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  • from: ぽっぽさん

    14時間前

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    入鹿池でお散歩ォ~!^_^

    皆さん、こんにちはァ~!(´∀`)
    BGMの午後からはユーチューブで「ボサノバ」でございます。
    まずはお耳ですが、昨夜~今(午後1時50分)の「虫の音」は賑やかでございますし、「ジー音」は相変わらず夜中・朝の「独り言」が・・・フッ!

    耳が賑やかでございますので、昨夜途中まで見ていました「録画:世界ふれあい街歩き(台北)」を見終えましたヨ!
    「台北」はバイク天国でしょうか、アチラコチラで「バイク(下の左写真)」を、夜には「食品街」をジャランジャランしました。
    右写真はその時にパチリしました「食べ物屋さん」です。

    【入鹿池でお散歩ォ~!^_^】
    今日は水曜日でございますので、「ドラッグストア」でのショッピングですが、その前に最近オープンいたしました「農業用品の店」へチョット!

    次に銀行へ寄りましてから「ドラッグストア」へ。。。
    ドラッグストアからの帰り道でふーたんと「入鹿池(いるかいけ)へお散歩に行こう!」ということになりました。
    つつじの咲き具合」は・・・!? ←まだちょっと早いようでした。
    では、皆さんもご一緒にジャランジャランを!(❁´◡`❁)
    入鹿池には「釣り人(左下写真)」も。。。

    左下写真は若者が「ボートを引き上げるお手伝い」を。。。
    (下の下段写真には「グランピング」も・・・)

    散歩中にパチリしました花々は・・・
    たんぽぽと踊子草」です。

    山藤」も咲いていましたヨ!

    お散歩中に元会社後輩から「小さいけどタケノコいらない?」と連絡が・・・
    入鹿池からはまっすぐに帰宅いたしまして、ふーたんを降ろし元会社後輩宅へ。。。
    (今回は「タケノコ4本・大根2本」でしたヨ!
    頂いたタケノコ4本のうち2本は先回と同様に「湯がいて元会社後輩宅」へ。
    「皮むき」は私も手伝いましたが、「湯がく作業」はふーたんが)

    下の「つつじの花」はタケノコの皮むきを終えた後にパチリしました我が家の「赤い花(「1株」あります)」です。

    【録画を2本!^_^】  両方とも行ったことがありますヨ!
    午後からは本格的な雨でございましたので、ふーたんが自分の録画番組を見終えた後、今度は私が録画した2番組を・・・

    = にっぽん百名山:天城山 =  伊豆半島です。
    まずは「日本百名山」で「天城山(万二郎岳・万三郎岳)」を見ました。
    私共夫婦は登山リーダー夫婦のお誘いで「1999年5月」に登ってまいりました。
    (下はその時の写真ですが、当時はまだ「アナログカメラ(フィルム)」でした)

    = 堀尾吉晴と国宝松江城ゥ!^_^ =  「英雄たちの選択」でございます。
    次に「英雄たちの選択:その漢(おとこ)、仏か鬼か 〜戦国交渉人 堀尾吉晴〜」を見ました。
    この番組をネットには・・・
    『「強くなければ生きられない。 優しくなければ生きる資格がない」。
    そんなハードボイルドな武将がいた。
    堀尾吉晴は信長、秀吉、家康の三英傑に仕え天下取りを支えた
    戦場では無双の強さを見せた堀尾だが、虫も殺さぬ優しさから"仏の堀尾"と呼ばれる。人柄を買われ敵との交渉人となり、戦わずしてあまたの勝利をもたらした。
    そんな堀尾が人生の最後に築いたのが国宝・松江城
    そこには戦場で学んだ知恵のすべてが込められていた。』・・・とあります。

    また「堀尾吉晴」もネットには・・・
    『「堀尾 吉晴(ほりお よしはる)」は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名で「豊臣政権三中老」の1人。

    織田信長の時代
    天文12年(1543年)、尾張国丹羽郡御供所村(現在の愛知県丹羽郡大口町豊田、及び御供所)の土豪である堀尾泰晴(吉久、泰時)の長男として生まれた。
    父は尾張上四郡の守護代・岩倉織田氏(織田伊勢守家)の織田信安に仕えて重職にあり、同じく同氏に仕えた山内盛豊(山内一豊の父)とともに連署した文書が残っている。
    当時、岩倉織田氏は傍流である織田弾正忠家の織田信長に圧迫されており、吉晴は永禄2年(1559年)、初陣である岩倉城の戦いで一番首を取る功名を立てたものの、岩倉織田氏が滅亡したため父と共に浪人となった。
    その後、尾張を統一した信長に仕え、間もなくその家臣の木下秀吉(豊臣秀吉)の与力に付けられた。
      <中略>
    江戸時代
    慶長9年(1604年)、豊臣姓を下賜されている。  同年、忠氏<吉晴の息子>が早世する。
    家督は孫の忠晴が継ぐが、幼年のためその後見役を務めた。
    また同年、隣国伯耆国米子の中村家における御家騒動(横田騒動、または米子騒動)においては、中村一忠の応援要請を受け、応援出兵して騒動を鎮圧している。
    慶長16年(1611年)、松江城を建造し本拠を移したが、間もなく6月17日に死去した。享年69。』
    ・・・とあります。
    上記に「尾張国丹羽郡御供所村(現在の愛知県丹羽郡大口町豊田、及び御供所)の土豪である堀尾泰晴(吉久、泰時)の長男として生まれた。」とあります。
    私共が水泳教室に通っていますのは、その「大口町」でして、「大口町」は「松江市」とは「姉妹都市」で、毎年お祭りには「松江」からもブースなどで出店しますヨ!(´∀`)

    私共夫婦は「2016年6月」に松江までドライブしましたヨ!^_^
    (下はその時の写真で、左は「松江城のお堀」真ん中は「国宝・松江城」右は「堀尾吉晴公」です)

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