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from: 沙羅(Sarah)さん 2013/03/23 22:41:43 icon 記号を記すという時間軸上の行為の問題 
 此処20年近く、少し買い物をしても、必ず「お客様カード造りませんか?」
 と聞かれて辟易したりする。しかも必ず「無料です」と合言葉のように 言われるので、あまり同じ事を繰り返して言うので、「有料だったら 造ってもいいです」と返事して相手の 反応を観てみたりする。
 こういうお客は 大変困るだろうとおもうのは 周知だけど、どこでもかしこも、オームのように同じ顧客カードをつくるという意味を 考えたりする。どちらにしても、そのお店と顧客との、固定化した関係つくりの強化なんでしょうね。ポイントが貯まると 商品が安くなるとか、同系の旅行会社の 飛行機代が無料になるとか、ETC,,,,
 化粧品を一つ買ったそのお店では、いきなり 飛行機チケットが手中できるマイル計算加算のシステムに組み込まされる、、、、
 こういう物質至上主義、「疲れるなぁぁ」と随分前から思っているのです。
 飛行機代でも、料金が安い、高いと判断するのは 大衆の価値観ではなく、お財布出す個人に任せられて意る判断だと思うのだけど、、、、、むしろ、無料でも 飛行機に乗りたい気持ちがあるのか?、ないのか?という基本的な人間の希望や欲望を 聞くべき、自立した個という人間の接し方を考えるべきでしょう?と、わたしなど思いますが、、、とにかく、お店の店員はそのような教育を受けさせられ、どのお客にも同じ事を述べて勧誘しているのでしょうね。
 哲学的な意味を店員と語るつもりは全く無いので、「いいです」と断るしかないのですけどね、、、、
 どうも、安価だから飛行機に乗る、、旅行をする、、、という旅行をさせる、飛行機を使わせるみたいな恣意的な世界観を感じると、、、ニーチェの「善悪の彼岸」を思い出す。
 そういえば、フランス語を習いはじめた頃、知り合いのフランス人が、
 「OOOを買いたいんだ」と言って、一緒に付き合って探していた。
 OOOがどれくらいするのか知らないが、見たら結構値段がはるものだった。
 イヤ!値段がはると、感じるわたしの 価値観の物差しはどこから来てるんだろう?
 知らない物の値段を高い、安いと 判断出来るわけないはずなのだ。
 その人<個人>にとって、高い、安いは、判断できても、大衆の一律判断を 個人に 当てはめる訳にはいかないでしょう。哲学的な意味での人間の善意識とは言えない。
 その 黙っている私の 気持ちを覚ったのか?彼は「il n'y pas de prix」イリニヤパ、デゥ、プリ
 直訳は、「値段は無いんだ」と、フランス語で放つ。
 この 「値段は無い」という表現をフランス人はよくする。
 これを、時々、il n'y pas de prix イリニャパ デゥ プリ<値段は無い>「値段が付いていない」と 訳す邦人の話を聞いて、ドテ!、、
 転げ落ちる時があるのです。
 どうも、解釈にズレを感じるのだけど・・・・。
 そうそう、それで、この顧客カードには、個人の誕生日を記入しなくてはならず、これがくせものである。誕生日近くになると、色々購買欲をそそる情報を与えてくる。いや、お誕生日なのだから、プレゼントをもらえるのは、誕生日本人のはずなのだけど・・・
 いろいろな人間顧客関係造りを維持するために 「貴方の事は忘れてませんよ!」という架空の存在造りに コンピューター機能は一生懸命なのである。
 で、その店員がわたしの誕生日を 覚えているのではなく、<当たり前ですが・・・>
 インプットされたコンピューターが処理しているのである。プレゼントの品も別に欲しいと思わないので、悪いけど、わざわざそれを頂く事だけに 足をそのお店に運ぶという事はないのである。こういうお客が増えると経済破綻国になると思うから、わたしみたいな人間は陸の孤島で暮らすとすごく幸せな生活が暮らせるのではないかしらん?と 家族と話すけど、彼らは黙って返事をしない。黙って返事がない時は、大概、反証できる 何らかの考えが思い当らない時である事も 知っている。つまり同感や同意しざるを得ない時だけ、沈黙という行為に至るらしい。
 それは良いですが、、、
 数日前、友人からメイルが来て、「春分の日、どうしよう?天気悪いから、外で会うのはちょっと無理だから、貴女のうちに遊びに行こうかな?」というメイルが届いた
 わたしは、自分の家から150キロ先の宿でそのメイルを受信したのだ。ハテ?彼女から会わない?と云われ約束した事をすっかり忘れている事に気がついて、こりゃ?大変。明日どうしても、家に帰らないと、、、、と思ったのだ。
 でも、何故?忘れるのかしら???
 何故か、3月は、知人、仕事関係全て、人々の動きが激しく、家に何日か滞在する友人の調整や、わたし達自身も、招待を受けたりまるで、冬の間うずくまっていた、芋虫の如く、春が近づくと、あちこちからお声をかけて頂いたりした。その 調整が必要だったのだ。でも、別に、3週間前に話した会う約束を忘れる事は今までなかった。
 とうとう、老化現象のはじまりかなぁぁ?
 すると、翌日
 「せっかく春分の日に会う事にしたのに会えそうもない、脱臼した肩が動かない、、日にちを延ばさない?」というメイルが春分の日の前日に届いた。
 最初のメイルが届く前まで、移動先の暖炉の前の居心地があまりにもよく、2,3日このまま 滞在延ばしたかったのを、躊躇切り替えて、家にもどって彼女の来客の用意しなければならない、、、「車出せるかしら?」雪がちらついていたのだ。
 すると、翌日、つまり、上記のメイル、せっかく約束したのに、肩の脱臼したところが痛くて会えそうもないの、、というメイルが届いた。
 あぁぁぁ、、、そうだった。
 春分の日に 会う事になっていれば、忘れる事はないであろう。
 何故なら、会うという時間軸途上に生きるのであれば、潜在意識<顕在>から消える事はないのであろう。ところが、せっかく 予定をたてたのに、わたしはすっかり忘れていた。
 いや、忘れていたのではなく、会う事になっていないから、居心地のいい場所の長居、つまり存在する居場所に 存在していたのであろう、、、
 困るなァァ、、こういう 意識だと、、形而下の人達のスケジュールの通り時間軸の通り生きないと、、、、最初の地点、「会いたい、会おう」と云われた地点で、会う日が読めればいいのだけど、、、
 存在するという事は、スケジュールのページを見て、空いてる日にちを選ぶ、という交流って、本当の出会いなのだろうか?良くわからない。- 
  
  
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