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続 哲学〜真理〜探求について

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2013年08月16日 22時47分06秒

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    縁起

    こんにちは
    哲学に興味があるので、NET環境が 身近になってから、色々な哲学や宗教に関するコミュやブログを覗いたり、書き込んでみた。
    それで、気がついた事がある・・・・・
    神秘体験に関しては、 体験者またはその体験に質問する人達・・・の 人格や性格が、陰陽というのか、二つに分かれるのだ。
    問題なのは、他者の体験や思考に関して、すぐに、「貴方の妄想ですね」と判断する、他者への一方通行の判断ばかりをする。
    他者へ妄想と判断する人は、自分自身の考えも、「わたしの妄想かも知れませんが・・・」という事も頻繁に言う。自分が妄想しているかも?と、言う時は、自分自身へ言い訳である事。つまり、自分の妄想かもしれないから、信じないでください・・・という意味合いを、相手や複数他者に述べているのである。
    だから、他者の考えも、妄想であろう<批判する>・・・と安易に判断する地点で、対峙関係を結ぼうとするのである。つまり、相手も自分と同じだと思いこむ。つまり、他者の考えや心情など全く、理解出来ていない・・・というコミュニケートが孤立しているのである。
    哲学分野の広塲で、専門的に対話すると現象学意識が、不在な専門家や知識学者は、顕著な反応があるのでよく分かるのですよね。
    学者や専門家や教育者や宗教者というのは、知識がなによりも、優先する価値あるものと、妄信していますから、どうしても、自分の信じる知識遺産というのでしょうか?自分が肯定する分野の思考の導き方しか出来ないようなのですね・それが、良いとか悪いとか判断しているのではないのに、抽象的な事をこちらが話すと、ナにを意味しているのか?何を言いたいのか?、文脈が理解出来ない、知識人や専門家や学者や教育者がすごく多いと思う。
    それはそれでも良いのです。
    神秘世界の事を語ると、反応が別れるというのは、閉塞的、隠蔽された想念世界の人は、美しいモノという解釈をしない・・・
    むしろ、美しいという言葉は、放たれない。例えば・・・こうである。
    哲学を語る分野は、心理学、精神分析分野と非常に重なる分野が多いのです。ですので、ある哲学教授が管理するコミュを 見ても、時々「あぁぁ、、この人、危ないなァァ」という感じを受ける人達をよくみかける。つまり閉塞性が漂い。何かに妄信していて、すごく真面目で、忍従意識を美化したがり、迎合意識が強い・・・柔軟性の思考に欠ける、決して表向きは争わないという姿勢を頑なに守る、しかも「争うな!」という言葉を、仏陀が述べる・・・というセンテンスに、執着し平和を愛する人間です・・・という自己にマインドコントロールかけているような感じも受ける。
    そのような通常倫理概念と ある宗教や信仰を結びつけるのですが・・・現存する信仰や宗教は大概、倫理的で道徳的です。
    なにも、ひとつの宗派だけの特別な 善意識ではないでしょう。そのような事をコメントする人に、説いたりしながら、知識人のイメージを崩さない・・・・しかし、私には、記号の表面から夥しい、邪念の空気が漂うのを観じてしまうのである。そういう事は言いませんが・・・・この精神病や心理的に病いを持つ人達の反応は、神秘体験にしても、事後効果が全然ちがう。
    益々病的に落ちる、常連コメント人たちにもドンドン、普遍性のなさ、閉塞性を浸透化させてゆくので、数年の途上の書き込みをみていても、書き込む内容の質、低レベルに下降しているのが顕著なのである。
    これで、どうのように社会や一般人と感情コミュニケートするのでしょうか?・・・と思う。ただ、このような層で、呼応している人達をただ精神病ということで片づけられるかというと、それもむずかしいのです。
    ・・・精神分裂病や、アルコール中毒、薬物中毒などの場合、幻覚、幻聴はよくあるでしょう。しかし、その内容をくらべてみると、明白なちがいがあります。・・・その内容はだいたいにおいて妄想的であり、ネガティブなものです。
    しかし、同じ、神秘体験や、臨死体験の場合は、内容が美しく、心安まるものであり、愛と喜びに満ちあふれ、とにかく素晴らしい体験といわずにはいられないものです。
    それはあるゆる面においてポジティブな体験なのです。だから、事後効果がぜんぜんちがいます。
    精神病の幻覚の場合は、患者の精神症状をより一層悪化させるものであるのに対し、臨死体験の場合は、体験者により一層生きる喜びと活力を与えます。精神病の錯覚や妄想、幻覚と臨死体験におけるイメージ体験は、全く別のカテゴリーに属するもの。
    この全く別のカテゴリー・・・という事は、どういう事か?というと、
    精神病やなんらかの病いを引き起こすという事は、体験、幻聴、幻覚を、憑依されるからそのように、見させてる、体験させられてる、・・・・・という風に、スピリチュヱリストとが語る事の内容と、科学的に精神医学的な分析を 重ねると、一致するのですよね。
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from: 沙羅(Sarah)さん

2013年08月21日 16時26分31秒

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人知を超える次元が存在するという事を、体験する事、なんらかの神秘体験を信仰があるなしに関わらず、年齢が高い低いに関わらず、どこの国に住もう が、教育を受ける受けないに関わらず、本人が意識する、意識しないに関わらず、否応なしに体験させられる・・・・

そのような、神秘体験を語る人達の言説で、死後何百年も語られ続け、存在し 普遍性が染みとおるような世界で、存在し続ける・・・・これを普遍性というのでしょうと思います。

つまり、目の前の生きている知識人が、新聞やテレビでなんとなく 名前が売れている知識人や 文化人は、同時代を生きる 同時代の人間の思考や嗜好を十分に熟知し把握しているのでしょう。相手をあるいは、自分を納得させる為に 知識レベルの高い知識を述べながら、その時だけの 普遍化を 狙っているような存在でいるらしいのですが・・・・・

本当の哲学での存在するという意味は時間の超越でしょうと思います、死後、300年も400年も経ってからの検証に入る・・・という所謂、ヴァチカンで行われている聖人の 列聖の検証であったり、あるいは、歴史的人物であり、その時代に存在した意味ある偉大な政治家や文化人や芸術人、哲学人の亡骸が、何百年後かに、パンテオンに 移動させるという、審査もありますが・・・・・
結局、時間の存在の重さと、その人間が、その時代を生きた・・という意味の重さを、感じとる、そして 何千年後かに引き継ぐ 志を、わたし達は、途上の存在として、その時代に生かされているという意味なのですから、途上で、新聞の人気投票とか テレビの視聴率とか・・・・ あまり、関係ない 普遍性のない事をしていると思うのですよね。死後に、後世代に その志を受け継いでいくという行動も、自分で自覚してる自覚できない事もあるようなのです。
世界の事象を読み取る力があっても、昨今は大変難しい時代に突入したと思います。

コミュニケート能力がなければ、崇高な考えや意識は伝えにくいし、ヴィトゲンシュタインの 言葉<論理哲学論考>の通り、自己の世界の限界は、自分の話す言語の限界である
つまり、『世界がわたしの世界であることは、わたしが理解する唯一の言語の限界が、わたしのの世界の限界を意味することに示されている』

という事で、密教の宇宙観の実践にも繫がると思うのですね。





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from: yeshangさん

2013年08月18日 22時57分38秒

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近くは戦争で、原爆で、伊勢湾台風、東日本大震災などなどで、なんでこんなにも老若男女が命を落とさねばならなかったのだろうか?
 何の罪や罰があったのだろうか?  どんな因果なのか?

 非常な疑問です。それを心霊的に予知したとしてもそれがなんなのか・・ 起きた後では非常な悔みが残るばかりです。
 たまたま、生き残って今あるのは、どのような意味があるのか?

 本当に真剣に考えずにはいられません。

 大宇宙は何を考えているのだろうか? 生きてきて、この世でなせることはなになのか?

 ただ思うに、この世では自利利他の菩薩道を心がけるのが生きている者の生きる道に思えるのです。

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