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  • from: ぽっぽさん

    23時間前

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    首相 戦後80年所感 その1

    【首相 戦後80年所感 その1】  かなりの長文になってしまいました!
    ー 石破首相は2025年10月10日に「戦後80年所感」を発表しました。
    「談話」ではなくて「所感」でした。 
    この「その1」では登山リーダーから頂いた新聞記事から書かせて頂きます。 ー

    = 強靭な民主主義 首相、戦後80年の「所感」発表 =  
    ・第1面の題字を並べますと第1面に「強靭な民主主義が大切」「首相、戦後80年の”所感発表”」とあります。
    ・その内容には・・・
    「<石破首相は>健全で強靭な民主主義が何よりも大切で、歴史の前に謙虚であるべきだ」と訴えた。
    ・首相は閣議決定を伴う「談話」に意欲を示したが、自民党内の保守派への配慮で見送られ、退陣表明後の「所感」の発出となった。
    ・・・とあります。

    = なぜ あの戦争を避けられなかったか  文民統制 適切運用されなければ意味がない =  (以降は第4面からです)
    「首相 戦後80年所感」
    所感では1941年に首相直轄機関として設立された「総力戦研究所」に言及して、陸海軍と各省や民間から集められた若手エリートたちの分析で「敗戦は必然だった」として、「どうして戦争を回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜(むこ)の命を犠牲とする結果となってしまったのか」と問題提起した。
    ・原因として、『政府が軍部を統括する「文民統制」が当時の大日本帝国憲法では制度上存在しなかったこと』、『政府が軍部に対する統制を失ったこと』、『戦前の帝国議会の機能不全』、『戦争報道が「売れた」と目に積極的な戦争支持に変わったメディア』などを列挙した。
    ・特に「議会の機能不全」で引用した「斎藤隆夫氏(元衆院議員:1870~1949)」による「反軍演説」に<石破>首相は強い思い入れがあった。
    斎藤氏は日中戦争をめぐって政府や軍部の対応を厳しき批判し、会議で「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閉脚し(中略)国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない」と演説したが、反発した軍部の要求で約3分の2が議事録から削除され、斎藤氏も帝国議会から除名された。
    ・<石破氏は所感で>「無責任なポピュリズムに屈しない大勢に流されない政治家としての矜持(きょうじ)と責任感をも持たねばならない」と訴えた。
    さらに、「全ての基盤となるのは、歴史に学ぶ姿勢だ」と呼びかけた。

    = 退陣間際 駆け込み発出 ~保守派に配慮、先延ばし続け~ =
    ・<石破>首相は就任当初から「戦後80年の節目」に自身の思いを表明することに意欲を示してきたが、党内の支持基盤が脆弱(ぜいじゃく)ななか、保守派の反発に配慮して先延ばしが続いた。
    ・昨秋の衆院選の大敗で少数与党となり党内基盤が弱かった首相の政権運営は不安定化していて、党内保守派に配慮し3月には閣議決定を伴う談話を出すことには断念
    7月の参院選でも大敗し、党内の「石破おろし」が激化し、8月15日の終戦の日などのタイミングで出すことも出来ぬまま退陣表明に追い込まれた。
    ・「首相を辞めてから、じっくり考えて個人でだせばいい(官邸幹部)」という声もあったが、首相は「そんなことを気にしても仕方がない」と強行する姿勢を貫いた。
    ・後任の総裁である高市早苗氏は「発出に反対」していたこともあり、所感について事前に相談もしなかった。

    = 高市総裁は否定的 =
    ・高市氏は首相がメッセージを発出することに否定的な姿勢を示してきた。
    高市氏は、歴代の首相談話の起点となった「村山談話」にも、否定的な考えを繰り返し示してきた。
    ・2010年には雑誌での対談で「首相になったら新たな歴史見解を発表して村山談話を無効にする」と主張。
    村山談話の「侵略」という文言について、「当時の国家意志は”自存自衛”でした」と語った。
      <フッ! ですから私は「政治家抜きの専門家による”太平洋白書”を作るべきだ!」といつも述べているのでございます!>

    = 過去の戦後談話と石破首相の戦後80年所感 =
    「戦後5年 村山談話(1995年)」
    植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々にたいして多大な損害と苦痛を与えた。
    痛切な反省の意を表し、心からお詫びの気持ちを表明する。
    「戦後60年 小泉談話(2005年)」
    植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えた。
    痛切な反省と湖小呂からのお詫びの気持ちを表明する。
    「戦後70年 安倍談話(2015年)」
    繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきた。
    こうした例題内閣の立場は、今後も、ゆるぎない。
    私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない。
    「戦後80年 石破首相所感(2025年)」
    歴史認識に難する歴代内閣の立場については、私もこれを引き継ぐ。
    冷静で合理的な判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはならない。

    = 政府見解との同一視 不可避 =  川野有理氏(法政大教授・日本政治思想史)
    ・退陣を表明した<石破>首相が新たな見解を出すことが適切だったとは言えない
    首相は、閣議決定を経ない首相個人の所感であることを強調するが、他国から公式な政治見解と同一視されることは避けられない。
    ・リベラル派とされる首相が、新たな見解を出す以上は70年談話を上回る準備をし、反対派を納得させる努力をするべきだった。   <その時間的余裕がなかったのでは?>

    =抽象的でいびつ 背景見えず =  辻田真佐憲氏(評論家・近現代史)
    ・戦争の教訓として、偏狭なナショナリズムや差別、排外主義を許さないというメッセージを打ち出したことは、昨今の情勢を踏まえ、評価できる点だ。
    ・だが、全体としては中途半端な内容だということに尽きる。
    戦争の歴史を語るのに「中国」や「アジア」という言葉が出てこないので、日本が大陸に進出するに至った経緯が見えない。
    外交上の問題に配慮したとみられるが、抽象的でいびつな内容だ。
    ・斎藤隆夫氏の「反軍演説」にも触れているが、日中戦争下の時代は意見が深堀りされていない。
    ・国際情勢が不安定する中、日本の安全保障環境を踏まえ、歴史を教訓にした「日本のあるべき姿」を石破首相の言葉で最後にもっと力強く語ってほしかった。

    ・・・とあります。

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