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  • from: ぽっぽさん

    2021/08/24 10:52:36

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    尾瀬!その1

    皆さん、こんにちはァ!\(^_^)/
    BGMはネットラジオで「ボサノバ」を・・・!
    お耳は相変わらず「虫の音」はやや元気ですが「安定」の範疇だと思いますゥ!

    昨日、「きなこさん(歯科医の技工士さん)」とのお話で・・・
    >(「今、尾瀬の写真をまとめている」と申しましたら、きな子さんは「尾瀬」をご存じないようでございました・・・)
    と!?

    ふわぁ~! 今の若い子は「尾瀬(おぜ)」をご存じないのですねェ~!
    「唱歌・夏の思い出」の冒頭に『♪夏がくれば 思い出す はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空~♪』とあります。
    おそらくここ(たんぽぽ)をご覧くださっている方々は、学校で習い歌ったことがあると思いますが・・・いかがですか?

    私共夫婦、この「尾瀬」へ4度参りました。
    登山よし・ハイキングよしの尾瀬をご紹介いたしましょうネ!\(^_^)/

    【尾瀬について】 尾瀬国立公園!
    まずは「尾瀬の概要」でございますがァ!
    尾瀬(おぜ)」の場所なんですが、下の地図の如く「東北地方の福島県」「中部地方の新潟県」「関東地方の栃木県・群馬県」に囲まれています「尾瀬国立公園」のことでございます。

    尾瀬国立公園」をネットでは・・・
    『尾瀬国立公園(おぜこくりつこうえん)は、福島県、栃木県、群馬県、新潟県の4県にまたがる国立公園である。
    2007年8月30日に日光国立公園から尾瀬地域25,203ha(現・尾瀬国立公園の67.75%にあたる)を分割し、会津駒ヶ岳、田代山、帝釈山など周辺地域を編入する形で指定された』
    『平成19年(2007年)8月30日、本州最大の湿原を持つ尾瀬は、オオシラビソ林や山地湿原など優れた自然環境を有する会津駒ヶ岳と田代山・帝釈山の周辺地域を国立公園区域として編入し新たな一つの国立公園、「尾瀬国立公園」として指定されました。
    新たな国立公園の誕生は、昭和62年(1987年)7月に釧路湿原国立公園が指定されて以来、20年ぶりのことでした』
    などとあります。
              
    尾瀬沼
      標高:1,665M 周囲:6KM 面積:1.8平方KM
    尾瀬ケ原 標高:1,400M 東西:6KM 南北:2KM 尾瀬沼4倍の湿原
    燧岳   標高:2.346M。 山頂は2つの峰からなり、4ルート登山道ある。
    至仏岳  標高:2,228M。 ホソバヒナウスユキソウなど高山植物が豊か。
    と言うことで、ザーッと概要はお分かりになられましたでしょうか?

    【尾瀬を守った三代(平野家)】
    大切なことが・・・
    この尾瀬を「三代にわたりまして守り続けたご一家」がお見えですので、ご紹介いたしますね。
    以前にまとめました「尾瀬に関して(尾瀬の自然を、死守した「平野家三代」)」から三代の経歴を略記します。
    (詳しくは「尾瀬ー山小屋三代の記(岩波新書)」をご覧くださいね)

    『"夏がくれば思い出す..."と歌われる尾瀬。 この美しい大自然を、現在叫ばれている「自然保護」より以前、明治・大正・昭和を通し守り抜き、尾瀬・日光国立公園の礎を築いた「平野親子三代」ついて記す。
    <親子三代の年表のみをご紹介いたします>

    初代 : 平野 長蔵 燧岳への登山道ひらく。 長蔵小屋建てる。)
     明 3. 8.10 福島県檜枝岐村(ひのえまた)で出生。
     明19       16歳で分家。 「国見」と称して合津沼田街道(檜枝岐→沼
               山峠→尾瀬沼東岸→三平峠→片品)を行き来していた。
     明22. 8. 1 19歳、燧岳初登頂し登山道を開く
     明22. 9.24 群馬県側の信者ら30人と登頂し石祠を建祭する。
     明23.      燧獄教会を開設。 8月、沼尻に参籠(さんろう)所新設。
     明27. 8. 1 日清戦争始まる。
     明27. 9月   利根水源探検隊、「太陽」創刊号に尾瀬の紀行文を寄稿する。
     明27.      村民の反対で神官を辞任し帰村するも冷遇される。
     明35       館岩村・湯ノ花温泉旅館「湯元家」の娘トメと結婚する。
     明36. 5.12 長男の長英出生。
     明37       村人の冷遇に耐えかね、栃木県今市に去るが尾瀬を心から愛し
               「いかならん 神のえにしか 知らねども 我は恋しき 尾瀬 
               の沼をば」 の歌を残す。
     明43.夏     沼尻(現在の沼尻休憩所の位置)に小屋(長蔵小屋)と舟作
               る。
     大 3       「尾瀬水利権・取水権」争いが始まり、現在にいた。
     大 3.9月    尾瀬沼区画漁業権を獲得し代議士と共同経営する。
     大 4. 4. 8 雪中、養魚事業に伴い小屋を東岸に移す。
               養魚・養狐事業失敗する。
     大 7.春     長英15歳で、父長蔵と初めて入山する。
     大11. 6. 7 関東水電、尾瀬水利権を獲得、ダム計画を表す
     大11. 7.26 長蔵、水利権認可取り消し請願を水野内相に提出。
     大11. 8. 1 請願の帰路、憲政会群馬県本部に水利権阻止を訴える。
               始めて尾瀬が政治問題になったが、請願はにぎり潰された
     大13.1月    武田久吉理学博士、長蔵の「尾瀬国立公園化」私案に「まずは
               自然保護」を示唆し長蔵共鳴する。
     昭 4.8月    世界的植物分類学・牧野冨太郎博士の尾瀬での大量の採集に、
               長蔵が「自然を破壊する者は人類の敵だ」と一喝する。 
     昭 5. 8.20 長蔵、心臓マヒで急逝、尾瀬柳欄の丘に埋葬。 享年60歳。

    二代目 : 平野 長英 水利権・開発反対の提訴に活躍)
     明36. 5.12 長蔵の長男として出生。
     大 7.春     長英15歳で、父長蔵と初めて入山する。
               父の手ほどきで短歌を嗜み、短歌誌「覇王樹」に投稿。
               「待ち待ちし 千鳥桜の花ふふみ この山の沼にも
               春は来にけり」 など、自然や哀愁の歌が多い。
     昭 7. 6.13 29歳で、覇王樹で知り合った群馬県前橋高等女学校出の高橋
               靖子(27歳)と尾瀬で結婚。  
               尾瀬に嫁ぐ前の靖子の歌に「永久の 光と思う君ゆえに 生命
               をかけて 悔いざりにけり」 がある。 
               小屋新築の苦労を長英は「人手なき ことをかなしみ愛し妻を
               今日も叱りて 山に連れだす」 と歌っている。
     昭 9. 9月   現在の長蔵小屋完成。 隣国・李王殿下が最初のお客
     昭 9.12月   尾瀬、日光と共に国立公園に指定される。
     昭10. 8.24 長男、長靖出生。  長英の歌に、「うまれきし 吾子は男の
               子ぞと おもふとき うれしさは ただほほえみとなる」 と
               喜んでいる。
     昭10.10月   東京電灯、尾瀬ケ原ダム計画発表
     昭12. 7. 7 日中戦争始まる。
     昭12       長女出生。
     昭13.5月    尾瀬、国立公園特別地域に指定
     昭14       次男出世。
     昭15. 7.19 長英、召集。
     昭16.12. 8 太平洋戦争始まる。
     昭17. 9.20 長英、帰還。
     昭18.夏     大清水へバス運行開始。
     昭19.夏     尾瀬沼取水工事始まり、朝鮮からの強制連行者入山する。
     昭22. 8.15 敗戦。
     昭22.秋     尾瀬沼取水工事再開し,昭24.11月完成。
     昭24.10.27 「尾瀬保存期成同盟」結成。 日本の自然保護運動スタート
     昭26.10    期成同盟、「日本自然保護協会」へ発展解消。
     昭27.9月    「国際自然保護連合(IUPN)」第3回総会で、尾瀬水没危
               機を提訴、国際的にアピール、しかし「列島改造論」に伴う道
               路開発によるオーバーユース(過剰利用)などで脅かされる。
     昭31.6月    原に第二長蔵小屋建つ。
     昭35.3月    尾瀬、特別天然記念物に指定
     昭41. 1月   長英、脳血栓で倒れ療養生活する。
     昭47. 4.15 長英、機械船2隻を解体。(沼汚染と騒音の為:長靖の意志)
     昭47. 7.23 柳欄の丘にて、長靖納骨。(大石武一出席) 墓石には長靖の
               絶筆「まもる/峠の緑の道を/鳥たちのすみかを/みんなの尾
               瀬を/人間にとって/ほんとに大切なものを」が刻まれた。
     昭50.12.12 群馬県知事、県議会で「大清水以降の一般車両禁止」の初発
               言。
     昭55. 4月   長英、吉川英治文化賞を受賞。  受賞の理由に、「長蔵小屋
               の平野氏は、一家をあげて尾瀬を守ることを誇りとし、そのこ
               とがまた、登山者を温かく迎えることになるとの信念で生きて
               ました」とある。
     昭58. 6月   奥鬼怒川スーパー林道延長工事許可。群馬県大清水の工事開
               始。
     昭63. 1.18 長英、群馬県片品戸倉の自宅「いわつばめ文庫」で死去。
               享年84歳。雪どけを待って平野家の「柳欄の丘」に埋葬。

    三代目 : 平野 長靖  (自然保護運動を拡げ、政府を動かす)
     昭10. 8.24 長英の長男として出生。
     昭26       沼田高等学校進学、京都大学文学部卒業後、北海道新聞に入社
               し労働組合等で活躍した。
     昭36. 7.15 長靖の弟、睦男(長英の次男)水死。(静岡大学在学中)
     昭36. 7.20 尾瀬の山小屋に電灯つく。
     昭38       戸倉→鳩待峠間の会員バス運行開始。
     昭38. 4月   長蔵小屋三代目を継ぐため北海道新聞退社し、5月山に帰る。
     昭39. 4月   かつての職場仲間、紀子と結婚。
     昭41. 1月   長英、脳血栓で倒れ療養生活する。
     昭41.夏     大清水からの県道改修工事始まる。
     昭41.11月   長女、菜穂子出生。
     昭43. 9月   長男、太郎出生。
     昭44. 6.25 自然保護を訴えるミニコミ紙「いわつばめ通信」創刊。
     昭44.12月   次男、桂介出生。
     昭45. 5月   檜枝岐→沼山峠間の会員バス運行開始。
     昭45.12月   スキーロッジ「あすなろ(後のロッジ長蔵)」戸倉に完成。
     昭46. 6.20 岩清水、工事でつぶされる。
     昭46. 7. 1 環境庁発足。 5日、初代長官に62歳の大石武一氏就任。
     昭46. 7.21 長靖、母のすすめにより、大石長官宅で車道工事中止を提訴。
     昭46. 7.30 大石長官、4日間の尾瀬視察で「道路の変更または中止」を
               要請、群馬県・田中角栄通相から反論あり。
     昭46. 8.21 長靖、東京で「尾瀬の自然を守る会」発足。 事務局は、高
               校の友人で教師・その教え子などで運営。 これは、長蔵小
               屋が三代にわたって培った"人脈"であり、「尾瀬の自然は国民
               の財産」の証明である。
     昭46.12. 1 長靖、帰路、雪中の三平峠越えから一之瀬休憩所手前で、過
               労により力尽きる。  享年36歳と若い。
               療養中の長英には後日知らされ、挽歌として作った歌に、
               「子亡きあと 心の重荷吾が背負い 今日も登か 三平峠
               とあるように、再び"山守り"として気力をしぼる。』
    と言うことでございます。
    (右の写真は2000年7月に初めて尾瀬へ参りました時、平野ご一家のお墓にお参りをしたときのものです)


    【ゴミ持ち帰り運動と尾瀬憲章】
    = ゴミ持ち帰り運動 =
    昭和47年6月に始まり、関係者の努力やボランティア活動により定着化。
    (「尾瀬 - 山小屋三代の記(岩波新書)」より)

    = 尾瀬憲章 =    昭和47年5月11日  群馬県
     一、 尾瀬を訪れる人は、その自然を愛そう。
     一、 尾瀬に接する人は、その利用に責任を持とう。
     一、 尾瀬を尊ぶ人は、その景観を破かいから守ろう。
     一、 尾瀬に親しむ人は、その豊かな恵みに感謝しよう。
     一、 尾瀬に誇りを持つ人は、その美しさを後世に伝えよう。

    長くなってしまいましたので、次回からは4度の尾瀬をご一緒に歩きましょうね o(^-^)o
    「尾瀬」と言えば「水芭蕉(みずばしょう)」でしょうか・・・\(^_^)/
    (下の写真は2002年5月の「水芭蕉と至仏山」です)

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