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続 哲学〜真理〜探求について

続 哲学〜真理〜探求について>掲示板

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  • from: yeshangさん

    2013年03月29日 21時45分33秒

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    死んで花みが咲くものか?

    一昨年咽頭がんの手術をして以来、死というものが一層身近になったように感じています。

     さて、死んで仏に成れるか、往生できるか、転生できるか?

     私としては、それは何とも言われませんし、ないかもしれないと思っています。
     ただ、死んで体が物質化したために、非常なカタストロフィー、断絶が生じると思います。
     例えば、小学校~中学校に、中学校から大学に、そして社会人になった境目のように、そこには以前と全く違ったカタストロフィー、一段別の次元に進んだ世界、感覚を持ったものです。

     ただ、それでも、それまでのものを引き継いだまま、新たな段階に、新たな生活、文化、組織などなどに移行した事なのです。大学生になって急に偉くなったわけでなく、社会人になってとたんに一人前になったわけでもありません。
     同様に、死んでも肉体からは離れても、肉体の制約を逃れただけで、精神・心はそのままに新たな世界に踏み出すことになるのだと思うのです。まあ、これは大変なカタストロフィーですが。 ただ、単に場面が変わったにすぎないのです。いぜんとして自分は自分に代わりありません。

     そのため、期待することなく、現実をしっかり生きて、たとえ死んでもその新たな場面でしっかり対応できるような心構えが必要と考えています。

     おそらく、その世界ではお金も名誉も、この世であつたものの、様々なものの価値がなくなるでしょうが、小中・高校、大学、社会人になっても変わらなかったもの、そういったものはあの世でも通用するかもしれません。慈悲、感謝、友情、親愛、努力、助け合い、忍耐、勉学、などなと。

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  • from: yeshangさん

    2013年03月24日 18時19分51秒

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    「感謝」について

    「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華経」、「南無大師遍照金剛」。

     この言葉を唱えることで、阿弥陀、法華経、弘法大師により成仏できるとの言葉です。

     そして一度唱えれば誰でも成仏できると言われています。

    ですから、二度目以降の言葉は、すでに往生は約束されていますのて、以降はそれに対する「感謝」の念仏でしかないのではと思った次第です。
    「有難うございます阿弥陀仏」、「ありがとうございます妙法蓮華経」、「ありがとうございます高野弘法大師さま」。
     
     私は、真言宗なので、よく「南無大師遍照金剛」を唱えますが、最近、これは「有難うごさいます高野弘法大師様、おかげで彼岸に行かれます。そしてお大師さまのように菩薩道をできるよう心がけます」という意味なのだと思いました。

     二度目以降の言葉は、それに対する「感謝」の念仏でしょう。

     「有難うございます阿弥陀仏」、「有難うござます妙蓮華経」、「「ありが唐ござます弘法大師様」。二度目以降のご念仏は、感謝と菩薩道のことを念頭に置いた行動だと思う次第です。

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2013年03月23日 22時41分43秒

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    記号を記すという時間軸上の行為の問題





    此処20年近く、少し買い物をしても、必ず「お客様カード造りませんか?」
    と聞かれて辟易したりする。しかも必ず「無料です」と合言葉のように 言われるので、あまり同じ事を繰り返して言うので、「有料だったら 造ってもいいです」と返事して相手の 反応を観てみたりする。
    こういうお客は 大変困るだろうとおもうのは 周知だけど、どこでもかしこも、オームのように同じ顧客カードをつくるという意味を 考えたりする。どちらにしても、そのお店と顧客との、固定化した関係つくりの強化なんでしょうね。ポイントが貯まると 商品が安くなるとか、同系の旅行会社の 飛行機代が無料になるとか、ETC,,,,
    化粧品を一つ買ったそのお店では、いきなり 飛行機チケットが手中できるマイル計算加算のシステムに組み込まされる、、、、
    こういう物質至上主義、「疲れるなぁぁ」と随分前から思っているのです。
    飛行機代でも、料金が安い、高いと判断するのは 大衆の価値観ではなく、お財布出す個人に任せられて意る判断だと思うのだけど、、、、、むしろ、無料でも 飛行機に乗りたい気持ちがあるのか?、ないのか?という基本的な人間の希望や欲望を 聞くべき、自立した個という人間の接し方を考えるべきでしょう?と、わたしなど思いますが、、、とにかく、お店の店員はそのような教育を受けさせられ、どのお客にも同じ事を述べて勧誘しているのでしょうね。
    哲学的な意味を店員と語るつもりは全く無いので、「いいです」と断るしかないのですけどね、、、、

    どうも、安価だから飛行機に乗る、、旅行をする、、、という旅行をさせる、飛行機を使わせるみたいな恣意的な世界観を感じると、、、ニーチェの「善悪の彼岸」を思い出す。
    そういえば、フランス語を習いはじめた頃、知り合いのフランス人が、
    「OOOを買いたいんだ」と言って、一緒に付き合って探していた。
    OOOがどれくらいするのか知らないが、見たら結構値段がはるものだった。
    イヤ!値段がはると、感じるわたしの 価値観の物差しはどこから来てるんだろう?
    知らない物の値段を高い、安いと 判断出来るわけないはずなのだ。
    その人<個人>にとって、高い、安いは、判断できても、大衆の一律判断を 個人に 当てはめる訳にはいかないでしょう。哲学的な意味での人間の善意識とは言えない。
    その 黙っている私の 気持ちを覚ったのか?彼は「il n'y pas de prix」イリニヤパ、デゥ、プリ
    直訳は、「値段は無いんだ」と、フランス語で放つ。
    この 「値段は無い」という表現をフランス人はよくする。
    これを、時々、il n'y pas de prix イリニャパ デゥ プリ<値段は無い>「値段が付いていない」と 訳す邦人の話を聞いて、ドテ!、、
    転げ落ちる時があるのです。
    どうも、解釈にズレを感じるのだけど・・・・。
    そうそう、それで、この顧客カードには、個人の誕生日を記入しなくてはならず、これがくせものである。誕生日近くになると、色々購買欲をそそる情報を与えてくる。いや、お誕生日なのだから、プレゼントをもらえるのは、誕生日本人のはずなのだけど・・・
    いろいろな人間顧客関係造りを維持するために 「貴方の事は忘れてませんよ!」という架空の存在造りに コンピューター機能は一生懸命なのである。
    で、その店員がわたしの誕生日を 覚えているのではなく、<当たり前ですが・・・>
    インプットされたコンピューターが処理しているのである。プレゼントの品も別に欲しいと思わないので、悪いけど、わざわざそれを頂く事だけに 足をそのお店に運ぶという事はないのである。こういうお客が増えると経済破綻国になると思うから、わたしみたいな人間は陸の孤島で暮らすとすごく幸せな生活が暮らせるのではないかしらん?と 家族と話すけど、彼らは黙って返事をしない。黙って返事がない時は、大概、反証できる 何らかの考えが思い当らない時である事も 知っている。つまり同感や同意しざるを得ない時だけ、沈黙という行為に至るらしい。
    それは良いですが、、、
    数日前、友人からメイルが来て、「春分の日、どうしよう?天気悪いから、外で会うのはちょっと無理だから、貴女のうちに遊びに行こうかな?」というメイルが届いた

    わたしは、自分の家から150キロ先の宿でそのメイルを受信したのだ。ハテ?彼女から会わない?と云われ約束した事をすっかり忘れている事に気がついて、こりゃ?大変。明日どうしても、家に帰らないと、、、、と思ったのだ。
    でも、何故?忘れるのかしら???
    何故か、3月は、知人、仕事関係全て、人々の動きが激しく、家に何日か滞在する友人の調整や、わたし達自身も、招待を受けたりまるで、冬の間うずくまっていた、芋虫の如く、春が近づくと、あちこちからお声をかけて頂いたりした。その 調整が必要だったのだ。でも、別に、3週間前に話した会う約束を忘れる事は今までなかった。
    とうとう、老化現象のはじまりかなぁぁ?
    すると、翌日
    「せっかく春分の日に会う事にしたのに会えそうもない、脱臼した肩が動かない、、日にちを延ばさない?」というメイルが春分の日の前日に届いた。

    最初のメイルが届く前まで、移動先の暖炉の前の居心地があまりにもよく、2,3日このまま 滞在延ばしたかったのを、躊躇切り替えて、家にもどって彼女の来客の用意しなければならない、、、「車出せるかしら?」雪がちらついていたのだ。
    すると、翌日、つまり、上記のメイル、せっかく約束したのに、肩の脱臼したところが痛くて会えそうもないの、、というメイルが届いた。
    あぁぁぁ、、、そうだった。
    春分の日に 会う事になっていれば、忘れる事はないであろう。
    何故なら、会うという時間軸途上に生きるのであれば、潜在意識<顕在>から消える事はないのであろう。ところが、せっかく 予定をたてたのに、わたしはすっかり忘れていた。
    いや、忘れていたのではなく、会う事になっていないから、居心地のいい場所の長居、つまり存在する居場所に 存在していたのであろう、、、
    困るなァァ、、こういう 意識だと、、形而下の人達のスケジュールの通り時間軸の通り生きないと、、、、最初の地点、「会いたい、会おう」と云われた地点で、会う日が読めればいいのだけど、、、
    存在するという事は、スケジュールのページを見て、空いてる日にちを選ぶ、という交流って、本当の出会いなのだろうか?良くわからない。

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2013年03月23日 22時41分42秒

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    記号を記すという時間軸上の



    此処20年近く、少し買い物をしても、必ず「お客様カード造りませんか?」
    と聞かれて辟易したりする。しかも必ず「無料です」と合言葉のように 言われるので、あまり同じ事を繰り返して言うので、「有料だったら 造ってもいいです」と返事して相手の 反応を観てみたりする。
    こういうお客は 大変困るだろうとおもうのは 周知だけど、どこでもかしこも、オームのように同じ顧客カードをつくるという意味を 考えたりする。どちらにしても、そのお店と顧客との、固定化した関係つくりの強化なんでしょうね。ポイントが貯まると 商品が安くなるとか、同系の旅行会社の 飛行機代が無料になるとか、ETC,,,,
    化粧品を一つ買ったそのお店では、いきなり 飛行機チケットが手中できるマイル計算加算のシステムに組み込まされる、、、、
    こういう物質至上主義、「疲れるなぁぁ」と随分前から思っているのです。
    飛行機代でも、料金が安い、高いと判断するのは 大衆の価値観ではなく、お財布出す個人に任せられて意る判断だと思うのだけど、、、、、むしろ、無料でも 飛行機に乗りたい気持ちがあるのか?、ないのか?という基本的な人間の希望や欲望を 聞くべき、自立した個という人間の接し方を考えるべきでしょう?と、わたしなど思いますが、、、とにかく、お店の店員はそのような教育を受けさせられ、どのお客にも同じ事を述べて勧誘しているのでしょうね。
    哲学的な意味を店員と語るつもりは全く無いので、「いいです」と断るしかないのですけどね、、、、

    どうも、安価だから飛行機に乗る、、旅行をする、、、という旅行をさせる、飛行機を使わせるみたいな恣意的な世界観を感じると、、、ニーチェの「善悪の彼岸」を思い出す。
    そういえば、フランス語を習いはじめた頃、知り合いのフランス人が、
    「OOOを買いたいんだ」と言って、一緒に付き合って探していた。
    OOOがどれくらいするのか知らないが、見たら結構値段がはるものだった。
    イヤ!値段がはると、感じるわたしの 価値観の物差しはどこから来てるんだろう?
    知らない物の値段を高い、安いと 判断出来るわけないはずなのだ。
    その人<個人>にとって、高い、安いは、判断できても、大衆の一律判断を 個人に 当てはめる訳にはいかないでしょう。哲学的な意味での人間の善意識とは言えない。
    その 黙っている私の 気持ちを覚ったのか?彼は「il n'y pas de prix」イリニヤパ、デゥ、プリ
    直訳は、「値段は無いんだ」と、フランス語で放つ。
    この 「値段は無い」という表現をフランス人はよくする。
    これを、時々、il n'y pas de prix イリニャパ デゥ プリ<値段は無い>「値段が付いていない」と 訳す邦人の話を聞いて、ドテ!、、
    転げ落ちる時があるのです。
    どうも、解釈にズレを感じるのだけど・・・・。
    そうそう、それで、この顧客カードには、個人の誕生日を記入しなくてはならず、これがくせものである。誕生日近くになると、色々購買欲をそそる情報を与えてくる。いや、お誕生日なのだから、プレゼントをもらえるのは、誕生日本人のはずなのだけど・・・
    いろいろな人間顧客関係造りを維持するために 「貴方の事は忘れてませんよ!」という架空の存在造りに コンピューター機能は一生懸命なのである。
    で、その店員がわたしの誕生日を 覚えているのではなく、<当たり前ですが・・・>
    インプットされたコンピューターが処理しているのである。プレゼントの品も別に欲しいと思わないので、悪いけど、わざわざそれを頂く事だけに 足をそのお店に運ぶという事はないのである。こういうお客が増えると経済破綻国になると思うから、わたしみたいな人間は陸の孤島で暮らすとすごく幸せな生活が暮らせるのではないかしらん?と 家族と話すけど、彼らは黙って返事をしない。黙って返事がない時は、大概、反証できる 何らかの考えが思い当らない時である事も 知っている。つまり同感や同意しざるを得ない時だけ、沈黙という行為に至るらしい。
    それは良いですが、、、
    数日前、友人からメイルが来て、「春分の日、どうしよう?天気悪いから、外で会うのはちょっと無理だから、貴女のうちに遊びに行こうかな?」というメイルが届いた

    わたしは、自分の家から150キロ先の宿でそのメイルを受信したのだ。ハテ?彼女から会わない?と云われ約束した事をすっかり忘れている事に気がついて、こりゃ?大変。明日どうしても、家に帰らないと、、、、と思ったのだ。
    でも、何故?忘れるのかしら???
    何故か、3月は、知人、仕事関係全て、人々の動きが激しく、家に何日か滞在する友人の調整や、わたし達自身も、招待を受けたりまるで、冬の間うずくまっていた、芋虫の如く、春が近づくと、あちこちからお声をかけて頂いたりした。その 調整が必要だったのだ。でも、別に、3週間前に話した会う約束を忘れる事は今までなかった。
    とうとう、老化現象のはじまりかなぁぁ?
    すると、翌日
    「せっかく春分の日に会う事にしたのに会えそうもない、脱臼した肩が動かない、、日にちを延ばさない?」というメイルが春分の日の前日に届いた。

    最初のメイルが届く前まで、移動先の暖炉の前の居心地があまりにもよく、2,3日このまま 滞在延ばしたかったのを、躊躇切り替えて、家にもどって彼女の来客の用意しなければならない、、、「車出せるかしら?」雪がちらついていたのだ。
    すると、翌日、つまり、上記のメイル、せっかく約束したのに、肩の脱臼したところが痛くて会えそうもないの、、というメイルが届いた。
    あぁぁぁ、、、そうだった。
    春分の日に 会う事になっていれば、忘れる事はないであろう。
    何故なら、会うという時間軸途上に生きるのであれば、潜在意識<顕在>から消える事はないのであろう。ところが、せっかく 予定をたてたのに、わたしはすっかり忘れていた。
    いや、忘れていたのではなく、会う事になっていないから、居心地のいい場所の長居、つまり存在する居場所に 存在していたのであろう、、、
    困るなァァ、、こういう 意識だと、、形而下の人達のスケジュールの通り時間軸の通り生きないと、、、、最初の地点、「会いたい、会おう」と云われた地点で、会う日が読めればいいのだけど、、、
    存在するという事は、スケジュールのページを見て、空いてる日にちを選ぶ、という交流って、本当の出会いなのだろうか?良くわからない。

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2013年03月23日 21時13分50秒

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    一軒だけ津波に流されなかった家の


    今、家を建築中であるとか家を購入予定である方がいたら 見てほしい YOUTUBE.

    2011年3月11日の
    地震で、津波の被害にあった家は数え切れないと思うけど、

    でも、海辺に建ちながら、3メートル以上の津波にあいながら、一軒だけ、建ち残っている家が東北震災地域にあるのです。

    津波の力は、足元からすくいあげるという。つまり基礎に力がかかり、基礎の上の建物は、全部流されるという。

    何故?その家だけが、崩壊しなかったか?

    その理由を説明されています。







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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2013年03月22日 23時46分18秒

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    アッシジ、フランチェスカ


    ヴァチカンの コンクラーベのニュースを流している間、あの見慣れた赤いお姿の枢機卿、フランス語では
    .(カーディナル)の姿を映し出しているのを何回もニュースで流していた。

    世界の 枢機卿が 招集されるらしい、、、

    各国の
    枢機卿が集まって、3分の2の合意に達するまで ヴァチカンに滞在するという。

    コンクラーベでは投票結果は煙 あの屋根の
    煙突からでる煙で、結果が分かるという。しかし~、、何というか~、、あの煙突は~、、、

    昔から、もう何百年も、煙突から
    煙をだしているのかしら?

    と思わすような、どこの 家にも昔は着いていたような、古めかしい煙突である。

    おかしいのあの煙突の 直径から
    噴出す 煙の量って、、見慣れている西洋人はわかるでしょう?

    あの煙突の 直径からいって、あんなに 煙もモーもー 炊いたら、
    普通、、、「家事?」と思わすような、すごい、煙の量なので、これもおかしかった。

    そういう事、思いません?

    煙突の直径って、決まっているでしょう。使い道によってね、、

    暖炉に
    つける煙突の直径とかね?

    そのような 、身の回りの日常生活における
    物事の観察があると思うのです。
    それで、モーもー炊いてる煙突の下の人の様子が観えておかしくて笑ってしまった。

    そうそう

    フト、日本人の枢機卿もヴァチカン入りされているのかなあ?

    確か、その前のコンクラーベの時は
    いらしたと思うけど、、、

    WIKIで読んだら、日本人の枢機卿は
    5人で、皆さん帰天されているらしい・・・・と書かれてあった。

    今回のコンクラーベには、日本人の 枢機卿は
    参加されていなかったのね・・・

    と思ったら・・・・

    友人の一人から3ヶ月前に、天気がいいので、九品仏と関口の聖マリア教会メイルという面白い組み合わせで訪ねてきましたと写真を
    送ってきた事をを思い出した。

    もう一度、関口の
    聖マリア教会を調べてみた。

    あぁぁ、、、やはり、、、、と思わされた。

    今回選出された フランチェスコ一世、新しい教皇
    フランチェスコは、アッシジの フランチェスコ、

    フランス語は、フランソワ一世、フランソワーズは、女性形、
    フランチェスカ、フランツ、フランセス、、

    アッシジ、フランチェスコ聖人の名前の由来が普遍化しているのでしょうね。

    日本が、真珠湾に
    攻撃をかけた日は、カトリック教カレンダーの日は、聖母マリアの 無原罪の御宿りの日、12月8日に 中っているのを知ったのは、数ヶ月前でしたが、聖母マリアに関した
    日ってそれほどないのですよね。

    聖母マリアの被昇天、8月15日
    この日は、日本の終戦記念日に中る

    聖母マリアのお誕生日は、9月8日

    聖母、マリアの無原罪の御宿りは、12月8日

    今、空で、思い出しても、この3日しか思い出せないけど、他にあったかなぁぁ?

    日本軍は、1941年
    「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号の12月8日
    は、どうして決められたのか?分からないけど・・・・何故か?そのように、歴史を無意識に潜り抜けてしまっている。

    後から観ると、実に不思議な流れになっているけど、途上は、感じられないらしい。

    サンフランシスコで、
    平和の調印が
    されたのは、終戦後、1951年、9月8日で、聖母マリアの誕生日に中る

    サンフランシスコという名前ももちろん、聖人フランシスコの名前からきている、
    今回の新教皇の選任、フランソワ一世の音素を聞いて思い出した。ハテ?順不同とはいえ、不思議な世界である。

    日本という国が、平和の
    印、サンフランシスコでの平和の調印をした
    その時の役を担ったのは、

    そうだった、吉田茂首相という事も、まぁぁ、歴史で習っているから知っている。

    ソレより、歴代の首相でカトリック教徒であるのは、吉田茂首相以外、他に
    いるのかしら?

    何故?サンフランシスコで、平和の調印をする
    役を担う、人生になっていたのかなぁぁ?

    吉田茂首相の葬儀は、関口の聖マリア教会だそうだ。わたしも、メイルを送ってきた知り合いも 家族に
    吉田という苗字を持つ人や親戚がいる。

    苗字名前も同じ人なのだ。2、3ヶ月前に話した話題だったけど、、、

    もちろん、新しい教皇聖フランチェスコ一世が選任される前の話題である。

    実は、わたしはコンクラーベの
    時、メディアで言われる、イタリアの教皇が選ばれるという
    予想には、中らないと最初から思っていた。

    いや、中らないというのは変だ、イタリア人ピエモンテ出身の
    御先祖だから、元イタリア人の血は流れているのでしょう。

    そういった意味で、中っていたのかも知れない。ただ、イタリア人<現在>が選出されるという事になんとなく、イヤ、違うでしょう?・・・・意味が見えない、、、時間を潜る、未来へ向かう意味が観えない・・・

    そのような
    気持ちが生じていたのだ。しかし、本当は、違う、、

    アッシジ、フランチェスカ一世の名前として教皇が選ばれる、、という視点に気がつくべきだった。

    何故なら、

    わたしが、去年日本に
    滞在し、母の 宝石箱に、ミラノに二人で観光し、ダヴィンチの 最後の晩餐を見にいった。15年くらい前の旅行で、母が買った、木製の
    十字架の飾りがあった。「あぁぁ、、コレ、買ったねぇぇ?サンタ、マリア、デレ、グラッツェ教会で、、」と想いだす。

    母は、「身につけないから
    ほしかったら、持って行けば?」というので、




    わたしの、身についている。十字架は身につけないのだが、木製でもあり、中のイエスの
    絵が素敵なのだ。時々、どくどくしい、磔の様子の十字架もあるけど、センスからして、とても、人が見て、ドキっとするような
    ものを、身につけるのは、わたし自身、イヤなので、装飾品は、やはり
    センスを問われると思う。人の視線がいくとしたら、修道女ならわかりますが、一般の人が私服の上につけるものはアクセサリーとして身につけ・・・それでもって、なんらかの思いがあれば、よいと思う。他者との共存する社会において、他者の眼からみると自分がどのように写って観えているか?という自己内での無言のコミュニケートは必要だと思うのですよね。

    話しは、それたけど、その十字架は、
    アッシジ、フランチェスコが、ダミアン教会で祈ってた時に、その十字架のイエスから話しかけらたとされる、、、その十字架の
    ペンダントだっのだ。

    ミラノで購入したから、てっきり、ミラノの教会にある十字架だと思っていた。

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2013年03月18日 16時56分40秒

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    オノロジー oenologie 醸造






    しかし~・・・・・・
    40歳代頃から、知人の話しや知り合い本人から、自分が癌になった、という話しを
    頻繁に聞く様になった。
    しかも、若い。昔、癌という病いは、60歳以降の人の病気かと思っていたけど、最近本当に、若い人でも、罹る病気らしい。化学療法の点滴の病室に通う知人に聞くと、病院内も本当に30歳代の癌の患者さんにも会う事は珍しくない、、と話していた。
    どうして、こんなに若年化して増えてきているのでしょうかね?
    環境や食べ物の質でしょうかね?
    最近、サランラップで、チンをする
    という行為が、なんとなく 嫌で、直感で
    嫌な事、健康に悪い事して食べている・・・・という感じを持たされるんですけど。
    特に、あのプラスチックの容器。
    便利で軽いというのは分かりますが、
    あのタッパーに入れて、温めるという
    行為ね?
    食べ物には、気があるのではないか?
    あのプラスチックに入れる事で、食べ物の
    波動を奪っているような気がしてしょうがない。

    科学的な証拠などまず見つからないでしょう?
    食べ物の波動って。。。。
    波動の低いものばかり食べていると、ドンドン、動物化していく?なんて事は考えたくないでしょう?

    Œnologie
    オノロジーという学識ですが、あるのです。
    日本語だとワイン学と訳されているけど、なんだか、違うような気がする。
    ラテン語から来ている
    このオノロジー、
    この前 テレビショッピングを見ていて、ワインの通販の番組だった。
    醸造元の
    農家の人と、それを通販する会社の人と、フランスの オノロジーと3人でワインの説明をしていたのです。
    ワインは普通
    ガラス瓶に詰められて市場に出回るのですが、
    時々、3リットル入りや5リットル入りの、箱入りで売られている事もある。
    多分、食事に毎日飲むワインなんでしょう。本とに好きだと、地下倉庫の樽に
    貯蔵している農家もあるけど、都会ではそうはいかない。
    この時、オノロジーが、「その箱入りはプラスチックで梱包されているんでしょ?真空になってて、品質保持は分かりますけどね、、、ガラス瓶に保存されているのと、味が違うのは、オノロジーには直ぐ分かるでしょう。」と話すのだった。
    テレビショッピングなので、普通は、商品の悪口は言わない。
    フランス人というのは、こういう性格があるからおかしい。
    特に、このような仕事をしている人には、こういう番組で、商品が美味しい事を述べる、、という事は、辞めた方が良いのに、、と思う。
    それより、オノロジーが、ガラスの瓶保存と、真空のプラスチックの入れ物で箱詰めされてる
    ワインの味は当然違います。と言い切る 彼等の味覚の鋭さに 脱帽する。

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  • from: yeshangさん

    2013年03月17日 20時02分29秒

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    般若心経は神道でも唱えられるほどに日本人にとって馴染みのあるものなのですが、その内容を知っている人は少ないのではないか? と思います。

      私の母は毎日仏壇で唱えていますが、法事の機会に集まった家族に般若心経の解説する積もりでいたのですが、都合で行けなくなって急きょ参考の資料4枚程度ととともに般若心経の概要を述べたA4枚ものを作った次第です。

     2枚目は心経とその読み下し文、3枚目は六波羅蜜について、4,5枚目は五蘊、十八界、十二支縁起、四諦・八正道を書いたものです。

     ここでは、一枚目の般若心経を私なりの解釈を書いたものを載せました。

     般若心経は非常にポピュラーなもので、多くの図書が出いますが、私の言いたいことを述べたつもりです。しかし、まだ道半ばだ思っております。

     六波羅蜜の実践もまだまだ未熟ですし。

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2013年03月17日 08時06分46秒

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    般若波羅蜜多心の般若波羅蜜多はサンスクリットの「プラジュニャー、パーラーミーター」の音写語ですね。

    音写語は外国のカタカナ表記に当たるので、漢字は表音文字としてさんすくりっとの音を表記するために用いられているだけなので、漢字の字面から意味を 知るのは難しいですね。

    プラジュ二ャーの意味は智慧 ですが、世間的な智恵ではなく、世間的な智恵を超越した仏の智慧でしょう。

    波羅蜜多は、パーラーミーターの意味は完成ですね。他の経典では、到彼岸と意訳されています。この語が、彼岸<パーラム>に、「イター<到る事>」の合成語だとすると、
    以上の二つを訳すと、「プらジュニャー、パーラーミーター」はとりあえず「智慧の完成」と訳す事も出来るでしょうし、智慧の彼岸に到る、、ということも可能でしょう。

    最後の 般若波羅蜜多心の心ですが、原語は「フリダヤ」これは心と訳すのだけど、原意は、心臓 これも世間的に訳す心臓ではなく、中心になるものとか精髄を含む 意味でしょう。

    と思いましたが、どうも 読んでいるとなにか?引っかかりますね。観自在菩薩と舎利子の会話ですが、、、この心、フリダヤの存在がすごく重要だと思うのですね。智慧というと、知識に近いですが、心は、感じるとか思うという事ですから、智恵とは違うのですよね。

    しかし、心 フリダヤは、智慧に大変関与しながら 実践すると思うのです。自由自在に観る観自在菩薩の 智慧はむしろ、心があちこちの立場から観れる、、という意味だと思うのです。何故なら、他者を感じる、他者が思っている事を感じるのは、フリダヤであり智恵ではないからです。

    マントラ< 真言>の 訳が彼岸に到るとやくされると、なんとなく、天国にいける智慧みたいに思う人が沢山いるのではないかしら?彼岸と訳すと、なんだか目的になってしまって、般若心経を読むと、彼岸<あの世>に到るみたいに導かないかしら?

    と気になるのですが、そういう意味で、やはり智慧の完成に到る、、という訳の方が、私は好むのですが、どちらにしても、フリダヤ<心>の訳もそれ以上に 重要に思えます。












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  • from: yeshangさん

    2013年03月15日 19時30分55秒

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    般若心経私的解釈

    般若心経の私なりの解釈です。
     明日は私の法事があって、その場でレジュメを配って話そうと思っていたのですが、そうならなかったので、皆に配ってもらうことにしました。そのレジュメの解説です。(レジュメは、ここにはありませんが、皆に配った上で簡単に解説するようにしたものです)

    -----------------
     般若心経解釈 (般若心経とは「智慧の真理を知る肝心な教え」-中村元)

     心経の最初、「観自在菩薩より度一切苦厄」は結論、そして最後の、「故説般若波羅蜜多呪から菩提薩婆訶」は心経全体の総括としての真言です。
    この最初と最後の部分が心経で最も大切な所です。
     心経を一通り読み下し文で読むと大きく5つの部分になります。

    「観自在菩薩~度一切苦厄」まで
    「舎利子 色不異空~以無所得故」まで
    「菩提薩埵 依般若波羅蜜多故~得阿耨多羅三ミャク三菩提」まで
    「故知般若波羅蜜多
    是大神呪~真実不虚」まで
    「故説般若波羅蜜多故呪~真言の部分まで

     1 の「観自在菩薩~度一切苦厄」では、「観自在菩薩は般若波羅蜜多を行って、すべては空であると認識し、一切の苦厄を離れることができた」となっていて般若波羅蜜多を行うことによりこの般若心経の内容が、悟りの知恵が身に着く、体感・実感し、理解できると述べています。
    2 は、「色(物質や肉体)は空と異ならず、空も色と異ならない。色だけでなく受想行識も同じく空であり、空は受想行識である」と述べて、以下に続くすべての事柄、世の中すべての事柄はすべて空であり、空だからそれらがあると述べています。
    具体的に、別紙に示す五蘊も一八界も四諦も十二支縁起も同様であると。
    3 では、菩薩は般若波羅蜜多によるから自由自在、涅槃の境地に至ることができ、過去・現在・未来の仏も般若波羅蜜多により涅槃に至ったと述べています。
    4 では心経は最高の比べるものなき経であって一切の苦を除き、真実そのものであると述べています。
    5 に、最後の締めくくりとして、心経を総括して最も大切な真言を述べています。

    この最後に示される真言の解釈は様々ありますが、訳してしまうと本当の義が薄められて、ちょうど水や空気のように無くては生きていかれないのにその有難味が気づかないようになるので、ここでは訳していません。
     要するに、この心経を理解し、この真言を唱えることによりみんなが彼岸に、涅槃に至ることができる、そして至ったということを言っています。

    ここまでで、すでに理解したと思いますか、最初の1に述べているように深く般若波羅蜜多を行うことにより、真実の知恵を身につけ、最後の真言により彼岸に至れる、至ったということになります。途中は空の説明、それにより涅槃に至ること、そしてこの教えは最上のものであることを述べています。

    それでは、行ずべき般若波羅蜜多とは何かとなり、これがこの世にあるものにとって一番大切な所ですが、それは八正道であり、六波羅蜜であると言われています。
    八正道は最後の頁に載せていますが、余りにも当たり前すぎて、実は、それが大切なのですが、もう少し解りやすくするために2ページに六波羅蜜を載せています。
    これを行うことにより、般若心経・真実の智慧を理解し、実感し、体得できるということです。摩 訶般若波羅蜜です。
    ---------------------------------

    以上私の解釈ですが、更に研究を重ねることとします。

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