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      from: yeshangさん 2015/11/30 19:52:01 icon 水晶球論以前にも書きましたが、心の本性は水晶球のように無色透明、自分自身の心は全世界を映しているものと。 
 そして、生きとし生けるもの、山川草木も、この球をもっていて、お互いに照らしあい受け止めているのだと。
 したがって、宇宙を仏の心を人々、生きているもの、山川草木の心を知ることができるのですが、いかんせん、地震の心の球の煩悩による曇りからよく見えないのではと考えています。
 私の小学校の校歌でも「加々美は磨け曇りなく・・」とありましたが、鏡同様自身の水晶球を磨いて、真実世界を知ることが大切ではないかと考えています。
 最近、いろいろと仏教書を読んでいまして、同じようなことが多く述べられています。
 なぜ、これに気づく人が少ないのか、最近は不思議に思うのですが、教理教判が絶対になっているからかもしれません。
 水晶球からすれば、すべてが平等、本来仏の世界に至るのではと思います。
 しかし、私も垢にまみれている水晶球をいかにして、きれいにしようかと苦しんでいます。

 
         
        

 
           
      
 
         
        
 
       
      
 
         
              