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シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

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  • from: 生成門さん

    2013年10月31日 12時06分48秒

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    十進法の神と九進法の神では神が違う

    十進法の神と九進法の神では神が違う
    <神の数学との共振:ひふみ神示に仕込まれた暗号はインターネットの公開鍵方式)>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200478707

    ひふみ祝詞が暗号なら神の数学とは超々数学だといます。

    超々数学
    http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/chouchousugaku.html

    超を超えることを超える数学と言うと何だか仰々しいですが、それが神の数学でいとも簡単に神からメッセージである暗号が解読されてしまうと、「なーんだ」という気持ちになってしまいますね。本当に神はこんな数学なのでしょうか?

    大古神道の秘密 『9の秘密』を探る。(その1)  http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/kamisuu02.html

    ここでは十進法には魂がなく九進法にこそ宇宙の真理があると言っています。そして、その内実(暗号)を実に簡単に暴いて見せてくれています。確かに暗号の解き方は簡単で数学と言うより算数の知識があれば解けるものです。それだけに画期的と言えるでしょう。

    しかしです。本当にこれが神の姿なのでしょうか?

    暗号を解読することが神の存在を示すことになるのでしょうか。つまり、神の存在証明なのでしょうか。何か割り切れないものが残ります。実数的な数(無理数)意識を捨てきれないからでしょうか?

    割り切れないもの=無理数=実現できないものなら、それを可能とするのは神だけです。神は自らの存在を知らせるために無理数を降ろしたのでしょうか。人間の限界を知らせるためのメッセージなのでしょうか。むしろ神には近づくなと言っているように思えます。

    もし、十進法が神の存在を隠す、或いは神のから遠ざける神の意図であるなら、それは神であるはずがありません。何故なら十進法が文明を進展させ、その結果が人類を崩壊させようとしているからです。神が自分で作ったものを消滅させようとしているとはとても思えません。

    やはり十進数は神が与えたものではないようです。エージェントの仕業としか思えません。十進数と実数の数学は美人局なのでしょうか。そうであるなら、海に沈んだアトランテスの文明(文化?)の真実を探るしかありません。しかし、アトランテスは海の底なので手が出ませんし、痕跡(遺跡)もありません。しかし、私達にはアトランテスの文明と相同と看做せる神の数学=ひふみの祝詞があります。これは暗号であり、この暗号を解けば神の姿が見えて来るかもしれません。

    つまり、九進法の神と十進法で言うところの神は違うということです。そうであるなら暗号を解く前に十進法の神=無限の正体を知らなければならないのでしょう。存在しない無限の数とは一体どんな魔性があるのでしょうか?

    神の数学でも無限は出て来ます。それは無限の数ではなく無限の循環、輪廻=Reincarnation(リンカネーション、もしくはリインカネーシです。具体的には、九進法では9の次は0に戻ることに現れます。0はすべてを包み、フラクタルに循環するのです。神の数学の神は0なのですね。神は始めから手元にいるのですね。しかし、十進法では9の次は10であり、無限に拡大する神です。これが神の違いですね。

    9の次は10になるというのは桁上がりするということです。これによって数える範囲が直線的に伸びて行きます。つまり、無限に拡大するのです。無限に拡大するなら神はその先にいることになります。十進法では神は桁上がりとして先送りしたのですね。そして無限を神として決して到達できない存在として位置づけたのです。

    ここから十進法では神との関係が現実と超越という形に置き換わったと思うのですね。神を現実から遠ざけておいて、その神を乗り越えようとしたのではないでしょうか?

    しかし、神の数学の「超超」は現実を超越ということではなく、それを再び超えるという意味なのですね。原点に戻れ、自然に戻れと言う意味ですね。自然に戻れと言ったのはルソーですが、少なくとも文明を捨てて原始時代に戻れという意味ではないですね。神の数学の自然観は神を含む自然であって自然を物質と精神に分裂した十進法的自然=神を捨てようと言っているのです。

    人類は十進法を選択したことで文明を手にしましたが神と対峙することにもなったのですね。これが自然の物質と精神への大分裂だったのではないでしょうか?

    物質文明を優先した結果、精神性を回復する羽目になったのですね。ですから宗教が必要になったのでしょうね。その宗教ですが神を手元に呼び寄せることに成功したのでしょうか?

    もしそれに成功していたなら宗教は不要になってしまいますが、いまだに宗教が存在しているということは成功していないということですね。宗教が成功していないなら哲学はどうでしょうか?

    哲学が神の存在を証明したという話は聞いたことがありません、神秘主義が存在していることからも分かるようにまだその証拠をつかんではいないようですね。神が無限だとすると、かつてどんな哲学者や宗教家であっても無限である神の存在を証明した人はいませんよね。ウィトゲンシュタインによれば、神は存在しない、信じるという振る舞いがあるだけであり、振る舞いについて語る言語ゲームがあるだけだということになるでしょうし、神そのものについては語れないのだから沈黙するしかないと言います。文明をもった人類にとって神はアンタッチャブルなのですね。

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  • from: 生成門さん

    2013年10月24日 11時29分32秒

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    ひふみ神示に仕込まれた暗号はインターネットの公開鍵方式

    ひふみ神示に仕込まれた暗号はインターネットの公開鍵方式
    <神の数学との共振:弱者が生き残る戦術は瞞天過海(まんてんかかい)>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200478697

    岡村天明によってひふみ神示に仕込まれた暗号は現在インターネットで使われている公開鍵方式と同じ仕組みです。岩戸を開けるべき秘密のテキスト、暗号化する公開鍵をひふみ祝詞、暗号を解読する秘密の鍵を縄文遺伝子としてイメージしてみましょう。

    公開鍵と秘密鍵を作るアルゴリズム
    http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20071031/286010/


    公開鍵方式(天の岩戸方式)とは二つのペアとなるカギ(公開鍵と秘密鍵)があって、この鍵ペアの操作で岩戸を開け閉めする仕組みです。この岩戸は普通の扉と違って、公開鍵(ひふみ祝詞)で閉めるとそのペアである秘密鍵(縄文遺伝子)でなければ開きません。岩戸を閉めた公開鍵(ひふみ祝詞)そのものでも、その岩戸を開けることはできないのです。

    古事記物語
    http://www5c.biglobe.ne.jp/izanami/monogatari/10.htm

    今度は秘密鍵(縄文遺伝子)で岩戸を閉めてみます。すると、今後はそのペアとなっている公開鍵(ひふみ祝詞)でなければ岩戸は開きません。岩戸を閉めた秘密鍵(縄文遺伝子)を使っても岩戸は開かないのです。不思議な岩戸と不思議な鍵です。

    以上の理由で、暗号化されたひふみ祝詞は秘密の扉を開けることができる秘密の鍵(縄文遺伝子)を持った縄文子孫しか開けることができないのですね。それを持っている人が佐藤氏だということです。その秘密のベールを剥いで公にしているのですね。本来秘密にすべき縄文の秘密を公開してしまうのは何故なのでしょうか?

    それは今が公開すべき時=救済の時だからです。岩戸は過去の置いても何度か、閉めたり開いたりしていますが、それは時代が要請するからですね。その時にタイミングよく秘密鍵を持った人が現れて公開してきたのですね。縄文遺伝子を持った人は沢山いるでしょうが何故、佐藤氏なのでしょうか?

    その謎はこれから明らかになります。先ずは佐藤氏の研究の足跡を賞味しましょう。先を急ぐ人、又は自分が縄文人の子孫んだと思う人はこちらを参照して下さい。

    超超数学
    http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/chouchousugaku.html

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  • from: 生成門さん

    2013年10月24日 11時16分44秒

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    弱者が生き残る戦術は瞞天過海(まんてんかかい)

    弱者が生き残る戦術は瞞天過海(まんてんかかい)
    <神の数学との共振:日月神示とひふみ神示>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200478675

    数学が数の学ではなく、構造と方向性の学であり、この世界は連続の数(実数)ではなく、飛び飛びの離散値の世界であり、連続性を基本とする微分積分と確率統計を素という間違った数学を持ち込んだ現代物理(量子論と相対性理論)は間違っているという大胆な主張をしている既知の外にいる佐野博士は物理に「美」や「エーテル」や空間が捻じれているという「メービウスの帯」を持ち込むプラトニストの反エントロピー論者です。

    佐野博士によって教わったことは数学にも間違った数学があるということです。微分積分が間違っているとは思えないのですが、無限というのは現実には存在しない数ですので、それをそのまま現実の世界に適用するとおかしなことになると佐野博士が警告を発しています。

    四次元能では微分を使うと等速円運動が等速直線運動になってしまい軌道電子が落ちないことを正当化してしまう例を取上げました。このような例は量子力学(角運動量が0の電子が存在する)でも出て来ます。

    詳しくは、こちら参照してください。
    微分積分の落とし穴
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200436471

    シュレディンガーの水素原子の真実
    http://www7b.biglobe.ne.jp/~kcy05t/nishpro.html

    誤謬の極みの現行量子核物理学を徹底検証。ロシア科学アカデミーS学派・ドクター佐野千遥
    http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11296668782.html

    本当に間違った数学と言うのがあるのでしょうか。確かに不完全性の定理があり、数学は不完全であるということですので、注意しなければならないようです。これを突き詰めていくとこの世界はすべてランダム(Ω)になってしまうそうです。本当にこの世界はランダム(決定不可能)なのでしょうか?

    佐野博士はこれに対しても異論と唱えます。不完全とは数えられない実数を前提にするからそういう結論になるのであって、現実の世界は離散値なのだから決定できるのだと言います。一見ランダムに見える現象でも、よく見て行くと規則があると言います。これを決定論的非決定カオスと言いますが、佐野氏の文脈では徹底した西洋の知的合理性の否定によって貫かれています。それが哲学なら話が分かるのですが、物理という論理の世界(筋の世界)なのですから新鮮に見えてしまうのですね。

    この説が本当に正しいとすると、本当に世界は天地が反転してしまいます。それをただ今検証しているところです。

    佐野・宇宙方程式は恋愛行為を説明できる
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200443309

    その佐野氏の検証が終わらないうちにまたしても既知の外の人(神の数学の佐藤氏)が現れました。佐野氏はかなり既知の外ですが、佐藤氏もまたとんでもないほどの四次元能に相応しい既知の外人です。佐藤氏の神の数学とは九進法こそが魂の数であり、神ありの数学であるというのです。その上で既存の数学(十進法)自体を間違った神なしの数学、物質主義を支える元凶だと断罪しているのです。九進法とは日本人の祖先、縄文人の数学であり、古神道の核であるというのですね。その秘密がひふみの祝詞に暗号化されて隠されているというのですね。

    九進法が精神文化のエンジンであり、十進法が物質文明のエンジンであるという説は目から鱗です。もし、そうなら貨幣経済という現代文明の閉そく状況を解決する手がかりが見つかるかもしれません。資本主義はブレーキのない止まれない機関車ですが、それが十進法にあるとするならことは深刻です。十進法は文明の基盤だからです。何をさておいても探求するべきでしょう。このことは神道研究家でさえ気が付いていないのです。何故、専門家さえ気が付かないように暗号化したのでしょうか?

    それは岩戸閉め(神が隠れる)に関係します。縄文文化とはカムナガラ=九進法的宇宙論であり、神を中心とした文明(文化)であり少数民族の文化だったのですね。追われる運命にあったということです。それがとうとう弥生人の強力な農耕文明によって支配される羽目になりました。そこで弱者の智慧が働いたのですね。

    弱者が生き残る方法は瞞天過海(まんてんかかい)しかありません。瞞天過海とは36計の一つで、「天を 瞞 ( あざむ ) きて海を 過 ( わた ) る」であり、公の中に暗号化して精神を残す戦略です。それが数え歌だったのです。数え歌ですから誰も警戒しませんよね。何れ機会が来た時に岩戸を開けるようにして置いたのです。そして今、日本沈没、世界の破滅ということで人類救済の機会が来たということです。その岩戸を開ける人が暗号を解読できる人であり、その資格のある人は縄文人の子孫だけです。何故なら、暗号解読できるためには遺伝子の中にその合鍵がなければならないからです。これは岩戸の閉めると開けることの関係になります。閉めることはできてもあけることが簡単にはできないのですね。閉めたのは縄文祖先です。閉めるのは縄文子孫です。他の民族に勝手に開けさせないという秘密のカラクリですね。

    これは現在インターネットで使われている公開鍵方式と同じ仕組みです。岩戸を開けるべき秘密のテキスト、暗号化する公開鍵をひふみ祝詞、暗号を解読する秘密の鍵を縄文遺伝子としてイメージしてみましょう。

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  • from: 生成門さん

    2013年10月24日 10時52分12秒

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    日月神示とひふみ神示

    日月神示とひふみ神示
    <神の数学との共振:現代数学の本質は分割性+連続性+線形性>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200478664

    日月神示とかひふみ神示と言いますが、これはどう違うのでしょうか。簡単に言いますと日月神示は漢字と漢数字ととひらがなと記号などで書かれたテキストです。これを日本語として分かるようにしたものをひふみ神示です。繰り返しますがどちらも暗号なのですから、普通に読んだだけでは分かりません。ですからナビゲータ(佐藤氏)が必要なのですね。

    「ひふみ神示データー」
    http://hifumi.uresi.org/
    以下、引用しました。

    九歳(とし)は神界の紀(もと)の年ぞ、神始めの年と申せよ。一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)ぞ、五の歳は子の歳ざぞよ。取違ひせん様にせよ。月日の巻 十人と十人の役員に見せてやりて呉れよ、時節到来したのであるぞ。桜咲き神の御国は明けそめにけり。十二月二日、ひつ九のか三しらす。

    これのどこが暗号だというのでしょうか?

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  • from: 生成門さん

    2013年10月24日 10時38分55秒

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    現代数学の本質は分割性+連続性+線形性

    現代数学の本質は分割性+連続性+線形性
    <神の数学との共振:なぜ実在しない数を含むのに実数(実在する数)と言うか?>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200478657

    現代数学は実数(複素数も含めて)と十進法と合体したことで新しいメリットが生まれました。それは分割できるということです。百の単位、千の単位という具合です。どんなに分割しても連続性と線形性は保存されるという性質が加わったのですね。これで更に威力を増したのです。ここまで来るとその勢いは止めることはできません。

    数学は物理と提携してその領域を浸食したのです。古典物理ではまだ互いに互角でしたが、量子力学まで来るともう数学の一方的勝利です。場の量子論やひも理論まで行くと実在性の欠片もありません。計算した結果が実在なのですね。

    シュレデンガーの水素には運動量を持たない電子が存在することになっていますが本当に実在するのでしょうか。運動量はない、しかし、動いている電子とは一体、何者なのでしょう。譬えて見ると、勢いのない資本主義が存在するということです。そんなこと信じられませんね。取引がない、生活していない、でも、経済として実体があるというのですね。しかも、それを確かめることができないのですね。それって地球上の話なのでしょうかね。計算するとそうなると言うのですね。「だから信じなさい」と言うのですね。こちらは素人ですから「ハイ」と言うしかありませんが、どうも疑わしいのですね。心を失った数学が席巻すると実在しないものが実在し、それが世界を牛耳ってくるのですね。もう少ししたらアメリカがデフォルトしてもそれは存在しない、経済は動いているというのではないでしょうか。どこか遠くの惑星の話のようになってしまうのではないでしょうか?

    十進法と実数によって装われた現代数学は結局不完全であるということになって自己否定されるのですが、そのことをΩ(ランダム)性に押し付けて逃げようとしています。未來は非決定だけれども確率的に決定できるから安心しなさいと言っているのですね。資本主義の未来はどうなるかわからないけれども確率的に大丈夫だと言われもどうしようもありませんね。数学は天気予報なのでしょうか。結局、確率に責任を押し付けた現代数学は神を冒涜したのですから神によって裁かれるしかありませんね。

    さて、纏めておきます。現代数学の本質は

    分割性+連続性+線形性

    です。これが数学を超えて思考のすべてに浸透しているのです。そして、当然ですが危機を齎しているのです。もっと言うと、これは弥生人(農耕民族)の気質と同質だということです。テープや列車などの媒体特性です。物の性質が数の性質なったのか、数の性質が物の性質になったのか分かりませんが、同じ穴のムジナであることは確かです。これについては後でもっと吟味することにしましょう。

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  • from: 生成門さん

    2013年10月24日 10時27分16秒

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    なぜ実在しない数を含むのに実数(実在する数)と言うのか?

    なぜ実在しない数を含むのに実数(実在する数)と言うのか?
    <神の数学との共振:宇宙は「比」、「足し算」、「引き算」という単純な算術演算だけで創られている>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200478587

    世界は実数的な連続か、自然数・整数的な飛び飛びかということですが、ここで面白い話ができます。実数というのは自然数や整数も含んでいます。実数>無理数>有理数>整数>自然数 の関係ですね。

    離散値という視点で見ると有理数以下がそれに該当するでしょう。従って、連続ということを問題するなら実数=無理数ということになりますね。ところで、無理数は限りがありません。自然数も無限にあるのですが、一個の自然数を持ってくればそれは限られます。1はそれで完結です。しかし、円周率は3.14159265359....と一個を持ってきても無限に続きます。数として完結した姿で示せないのですね。実際に計算するときは有理数として、例えば、3.14として使います。結局、無理数=実数は実在しないのですね、これが実在する数という意味の実数と称するのですが、なぜ実在しないのに実数と言うのでしょうか?

    英語表現でReal numberと言いますね。無理数の実数は無限と同じで見せろと言われてもそれを見せることができないのですね。それをRealと言うのですから数学の素人は混乱してしまうのですね。何故、実数などと言うネーミングをしたのでしょうかね。

    ネーミングの背景には宇宙観があると思うのですね。当然、実数が出て来るのは世界が連続であると考えるからです。しかし、古代の人は自然数の宇宙観を持っていたはずですから始めから連続とは考えていないのですね。自然数の自然観なら自然は飛び飛びだったはずです。

    実数の名前が付けられたのは随分後になってからで、複素数が生まれた時です。複素数は特殊な数だったのですね。そこで実数を「普通の数」として定義されたのですね。それなら普数と表現してもよかったのでしょうがどうしてかReal numberとなったのでしょうか?

    やはり数学者は数=自然数=Realと考えていたからではないかと思うのですね。本来、数は物を数えるために考えたのですから実在する物の代理だったのですね。無理数と言うのは付けたしだったのではないでしょうか?

    ですから数=Realになったと思うのですね。ところが時代が進んで付けたしの無理数が実数の定義の主役に抜擢され連続性を担うことになったのですね。自然数は実在する物の代表、無理数は実在しない者の代表でしたが名前は自然数、中身は無理数となって分裂してしまったのですね。そして、現代数学では実数は連続の代名詞になりました。実際に実数は連続の数学である微分積分とはとても相性が良いですよね。

    自然数を普通の数と思っている素人はトビトビではない実数が数の代表の位置を占めているというのはとても違和感があります。その意味で数学の世界から素人は締め出しを食らってしまったとも言えるでしょう。その上で名前が実数ということになると素人は実在する物の代理だと思いますよね。

    現代数学は実数中心ですが、その実数の基本的特性は連続性にあります。そこに十進法の線形性と合体したのです。自然数の心を捨ててまで結婚したことで強大な力となったのです。物と心が一体だった自然数の時代は数と霊は一体でした。しかし十進法と手を組んだことでそれは既に過去のものとなったのです。

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  • from: 生成門さん

    2013年10月24日 08時59分53秒

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    宇宙は「比」、「足し算」、「引き算」という単純な算術演算だけで創られている

    宇宙は「比」、「足し算」、「引き算」という単純な算術演算だけで創られている
    <神の数学との共振:文脈を利用した暗号化は世界で始めてである>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200478553

    ひふみ祝詞は言語の対称性(陰と陽)を利用した文脈依存型の世界で初めての暗号方式であると言いました。縄文人にとって弥生人から最大限に隠したいことは「自然こそが真実だ」という宇宙観です。それを暗号として隠すには数え歌が最高だったのですね。それを神道で祝詞として伝承すれば確実だと考えたのです。このように考えるのは縄文人にとってはそれこそ自然な成り行きだったのです。何故なら、「自然こそが真実だ」だという文脈は縄文人の常識(コモンセンス)であり、弥生人にはなかったものですから彼らがこれに触れたとしても解読のしようがありません。

    どう転んでも犬がスパイにはならないのですね、

    現代人はそれを暗号とも知らずに祝詞には言霊があると言いますが、陽の表現だけでもそれだけの効果があるのですね。十分、暗号としての機能を果たしていると言えるわけです。言霊として理解したということは「当たらずとも遠からず」(言霊=数霊)なのです。しかし、決して「彼は犬だ」=「彼は警察のスパイだ」とは解読できないように、文脈を知らない弥生人ではひふみ祝詞から真実(言霊=数霊)に辿り着くことはできないのですね。だからこそ、現代までその秘密は守られてきたのです。

    その真実(秘密)とは縄文人のイデア性であり、本来の意味(数霊)を、その祝詞の中に陰としてかいま見せているのですね。それが今、露出しようとしているのです。これだけの長いこと秘密にしてきたことが簡単にオープンになって良いのでしょうか?

    それには理由があるのです。暗号は必ず解読されなければ意味がありません。暗号を解読する時期と言うのがあるのです。それは人類が危機に瀕した時です。縄文遺伝子はそれを敏感に感じ取るのです。その時こそが岩戸が開かれるときなのです。岩戸が開かれる時は時代が要請するのですね。その要請が縄文遺伝子に命令するのです。開け岩戸!と。。。そして、今、そのときが来ました。岩戸を閉めたのは岡村天明ですが岩戸を開いたのは佐藤氏です。

    神の数学
    http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/kamisuu04.html

    開かずの間の岩戸の扉を開けてしまったのですが、それで本当に人類は救われるのでしょうか?

    佐藤氏は言います。自分が開いたのはまだ本の序の口だと言います。まだ、真理の一部を垣間見ただけだと言います。人類が救われるためにはもはや縄文人だとか弥生人だとか言っていられないのですね。ひたひたと危機は迫っているのです。ツバルのように水没する様子がはっきりと分かれば必死にもなるでしょうが、経済制度の疲弊というのは実感しにくいものです。まして年金が破綻すると言っても孫の時代ですから現在の政治家だって真剣にはなりにくいでしょう。ただ、アメリカがデフォルトするというのは現実のことになってきましたが、アメリカのデフォルト騒ぎは資本主義がブレーキに効かない列車だという譬えが一番分かり易い例ですね。彼らの栄華(たとえば、あれだけの食感)を止めることができるでしょうか。無理ですよね。水没しようがしまいがそれは(ドルの増刷)は絶対に止まらないのです。

    そういう話になると突然に数学の話とは関係にないように思えてしまいます。まさか十進法が資本主義のブレーキを効かなくしている元凶だと言っても誰も信じないでしょう。よっぽどアメリカスタイルを捨てて利益を優先しない日本的な経営を進める鳥内氏の新資本主義の方が分かり易いですよね。

    日本発の新・資本主義経営が目指すもの
    https://www.facebook.com/note.php?note_id=187503031340207

    鳥内氏は日本人の心を重視するべきだと言っているのですが鳥内氏は縄文人なのでしょうか。そうではないようですね。何故なら氏のメッセージの中には数値は出てきますが資本主義=心のない数学の話が全く出てこないのですね。

    新資本主義は資本主義の暴走を止めることができるか?
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/latest?archive=201309

    鳥内氏が縄文人で日本人の美意識を経営の核に据えるというなら、少なくとも、数は心だということが入ってこないといけないでしょう。それがないとP/L、B/Sに心が入らないのですね。それがないP/L、B/Sなら魂のない経営です。マネジメントは物、心は別と言う従来の延長になるのです。物心であって物+心ではだめなのですね。物心で行くためには数霊でいかないとだめなのですね。表面的な心(犠牲的な心)を持ってきてもそれは滅私奉公の精神であって農耕民族=弥生人の勤勉さであり、アメリカの心と同根(物+心)なのですね。これでは決して資本主義のブレーキにはならないでしょう。

    縄文の心とは物心=数霊であって数+霊ではないとうことです。数霊が数+霊となった典型が現代数学であり、それが金科玉条としているのは負の数(-)や虚数などの不自然な数です。縄文の数霊とは九進法であり、単に加算、減算、比などの正の数による計算の仕組みがあるだけなのです。

    プラトニストでもある量子物理学者のペンロ-ズは「宇宙は整数だけでつくられている」と言いましたが、これは反エントロピーの佐野博士の主張(自然は多項式でできている)とも一致します。

    自然は多項式で表現できる
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200431175

    すなわち宇宙は「比」、「足し算」、「引き算」という単純な算術演算だけで創られていると言うことそのままです。

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  • from: 生成門さん

    2013年10月24日 08時32分43秒

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    文脈を利用した暗号化は世界で始めてである

    文脈を利用した暗号化は世界で始めてである
    <神の数学との共振:ひふみの祝詞は陰に隠し陽に表現する暗号方式を採用している>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200478539

    四次元能は暗号解読の過程を大事にしたいのです。暗号を解読したのは、何故、岡村天明ではなく佐藤氏なのでしょうか。何故、四次元能は神の数学に辿り着いたのでしょうか。そのことが重要なのですね。

    先を続けましょう。

    暗号化する場合、陽(あからさまに)に保存することは危険です。文化(思想)と言うのは支配者にとって最も危険な対象なのです。弱者としてはやむを得ず、他の方法を選択しなければなりません。万が一、敵に情報が渡ったとしてもそれが破られないことが必要なのですね。そこで、岡村天明が考えたのは陽としての神道です。神道と言うのは伝統的な宗教ですから、大ぴっらに存在しています。ですから隠す必要がないわけですね。これを使って陰に隠したのですね。神道に封じ込めたとも言えるでしょう。そしてきたるべき未来に託したのですね。

    これが暗号化の真相だと思うのですね。

    チュモンの場合はその謎を解くシーンは僅かしかありませんが神の数学では佐藤氏が相当な時間(一生?)を掛けたようです。孤高の学者のようですのでコツコツとやってきたのではないでしょうか?

    肝心のひふみ祝詞ですが「ひふみ」と数え「たり=十」で終わります。

    <ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ>たり

    「たり」を除いた九つの数詞文字で自然の姿を高々と謳っています。ただただ感謝を捧げているのです。しかし、陽に称え上げているのです。ここには何も隠すものがありません。これは表(陽)の表現だからです。しかしれっきとした暗号です。ですから、単に素晴らしい歌だというだけの意味ではないのですね。裏には暗に示している意味が隠されているのです。チュモンの秘儀書は鉄を薄く延ばす技術という即物的な情報の暗号でしたね。しかし、ひふみ祝詞は即物的なものでものではありません。ですから、暗号というと大げさかもしれません。陰としての何かを暗示しているというだけです。その何かと言うのが、今、私達は佐藤氏によって「これは暗号だ」と教えてもらったので、そういう目で見るから暗号に見えるのであって、もし、佐藤氏がいなかったら誰もそういう目では見ないでしょう。それこそが岡村天明の狙い、いや、縄文人の狙いだったのではないでしょうか。誰にでも簡単に見破られてしまうようでは暗号の価値がありませんよね。

    しかし、絶対に分からない暗号でも困るのですね。そこで必要になると自然と分かる人が現れると言うのは一番です。それは共通の基盤がある人です。その人はどんな人でしょうか。そうです。それは縄文人の遺伝子を持っている人です。縄文遺伝子を持っている人だけが岩戸の扉を開けることのできる鍵を持っているのです。そうことを前提にすれば必要な時に必ず現れますので開ける事ができるということになります。

    必要な時というのは危機が迫っている時です。危機は遺伝子にスイッチが入るのですね。そして「扉を開けよ」と命令するのですね。こうして佐藤氏の遺伝子にスイッチが入り、多大な時間を掛けてその暗号を解いたのですね。

    暗号化したのは岡村天明ですが、その暗号化の手法は極めて合理的でインターネットの共通鍵方式に似ているのです。共通鍵方式の説明は後でしますが、簡単に言うと陰と陽に分けるということです。陽に表現するのは誰にでも分かっても良い情報です。陰とは暗に示すことです。暗に示すとは暗示することです。暗示とはその相手が、その暗示の意味を理解できなければ馬耳東風です。つまり、文脈が分からなければ暗示は意味が通じなく、文脈が通じれば理解できますから暗号になるのです。特定の人だけに通じるのですから暗号になるのですね。時代を跨って伝承したいのですからその文脈が通じる人と言うのは同じ遺伝子でなければならならないということです。

    遺伝子が同じなら通じるという方法は画期的な暗号の方法ですよね。こんなことを実験した例は世界でも例がないのではないでしょうか。ダ・ビンチ・コードや易や禅語録なども一種の暗号でしょうが解釈の自由度が多いという意味では本当に暗号とは言えないでしょうね。その点でひふみ祝詞は誰が解読しても同じになりますから優れた暗号です。それは数がベースになっているからということになりますし、逆に数は霊(宇宙の意識)だということを証明しているとも言えるのです。その事を佐藤氏は繰り返して訴えています。それは検証できる内容だと。ですから、私達も騙されたと思って検証してみましょう。量子論の運動量はない電子が存在するという話は検証のしようがありませんが、ひふみ祝詞はここに開示されているのですからいつでも検証できます。

    文脈を利用した暗号化という仕組みは世界で始めてです。このことはひふみ祝詞を理解する上でとても重要なことです。これは神道専門家さえも騙しているということです。神道専門家が神の数学は「語呂合わせ」だと批判するぐらいです。岡村天明からすると専門家でさえ騙せたということですから大成功だったということですね。何故なら専門家でも縄文人だとは限らないからですね。縄文人でない人に分かってしまったら、それこそ隠蔽されてしまう可能性がありますよね。

    文脈を利用した暗号化という仕組みは今後のベースとなりますので、もう少し説明しておきます。

    これは言語の陰陽の対称性に関わる話になります。言語には文字通りの意味であるコンスタンティブという陽の働きと隠された意味であるパフォーマティブという陰の働きがあります。例えば、「彼は犬だ」と言った場合、陽の意味は文字通り犬=忠実だということでしかありません。しかし、陰の意味はスパイ(警察の犬)ということになります。これはその社会のコモンセンスであり、文化です。文化とは文脈ですから、文脈を理解できなければ「彼は犬だ」=「彼は警察のスパイだ」とは解読できないのです。従って、陰=暗に示す=暗示は十分に暗号となるのですね。当時の縄文人にとって弥生人の目を盗んで隠すためには数え歌は暗号として格好の材料だったのですね。

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  • from: 生成門さん

    2013年10月24日 08時18分20秒

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    ひふみの祝詞は陰に隠し陽に表現する暗号方式を採用している

    ひふみの祝詞は陰に隠し陽に表現する暗号方式を採用している
    <神の数学との共振:{ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ}・・・たり>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200477823

    ひふみの祝詞は縄文の暗号であり、言葉に霊に宿るという不思議さの源泉となっています。言霊と言うのはこれが発信元なのでしょうね。しかし、ひふみの祝詞の本質は言霊ではなく数霊にあります。言霊が先なのではなく、数霊が先だと思ってください。ここを外すと神道家と同じになってしまいます。神道家はひふみの祝詞を数に托された暗号だと理解していないのですからね。身内を騙しているとも言える隠し事ですね。それもそうする必要があったということですね。

    暗号ですから本当の真実は祝詞の陰に隠蔽されているのですが、どのように隠したのでしょうか。それはあたり障りない表現にすることです。日常でも陰に陽にと言いますが、それです。

    陽の言葉の裏に真実を隠しているのです。人目を引かないように世を憚(はばか)って永らえることを狙っているのです。表現方法は独特です。アナグラム的(言葉遊び)とでも言えるでしょう。しかし、これが縄文人の知と汗の結晶なのですね。陰に陽に表現して弥生人の目を逸らしたのです。そして具体的な数霊化=暗号化という秘術を考え出したのです。これは凄いことですね。それほどにする切迫した状況が当時の縄文人にあったのでしょうね。

    どんなことがあったのでしょうか。類推するしかありませんが、そこにあった切迫した状況とは民族の危機でしょう。その危機とは滅亡ですね。そういう状況では岩戸を閉めるときなのです。資料によれば、紀元の前後あたりで大規模な大陸勢(弥生人)の日本侵攻、征服があったとされています。

    当然ですが、すべての文字や伝統文化が完全に破壊、抹消されるでしょうね。こんことからも暗号化の必然性が理解できるでしょう。当時の弱者である縄文人は弥生人の攻勢から逃れ身の保存を図ったでしょうが、それは家族の安全という意味だけではありません。種としての精神(文化)を保存するが最大の課題であることは言うまでもありません。裸一本で逃げるとかいうのは嘘です。必死で隠すものです。

    これは韓国ドラマのチュモンの例を見ても分かりますよね。チュモンが建国するときに古代朝鮮軍の鉄の鎧と秘儀書(鉄を薄く延ばす方法)を探し当てますが、それは暗号で描かれておりその謎を解くシーンがあります。古代朝鮮の人たちは子孫に期待してそれを残しておいたのですね。裸一本で逃げることなど決してしないのですね。まあ、下々は逃げるでしょうけどね。

    朱蒙(チュモン)」第68話
    http://omoomo.cocolog-nifty.com/villa/2007/10/68_a8e8.html

    でも、暗号化するということは敵に見られたくないからですが、その鍵がないと開けようがないですよね。チュモンのドラマでは頭の良い人がいたのでどうにか解けましたが、ひふみの祝詞ではどうしたのでしょね。

    それを解こうとしているのですから、もう少し待ってください。大方は佐藤氏が解いてしまっているので先を急ぐ人はこちらを見てください。

    神の数学
    http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/kamisuu04.html

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  • from: 生成門さん

    2013年10月23日 19時07分07秒

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    {ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ}・・・たり

    {ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ}・・・たり
    <神の数学との共振:何故、岡村天明は日月神示を暗号化しなければならなかったか?>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200477500

    ひふみ神示と九進法を結びつけるのは「妄想的論理展開と愚劣な語呂合わせ」だと指摘している方がいますが果たしてそうでしょうか?

    ひふみ神示(ひつく神示、日月神示)の批判的検討
    http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/hihumi.html

    これに対する答えは佐藤氏の解釈を理解すれば明らかになります。ただ、この批判では何故、妄想だと決めつけているおり、「何故」ということについての説明がないのですね。

    確かに岡本天明が九進法的宇宙論を持っていたかどうかについては証明できませんが、それは古代から受け継いだ縄文遺伝子であり、岡本がかってに神示した幻想ではないと思うのですね。すべては縄文人に伝わる循環法=ひふみ算法であり、宇宙普遍の計算法なのですね。この事をしっかりと神の数学を参考にしてひふみ算法が単なるコジツケでないことを四次元能で明らかにしたいと思っています。

    ひふみと数える歌は誰にでも親しめるものです。昔の人は<ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ、たり>と数えていました。ここで、ひ(日,光)、ふ(風,空気)、み(水)、よ(世、地)、いつ(出づ,現われる)、む(虫)、なな(魚)、や(鳥)、ここ(毛々,すなわち獣)、たり(足りる、そこまで、完了です。

    ここに出てくるは自然そのものです。古代人は数に託してその自然を歌い上げていたのですね。まあ、自然ですから、先ず太陽の光があり、次には空気と水があって、地球が出来上がったとするのは当然でしょう。しかし、その後に自然生態系の発生があって現在の世の中が出現したと歌っているのですね。これには驚きです。その発生した順序が、虫(三葉虫などの原始虫)から始まり、魚類、鳥類、やがては哺乳類の発生に至ったといみじくも語り上げているのです。

    これにはダーウインも脱帽でしょう。これが古神道の奥儀祝詞「ひふみ天地の数の歌」の持つ真の姿であり、その内容なのです。何と素晴らしい自然の真実の姿を語っている言葉なのでしょう。

    感心している場合ではありません。岡村天明は数え歌を使って暗号化したのです。実にすごいアイデアです。どうしてそこまでやるのかという疑問が出て来るでしょうが、戦いに於いては文化と言うのは常に抹殺の対象なのですね。暗号化したのは必要に迫られてというのが真相でしょうね。

    韓国ドラマでハングル文字を開発したのはあの有名な世宗ですが、その当時、何が問題だったかというと明の圧力でした。それほど独自の文字を持つことはまさに自立を意味していたのですね。下手すると国がなくならずとも隷属することになるのですからね。

    韓国は常に明との闘いで葛藤していたのですね。韓国の国旗が陰陽であることはその事を表現しているのではないでしょうか?

    陰陽であって陽陰でないことに意味があるのですね。陰陽は暗号なのです。その意味を説明できるのは縄文人の心だけです。ひふみの歌はまさに縄文人の心(暗号)であり、それを残すことが生き残りそのものだったのですね。だからこそ自然の真実を美しく歌い上げているのであり、天地の成り立ちの様子を歌っているのです。その姿は天地の数の歌の名に恥じない創造・生成の歌なのです。

    岡村天明も日本の当時の状況(敗戦)を目の当たりにして神道の中には眠っている全人類の最高の叡智(陰陽の智慧)を残して置かなければならないと思ったのでしょう。当時の神道家なら数え歌が歴史的にも謎の存在であった言霊の現われであることは理解していたと思うのですが、果たして数霊として認識していたかは疑問です。何故なら、現代の神道家でもひふみ祝詞を九進法とは理解していないのですね。

    岡村天命だけがそれを明確に意識していたからこそ「十」で完了としたのですね。この当時、算盤がありましたから「十」は完了ではなく桁上がりですからね。この違いを強調したかったのです。しかし、余りあからさまに強調すると暗号でなくなってしまいますね。それが知られると弾圧されことは自明ですから天明は残すことを優先したのですね。

    岡村天明の発想は縄文人の発想そのものです。陽の裏には陰があるのです。陽の裏にもう一つの別の力(陰)のあるという不思議さを理解しなければなりません。陰陽の順序はどっちが先で後かは意味がないようですがそうではありません。陽陰でなく陰陽なのはそれ自体が暗号なのです。

    文字通り自然は陰陽であり、陰が先で陽が後、これが真実なのです。本当にそんなことが言えるのでしょうか?

    それはひふみの祝詞にしっかりと隠されているのです。その暗号の解読は後にして常識で考えましょう。日常的にも陰(暗に示す)に陽(明らかに示す)に表現することで本当の真実を語ろうとしますね。これこそが暗号の原点なのです。陽は表で公開され、陰は裏で隠される暗号です。ですから陽陰ではなく陰陽と言うのです。陰が先とは陰が真実(本当)だということですね。これは建前(陽)と本音(陰)となって日常の生活に浸透していることです。陰が先、陽が後はひふみの技(暗号)と言えるでしょう。

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