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  • from: ぽっぽさん

    15時間前

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    剪定後の片づけ作業!

    皆さん、こんにちはァ~!:^_^:
    BGMは今日も「ザ・ピーナッツ」を。。。
    (片づけ作業中にザ・ピーナッツの曲が頭に・・・)

    まずはお耳でございますが、昨夜~今(午後1時5分)の「虫の音」も「ジー音」も細菌と同じ傾向でございます。
    「虫の音」は今(午後1時5分)にやや元気でございますゥ~!(;ω;)
    後述しますが「片づけ作業」で「腰が痛い痛い」でございますゥ~!(T_T)

    今日は朝からお天気が良くありませんので「お散歩は中止」としました!

    ◆NHK【映像の世紀バタフライエフェクト】激動 アジアの隣人たち 台湾130年の傷痕】◆
    昨夜と今朝で見終えましたTV番組でございます。
    私は「台湾」のことをあまり知りませんでしたので、衝撃でございました(T_T)

    ネットでこの番組を下記のように紹介しています。
    (少々長いですが・・・)
    日本統治から始まった台湾近代史の出発点
    1895年、日清戦争の結果として台湾は日本に割譲され、約50年間にわたり日本の植民地となりました
    日本は台湾を「近代的な植民地」として整備し、鉄道や港、学校、上下水道などのインフラを次々に整えていきます。
    嘉南大圳に代表される大規模な水利事業は、農業と経済の基盤を支えました。
    一方で、漢民族が多数を占める平地社会と、山岳地帯に暮らす先住民に対し、日本は同化政策を進め、言語や文化の統制を強めていきました
    作家の呉濁流は、こうした政策に強い違和感を抱き、中国大陸へ渡ります
    しかし「台湾から来た人間」という理由だけで冷たい視線を浴び、どこにも居場所を見いだせなかった経験は、台湾人が抱え続けたアイデンティティの揺らぎを象徴しています。

    戦争と政権交代が生んだ分断と二二八事件
    太平洋戦争が始まると、台湾の若者たちも日本軍として戦地に送られました
    後に総統となる李登輝もその一人です。
    1945年、日本の敗戦によって統治は終わり、蒋介石率いる中華民国政府が台湾を接収します。
    当初、台湾の人々は新しい政権に期待を寄せましたが、やって来た兵士や官僚たちは、日本が残した家屋や工場を接収し、横領を重ねました
     <米軍支配から「沖縄返還」をされた時の沖縄に似ているように・・・>
    こうして大陸出身者は外省人、台湾出身者は本省人と分けられ、社会の溝は深まります。
    1947年、本省人の不満が爆発し、発砲事件をきっかけに全島的な抗議運動が広がりました。  これが二二八事件です。
     <沖縄で起きた「コザ暴動」に似ているように・・・
      台湾在住を「本省人」、大陸から台湾に来た人々を「外省人」と言っていたようです>
    国民党政権は武力で鎮圧し、多くの市民が犠牲になりました。この出来事は、台湾社会に消えない傷を残しました。

    冷戦下の台湾と国際社会での孤立
    1949年、中国大陸では毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言し、蒋介石は台湾へ政府を移します
    日本は1951年のサンフランシスコ平和条約で独立を回復しましたが、台湾の国際的な地位は曖昧なままでした。
    冷戦の中で台湾は反共の最前線とされながらも、1971年の国連決議で中国の代表権を失い、国際社会から切り離されていきます
    1972年の米中接近、日中国交正常化は台湾に大きな衝撃を与えました。
    1975年に蒋介石が死去し、台湾はアメリカとも断交され、「亜細亜的孤児」と呼ばれるほどの孤立感に包まれます。

    戒厳令解除と民主化への歩み
    長く続いた抑圧の時代は、1987年に大きく動きます。
    38年間続いた戒厳令が解除され、大陸出身者の親族訪問も解禁されました。
    社会に押し込められていた声が一気に表に出始めます。
    1988年、李登輝が総統に就任し、初めて本省人が台湾のトップに立ちました
    政治改革は加速し、総統は直接選挙で選ばれるようになります。
    1996年の総統直接選挙は、台湾が民主国家として歩み始めた象徴的な出来事でした。

    経済の力で存在感を示す現代台湾
    外交的に厳しい立場に置かれながらも、台湾は経済の力で世界に存在感を示してきました
    その象徴が台湾積体電路製造、TSMCです。
    国連脱退で孤立を深めた台湾政府主導で設立されたこの企業は、今や世界の半導体産業を支える存在となり、「台湾の守り神」とも呼ばれています。
    2023年にはAPECにモリス・チャンが出席し、台湾は経済力と技術力によって国際社会で発言力を持ち続けていることを示しました。外交関係の数では測れない、現代台湾の強さがここにあります。』
    ・・・とあります。
    ネットの文中で「<~>」で書きましたごとく、「沖縄」に似たところがあるように感じました。

    【剪定後の片づけ作業!】
    昨夜「明日の天気予報」を見ていて「しまった! 剪定後の木蓮の枝を玄関へ移動しておけばよかった」と。。。(T_T)
    そこで、今朝起きた時はまだ雨が降っていませんでしたので、急いで「木蓮の枝」を玄関に運びました。
    そして、朝食後の午前9時45分から午後0時20分まで「剪定後の片づけ作業」をしていました。
    (作業中に頭に浮かびましたのが「ウナ・セラ・ディ東京(ザ・ピーナッツ)」でございましたァ~!
    特にこの曲の歌詞の「街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかり」が・・・)
    2時間半、ほとんど座りっぱなしの作業でしたので「腰が痛く」なりましたァ!)

    下の左上写真は「片づけ作業準備」で、右上と左下の写真は「片づけ作業中」、右下が「片づけ作業後」でございます。
    (だんだん「可燃ごみ袋」が増えてまいりまして「6袋」になりました。
    太い木蓮の枝」は下段写真のごとく束ねましたヨ!
    月曜日の「可燃ごみ」として出します)

    そうそう、片づけ中に「カマドウマ(下の写真)」がピョコピョコと・・・(´∀`)

    下の写真は選定作業で使用しています「道具」でございます。
    上段写真は「刈り込みばさみ」「剪定ばさみ」「大枝切りばさみ」です。
    下段写真はチョキチョキと切りました「カイヅカイブキ」を履き落とすための「熊手(以前にふーたんが百均で買いました)」と「刈り込みばさみ」が「カイヅカイブキの葉の油」で切れなくなってまいりますので、「やすり代わり」に使っています「コンクリート片」です。
    見るに見かねて?ふーたんが「やすり(下段の右写真)」を持ってきてくれましたヨ!(´∀`)

    2時間半の作業で「腰」が痛くなりましたァ!
    作業後はふーたんが用意してくれました「昼食と食後のコーヒー」でございます。
    そして、今日も早めの「お布団バッタン(お天気が悪いのでベッドメーキングではなくて織り上げただけにしました)」をしまして「録画:ぽつんと一軒家/ガイアの夜明け」を。。。

    ということで今日も「ふわ~!」と尾張層でございますゥ!
    今年もあと10日ですよね・・・フッ!
    では、皆さん!
    また明日でございます。
    (明日は水泳仲間と「ランチ」の予定でございます:^_^:)

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