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続 哲学〜真理〜探求について

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2012年11月15日 22時31分00秒

    icon

    何を、問題として観るか?であって、何が?問題なのかではない事。

    あちこちの此処、7,8年サイトやコミュやブログのコメント返しについての議論を見たり<斜め読み直観でだいたい内容が分かる事があるのです>、ちゃんと読んだりして、色々思うのですね。

    気になると、一応普遍的なWIKIで確かめてみたり、2ヶ国語以上のWIKIサイトを確かめていたりする。WIKIにしても、そうですが、書いてある事が間違っているか?という視点で見るのは、すでに
    自分の視野は、狭窄気味だという性格だと思った方がいいと思うのですね。
    対峙世界をおのずと
    つくるのは、「言語の限界が思考の限界」っという、ポール、ヴァレリーだったかな?ドラクロアだったかな?
    話したり、コミュニケートの手段につかっている、日本語が浸透している
    枠執りの中だけの世界で、議論していても仕方ないとおもうし、しかも、、そういう方達がほとんど、科学偏重思考一本やり、で、、つまり、体験に至らないから、共時態のエレメント例えば、万国共通の数字や記号のみの世界でも
    奮闘しなくてはならないのでしょう。
    もう、今の時代、ちゃんと世間の人達の
    日常の生活を見て、ちゃんと日常付き合う人達の心的な感情交流といった経験をせず、いつまでも、自分の好きな事だけに一生懸命になって、コミュニケート能力を
    ドンドン失っていくのは、やはり軌道修正が人生に必要だと思います。

    世界に存在する宗教や信仰は結局、以下のアバンギャルドさんのサイト方の文を転記しますが、、、納得させられる見解をわたしももちます。

    問題としなければならない視点は、未来に向けるべきです。

    体験や他者との共感せず、記号のみ書かれている人というのは、体験者からすると一目瞭然でしょう。

    何故なら、執拗に記号や言語のみに
    執着しますから、、、本当は、そんな事はどうでもいいのですよね。

    天空にしてみれば、人間界の人間が一生懸命、お寺に通って、大金はたいて、お墓たてても、神社に通いつめても、教会の祈りを毎日しても、その手法や宗派など、関係ないのですから、、、たまたま
    霊的体質や霊感や超能力がある体質が、日本に存在すれば、天女が降りてきてメッセージや霊視をみせたり、予言したり、する事が中るでしょうし、外国にいれば、西洋の天使が、画像をみせたり、聖母マリア出現においても、普遍性の存在であれば、なんのへんてつもない、田舎が、毎年何百万人も訪れる、巡礼地になったりするのでしょう。

    心を持つ人間の肉体が、その時存在する、、という意味であり、その人間が、何々人、日本人で、仏教を信仰しているとか、神道を信仰している、、という肉体が
    根ざす
    土地や民族性は、、、、マ、、形而上世界とは全く違うと思うのですね

    。せいぜい、生きてる時にがんばって精進して下さい、、みたいなエールをかけられているみたいに感じているのかも知れませんが、、あまり、部分や一部、しかも自民族性ばかりの自己保存や種族保持の
    意識を過敏に投影させない方がいいと思います。

    しかも何故か?
    いったい、何故?
    例えば、尖閣問題
    2012年の夏に
    小さな島の事を、
    言い争わないとならないの?何故?
    その時なのか?
    という質問と其の返ってくる応えが、昔の日韓関係や日中関係上の過去に生じた情動を引きずっていることを理由に挙げられても、質問は時であり、その時に生じるという原因や理由ではないです。

    引きずる、、という途上の感情は、これからも引きずるのでしょう?という事であり、解決策にはなっていないでしょう?それを述べるのが、哲学なんでしょう?

    ヱトゥノサントリズム<自民族中心主義>の話題は、哲学構造主義で、随分めるろ~さんと
    前身のコミュで話しましたが、本当に、哲学を少し真剣に身につけた方がいいと思うのですね。

    そうしないと、何故?このような事が、その時々生じるのか?という原因が分からないと思うのですね。
    何故?戦後直ぐではなく、何故?2012年なの?という時空の存在と、その時に生じる対峙関係の接し方でしょう?
    以下、リンクしてみます。
    ========================================

    人間社会のあらゆる問題は死の恐怖から来ている。生保、損保、そして生活を安定させ余計な死のリスクを分散させる税の再配分のシステム、家庭、社会秩序、軍備、政治イデオロギー、そうしたものは本来時々刻々直面している自分の死のリスクから来る緊張を緩和するために作られたものである。

    死のリスクを論じるならば、死のステップをチベット死者の書などで見ていくことも避けられない。死の初段は、肉体死から「原初の光」を意識しつつ、エーテル体の崩壊、中有へ移動、アストラル体への移行と進む。ここでアストラル体世界となるが、チベット死者の書でもアストラル人間の未来をエジプト死者の書のようなアストラル世界だけに絞っているわけではない。アストラル世界だけに終われば、カタルシスなき映画、釈然としないエンディングの映画みたいになっちまう。


    アストラル世界だけのシナリオにも、結局救済シーンはないのだ。
    今こそはそこがポイントになっているのだが、

    知性の発達した現代人は
    そこの非論理的説明の部分にこそ極めてニーズが高いというわけなのだ。


    http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/d/20121110

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