景がある。
    ・海洋博が終わり、70年代末になると航空会社は「亜熱帯の焼け付く太陽と海」という本土にないイメージを押し出し、新婚旅行ブームを巻き起こした。
    ハワイ・グアムがモデルでありライバルだった。
    ・80年代には、バブル経済もあり、海沿いに豪華ホテルが建てられ、リゾート開発が進んだ。
    やがて沖縄は本土にとって「非日常」から「日常」になってゆく。
    ・復帰後、本土の人たちは沖縄文化の面白さを知り、沖縄のとらえ方も変化してきた。
    一方で、「戦争と基地」「リゾートと癒し」という二つの「パラレルワールド(並行社会)」が、無関係のように今も存在している。
    ・太平洋戦争の地上戦で沖縄は壊滅的な打撃を受けた。
    戦後は「日本の独立と引き換え」に27年間、米国統治下に置かれた。
    復帰後50年経っても米軍基地が広大な土地を閉めている
    ウチナー(沖縄)とヤマト(本土)の壁はそう簡単にはなくならず、ツーリストはどこまでもツーリストなのかもしれない。
    ・とはいえ、本土からの移住者やレピーターが増え、「非日常の日常化」が進んでいる。
    基地や経済、開発と環境問題など複雑に入り組んだ沖縄の現実を深く見通すツーリストのまなざしによって、沖縄と本土との問題が一部であれ掘り下げられてきた面もある。

    と言うことでございまして、5月15日当日までの記事をまとめましてアップ致しました。
    次回「その4」は、「5月15日当日の新聞記事」をと思っておりますが、何せ記事が多いので・・・
    しばしお時間を・・・!

    P.S.:沖縄の民宿へ・・・
    昼食後、私共夫婦「唯一の沖縄の友人(名護市で民宿を経営)」へ連絡してみました。
    沖縄返還50年で喜んでいるのは政治家だけで、我々はむしろ悪くなりました」との事でした。
    「コロナ禍が収まりましたら、参りますネ!」と言うことで・・・
    (下の写真は友人の「民宿の庭」と我が家から引き取ってもらいました「ガジュマル」です)

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