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続 哲学〜真理〜探求について

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2013年02月25日 00時41分00秒

    icon

    終末医療







    フランスに住み、小さい子供達に恵まれ、忙しい毎日に追われていた頃、終末医療を仕事にする、看護婦さんのルポルタージュの番組を見た事があった。
    平均入院期間は、2週間。患者の自由意志によって入院するホスピスだ。

    20年位前の 番組なのだがかなりわたしは、感動させられて、こういう仕事につきたいとおもわされた時期があった。しかし、目の前の小さい子供達を見ながら、

    イヤ、、ちがう、、、わたしにはわたしの道があるはずだ、、、、でも、この感動は、どこから生じるのだろう?と 色々考えていた頃があった。

    友人が、わたしに見て欲しい、、、と、以下の内田さんという方のブログをリンクしてきたのは、つい最近の事ですが、、、読んで、その当事のわたしが受けた、感動が蘇って来た。

    今まで、哲学に興味があるので、色々、NETを閲覧したり、コメントしたりしましたが、どうも、知識や認識偏重している 人達の 言説は、浮いて観得るんですよね。

    体感や経験がともなわない、知識<宗教、哲学、認識>で、議論したがる 意味はなんなんでしょう?と 考えたりする。

    毎日、死を、前に働く、この田村恵子さんの語る、言葉の 重みとは、くらべものに、なら無いのである。

    コミュニケートは、どれだけ、言葉<記号>に、真実とされる 言葉の重みを 伝えられるか?が勝負であり、上辺の 認識や知識は、何もならない、、という事を、ちゃんと 体験して、分かっている人は、 哲学でも 宗教でも、 昔の史実や資料や 記実などに、いちいち拘らないであろう、、と思う。

    つまり、実践として、相手とコミュニケートが 通じているという体感している事だと思う。これについては、法華経に 死者とコミュニケートできている 観音の 事が書かれているはずですが、この内容<知識>を読んで、体験や体感や経験できてる人は、すぐ納得できる と思う。

    話しは、飛びますが、
    今まで、哲学、宗教、信仰形而上世界の NETの書き込み見ていて、思いますが
    体感や体験が伴わない人達は、なんだか、色々、あちこちから、難しい内容の 経典やら、史実を 転記したり引用したりしないと、説明出来ないらしい。

    つまり、自分の体験による 言葉を、放てない、、、という 言い換えや表現の仕方を 相手によって変える、、という体験不足なのだと思う。

    このような、存在の仕方には普遍性は 観えないのですよね。呼応する人達はいつも 一部分に興味がある人達でしょうから、閉塞感は、拭えない世界を想念しているらしいのですね。
    時々、病的と思える方もいつも同じコミュに コメントをする事で、ますます、心理的病いを悪化させている、、ますます、普遍性を失くしていると思われるのに、気がつかない。応対するコミュの管理人さんも、心理的、精神的病いをますます、悪化させている事が気がつかない、、という事らしい。

    どうして、閉塞的、不健康な世界観を 築こうとしていますよ!と述べているのに、閉塞感 気がつかないのでしょうか?、、、

    ま、、それは自分で気がついて、存在性のない存在の仕方をしているという事、、人や、宗教人に言われるのではなく、気づきは自分ですから、、、仕方ないです。



    以下、内田さんのブログ、転記します。

    ==================================

    茂木健一郎が司会を務める『プロフェッショナル』という番組がある。24日の回はガンの末期患者を専門に看護する田村恵子さんという人が登場した。 間近に迫った「死」と向き合って、人はどう変わるのか......。 限られた人生を突きつけられた人を田村さんは何千と目の前で見届けてきた。そして、ほとんどの人が残されたわずかな「生」の中に希望を見いだして充実した最期を迎えられること、そのための手助けをするのが自分の仕事だと悟った。
    自分の命が、あと1ヶ月にも満たずに消えてしまう......それがはっきりわかったら、いったい何をするだろうか? 何を考えるだろうか? 実際にそんな現実に向き合った人たちが、番組には何人も登場していた。
    最期の時間を家族とともに過ごしたいけれど、自分が家に戻ることで負担をかけてしまうと心配する64歳の女性。 舌ガンが皮膚に転移して、もう施しようがないとわかっていながら、最期の望みを託して化学治療に臨み、しかし、結果的にそれが苦痛を増し、 命をさらに縮めて、また入院病棟に戻ってくる36歳の男性。そして、娘の結婚式をなんとか自分の目で見届けたいと願いながら、それがかなわぬことと告げられ、代わりに病院の中の教会で花嫁姿の娘と一緒に記念写真に収まる56歳の父親......。
    『凄まじい』......他に適当な形容の言葉が見つからない。この番組が放映される時には、この世にいないことがわかっている彼らは、しっかりとテレビカメラの前に末期(まつご)の自分を晒し出す。それを勇気といえばいいのだろうか? 当然、見守る家族たちも、 取材に協力しているわけだが、愛する家族の「死」へのプロセスを人に見せること、それが凄まじいと思う。
    どうして『凄まじい』としか形容できないのか自分でもよくわからない。彼らの「決意」が凄まじいわけでもないし、その最期の瞬間へ向かっての充実した「生」を求める姿が凄まじいわけでもない。画面に映しだされた部分だけでは、皆、とても淡々としている。
    ウエディングドレス姿の娘と記念写真に収まった父親は、かすれかけた意識の中で、口元をわずかにほころばせ、声にならない言葉で「ありがとう」と言う。その「ありがとう」の中に、人の「生」の凄まじさの全てが籠もっていたように思う。
    限られた命の現実を突きつけられたときの人間の心理......それを描いた小説や論文もある。マズローの『至高体験』でも、そういったケースが取り上げられているし、コエーリョの『ベロニカは死ぬことにした』でも同じテーマが取り上げられている。
    でも、この番組では、それがまさに「生(なま)」なものであったことが決定的に違う。フィクションや論文では、まだ想像力の範疇でしかない。「生(なま)」は、想像力を遙かに超えている。そして、この番組では、田村さんという、 人の最期にずっと向き合ってきた「ガイド」を通して、具体的な「死」と向き合わされることで魂が揺さぶられる。
    田村さんは、自分の経験と気持ちの全てを込めて、一人一人の人生の最期を輝かせる。いつもとびきりの笑顔で、 死に行く人たちの不安を拭い、心地よく送られる気持ちへと、みんなを導いていく。そして、送り出した後、看護師詰め所の片隅で、 涙を絞り尽くすように泣き、それもつかの間に、涙を絞り尽くしたら、また天使の笑顔を浮かべて、新たな患者に向かっていく。
    漫然と日々を過ごし、人に甘え、自分を甘やかし、真剣に自分が欲するものを見極めようともせずに「満たされない」気持ちを抱え......そんなことが「生きている」といえるのだろうか。無性に、自分の今の姿が恥ずかしくなった。
    満たされなさや辛い気持ちに身を委ねてしまって、投げやりになり、「死んでもいい」なんて軽く思ってしまったことがかつてあった。そんな自分を思い出すと、いかに卑屈で卑怯で、惨めな人間であったか......。
    茂木は、 自身のblogで、番組では語りきれなかった田村さんの言葉を紹介している。
    -----------------------
    田村さんは、人間というものは、
    不治の病を得るのが
    何歳の時でも、それまでの人生を
    ふりかえって、充実した良い人生
    だと思うことができる、とおっしゃった。
    若くして手の施しようのない病にかかるのは
    つらいことだけれども、
    向き合う中で、たとえ「平均」から
    すれば短い時間だとしても、
    振り返り、充実した人生だったと
    思うことができる。
    逆に、たとえば90歳の人が
    病となり、周囲は、「90まで生きたん
    だから、もういいじゃないか」と思った
    としても、本人は、「あんたらは
    そういうかもしれないけれども、私は、
    たとえ一日でも長く、と思うんだよ」
    という感覚を抱く。
    この世で得た生の時間が短くても、
    長くても、人生の意義においては
    人は「究極の平等」の下にある。
    そんなことを田村恵子さんは
    おっしゃった。
    -------------------
    人の、「生」が輝く瞬間に立ち会うことで、学ばされると、田村さんは番組の中で言った。自分がこの仕事を選んだことが「ありがたい」と。
    田村さんが看取った人たちは、みんな、「ありがとう」の言葉を残して旅立っていった......それがとても印象的だった。











    http://obtweb.typepad.jp/obt/2008/06/post-17b0.html

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