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  • from: 生成門さん

    2014年10月20日 07時57分31秒

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    内観法における人称認識と存在の交換関係

    内観法における人称認識と存在の交換関係

    内観法は一人称の認識でありながら二人称の存在を前提とする存在論です。何故かというと、内観するには対象が必要だからです。対象とは対話の相棒であり二人称です。これを量子過程まで拡張したのが松野氏の内観法です。物体を相互作用する主体=存在を認めるというのはこれまでの科学にはない発想です。ですから内観法が科学だと言えるのかどうかはその物語がどう展開するかにかかっています。科学は客観であり、内観は主観だからです。客観=三人称と主観=一人称という二元論をどう超克するのかということが問題となります。

    量子に主体性を認め量子同志が対話をしているというのはなかなかなじみにくいのですが、ライプニッツのモナドを思い出せばそう特別な概念ではありません。モナドは単子(一)であり自ら動くという性質を持っているのです。内観法の認識の主体と対象は分離不可能な対ですから単子(一)です。ですから内観法の対はモナドと同型と言って良いでしょう。陰陽論の陰陽対は一元気の太極(一)ですから一元論です。プラトンを受け継いだプロティノスは二元論を超克するためにルーツを一者としてそこからすべてが流出するとしました。

    人称認識を語るときに、単純に一人称、二人称、三人称という具合に割り切って語れるものではありません。一人称の私というときには既に他者の存在を前提にしていますし、私の中にも別の私(他者)が存在しています。ですから認識を語るときに存在を意識しなければ成り立たないことが分かります。ですから内観法は認識論である前に存在論なのです。このことを踏まえた上で内観法を見て行くと、二人称(相棒)の存在が重要になってきます。何故なら内観とは相互作用の事ですから、相棒がいないことには始まらないのです。内観を停止すると三人称になり、評論家になります。また内観を再開するときにその第三者の知を利用することができます。このように認識と存在は内観の両輪なのですね。存在と認識は人称関係を交差・交換して自己回帰的に循環するのです。その様子を黄金比によるフラクタル分割の螺旋運動として可視化したのです。言い換えると内観法は生成方程式の時間展開ということになります。

    以下、内観法における人称認識と存在の交換関係を呟いたものです。ご賞味ください。

    2014年10月18日(土)1 tweetsource
    10月18日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生態観察は一人称であるがその相棒は生態系である。そしてその記録は生体の行動である。ところが相棒たちもまた内部観測者である。彼らは互いに会話をしたりして相互作用している。そこに研究者は内観者として参加するのである。だから内観をしているのを観察する内観とも言える。
    posted at 09:13:04

    2014年10月01日(水)2 tweetssource
    10月1日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    人間は一人称=内部観測で生きる。
    それは外部観測を時間発展させて内部観測とすることで為す。
    それが
    Xn+1=Ft(Xn)
    であり、これは極限ではX∞=Ft(X∞)だから
    矛盾であるが時間発展させて
    Xn+1=Ft+1(Xn)
    として矛盾を先送りしている。
    posted at 09:23:27

    10月1日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    自己言及の矛盾は外部観測をすることで起きる。 外部観測を三人称=客観、内部観測を一人称=主観とすると分かり易いかもしれない。二人称は対話であるが、一人称と三人称を繋ぐ認識の有り様である。二人称は間の主観であるから間主観性である。人間はこのすべてを使って生きている。
    posted at 09:03:32

    2014年09月27日(土)1 tweetsource
    9月27日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測とは研究ないし探究的態度のことである。西田幾多郎の行為的実践=現在進行形である。無常である。一人称の主観と三人称の客観を媒介する二人称の認識=間主観である。だから関数型言語による右脳思考である。
    posted at 08:46:58

    2014年09月26日(金)1 tweetsource
    9月26日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    郡司氏の内部観測という方法は極めて難しい。何故難しいかというと我々が外部観測に慣れてしまっているからである。禅の内観法である。これが科学になるかという問題である。内観とは一人称である。科学は三人称である。だからこれを繋ぐ必要がある。それが哲学なのだろうか。
    posted at 08:59:47

    2014年09月20日(土)1 tweetsource
    9月20日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    命令型は外部観測者を前提とする。しかし、関数型言語は内部観測者の世界である。一人称=主観から延長した間主観の世界である。関数型言語ではどのようにして外部とやりとりするのだろうか。普通にやっていたら命令型になってしまう。そこで登場するのがMonad=モナドである。
    posted at 09:27:37

    2014年09月16日(火)2 tweetssource
    9月16日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    人間は内部観測者=一人称でありながら外部の観測者=三人称の認識が可能となったただ一つの生命である。三人称の認識とは、記号過程の外に出たのである。
    外部の観測者(内部観測者の解釈:原因⇒結果の観測者)である。これが左脳の認識である。
    posted at 16:11:11

    9月16日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    パースの記号過程、観測者の解釈:原因⇒結果の観測者とは主体である。その主体は内部観測者=一人称=主観である。古代人が化粧をしたのは象徴思考であるが、その意味が集団の中で共有できていたのである。一人称から二人称へ拡大して共同主観=間主観となったのである。しかしまだ三人称ではない。
    posted at 15:57:11

    2014年09月08日(月)1 tweetsource
    9月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    ライプニッツは内部観測論=一人称として宇宙を見ていたのである。内部に宇宙が実現していたのである。だから窓から外を見る必要がないのである。外の支配者からの影響を受けないのである。モナドとして自立しているのである。だとするとMonadが窓でないとすると何だろうか。しかし外がある。
    posted at 09:24:00

    2014年09月06日(土)1 tweetsource
    9月6日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    瞑想は内観法=内部観測、科学は外観法=外部観測。科学は本来三人称である。量子論は内観法を取れた一人称の科学である。芸術も三人称(写実)から一人称(印象、抽象)に変容した。三人称の極限は神であるが神にはなれないから不完全である。一人称の認識は場に限定されるから不完全である。
    posted at 10:26:47

    2014年04月17日(木)3 tweetssource
    4月17日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    「月を見る」そして「月は丸い」と言う。それは一人称の内部観測のライブだ。現在進行形の体験である。ところがそれを主観的か客観的かと問う。その「問う」ということが問題の発端である。生で見たものを想起するのだ。それが反省だ。見ていることを見る。三人称の外部観測だ。その後の話なのだ。
    posted at 08:56:17

    4月17日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    Nの暗号を解読する。その鍵は純粋の経験にある。純粋とは原初的な認識に態度であり、一人称=内部観測者の位置である。何故そうしなければならないのか。禅の目的は不安解消にある。その不安=阻害の原因が主客二元論にある。それを乗り越える方法が主客一元論=純粋の経験=一人称となる。
    posted at 07:33:51

    4月17日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    Nの純粋経験という概念(武器)は内部観測者=一人称の視点で禅=善=悟を探求するという宣言だ。決して、外部観測者になってはならない。
    posted at 07:28:21

    2014年04月03日(木)2 tweetssource
    4月3日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    自分の独立、対象に支配されないようにするためには対象と密接不可分の関係になるしかない。自分を()に入れてはならない。これを可能とするのは一人称=内部観測の視点しかない。主体と対象の不可分の関係とはそれと一体になることである。
    posted at 14:30:54

    4月3日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    三人称の反対が芸術=主観=内部観測=一人称である。内部観測論は物理が御法度としてきた一人称の認識を持ち込んだのだ。これは物理=唯物という構図を破ったということだ。ライプニッツはこれを見透かしたようにモナドは一人称から心を定義したのだと考えてみよう。
    posted at 14:04:21

    2014年04月02日(水)2 tweetssource
    4月2日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    どんな心も相互に作用しないなら会話なんか成り立たない。何故、モナドは独立しているのだろうか。モナドは単体であると言うが内部はどうなっているのだろうか。内部観測論は一人称である。しかし本当に一人称なのだろうか。主体と対象が分離不可能になっているのが一体=一人称である。
    posted at 11:26:51

    4月2日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    ライプニッツのモナドは一人称の心のモデルだとすると理解しやすい。三人称なら確かに外部の対象に依存している。それは第三者のの認識かも知れない。一人称なら内部観測者として直接に関わっているのだから誰かの認識とは無関係であり独立している。
    posted at 10:49:11

    2014年03月30日(日)1 tweetsource
    3月30日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    量子論で観測者という問題が起きたことからそれを批判する目的で内部観測論が出て来たがまだまだ。一人称と三人称に間で葛藤しているような有様だ。一人称の哲学や物理や数学が存在しうるかどうかは疑問である。

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  • from: 生成門さん

    2014年10月20日 06時53分02秒

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    N次製作は生成方程式(内観法)の時間展開である

    N次製作は生成方程式(内観法)の時間展開である

    四次元能の内観法は、自己の中に他者を取り込み自己を他者化する悟りの方程式の実践です。郡司氏の生命の定義(ルーツ・ルール・チェンジ)に従うと、

    φ=1+1/φ

    は、生命の条件を満たす述語を頭につけて〇〇方程式と呼んでもいいということになります。例えば、生命・生成・システム・編集方程式という具合です。


    四次元能のEVA(思考の仮想兵器)に組み込まれたモナドックスロジー(概念装置)は以下の通りです。

    <概念装置>
    PS理論:海舌氏・・・森羅万象を解明する
    太極PS陰陽論:Resurrection氏・・・同上

    この二つはイデア優位論であり、他の概念装置の欠落部分を逆照射することで不足を補完することができる万能型です。

    内観法:松野氏・・・主観を科学に取り込む。相互作用を土台として物質過程から生命が創発するというスタンスなのでイデア主義ではありませんが、それをPS理論で救済するとイデア論的内観法に変身できます。

    S科学:佐野博士・・・内観法と同相、ただし、相互作用=作用反作用として数学的に定義している。反エントロピーの立場だからイデア主義です。

    悟りの方程式=気の生成方程式
    φ=1+1/φ

    これは黄金比を求める式です。これを悟りの方程式としたのは岩本氏の意識の森の恋人達からのヒントです。

    ここでは生成方程式:φ=1+1/φの応用例としてN次製作の呟きを取り上げます。N次製作の呟きは内部観測ですが、ブログに持ってくると外部観測になります。その外部観測を新たな内部観測(ブログ)するという再帰構造が見られるでしょう。

    ツイッターで呟く(内観法)⇒ブログで引用する(外観法)⇒ブログを見る(内観法)

    以下、ご賞味下さい。

    posted at 09:10:07

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    著作権フリーのN次製作は黄金比によるフラクタル分割であり、内部観測運動である。イデア由来の黄金比は物質現象しか現われないのではないかということは言えなくなった。N次製作は形の見えない精神活動現象である。それが黄金比に向かって収斂することが分かったことは大きい。
    posted at 09:06:56

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    N次製作は著作権フリーであることが前提である。著作権は資本主義の前提である。だから著作権は所有の主張だからモダンの自我である。著作権フリーにすると私は他者に引用され他者になるからトランスモダンとなる。
    これが悟りの方程式:φ=1+1/φで証明された。
    posted at 09:00:57

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    N次製作は私は他者に引用され他者になる。
    悟りの方程式:φ=1+1/φを
    φn+1=1+1/φn
    とする。
    この式は連分数で入れ子になるから
    極限では
    φ=1+1/φ
    となる。
    変形すると
    φ-1/φ=1
    (他者+私)-私=他者
    引用の連鎖を無限に続けると私はすっかり他者になる。
    posted at 08:56:52

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    G生命=生成(ルーツ・秩序・変化)をN次製作に適用すると、著作権フリーのオリジネータ=ルーツが存在する。N次製作というルールがある。新しい作品を創造するのだから変化がある。従ってN次製作は生命である。言い換えるとN次製作者は内部観測者である。

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  • from: 生成門さん

    2014年10月19日 08時54分07秒

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    フラクタル内観法の実践

    フラクタル内観法の実践



    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    G生命=生成(ルーツ・秩序・変化)をN次製作に適用すると、著作権フリーのオリジネータ=ルーツが存在する。N次製作というルールがある。新しい作品を創造するのだから変化がある。従ってN次製作は生命である。言い換えるとN次製作者は内部観測者である。
    posted at 08:40:41

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    G(郡司氏)の生命は生成(ルーツ・秩序・変化)である。この定義で初音ミクのN次製作を吟味してみよう。N次製作とはボーカロイドに歌わせたい著作権フリーのオリジナルを引用して次の作品を生成することである。この連鎖がN次の繋がる。N=∞とすると黄金比になる。
    posted at 08:35:47

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測に戻ろう。
    posted at 08:18:41

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測の矛盾の先延ばしの話が関数型に飛んでしまったが、先送り=怠慢=必要ときに実践するという構造が似ているからである。
    posted at 08:18:15

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    ピュア関数が関数である。園児の玉を数える方法は一気計算である。一気に計算するためには子供周りに置く必要がある。これはエクセルのセルの事である。セルをたくさん用意して追えばΣ関数を使って一気に計算できる。またこのセルの参照をしておけば、芋蔓式に計算を反映させることができる。
    posted at 08:16:06

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    自動販売機は命令型である。しかし入れたらポンとでる関数のように見える。だから疑似関数である。本当の関数はピュア関数と呼ばれる。関数型言語の関数とは純粋な関数である。純粋とは純粋な数学的なという意味である。
    posted at 08:11:44

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    関数は入れたらポンと出る自動販売機である。しかしこの譬えは正しくない。自販機はお金を入れたらジュースなどが出る。y=f(x)である。しかし自販機の内部を見ると機械仕掛けがあり、何かをやったら次に何かをやるというように手順化されフローで支配されている。このような特徴が命令型である。
    posted at 08:08:45

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    関数型では前もって無限を計算する関数を宣言して置き、必要になったら関数を呼び出して実行させるのである。実際には無限は計算はできないから有限でやるが、無限に近い数ならいくらでも良い。つまり汎用性がある。関数とは入れたらポンと出る自動販売機である。しかし、このメタファは正しくない。
    posted at 08:03:48

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    幼稚園の玉入れ競争を早く数える方法は一気計算である。これに似ているのが関数型の遅延評価である。必要になったら一気に数えるのである。数えるのは関数である。この場合、数える数が少ないから問題はないが多くなったどうなるのかである。それは前もって無限を計算する関数を宣言しておくのである。
    posted at 07:57:03

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    幼稚園の玉入れ競争を早く数える方法を思考実験してみよう。先ず、先生は園児の番号札を持たせる。次に番号に順に籠の周りに園児を囲ませる。そして一斉に球を一人一個掴ませる。そして最後の園児の番号札を読み上げさせる。その番号が玉の数である。これは一気計算である。
    posted at 07:52:49

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    命令がは時間がかかり、関数型は時間がかからない。これをうまく説明するのが難しい。そこで幼稚園の玉入れ競争で説明してみよう。先生が球入れから球を一個づつ取り出して数える。この方法では時間がかかる。この時間は園児には楽しみだけど。それはともかくとして早く数える方法はないだろうか。
    posted at 07:47:55

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    コンピュータは数値計算の世界だからデータが増えて来るといくら計算速度が速いといっても何日もかかる計算となる。だからスーパーコンピュータが必要になる。しかしいくらSCでも命令型で計算していては不可能なのが無限に近いループが入るときである。この難関を突破するのが関数型である。
    posted at 07:43:07

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    コンピュータの世界は電子の世界だから計算速度は無視できると言ったがこれも嘘である。例えば、フィボナッチ比を命令型で計算しようつすると入れ子になっているのでFn/Fn+1のnが増えて行くと計算回数がうなぎ登りに増えていくので時間が膨大になる。フリーズしないまでも反応はなくなる。
    posted at 07:36:41

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    遅延評価のcall-by-needは本当の受注型である。ではリードタイムはどうするのか。ほぼゼロである。だから作り置きする必要がない。この違いはどこから来るのだろうか。それはJITは物の世界で、遅延評価はコンピュータの世界である。電子の世界だから速度は無視できる。
    posted at 07:33:05

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    遅延評価のcall-by-needとjust in timeは本質的に違う。JITは要求があった時に作っていては間に合わない。つまりリードタイムを考慮しなければならないのである。だから作り置きしておく。仕掛し段取りをよくすることで効率が良くなる。これが命令型言語世界の考えだ。
    posted at 07:29:04

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    遅延評価のcall-by-needはトヨタかんばん方式の似ている様だが違う。just in timeは必要な時に供給するである。本当に必要な時に作っていたら間に合わない。蕎麦屋に行って注文してもいつまでたっても出てこない時、今頃鳥をさばいているんだよといって揶揄する。
    posted at 07:24:54

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測は矛盾を後に伸ばす。それと関数型言語の遅延評価は似ている。lazy は怠慢、無精、evaluationは評価=実行であるが「すぐやる課」の反対である。call-by-needは「必要な時に呼び出す」である。この方が分かりやすい。何故必要な時に呼び出すのが怠慢なのだろうか。
    posted at 07:21:17

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測のいやなことは後回しにするのである。怠け者のやり方はコンピュータの世界でも現れた。それが関数型言語の特徴である遅延評価(lazy evaluation、call-by-need)である。遅延して評価、つまり、後回しにして計算する。これだけだと意味が不明である。
    posted at 07:13:22

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測は外部観測では解決できない矛盾を内部を仮の全体として時間を発展させて矛盾が起きるのを先にばす。つまり、いやなことは後回しにするのである。怠け者のやり方である。人間的である。
    posted at 07:08:20

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    外部観測は対象の全部を知るということを前提とする科学である。しかし、全部を一気に知ることはできない。そこで全体と部分のパラドックスが起きる。科学はこの問題を解決できない。そこで内部観測となる。内部観測は内部を仮の全体として時間を発展させて矛盾が起きるのを先にばす戦略を取る。
    posted at 07:06:27

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測の相互作用は観測者が内部になってしまうから外との相互作用はなくなる。しかし、内部観測の外がないというのは嘘である。この内外という概念が最大の問題となる。内外を決めることは境界を引くことである。この境界は仮である。しかし内部を全体とすると真正の全体との間に齟齬が生じる。
    posted at 07:00:04

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測論はライプニッツのモナドと相性が良い。モナドは窓がなく相互作用がなく互いに写しあい予定調和し、自律して動くというものだ。内部観測=相互作用と齟齬があるように見えるがそうではない。モナドの相互作用はモナド同士の事である。内部観測は外がないのだから外と相互作用がしようがない。
    posted at 06:55:01

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    郡司氏も又内部観測論者であるが、こちらは生命の定義から入っている。それによると生命とは生成であり、生成とはルーツがあり、秩序があり、変化があることとなっている。松野氏と同様物質にとどまって生体を使って創発の仕組みを探求しようとしている。でもやはり最後は確率を持ち込むようである。
    posted at 06:48:17

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    S科学の動的作用反作用F1*v1=-F2*v2は物理現象だけにとどまるものではない。森羅万象に効く。だからPS理論と同じ次元にある。PS理論は陰陽哲学である。S科学はルーツは物理であるがイデア界まで届く可能性が高い。仮に届かないとしてもPS理論を媒介すると届く可能性が高い。
    posted at 06:37:19

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    S科学は公理としての動的作用反作用F1*v1=-F2*v2を採用して始める。内部観測は対象の内容が不明なのだからその法則を発見しなければならない立場である。人生の生き方を宗教に委ねるか、自分で発見するかの違いである。公理から始めるのは簡単であるがその代りトンデモになる可能もある。
    posted at 06:31:40

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測論の耐震強化工事は後回しにして、何故確率論を持ち込まなければならないのかの理由を探求しておこう。それには理由があるはずである。先回りして言うと相互作用は作用反作用であるがそれが不明だからである。S科学の様に天下り的にF1*v1=-F2*v2とやるわけにはいかないのである。
    posted at 06:24:54

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測論の欠点を補うのは確率は取り入れていないS科学である。その代り決定論である。しかし機械的は決定論ではない。決定論的非決定論である。矛盾した言い方になるが、実在するフラクタル構造はそうなのである。正確に言うと決定論的非線型カオスである。
    posted at 06:19:29

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測は素晴らしい概念装置である。しかし確率を取り入れたとことで限界が見えてしまった。これを否定するのは簡単であるが、それでは内部の留まる良さまで失う。そこで否定するのではなく耐震強化することにしよう。その為の武器がS科学である。
    posted at 06:15:42

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測は内部に留まる行為者でありながら確率統計が入る。これはがっかりである。もっとも松野氏はれっきとした科学者だからその権威的パラダイムから出ることは許されない。まさか非科学と呼ばれるイデアを持ってくることはできない。それができるのは既知外(枠の外)の人(佐野博士)だけである。
    posted at 06:10:10

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測とは内部に留まる行為者である。内観する行為は相互作用である。作用反作用である。内部観測論に於いて問題となるのは観測(経験)したことを報告するときである。報告は第三者の対して行うものである。すると外部に対しての報告となる。つまり、客観性が重視される。ここで確率統計が入る。
    posted at 06:06:00

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    野氏の内部観測論:代名詞の効用
    http://phsc.jp/dat/rsm/20071031_3.pdf...
    内部観者を拡張するとすべての者=物となる。物体=体であるから観測体となる。量子一個も観測体となり得る。生活者は内部観測者である。特に主婦はそうである。
    posted at 05:56:34

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    松野氏の内部観測論:代名詞の効用
    http://phsc.jp/dat/rsm/20071031_3.pdf...
    内部観測とは現在進行形の生きる行為でありその行為は止まらない。人生は生きることを続ける。観測を止めることは死ぬ時である。生きている時でも観測を止めるときはある。それはその行為の打ち切りである。

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  • from: 生成門さん

    2014年10月19日 08時52分25秒

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    内観法を内観する

    内観法を内観する
    <内観法=内部観測>


    内観法とは外観法に対峙するものです。科学は外観法を使います。つまり、対象と科学者は完全に分離されているのです。外観法は科学だけでなく、一般に認識する主体が客観的に物事を観察し説明するスタンスです。分かりやすく言えば、第三者、三人称の認識方法と言って良いでしょう。これに対して、一人称の当為者の主観的な観察で説明するスタンスが内観法です。人間はこの二つの方法をうまく使い分けて、生きています。科学は外観法を重視しそれに特化しています。それは研究者の恣意的な主観を排除するためです。科学が主観的なら神秘主義と何ら変わりがありませんよね。

    ところが科学の舞台にこの内観法が登場したのです。何故でしょうか。それは生命のような物質でもあり精神でもあるような特殊な現象に対して科学的なアプローチを試みても拉致があかないことが明確になった来たからです。限界が見えて来たと言って良いでしょう。対象と観測者を完全分離するというスタンスは対岸の火事を見るようなものですから、決して生の火事を見ている訳ではないのですね。ですからどうしても抜け落ちてしまう部分があるのです。特に生命は身体をいくら丁寧に解剖しても命という実体は逃げてしまうのです。精神的身体という生命に対して物質だけを扱う外観法に依存していることに根源的な問題があるのです。科学は心を対象にしないのですから当たり前と言えば当たり前です。しかし、最近はコンピュータの進化したことで人工知能の研究もより深みが増してきました。

    しかし、人間の知性を人工的に置き換えることはできないという悲観的な意見の方が多いようです。知的なもの(もどき)で良いならこのアプローチも役には立つでしょうが、感性や理性となるともは手の届くものではありません。

    そこでなんとか生命を丸かじりする方法はないのかということになります。一滴も取り逃がすことなく納める方法です。それは人間の生き様そのものです。生きていることをそのまま掴むのです。対岸の火事ではなく、渦中に飛び込むのです。内部に留まり内部から外へ出る方法です。そしてまた内部に潜入するのです。潜入捜査のようなものですね。それが内観法です。

    内観法と言えば、只管座禅の瞑想を連想しますね。確かに瞑想は内観です。ですから内観法を説明するには良いモデルです。その意味で主観的スタンスをとる宗教や芸術は皆、内観法です。只、瞑想は対象が自分自身だということです。自分以外の何かを対象とするのではなく、あくまで対象は自分です。しかし、対象と自分を分離しなで観察するという点では一致しています。だから精神的な分野は全て内観法を使っているといって良いでしょう。外観法を使う科学者でも研究しているときは内観しています。数学をしている数学者も説明している時以外は内観しています。このように内観法は巷にあふれているのです。

    そこでこの内観法を外観法の弱点である生命探究に活用しようという発想が生まれてきたのです。それが内部観測論です。内部観測論のオリジネータは松野氏ですが、四次元能もこれを参考にして内部(心)を観測して見ることにしましょう。

    四次元能の内観法は、自己の中に他者と取り込み自己を他者化することです。それを式で表現すると

    φ=1+1/φ

    となります。

    これを悟りの方程式と読んだりしています。この式を時間発展させると、極限でφ=1.618という黄金比になります。つまり、自己は他者になるということは無我状態になる事を意味します。つまり、無我=悟りです。この式の時間発展はフィボナッチ数列の比を取った黄金比によるフラクタル分割=螺旋運動になります。フラクタル構造は物質世界では沢山現象として散見できますが、精神世界では形がないので見ることができません。しかし、この式を悟りの方程式お看做すと悟りを得る過程が可視化できたということです。

    この式は物質も精神現象もイデア由来と見る四次元能にとってはとても重要な概念装置です。四次元能はモナドックスロジーという概念装置搭載のEVA(思考の仮想兵器)をつくろうとしているのですが、ここでまたいくつかの概念装置の組み込みに成功したようです。

    そのいくつかリストしておきましょう。

    <概念装置>
    PS理論:海舌氏・・・森羅万象を解明する
    太極PS陰陽論:Resurrection氏・・・同上

    この二つはイデア優位論であり、他の概念装置の欠落部分を逆照射することで不足を補完することができる万能型です。

    内観法:松野氏・・・主観を科学に取り込む。相互作用を土台として物質過程から生命が創発するというスタンスなのでイデア主義ではありませんが、それをPS理論で救済するとイデア論的内観法に変身できます。


    S科学:佐野博士・・・内観法と同相、ただし、相互作用=作用反作用として数学的に定義している。反エントロピーの立場だからイデア主義です。

    悟りの方程式=気の生成方程式
    φ=1+1/φ

    これは黄金比を求める式です。これを悟りの方程式としたのは岩本氏の意識の森の恋人達をヒントにしました。

    これらを駆使してツイッターで呟いています。ツイッターで呟くこと自体がフラクタル内観法の実践であり、悟りの方程式=気の生成方程式:φ=1+1/φの時間発展になります。以下をご賞味ください。


    2014年10月14日(火)62 tweetssource
    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    指示代名詞と普通名詞(クラス)の関係はミクロの世界の内部観測=行為を説明する道具になる。
    posted at 11:44:21

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    具体的な個別商品と売り場の関係は代名詞と普通名詞(クラス)の関係である。新しい商品が開発されるとどのクラスに入れるべきかで議論になる。クラスは売り場を決める。顧客のニーズとマッチしていないと個客は売り場に行っても商品がないから売れない。簀の子のケースはその例である。
    posted at 11:42:14

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    ホームセンターで「簀の子はどこの売り場ですか」と聞くと、困ったことになる。店員は風呂場関連と答えるかも知れない。しかし、そこでは売っていない。風呂場では簀の子を使わなくなってきたからである。置いてあるのは押入れなど関連売り場である。簀の子のクラスが変更になったのである。
    posted at 11:37:26

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    AKBを識別するためにメンバーの固有名詞又はそれを示す代名詞は必要ない。
    スーパーで買い物をする時にこのペンはどこの売り場にありますか、とは言わない。「ペンはどの売場ですか」と聞くはずだ。すると店員は「文具売り場です」と答えるだろう。
    posted at 11:28:29

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    グループ化された集合(クラス)は普通名詞(木や森など)で認識される。従って、可算(数えられる)かつ不変(変化しない)離散的な物質現象は普通名詞で識別される。AKBはメンバーを数えられ、且つ、AKBはメンバーの入れ替えがあっても不変である。AKBは普通名詞である。
    posted at 11:21:07

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    あるまとまった離散値をもつ運動はグループ化できる。
    posted at 11:12:17

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    量子の離散的振る舞いはある時間持続するから連続すると考えて良い。この場合の連続は実数の連続とは異なる。離艦的な運動が持続する意味である。蝶の動きは離散的である。しかし、連続している。実数の連続と間違えるので因果的持続、ないし、時間的変化とした方が良いかもしれない。
    posted at 11:09:15

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    量子は離散的に振る舞う能動体=行為者である。その離散値は内部由来である。内部とはガウス平面の単位円の内部である。だからMPを含む。離散的な振る舞うの原因が外部からだとしても、自発的であることには変わりがないから内部由来と考えても良い。
    posted at 11:01:44

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    松野氏のミクロの内部観測の進行形と完了の関係がいまいち分からないが、先へ進もう。
    posted at 10:54:48

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    量子の振る舞いは離散値で行われ運動である。その運動は現在進行形の渦中にあって完了するという形で示される。進行しながら完了するというのはどういうことだろう。人間系なら朝起きて夜寝るという一区切りがあるし、昼間だってコーヒーブレークもある。しかし、核を廻る電子には休みなどない。
    posted at 10:53:45

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    離散値の数学を取り入れるということは連続値の実数を捨てることを意味し、更に、連続の微分積分を捨てることを意味する。その代わりに差分和分を使う。連続の数学を捨てるということは量子過程に連続性を持ち込んだ量子論を否定することになる。
    posted at 10:46:58

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    S科学では離散値こそが命である。離散値を取るということは、連続の実数を捨てるということである。内部観測論は従来の数学では生命を表現するのは現在の数学では物足りないと言って、新しい数学を構築する方向に向かっているがその前に離散値に数学を取り入れるべきである。
    posted at 10:42:59

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測が離散値をとる量子の振る舞いを基盤としていることは大きな救いである。
    posted at 10:39:14

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測は量子に依存する運動である。その内部は離散値である。内部をガウス平面とすると中心にMPがある。ここに離散値を基盤とするS科学と気を取り込むPS理論に接続できる可能性が見いだせる。
    posted at 10:37:34

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測の基盤は物質現象にありイデアは関係しない。物質現象の基盤は量子の振る舞いにある。この物質とはS科学で言う正の質量の物質である。だからイデア由来の気も関与してこない。これは内部観測の限界を示す。量子の振る舞いは内部の離散値に由来する。ここに内部観測を救う道がありそうである。
    posted at 10:33:29

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生起する事象と実数の割り当ては可能なのだろうか。
    posted at 10:00:58

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    ちゃんと確率を計算するためには何が起きるのかを知っていなくてはならない。その上でどれがどのぐらいの割合で選択されるのかを計算しなければならない。どのようにすべての生起する事象を知ることできるのだろうか。それは数えることができなければならない。それには実数を与えることになる。
    posted at 09:57:59

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    未來の予測、予言は内部観測だろうか。どうもハッキリしない。
    posted at 09:51:20

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    競馬を考えてみよう。競馬の予想屋はどの馬が勝ちそうかを予想する。データを分析する。馬や馬場の状態を実際に見る。これならまだ内部観測である。しかし、そこから確率に変換する。予想屋の確率だから主観である。単にあの馬が勝ちそうだと言っているだけだ。当てずっぽうかも知れない。
    posted at 09:49:19

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    松野氏は能動体(原子や分子)の振る舞いを確率で表現するという。それがどうして内部観測なのだろうか。
    posted at 09:41:58

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    能動体が未知との遭遇でどのように決定するのかを研究者はどのように知るのかという問題が浮き彫りになる。加速器を使って粒子を衝突させることはできない。何故なら、それは諸に内部に干渉するからである。外部観測者による破壊である。
    posted at 09:40:15

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測状態にある環境に観測者(この場合は実験研究者)が入る場合は、能動体はこの観測体に対して能動性と受動性を持つ。
    posted at 09:34:54

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    観測体は絶えず未知と遭遇する。その状況で能動的に選択し決定する。その選択は観測体によって異なる。個性があるのである。その意味で能動観測体=能動体といっても良い。能動体は個々の原子であり、分子であり、どの励起状態になるかを自らが決めるのである。
    posted at 09:31:46

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測者というと人間が前提になっている様な誤解を与える。内部観測論は物質でも良いのである。物質があたかも意思をもって選択するかのように振る舞うのである。つまり自発的に動くというライプニッツのモナドである。内部=モナドであり、観測するのは物である。だから今後は観測体と言う。
    posted at 09:24:29

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測者が置かれている状況は先が読めないということである。S科学との違いはここである。S科学は相互作用を数式でバッシッ!と決めていることである。陰陽論は易経で占うがサイコロを振る。ここが大きな違いだ。松野氏も確率を持ち込むから易経と同じである。違いは数学を使うことである。
    posted at 09:17:45

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    松野氏の内部観測論は確率を持ち込んでいる。これを浄化しないといけない。何故持ち込むことになったのかを見ておこう。
    代名詞の効用
    http://phsc.jp/dat/rsm/20071031_3.pdf...
    posted at 09:12:24

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    著作権フリーのN次製作は黄金比によるフラクタル分割であり、内部観測運動である。この運動のエネルギー供給はどうなっているのだろうか。フィボナッチの最初は1,1だから気の三角形で√2が気のエネルギーであり、ガウス平面のMPから身体と精神に供給される。
    posted at 09:10:07

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    著作権フリーのN次製作は黄金比によるフラクタル分割であり、内部観測運動である。イデア由来の黄金比は物質現象しか現われないのではないかということは言えなくなった。N次製作は形の見えない精神活動現象である。それが黄金比に向かって収斂することが分かったことは大きい。
    posted at 09:06:56

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    N次製作は著作権フリーであることが前提である。著作権は資本主義の前提である。だから著作権は所有の主張だからモダンの自我である。著作権フリーにすると私は他者に引用され他者になるからトランスモダンとなる。
    これが悟りの方程式:φ=1+1/φで証明された。
    posted at 09:00:57

    10月14日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    N次製作は私は他者に引用され他者になる。
    悟りの方程式:φ=1+1/φを
    φn+1=1+1/φn
    とする。
    この式は連分数で入れ子になるから
    極限では
    φ=1+1/φ
    となる。
    変形すると
    φ-1/φ=1
    (他者+私)-私=他者
    引用の連鎖を無限に続けると私はすっかり他者になる。
    posted at 08:56:52

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  • from: 生成門さん

    2014年10月10日 11時16分39秒

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    システムと全体認識

    システムと全体認識
    <G生命論>
    http://www.tetsugakushobo.com/book/099.html
    を参考にしています。

    2014年10月08日(水)32 tweetssource
    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    社会をシステムと考えるとき、その担い手は一個人である。人間は木を見て森は見られないのである。人間はただ生きることで、自己と他者のと境界を決める。その決め方には決して根拠があるわけではない。その生き方=歴史という文脈に依存しているのである。つまり、境界はその都度形成されるのである。
    posted at 14:18:52

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    何故、システム問題は全体という概念の問題なのだろうか。
    posted at 13:59:07

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    システムは内と外を分ける。だから内+外=全体である。つまり、システムの問題とは全体とは何かの問題になる。生命を生物の抽象化から始めると再生や代謝といった性格を列挙することになる。システムの構成する要素を上げる。それが問題なのだ。
    posted at 13:58:04

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    外観法=システム論である。システムは内と外を区別する。この外観法によって生命を理解しようとするシステムの問題がそのまま現われる。システムは徹底して外を排除するが決して出来ない。その為にシステムはいつもリニューアルしなければならなくなる。生命がこんなことをしていたら生きて行けない。
    posted at 13:27:09

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生命の抽象化は境界を定める事である。結局生命と外とが相互作用するシステムとなる。コンピュータシステムを例にとる。業務をシステム化するときに先ずやることは定義することである。境界を引き内外を区別する。内が業務、外が入出力である。この方法には問題がある。
    posted at 13:01:47

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生命を知るためには動物や植物やその他の生体を抽象化すればよいだろうか。普通はそうする。そのような抽象化は機械システムになる。抽象化は外と内と分けることである。分けることは境界を設定することである。その上で内を生命とする。「これ」が生命「である」というのである。
    posted at 12:50:01

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生命を探求するためには生成のメカニズムを知らなくてはならない。生成とは生命の同義だからである。
    posted at 12:42:05

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    先入観を捨てると言っても簡単ではない。何が先入観かわからないからである。しかし、それでは困る。内観法は外観法の欠点である不都合な前提を見抜く術を提供してくれる。それは生命という新しい定義、曖昧さのないクリアカットな意味論、三つの視点(ルーツ・秩序・変化)の三角形である。
    posted at 12:38:58

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    存在するモノは外と内を分離することはできない。外内を分離するのは外観法である。ここから脱するにはルーツ・秩序・変化の三つの視点が必要になる。しかし、実際に汚染されたモダン思考を捨てるのは容易ではない。何故なら、我々は今現在文明というぬるま湯にどっぷりつかっているからである。
    posted at 12:31:20

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内と外が分離できない存在、それが生命である。そんな当たり前のことを人間は忘れてしまった。その良い例がゴミを外に捨てることである。捨てたはずのゴミがエントロピー増大(温暖化)となって人間を報復する。モダンとは外観法である。
    posted at 11:55:40

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生成の原理の第一のルーツは起源であり存在するモノのレゾンデートルである。創業精神は会社それ自体の誕生を意味する。それが物質であろうと生物だろうと社会であろうと世界の中に存在しその外から分離できない。人間は地球の中に存在している。地球は棲家であり地球環境と分離しては生きて行けない。
    posted at 11:52:18

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生成の原理とは生命をクリアカットに捉える視点である。それがルーツであり、秩序であり、変化である。企業で言うならルーツは創業精神であり、秩序はあるべきビジネスモデルであり、変化はイノベーションとマンネリ化である。生成を言い換えると正と負のエントロピーの鬩ぎあいと見ることができる。
    posted at 11:44:52

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    先入観で汚された生命観から曖昧さをなくして生命をクリアカットに理解するには生成三原則(ルーツ・道理・変化⁾の立つことである。
    posted at 11:33:28

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生命の新しい地平が見えてきた。生命を生成する存在として扱うことである。生成する存在とはモノである。存在するモノは人間だけではない。石にも魂があるというのは仏教である。仏教は内観法を重視する。Gは仏教を科学の舞台に持ってきた。仏陀の微笑
    http://bookweb.kinokuniya.co.jp/bookfair/prpjn7.html...
    posted at 11:25:58

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    固定観念や先入観を持って予断するな。これが内部観測論である。フッサールの現象的還元=エポケーするのと似ている。エポケーとは判断を停止することである。原発の安全神話とはエポケーしないで即断してしまったことによる間違いである。要するに権威を疑えということである。モダンを疑え。
    posted at 10:44:21

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生成の三つの側面は生命として存在する物・者の宇宙に於ける在り様である。この定義なら何でも生命となる。太陽はルーツ・秩序・変化の満足する・だから生命である。こんな解釈で良いだろうか。なんだか目の前が開けた様な気がする。
    posted at 10:39:50

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生成の三つの側面(ルーツ・秩序・変化)は生命を見直す切っ掛けになる。これまでの生命の概念(有機体)をばっさり捨ててしまおう。
    posted at 10:36:16

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    Gでは物でも生命というのだろうか。ドアのノブは右回りという固定観念を疑えということだ。石ころにはルーツ(岩石}、結晶構造という秩序、風化という変化がある。立派な生命の定義当てはまる。だから石ころは生命である。これは受け入れらいないがGの定義では生命となる。何ともやっかいな。
    posted at 10:33:32

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    石ころがある。「ある」というときは不変=同一性を意味する。ある=不変、ない=生成変化として捉えると、どうしてもうまくいかない。生成をどうとらえたらよいだろうか。
    posted at 10:33:06

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生命の変化を取り上げる。生成変化するのが生命の本質である。だとすると変化/不変という二項になり、生命でないものは変化しないモノということになる。石ころは明かに生命ではない。しかし風化する。変化/不変という二項ではうまく定義できない。もっと違う解釈がありそうだ。
    posted at 10:23:21

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    Gの生命:ルーツ・明かな筋立て・変化
    これを機械に当て嵌めてみよう。機械にはルーツ(アイデア)があり、組み立てられ、故障する。全部当てはまる。機械は生命ということになる。そんな馬鹿な。この定義では不十分だ。或いは解釈が違うのかも知れない。先を続けよう。
    posted at 10:15:25

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    Gの生命とは何かを抽象化しておこう。DNAを持つモノとは定義しない。
    生命とは次の三つの生成的性質を持つ。
    1>ルーツをもつ・・・例えばミトコンドリア
    2>明かな筋立てがある・・・ランダムではない
    3>時間で変化する・・・生々流転
    この定義によれば物は生命だろうか。
    posted at 10:10:24

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内観法の独特の言語ゲームスタイルがある。これを知っておく必要がある。我々は余りにも外観法に慣れ過ぎている。この先入観を取り除く必要がある。ドアを開けるときドアの取っ手を右に回すのが習慣になっている。こんなことを疑っていたのでは生活が成り立たない。今はその前提を疑うのである。
    posted at 09:55:05

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    Gは生命を捉える方法論として内観法を導入する。どうやって自己を自己として内観できるのだろうか。これが難しい。瞑想は内観法である。しかし瞑想によって意識の生成の仕組みが分かったという事実はない。それをGはやろうとしている。だから禅問答になる。この難関をGはどう乗越えるのだろうか。
    posted at 09:48:59

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生命を外部観測するということは脳を切開するようなものである。つまり生きたまま観測できないのである。これが外部観測の欠陥である。この欠陥を補完するのが内部観測である。
    posted at 09:41:59

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    Gの生命物語の出だしは「生命とは生成である」。当たり前のことを最初に言わなければならないのは理由があるからである。どんな理由だろうか。それは生命は外部観測できないという事情があるからである。
    posted at 09:40:54

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    人間には生きている現実の生き様がある。全ての生命には個々の出来事の連続がある。生命は事と物で構成される記号ゲームを演ずる。このような生命の側面をGは生成と呼ぶ。それがどうしたっていうのだろうか。当たり前のことだ。当たり前のことを真っ先に言わなければならない理由があるのだろうか。
    posted at 09:33:26

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    郡司氏のキーワードは生成Genesis=Gである。だから郡司氏とその生成論を含めてGunsi+Genensis=Gと呼ぶことにする。生成は生命の本質であると言う。生成のどこが生命の本質だろうか。自己生成=オートポエーシス=内部観測だから似ているところがある。
    posted at 09:21:14

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    内部観測論者の郡司氏は意識の創発を見るのだろうか。生命論を参考に学んでおこう。
    http://www.tetsugakushobo.com/book/099.html
    posted at 09:13:13

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    意識の森の恋人たち(岩本氏)についての探求はしばらくお預けにしよう。脳についての理解が足りないからだ。脳の探求は内部観測論が参考になる。ただし、確率が入って来なければの話であるが。気とか負のエントロピーの話は出てこない。これをどうS科学に接続するかが当面の課題である。
    posted at 09:09:51

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    意識の森の恋人たちの岩本氏は脳の構造に着目する。構造は機能である。機能は関数だから脳は巨大な意識生成の関数である。そして意識を近接場光(エバネッセント光)に求める。隠れた光であるがこれが脳内で増殖される。その光が意識の担体だというのである。少し短絡的すぎる気がする。
    posted at 09:06:20

    10月8日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    心を語る枠組み、概念装置が整ってきた。内部観測論、S科学、PS理論、意識の森の恋人たち、その他である。これらを駆使して物語を続けよう。
    posted at 08:47:22

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  • from: 生成門さん

    2014年10月10日 11時13分52秒

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    全体とは何か

    全体とは何か
    <G生命論>
    生命論
    http://www.tetsugakushobo.com/book/099.html
    を参考に探求しています。

    2014年10月09日(木)20 tweetssource
    19時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    鳥の目で全体認識が可能になったとしても
    全体=自己中の全体
    自己中の全体+それ以外=真正の全体
    の矛盾は解決しない。
    このことをもっとクリアカット(明晰)にして見よう。
    明晰にするために
    生命の定義(ルーツ・秩序・変化)
    生成の三位一体
    クリアカット
    を武器にする。
    posted at 15:08:13

    20時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    温暖化は全体認識を間違えたことで起きた問題である。これは特殊なのだろうか。仏教ではすべては繋がってるという。生態系はその現れれである。しかしこのような認識は通常はしない。人間は小さな地域で生きているからである。アリには地球は関係ないのである。
    posted at 15:02:34

    20時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    温暖化問題は外観法の全体認識は対象と観測者の分離から生まれた。
    生活範囲=全体である。
    しかし、正しくは
    生活範囲+地球環境=真正の全体
    である。これが温暖化問題の本質である。
    posted at 14:47:57

    20時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    全体=自己中の全体
    であるが、これは暗黙に
    自己中の全体+それ以外=真正の全体
    である。
    このことを忘れてしまうから問題が起きる。
    こんなこと当たり前だと言って笑って見過ごすことはできない。
    posted at 14:44:13

    20時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    全体認識は厄介である。日本人にとって全体とは日本なのである。しかし世界が存在する。だから全体は二つあることになる。日本の事を考えるとき日本を全体としても問題ないことの方が多い。しかしグローバル化した今はそうはいかない。世界の中の日本として認識しなければならない。
    posted at 14:34:57

    20時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    外観法の全体とは内部のことである。日本人にとって国全体の全体は日本のことである。しかし、全体は世界である。全体が二つあることになる。これが外観法の問題である。全体は二重化されている。このことを良く知るべきである。式で表現すると
    日本という全体+日本以外の国=世界全体
    である。
    posted at 14:29:51

    20時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    外観と内観ではどんな違いがあるのだろう。明かにシステムアプローチは外観法である。外観法とは対象と観測者を分離する。観測者は対象を「である」と定義する。観測者にとって対象は全体である。政治家に国は全体である。国体という。国全体は外観で認識された全体である。憲法は国全体を対象とする。
    posted at 14:24:29

    20時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    G生命論はルーツ・秩序・変化が視点である。これによればシステムでさえ生命になる。しかし、明らかにシステムは生命ではない。何が欠けているのだろうか。Gは内部観測論である。内観法によってシステムを見て行こう。システムが生命なのに生命になれないのは外観法によって構築するからである。
    posted at 14:16:26

    20時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    PS理論・S科学・G生命論はモダンをトランスする概念装置である。特にPS理論は逆照射型である。今はG生命論を逆照射してみよう。何が欠けているかが見えて来るだろう。
    posted at 14:08:11

    21時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    PS理論は逆照射型の概念装置である。概念装置というのは分かり難いが要するの言語ゲーム=物語をするマシンである。こうなると装置とか機械の概念を脱構築しなければならない。
    posted at 14:04:09

    10月9日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    GとPS理論の補完関係はS科学にも言える。Sは科学から超出している。その物語はマクロからミクロまで幅が広い。ただイデアや生命には届いていない。だからこれをPS理論で逆照射してみるのである。そうするとSに抜けている部分が見えてくる。Sは数学が中心だから遥かにクリアカットである。
    posted at 08:05:10

    10月9日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    G生命論を否定するのではなくPS理論を使って救い出すのである。GはPS理論が持っていない数学的、記号論的、意味論的な厳密さがある。だからより深い展開が期待できるのである。
    posted at 08:01:18

    10月9日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    G生命論の探求に埋没してしまうと重要なことが抜けてしまう。確かにG生命論は新しい枠組みを提供してくれてはいる。これまでの科学の欠陥が分かる。しかし、何が抜けているのかは教えてくれない。その為にPS理論はクリアカットにその欠落を浮き彫りにしてくれる。
    posted at 07:56:41

    10月9日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    G生命論とPS理論の三角形の比較をしてみよう。Gは生命の限定されている。PS理論は森羅万象である。明らかにG>PSである。ガウス平面をみても分かるように虚軸=気軸=イデアがある。Gにはこれがない。PS理論を逆照射することでG生命論にないが欠落しているのかが見えてくるのである。
    posted at 07:52:05

    10月9日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    PS理論だけでなくGの生命生成論にも三角形が出て来た。こちらの三はルーツ、秩序、変化であり生命を探求する概念装置である。この三の視点とその一体化を図ることと厳密さを担保することでより生命の本質に近づけるという。一方PS理論は森羅万象の理論である。これらはどんな関係にあるだろうか。
    posted at 07:45:50

    10月9日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    PS理論の概念装置であるガウス平面を拡張したPS三角錐は更に精緻な物語を展開できる。今はこれについては触れない。詳しくはこちら。
    http://www.beach.jp/circleboard/ad0178/topic/1100200104817...
    posted at 07:37:24

    10月9日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    ガウス平面は+1,-1,原点、i,-iという頂点があるが、+1=物質、-1=精神、原点=MP,虚軸(i,-i)をイデア由来の陰陽気、原点=MPをイデア(気)と現象界を接続するメディア界とすると精緻なPS理論となる。ガウス平面はトランスモダンの三角形とも同型である。
    posted at 07:33:48

    10月9日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    PS理論の枠組みはトランスモダンの三角形で示すのが一番分かり易い。
    http://www.beach.jp/circleboard/ad0178/topic/1100200853999...
    この三角形のイデア・精神・物質は互いを照射している。これがMPに相当する。精神と物質は共に現象だからPS理論のイデア・メディア・現象(物質・精神)と同型になる。
    posted at 07:27:02

    10月9日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    S科学は負の質量を持ち込んいるので物質科学とは言えない。反エントロピーの科学である。反エントロピーとは精神活動だから唯物論とは言えない。二元論を超えているのである。 https://pic.twitter.com/4LcQSgl6K1

    posted at 07:18:45

    10月9日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    モダンからトランスすることが資本主義で汚染された現代社会の緊急の課題である。それを理論的に牽引するのがPS理論である。その概念装置がガウス平面とPS三角錐である。これを起点としてS科学を取り入れ物語を発展させようとしている。S科学は科学であるから一見唯物論に見えるがそうではない。
    posted at 07:13:16

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  • from: 生成門さん

    2014年10月10日 11時05分44秒

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    G生命論

    G生命論
    <G=郡司氏のGとGenesis=生成のG>

    生命論は
    http://www.tetsugakushobo.com/book/099.html
    を参考にしています。



    2014年10月10日(金)29 tweetssource
    6分前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    システムは自己認識していない。それでもG生命論は生命を語れるのだろうか。
    一般にシステムには開発者がいて、運用者、観測者がいる。
    開発者⇒システム
    運用者⇒システムの運用
    観測者⇒説明
    開発者の頭の中がどのようになっているのかは見えない。しかし、システムアプローチはしている。
    posted at 10:59:52

    17分前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    G生命論はi*-i⇒-1(思考そのもの)については何も語らない。これはPS理論を逆照射したことによる効果である。
    囲碁システム:( )⇒+1
    人間:i*-i⇒+1、i*-(-1)=-1
    対局者は思考することを思考する。それが-1に回帰する。
    システムは自己認識していない。
    posted at 10:49:24

    23分前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    囲碁システムと人間の対比
    1>(システム)=i*-i⇒+1(観測できる結果)
    対局結果だけを見ればどっちが打った手は区別できない。だからそれは思考である。
    2>(システム)≒i*-i
    精神の定義を変更すればシステムを思考と看做しても良い。
    3>(システム)≠i*-i
    論外
    posted at 10:43:04

    24分前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    囲碁システムの(DB+Alg)をシステムとする。
    1>(システム)=i*-i
    ならシステムは思考しているとなる。
    2>(システム)≒i*-i
    ならシステムは思考しているようだなる。
    3>(システム)≠i*-i
    なら似て非なるとなる。
    どの立場をとるかである。
    posted at 10:42:19

    25分前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    囲碁システム:(DB+Alg)⇒+1
    人間:i*-i⇒+1、i*-(-i)=-1
    システムも学習させる機能を持たせることができるが、-1は不可能である。
    +1に着目すると
    (DB+Alg)=i*-i
    (DB+Alg)≒i*-i
    (DB+Alg)≠i*-i
    のどれだろうか。
    posted at 10:41:35

    25分前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    人間と囲碁システムの違いが図式化することではっきりした。
    囲碁システム:(データベース+アルゴリズム)⇒+1
    人間:i*-i⇒+1、i*-(-i)=-1
    人間にはi*-(-1)=-1があるがシステムにはない。これが大きな違いである。
    しかも循環するから学習する。
    posted at 10:40:55

    31分前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    G生命論は生命の定義をルーツ、秩序、変化の三つに視点でとらえる。
    確かにシステムにはルーツ(開発者がいる)がある。もちろんシステムという秩序がある。更にシステム自身が変化する。従って1の立場である。
    1>システムは思考である。
    2>システムを思考と看做す。
    3>論外
    posted at 10:35:50

    1時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    人間とシステムの違いをはっきりさせるために人間と囲碁システムの対局を図式化してみよう。
    囲碁システム:(データベース+アルゴリズム)⇒+1(観測できる対局結果)
    人間:i*-i⇒+1
    +1は観測できる対局結果である。i*-iはMPの作用である。人間にはその都度意識-1が現象する。
    posted at 10:04:43

    1時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    括弧付きの(i*-i)⇒+1から生まれたシステムは精神の模倣である。これをi*-i⇒+1で逆照射してみると、iと-iがないことが分かる。iと-iはイデア由来の陰陽の気である。そうシステムには気が入っていないのである。( )⇒+1=システムである。では( )とは何だろうか。
    posted at 09:56:39

    1時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    囲碁システムのヒューマノイド思考(もどき)を精神と言えるだろうか。定義の問題だからそれを精神と呼ぶなら精神があるとも言える。人間の思考を完全に模倣は出来ないからそのすべてではなく一部を取り出してくる。これが現在のやり方である。これを拡張していくと人間に近づくだろうか。
    posted at 09:51:03

    1時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    括弧付きの(i*-i)⇒+1から生まれたシステムは精神の模倣である。囲碁システムが人間に勝ったからと言ってもその内容は人間の思考ではない。ヒューマノイド思考(もどき)である。過去の対極履歴をデータベース化と局所のルールだけのアルゴリズムである。それを精神と言えるだろうか。
    posted at 09:44:50

    1時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    PS理論ではシステムの欠陥を簡単に見破ることができる。精神=脳の働きを真似してシステム化しても、その過程で精神性を排除しているのである。(i*-i)⇒+1(システム)である。i*-iが( )になっているのである。括弧とは無知=何もわかっていないということである。
    posted at 09:37:03

    1時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    PS理論=ガウス平面でシステムを逆照射するとシステムから精神性が排除されているということが分かる。しかし囲碁システムなどを見るとかなり高い知能(精神)持っている。全てとは言わないまでも精神性を取り込むことは出来そうな勢いである。果たしてこの延長に精神の解明の道はあるのだろうか。
    posted at 09:31:12

    1時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    システムの欠陥を発見するためには逆照射することである。何で逆照射すればよいだろうか。PS理論という概念装置がある。これで逆照射すると簡単である。システムというのは物質の現象を扱かうのみで精神現象を捉えていない。だからシステム化では精神を捉えられない。
    posted at 09:23:18

    1時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    心を解明するのが究極の目標であるが、その為にはシステムアプローチの盲点(欠陥)を露呈させなければならないだろう。その為には何から始めるのが良いだろうか。それはシステム方法論をまな板に載せることである。そして逆照射することである。
    posted at 09:17:35

    1時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    システムアプローチの実用面は否定できないが、精神をシステム化するとなるとそのハードルは高い。何故、精神のシステム化は簡単に行かないのだろうか。それを精緻に考えようとすると知能とは何かという問題に突き当たる。人工知能の問題である。どこにシステムアプローチの問題があるのだろうか。
    posted at 09:13:43

    1時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    無人飛行機の登場は空の産業革命となる。2025年までにアメリカだけで8兆円を超えるとされていいる。このように人間の目の機能をシステム化しただけでも実用的なメリットは大きい。この延長に知能ロボットがあるだろうか。そうはいかない。知能のシステム化のハードルは実に高い。
    posted at 09:10:32

    2時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    無人飛行機:ドローン
    http://www.huffingtonpost.jp/2014/08/27/son-drone-uav_n_5726680.htm...
    ドローンはCCD搭載のコンピュータシステムである。これによって老朽化したトンネルや橋などのインフラを点検したり、農作物の生育状況を調査したりすることが可能となる。 https://pic.twitter.com/EhCdQ25mpW

    posted at 09:06:38

    2時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    システム論で生命を理解することはどんなメリットとデメリットがあるのだろうか。メリットは少なくとも最低限の実用的な装置ができることである。洗濯機・掃除ロボット・無人爆撃機がそうである。最近では無人機がビジネスになりそうだ。
    http://www.huffingtonpost.jp/2014/08/27/son-drone-uav_n_5726680.html...
    posted at 09:00:45

    2時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    ITの高度化でシステムは今や日常になった。だからシステムと言えばITシステムである。そのシステムで全体を考えることは人間の認識の欠陥が見えて来るかも知れない。又、精神の出処を解き明かす契機となるかもしれない。だからG生命論でシステムの全体概念を逆照射して見るのである。
    posted at 08:46:29

    2時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    コンピュータシステムの方法論は業務(物事一般でも良い)という対象がありそれをシステム化するために方法である。その対象を知能とした場合が知能ロボットである。検索エンジンもその一つである。自動工場は手作業の一部をシステム化したものである。
    posted at 08:42:33

    2時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    人間の精神がどこから来るのかを考えるときには全体という概念を明晰にして置かないといけない。その事を正面から取り組んでいるのがG(郡司氏であり内部観測論者)である。一体全体とは何だろうか。全体主義の全体だろうか。やはり分かり難い。そこでコンピュータシステムの方法論から始めよう。
    posted at 08:39:05

    2時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    全体を考えることは知能ロボットを作ろうと思った特にすぐに遭遇する問題である。もちろん日常生活やビジネスシーンでもその問題に遭遇している。日常ではその事をあまり深く考えない。適当にやり過ごしてしまうからである。それで十分である。いや十分ではない。その証拠がストレスであり病気である。
    posted at 08:34:12

    2時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    新しい観点(生成)で逆照射するというのは強烈な方法である。従来の固定観念(常識)を新しい視点(概念装置)で見直すことが逆照射である。図で示すと
    PS理論⇒G生命論⇒システム理論の全体概念(常識の世界や理論)となる。まな板の鯉は全体概念である。何が見えてくるのだろうか。
    posted at 08:29:21

    2時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    G生命論によれば生成(ルーツ・秩序・変化)があれば生命であるとなる。もしそうならアロポイエティック・システム(機械)も生命である。そうした時に何が問題となるのだろうか。常識では生命と機械とは異なる。この区別を一旦エポケー(判断しない)する。そして新しい観点(生成)で逆照射する。
    posted at 08:25:11

    2時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    生命を考える上で全体とは何かを考える必要がある。これは認識の問題である。全体を考える上で一番分かり易いのはコンピュータシステムだろう。オートポイエーシスシステム(生命)とアロポイエティック・システム(機械)という区別をする。どっちもシステムである。
    posted at 08:18:43

    2時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    組織全体・国全体・村全体など頻繁に全体という言葉がでてくる。この全体とは何か。全体を考えるという。その全体とは何か。普段あまり意識せずに使っている概念を考える。それは生命とは何かを考えることから必然的に提起される疑問である。ここが曖昧だとヒューマノイドは実現しない。
    posted at 08:11:53

    3時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    全体の認識は可能だろうか。もし仮に全体が可能になったとしても自己中の全体と真正の全体の矛盾は解決しない。温暖化問題は全体だと思っていたのが全体ではないことを思い知らせた出来事である。しかしこれが特殊なケースであると思ってはならない。日常の問題なのである。
    posted at 08:06:14

    3時間前@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    何をもって全体というかが問題になる。そんな当たり前のことがどうして問題なのだろうか。地球は生き物にとって全体である。しかしこれはそうでは二のである。地球のどこで境界を引くかである。地球を大きさを言うなら表面である。ガイア説なら大気圏を含める。こうして全体とは何かの議論が始まる。
    posted at 07:59:37

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