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from: ぽっぽさん
2021/08/22 05:27:15
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東京五輪を振り返る・・・
皆さん、おはようございます\(^_^)/
夜中に何度も目が覚めてしまい、今朝午前4時過ぎにとうとう起きることにしました (TωT)
BGMは昨日全然起動しませんでしたので心配していました「メディアプレーヤー」でイージーリスニング(私の選曲)を。。。
お耳は、「虫の音」が割と静かですのでウレピー!です o(^-^)o
(今日の水泳教室、愛知県も我が市も感染者数がどんどん増えていますので、躊躇していますが・・・!?)
さて、昨日と今朝にまとめました「新聞記事(「東京五輪後」「異例ずくめの五輪を振り返る」)」を・・・
東京五輪後
【五輪に見た内向き日本】 佐藤卓己氏(京都大学大学院教授) お隣からの8月中旬の新聞記事より
◆コロナ禍という異例の夏に開かれた東京五輪が幕を閉じた。
初の「テレビ五輪」となった1964年は国民の多くが熱狂したが、今回は様相が違った。
その要因はどこにあるのか。 メディアが果たした役割は何なのか。
頃からの五輪はどうなってゆくのか。
日本のメディアと研究し続けてきた佐藤卓己氏に聞いた。(インタビュー記事)◆
= 世の空気読む報道 海外の目意識せず 結局日本のメダル =
▲コロナ禍での五輪開催には反対の声も少なくかなった。 当新聞は5月に「社説:中止の判断を首相に求める」を掲載したが?▼
・5月下旬、「新聞社3社(紙)」が五輪開催に反対する社説を出した。
3紙はいずれも戦前、政府や軍部と対立した歴史がある。
・<今回は>社説が出る前から、五輪への支持率が低いことは世論調査で明らかになっていた。
世間の空気(世論)を反映しているだけだから大丈夫、という心理も働いたように感じる。
▲「新聞は情緒的な世論を後押ししたように見える」と言うことか?▼
・大正期までの日本社会では公的意見である「オピニオン(輿論:よろん)」と、大衆の心情である「世論」は区別されていた。
民主主義では「輿論」によって世論を制御することが肝要だ。
・今はSNSで個人が自由に発言できる時代だ。
新聞は輿論繁栄のメディアにとどまっていてよいのか。
これからの新聞は討議に導き輿論を示す公器をめざすべきだ。
▲民主主義にもたらすSNSの影響力は大きいが?▼
・これまで可視化されなかった人々の声が表に出てくることは、参加民主主義の観点からは進歩といえる。
一方、SNSには真実性や社会的な適合のチェックを欠いたまま、ストレートに私的感情が出てしまうという問題がある。
・今回の五輪でもアスリートへの誹謗中傷が問題視されたように、ともすると他者不在の唯我独尊的空間となる。
▲当新聞が五輪のスポンサーだっとことを、社説との矛盾ととらえる批判もあるが?▼
・メディアが五輪のスポンサーになるのは、トヨタやコカ・コーラがスポンサーになるのとは性格が異なる。
報道が広告なのかニュースなのか、読者が区別するのが難しくなるからだ。
果たして<当新聞社が>スポンサーになるべきだったのか、これからも是非を問われることになる。
▲テレビを含むメディア全体の五輪報道をどう評価するか?▼
・日本のメディアは、総じて内向きだったように感じる。
新型コロナ感染症の感染が、拡大を続ける異例な状況で開催された東京五輪が、海外でどう報じられているのかをもっと伝えて欲しかった。
・しかし、結局はいつもの日本選手の金メダルを重視した報道ばかりになってしまった。
▲国内のテレビの視聴率は好調だったようですが?▼
・先回の1964年東京大会は初めて国際的にテレビ中継された五輪で、今の五輪報道のスタイルを確立した。
それから半世紀余り、今回の五輪は、米国のテレビ中継を前提に準備されたが、結局、米国での視聴率は伸びなかったので、地上波で見る形の五輪は今回が最後かなという予感がする。
・いまの若者はあまりテレビをみない。
今回の五輪は、メディア史的に「テレビ五輪」が終焉(しゅうえん)を迎えたという点が重要だ。
次に来るのは「ネット五輪」の時代。
▲日本の五輪組織委員会の評価はどうか?▼
・開会までの一連の不祥事は「五輪ムラ」の閉鎖性を如実に示した。
開会式の直前、ナチスのホロコーストを過去に揶揄(やゆ)していたディレクターが解任された。
・開会式は何故か選手団の入場が「あいうえお」順、だれが決めたのかは知らないが違和感が残った。
閉会式で流された「上を向いて歩こう」もこのタイミングで世界に発信するのならば、もっと海外の目を意識した工夫が必要だった。
・身内の世界に閉じこもり、考え方の異なる他者を想定しない日本社会の悪弊が目立った。
▲<悪弊は>無観客に追い込まれた菅政権の対応もか?▼
・私がもっとも不満に感じるのは、政治家が国民を納得させる言葉を発信していない点だ。
他者が見えていないから納得の言葉が不可欠だが、今の政治にはそれがあまりにもなさすぎる。
五輪への対応もコロナの対策もすべて同じだ。
・そもそも五輪は外交の一種だ。
古代オリンピアもナショナリズムの時代に発明された近代五輪も「疑似戦争」の性格を秘めていた。
戦火を交えることなくスポーツで戦うのだ。
▲なぜ日本は他者を想定できない社会になったのか?▼
・戦後の日本がそれを怠ってきたからだ。
安全保障面でいえば米国の傘の下でやって来て、自ら外交的な厳しい判断をする必要がなかった。
しかしこれからは、米国と中国の間でどう振る舞うかは独自の判断が必要になる。
米国にも中国にも、日本の考え方を説明しなければならなくなる。
= 考え異なる他者 想定できぬ文化 変える契機に =
▲ナショナリズムの祭典としての五輪はどうか?▼
・今回の男子マラソンは、内戦下のソマリアを離れた難民で、オランダとベルギーから出場した選手が、銀メダルと銅メダルを獲得した。
日本代表にも海外出自の選手が目立つなど、「エスニシティー(民族性)」の統一性は薄れてきている。
・本来なら、日本にとって今回の五輪は東アジアで安定した秩序を構築するうえでの将来像を描く好機だった。
▲今回の五輪のレガシー(遺産)は何だったのか?▼
・64年の東京五輪が多くの国民に良い思い出として記憶されたのは、五輪の開催時よりも、閉幕後に「メディアがどんな記憶をつくっていったのか」がはるかに大きく影響している。
・今回の五輪で明らかになった課題はジェンダーの平等や多様性の尊重だけでなく、日本社会の内向きの志向だ。
<菅の顔が目に浮かびます・・・決して外交的とは思えませんねェ~!>
・この体質をいかに変えてゆくか。
あの五輪を転機に日本社会は変わったよね、と20年後に言われるようになれば、レガシーになる。
そのために何をどう記録し、記憶するのか。
メディアが果たす役割は大きいと思う。
異例ずくめの五輪を振り返る 私共が取っています新聞の教育報道部より
= <2021年8月>8日に閉幕した東京五輪は、新型コロナウイルス禍で初めて1年延期となった上、女性蔑視や外見差別をはじめ大会関係者の問題発言などで開幕直前まで混乱。
緊急事態宣言下の東京を中心にほぼ無観客で行われ、会期中に1日当たり国内感染者数が最多を更新した。
日本人選手のメダルラッシュで国民が熱狂する一方、選手の亡命や人種差別への抗議など課題も浮き彫りに。
異例ずくめの五輪を教育報道部の筆者3人に振り返ってもらった。 =
【ハラスメントNO 示した】 エッセイスト(教育報道部)
・東京五輪では、日本でおなじみの「スポーツは努力と根性」という価値観を変える事件がいくつもあった。
アスリートはスポーツ選手である前に、市民であり人間だ。
・今大会では人種差別や、女性への性的視線に抗議を示した選手がいた。
メンタルヘルスの問題を公言し、試合を破棄した選手も。
一方、国際オリンピック委員会(IOC)や組織委員会幹部ら大会運営にかかわる人々の発言には、性差別や個の尊厳の軽視、人命よりも組織の利益を優先する姿勢が目立った。
<「IOCはいったん解体する必要がある!」と思います!>
・個の尊厳や健康を大切にする今回のアスリートたちの姿は、従来のスポーツ界での個への抑圧が美談に覆い隠された日常を浮かび上がらせた。
スポーツ界に限らず、個人の尊厳の軽視が世界で広く行われていることに対する「NO(ノー)」の意思表示として印象に残った。
・1964年の東京五輪は悲惨な戦争と貧しい戦後を生き延びた日本の人々を励まし、自尊心を高める効果があった。
今、アスリートに向けられるのは、会員制交流サイト(SNS)の誹謗(ひぼう)中傷の刃(やいば)。
<上手い言い方ですね、「誹謗の刃」・・・!>
国境や立場を超えてつながる自由と、流言飛語や言葉の暴力がはびこる前近代的な世界が広がっている。
・多様性を掲げるのは簡単だが、哲学なきうたい文句で世界は変わらない。
美談では覆い隠せない現実を、今大会はありありと示した。
【難民選手への対応 矛盾暴露】 フォトジャーナリスト(教育報道部)
・きらびやかな開会式が行われた国際競技場に、ギリシャ選手団に続き入場したのは難民選手団だった。
開催国の日本は、ほぼ難民の門戸を閉ざし、難民認定率は1%に満たない。
<難民>申請者に対するずさんさが浮き彫りとなったのは、事前合宿先から行方が分からなくなったウガンダの選手への対応だった。
ウガンダでは大統領が30年以上代わっておらず、人権状況が懸念されている。
<ウガンダの>選手は合宿先に生活困窮を訴える書置きをしたとされるが、その行為自体が反政府的と見なされる恐れもある。
警察で難民申請の意向を示したと報じられたが、支援を試みた弁護士らに面会させることなく帰国をさせてしまった。
ウガンダに戻った後、選手は一時身柄を拘束され、今後も安全に過ごせるのか疑問が残る。
<日本がとった措置が今後国際的に問題視されると思います>
・その後、ベラルーシの選手が亡命を希望し、ポーランドへ出国したが、日本は難民条約に加入している国として、最低限すべき対応をしたに過ぎない。
2012年に開催されたロンドン大会では、少なくとも82人の五輪関係者が英国に難民認定申請を行ったとされる。
<今回の東京五輪のような>大規模な国際大会でさまざまな事情を抱えた選手が集まればこうした事態も起きえるだろう。
それを想定した上で警察や出入国在留管理庁などが連携を行えば、ウガンダ選手に行ったような対応にはならなかったはずだ。
<名古屋入国管理局では「杜撰な対応」で、一人の外国人女性を死に追いやってしまいましたね。
我が国は「難民」などに対する姿勢をがんとして変えませんねェ!
首相がいう「アジアのリーダーシップ」なんて夢のまた夢だと思いますよ!>
・難民申請者も含め、外国人の人権状況はなお深刻で、2007年以降17人もの人々が出入国在留官吏庁の収容施設でなくなっている。
昨年、国連人権理事会の部会からも「国際法違反」と指摘された。
それを放置したまま、平和や平等を掲げる五輪を開催することに、私はそもそも疑問を感じてきた。
<安部の阿呆がしらじらしく「アンダーコントロールされている」として、東京五輪招致をしたからですよね!>
・五輪という表舞台では、華々しく海外からの関係者を受け入れながら、足元で外国人の人権を踏みにじっている、その矛盾にこそ、今、向き合うべきではないか。
【日本社会の分断 その先へ】 メディアアーティスト(教育報道部)
・<東京五輪では>スポーツの素晴らしさを感じたシーンがたくさんあった。
スケートボードなど身体芸術的な競技は見ていた楽しいし、陸上女子三段跳びや男子400メートル障害の世界新記録はすごかった。
また、ジェンダーバランスがかなり前進したと感じた。
卓球などの混合ダブルス種目の他、男女の区別なく競う馬術で初めて女性が優勝したこと、ウエートリフティングにトランスジェンダーの選手が出場したことも良かった。
・一方、悪い面はやはりコロナ、緊急事態宣言が全然効かなかった。
開催までも非常にゴタゴタ<性差別や個の尊厳の軽視、人命よりも組織の利益を優先する姿勢など>して、日本社会の悪い側面が多く見えた。
・<今回の東京五輪に対して>政治家に限らず、マスメディアもどのようなメッセージを出すかが重要だった。
五輪報道とコロナ報道の比率が、大衆の行動を左右した。
五輪中心の番組編成としたテレビの報道番組の担当者は、相当頭を悩ませたのではないか。
「金メダル数が最多更新!」と盛り上げながら、国内の新規感染者数も最多を更新したからだ。
・今回、日本社会の分断という明らかな課題を受け取った、こうした未知の衝突を乗り越え社会が前進することが五輪に意義ともいえる。
今までよりも社会は随分複雑なんだなと意識した上で、どうコミュニケーションをとってゆくのか、私自身も勉強になった。
<私はこの方に意見にはちょっと違和感を感じます!>
私は「オリンピックなどやっている場合じゃないでしょう!」でございます。
東京五輪の運営費用は予定の倍の1兆円を超えたと言われていますね。
この経費を「新型コロナ対策」に使ってもらいたいものだと思いました。
今でも「新型コロナウイルス(デルタ株が主)感染者数が過去最多」が更新されていますネ!
いわゆる「第5波」真っ最中!
菅政権はこの「国難」にどのように対応するのでしょうか!?
皆さんは如何に思われますか?-
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