新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

チャットに入る

サークルに参加する

ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 生成門さん

    2012年12月30日 14時57分23秒

    icon

    今・ここでの認識が三角錐V

    今・ここでの認識が三角錐V
    <三角錐を内包する象徴方程式>

    光は海馬に滞留しているか?
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200103822

    の続きです。

    光が主役なら脳はPS三角錐が活躍している認識の場(能舞台)であると言うことになるのですが、そんなシナリオが待っているのでしょうか? もしそうなら、それは「PS三角錐は光である」と言うのと同じことです。既に、「四元数(クォータニオン)は光である」と言いましたが、全くその通りだったということですね。

    光はクォータニオンだった(10)クォータニオン的宇宙観
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200025573

    現在、四元数はイオタの登場で拡張された四元数となって、それがモナドックスロジーに組み込まれ思考兵器EVAの威力が更に一段と増強されてきています。増強されたEVAを駆使して今年最後の山場を華々しく光の舞いを舞いましょう。

    認識のPS三角錐が光であるなら光の舞いは変身の舞ということになります。どんな変身の舞なのでしょうか? 光は四元数(ベクトル)であり、その特徴は非対称性(非線形)であり、記憶の源泉であり、記憶はスカラーであると言いましたが、このままでは齟齬ですね。泊まっている光は記憶されるときにスカラー化されるのでしょうか?

    この問題はしばらく留保して、四元数の変身について探求しておきましょう。拡張された四元数Q=w+ιVのVは共形変換(角度を保持する変身)されたPS三角錐はit+jK+kTです。四元数はもともと変身する能力をもっていたのですね。単位ベクトルで表現するとv=i+j+kですが、これにスカラーのt,K,Tが付帯してベクトルとなっているのですが、その変身術が共形変換であり、角度を保持する変身術なのですね。どのように変身するのかが見物ですね。

    PS三角錐Vは三人称の認識であり、人間の記号過程をモデルにしていますので、wをスカラーの時間(時刻)とすると、Qもまた持続を伴った認識と言えるでしょう。一年前の記憶が想起され、それをはっきりと一年前の出来事であると認識できるのは記憶に時刻が刻印されているからなのですね。この当たりの記憶・想起・認識・時間の関係を光の認識として四元数で表現するのが、只今の挑戦課題です。

    時刻が刻印された認識をQとすると「今・ここ」での認識はVとなるでしょう。もちろんQもVもベクトルですが、記憶されるとスカラーになります。しかし、拡張された四元数Q=w+ιVには記憶が表現されていません。どこに記憶が隠れているのでしょうか? 「只今」の認識には残像が伴いますので、残像が記憶になることは間違いなさそうです。だとすると、その残像を見つけることが、光のスカラー(記憶)を見つける手掛かりになるのではないでしょうか? 残像というのはベクトルなのでしょうか? スカラーなのでしょうか?

    続く

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 生成門さん

    2012年12月29日 16時40分02秒

    icon

    光は海馬に滞留しているか?

    光は海馬に滞留しているか?
    <三角錐を内包する象徴方程式>

    認識のオセロゲーム
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200103812

    の続きです。

    回転と記憶や意識がどんな関係にあるのかは大変興味があるところです。意識の創発の仕組みがまだ解明されていない現状では、仮説ならまだしも妄想で類推を重ねるのは屋上に屋を重ねる摩天楼を作ってしまうことになりますが、それがそうならないためには数学的な縛りが必要でしょう。数学の素人としてはつらいところですが万華鏡的インターネットのモナド特性を生かして、なんとか喰らいついていきましょう。

    それを可能とするにはモナドックスロジーという思考の兵器(EVA)があるからなのですが、それを使いこなさなればなりません。只今その練習中です。EVAを使いこなせればジャックの豆の木でも述べたとおりPS三角錐のbodylineを生成して天にも行けるでしょう。

    「ジャックと豆の木」のパロディ(4)仏教をハミルトン空間という数学の言葉で語れるときがきた
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200065158

    人間の脳内はPS三角錐が活躍している場(能舞台)であり、それが回転して繋がっているのですね。回転の舞といったところでしょうか? そんな世界をイメージするには電子のスピードで情報が行き通うインターネットの内部を想像するしかありませんが、電子のスピードが速いと言っても映像を見ているとタイムラグがあります。つまり、無限速度とは言えませんので、あくまでメタファでしかありません。

    無限速度と言えば光ですね。確かに脳の中は電子が走っていますが、それは無限速度でありません。私達の認識は観念的同時であり、無限速度です。無限とは観念的であり、時間が掛からない、つまり、瞬時であると言えるでしょう。脳の内部では光が「いる」のでしょうか?

    光は外から来て網膜で電子にエネルギーを与え、後は電子の独り舞台というのが、これまでの視覚による認識の説明でした。脳科学的にはニューロンの発火という説明であり、そこでは電子が主役なのです。無限速度の認識が可能であるためには「光」が主役でなければならないのですね。脳の中で光が蠢いているとかいうのはちょっと考えにくいかも知れませんが、しかし、電子と光は友達だったのですよね。確かに、外の光が中に入ることはできませんが、電子が光に変身する事はできます。もし、脳内の意識は光が主役だと言えなら、四次元能としても大きなシナリオの転換です。

    もし、そうならば脳内にはPS三角錐が活躍している認識の場(能舞台)であると言いましたが、PS三角錐(認識)を光と言いかえても筋が通るでしょう。そうであるなら、脳は光が活躍している認識の場(能舞台)、又は、光と電子が共演する舞台だと言えるでしょう。

    常識では「光は動くもの」ですが、脳内に「いる」なら止まっている光が存在しなければならないことになります。例えば、認識はいつも記憶が付随しますので、記憶の正体は光ということになります。しかし、記憶はスカラーであり、光はベクトルですので齟齬がありそうですね。スカラーの光とはどんな光なのでしょうか? 認識のオセロ(スカラーとベククトルの裏返し)ゲームがあるのでしょうか?

    脳科学の知見によれば、記憶は海馬という物理的な場にあるとされていますので、もし、記憶が光なら光は止まって存在しなければならないことになります。光が泊まっているというのは考えにくいのですが、光を能舞台の主役にしようとすると、どうしても泊(止)間って貰わないと困るのですね。光は泊まれるのでしょう?

    実は、既に、「光はトラップする」ということを探求しています。

    フォトニックフラクタルというトラップ(罠)http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100103438046

    従って、光が脳内に泊まるのは不可能ではないのですね。後は、「実際にその可能性があるのか」ということですね。

    もし、光が主役になれるなら記憶の問題はすんなりと解決するのですね。というのは人間の記憶というのは無意識を含めると無限です。それが電子の形で記憶するとなると不可能なのですね。そのことはコンピュータのメモリーを考えるとよく分かるでしょう。電子媒体というのは有限なのですね。ですから少なくとも脳内の記憶に関して電子は主役にはなれないのですね。

    それが光なら大変に都合が良いのですね。何故なら光はボーズ粒子であり、実空間の有限性を必要としないのですね。つまり、いくらでも重ねて保存できるのですね。重ね着をしても肥満にならないと言った感じですね。一方、電子はフェルミ粒子であり、一つの状態に一つしか入れないという性質があり、この性質があるがために私達のこの世界が物質というか固まりでできているのですね。存在とは電子に依存していると言ってもいでしょう。

    従って、「脳が物質である」というのは電子が詰まっているからなのですね。その脳に意識という非物質が創発するのですら、とんでもない「能」なのですね。しかし、雪乃上変化ではないですが、電子と光は互いに入れ変わるのですね。光自身がトラップされることが実験で分かっていますので、電子が光に変身してそれが滞留すると考えてもおかしくなないのですね。

    光が滞留するならその場所は海馬であり、その小さな空間に留まれるのは光が重ねることができるボーズ粒子だからなのですね。この重なりをイメージするにはテレビを想像すればよいでしょう。テレビと放送局の間の電波空間を脳内の海馬としましょう。こっちの空間は海馬に比べると広いですが、光にとってはそんな三次元空間の物差しは関係がありません。どんなに小さくても無限大の空間なのですね。実際、電波はテレビの周辺ではいくつもの放送局から発信される電波が折り重なって存在しています。つまり、光にとっては物理的空間には制約されないのですね。事実上無限なのです。ボーズ粒子の光だからこそ海馬という狭い場所に無限の記憶が可能であると説明できるのですね。

    ここまでくれば「光が記憶・意識」であることを明証すれば「よい」ということになります。今年も後わずかですが、四次元能の最大の山場に差し掛かってきたようです。

    続く

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 生成門さん

    2012年12月29日 16時21分33秒

    icon

    認識のオセロゲーム

    認識のオセロゲーム
    <三角錐を内包する象徴方程式>

    記憶はスカラーであり、ベクトルではない
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200101098

    の続きです。

    スカラーとベクトルは物理現象を表現するには大変に都合の良い概念です。物理現象というのはすべて力(量)と向きを持っているからです。質を表現するには向いていませんが、しかし、ベクトルを力としてではなく線分(長さ:スカラー)としてみると精神という質を扱うことができます。精神は非物理現象ですが、何物かについて関心を向ける意識(志向性)を単位ベクトルとし、その意識の強さを線分(スカラー)とすると、精神は質ベクトルなのですね。認識というのは精神作用の一種ですので、精神をベクトルとすることで幅広い認識の作用をベクトルという概念で説明できるのですね。それが三角錐という形で表象されたのですから私達は強力な武器を持ったことになるのですね。

    ベクトルの裏側にはスカラーが張り付いており、それが認識されたときには何時も表になるのですね。認識するときはベクトルであり、認識されたときはスカラーになるのですね。例えば、温度というのはスカラーですが、それを認識(観測)しつつあるときは差異であり、ベクトルなのですね。しかし、認識されたとき、つまり、観測したときはスカラーの温度(ラベル)として現れるのですね。スカラーとベクトルはオセロのようなもので認識のウロボロスです。スカラーはベクトルになり、ベクトルはスカラーになるという非常に微細な記憶・表象・想起とが錯綜した認識のカラクリがあるのですね。私達は認識のオセロゲームをやっているようなものかもしれませんね。

    あらゆる差異はベクトルですが認識されるとスカラーになって記憶されるのですから、それは情報であるとも言えます。こうした記憶・情報・想起・表象といった一連の認識に纏わる精神作用を理解するのはコンピュータというメタファを使うのが一番です。もちろん、コンピュータは単なるメタファのすぎないのですから、あまり過信するとスタックしてしまいます。それを忘れなければ大丈夫でしょう。

    では、精神作用をコンピュータに喩えて説明してみましょう。

    ラスタデータとベクトルデータ

    http://pctraining.s21.xrea.com/multimedia/graphic-format.html

    以下、引用しました。

    コンピュータ上の2次元の画像データ、すなわち「絵」には大雑把に分けて2種類あります。一つはベクトルデータ、もう一つはラスタデータ(ビットマップデータ)です。ベクトルデータとは、計算によって描かれているグラフィックデータのことで、拡大縮小を行っても絵が粗くなることはありません。この形式ではその「絵」について、線の位置、長さ、太さ、カーブの角度のデータを持っていて、画面やプリンタに出力するときに、指定の位置に大きさ、長さ、 太さなんかを計算で変化させているのです。(角度は変わりません。拡大縮小の基本。)こうしてやると画面で 50% の大きさで表示しても、100% で表示しても、でっかく印刷しても同じように見せることができます。分かりやすい例で言えば、イマドキのワープロソフトは文字をいくら拡大してもギザギザ になったりしませんね。あれがベクトルデータです。

    デザインの世界ではこのベクトルデータが重宝しまして、拡大縮小が自由自在ってことは、例えば一つのデザインを完成させたら、それを新聞広告にもおおきな看板にも小さなシールにもそのまま使えるんですね。ということはベクトルデータをコンピュータ上で作れば、画面で見るときも雑誌に印刷するときも、ポスターに印刷するときもそのデータをそのまま使えるってことなんですね。まさにデジタルさまさまって感じです。

    対してラスタデータはすべて点の集合です。よくパソコンでは画面のサイズが 1024*768 であるとか、プリンタの印字品質が 600dpi であるとか言われますが、これは「点の数」を表しています。コンピュータってのは画面に出すときも印刷するときも最後はたくさんの点の集合で文字や絵を表 していますが、その点の集合をそのまま扱うのがラスタデータです。

    ラスタデータの場合、拡大するときに「点」の数を増やさないと、点がそのまま大きくなるので、絵がガタガタになります。ガタガタにしないようにするには点の数を増やさないといけません。例えば画面で見てちょうどいいデータと、印刷してちょうどいいデータはその大きさがまったく違います。画面は大きくてもせいぜい1600×1200 くらいまでしか普通は使えませんが、これを 300dpi のプリンタで印刷したらせいぜい 5cm×4cmくらいにしかなりません。名刺より小さいサイズです。

    しかし、点が増えるってことはそれだけ情報量が増えるということで、大きな画像データになればなるほどファイルサイズが大きくなります。この辺がベクトルデータとは違うところです。

    ―――

    ラスター(点)とスカラー(数値)は違いますが、共にベクトル(線分・向き)ではないという意味では同じです。どっちもデータですので、その内容そのものですのでスカラー仲間としてよいでしょう。しかし、ベクトル・データといっています。データはスカラーかラスターですので、どう理解すればよいのでしょうか? ベクトル・データとはベクトルのデータです。つまり、ベクトルではないのですね。スカラーは実体ではなく表象であり、ベクトルは認識であると言いましたが、認識されたものは記憶であり、スカラーです。つまり、ベクトルも差異であり、実体ではないのですね。ベクトルをベクトルとしては認識できても、それを表象したとたんにデータになってしまうのですね。ですから、ベクトルではなくベクトル・データなのですね。

    コンピュータというのは情報処理マシンとでいうように、まさに情報を扱っているのですね。脳も情報を扱っているのですから、コンピュータと全く同じではないとしても、似たようなメカニズムを持っていないことには話にならないでしょう。コンピュータは電子が主役ですが、脳は光が主役です。その違いは大きな違いです。そのことがわかかただけでも、今回の探求は大きな収穫があったと思います。記憶のメカニズムの探求の更なる漸進になると期待して先に進みましょう。

    続く

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 生成門さん

    2012年12月27日 10時20分59秒

    icon

    記憶はスカラーであり、ベクトルではない

    記憶はスカラーであり、ベクトルではない
    <三角錐を内包する象徴方程式>

    「観念する」は離散(ディアスポラ)を勧め
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200101068
    の続きです。

    「観念」が「執着」の反対ベクトルであり、そのベクトルには場所の指定がいらないことを確認しました。ただ、名詞化すると「向き」が抜けてしまうのでスカラーとなってしまいます。

    ここに記憶のメカニズムをベクトルとスカラーで表現できる可能性が見えてように思います。名詞化されたスカラーが記憶であり、それが想起されるときにベクトル化されるという仕組みですね。

    「執着する」という動詞になってはじめて「何に(対象)」が出て来るのですね。「執着する」と「物」が対になって記憶されるよりは、執着(もの)=述語関数となっているのではないでしょうか? 「もの」は具体的な「物」ではなく概念としての「物」であり、具体的な物はその都度選択され検索されるという仕組みですね。

    その方が想起のメカニズムとしては効率が良いですよね。ここで出てくるのはGoogle検索などで使われる述語論理であり、SQLの中の述語関数ですね。実際の脳の検索はこれと同じではないでしょうが、ベクトル化というのは関数と同じことをしているのですね。

    SQL言語における述語(関数)
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100109358024

    つまり、想起ベクトルはスカラー(記憶)から計算(対象と心を結びつけける)されるのですね。「観念する」はその反対のベクトルですから対象と心の結びを解くのですね。

    ベクトルというのは単位ベクトル(色のつかないべクトル)があって、それにスカラー(色)をつけるとベクトルになるのですから、単位ベクトルを空とすると、色即是空とはベクトル=スカラー*単位ベクトルを意味しているといえるのではないでしょうか? それなら空即是色はどうなのでしょうね。それは単位ベクトル=ベクトル/スカラーですね。

    概念と観念は似ていますが、概念は記憶の対象物であって、観念は記憶ではないということですね。観念は単位ベクトル(空)であり、概念という物を具体的な個別の物(スカラー)に結びつけ、ベクトル化する作用なのですね。

    一応、結論として

    「記憶はスカラーであり、ベクトルではない」としておきます。

    ただし、スカラーは量であり、質的なものは捨てられてしまいますので、まだ、ベクトルとスカラーだけで説明するのは十分ではありません。ベクトル計算機でも説明したようにベクトル計算は時間を稼ぐのでしたよね。

    しかし、図をベクトル化すると質感がなくなってしまうのを見ましたね。

    写真や画像をベクター化してくれる「AutoTracer」

    http://web-marketing.zako.org/web-tools/make-vector-graphics-online-autotracer.html


    ―――

    記憶のメカニズムについてはまだ本格的な探求をしていませんので質感(クオリア)がどのようにして脳内で生成されるのかについては不明です。これからの課題として留保しておきます。ただ、現時点ではっきりしたことは、「観念」は「観念する」であり、その作用はベクトルだということです。

    副産物的効果もあります。

    四次元能は唯識をPS三角錐の言語を使って説明したいという思い(観念)があるのですが、「観念」がベクトルであることがはっきりと認識できたことで、その可能性が見えてきたということです。悟りというは無限速度のトンネル効果(閃き)だと思うのですね。瞑想によって、空(単位ベクトル)に様々なスカラーがよってきて、そのどれかが結合してベククトル(色)となって認識が生まれるという空即是色の構図が見えてきました。その反対はベクトル(色)が単位ベクトルとスカラーに分離される過程(色即是空)です。仏教の基本である命題(空即是色・色即是空)をベクトルとスカラーで語れるとは思いもよりませんでした。

    これまでの解釈では、色はこの俗世界の現象(しがらみ)であり、空は一切が無であるような意味のない世界(しがらみがない)であり、意味=「しがらみ(欲)」であるから、そんな欲は「捨てろ」というような言い方しかできなかったのですが、ベクトルとスカラーを使うと全く印象の違う表現が可能となりました。つまり、色はこの俗世界のベクトルであり、空は単位ベクトルであり、その周りにはスカラーがうようよしていて出番を待っているとしましょう。すると、スカラーは単位ベクトルに受精して、受精卵ベクトルとなって世界に出るのです。受精卵はその後、他のべクトルと出会い成長して成人ベクトルとなり、老人ベクトルを経て、最後は死人ベクトルとなって、スカラーが抜け落ちて、単位ベクトルとなって空に戻るといったシナリオが考えられますね。

    もちろん、この世界はベクトルですので、山や川だけでなくミクロからマクロまでがベクトルの場なのですね。特に留意すべことは心理の場、意味の場にもベクトルが登場するという点です。色即是空が悟りの構造だとすると、それは意味のない単位ベクトルにスカラーである意味が付着して「しがらみ(欲)」(ベクトル)になると解釈すれば、欲=意味*単位ベクトルであり、空(単位ベクトル)になるためには欲ベクトルから意味を「捨てる」ということになります。

    単に「しがらみ(欲)を捨てろ」という格言的な教えよりは、「欲ベクトルを無化せよ」(単位ベクトル化)と言った方が探求の可能性がありそうですね。悟りの構造をベクトル場の作用と看做すのはアナロジー的臨床であり、それを齎しているモナドックスロジーの圏の舞いであり、無限速度の「閃き」が必要になるでしょう。

    悟ることがベクトルの無化、つまり、単位ベクトルの認識を生成するという話になったのですが、それは、つまり、無限速度のトンネル効果(閃き)として、新たなベクトルが生まれたということではないでしょうか?

    臨床的探求とは常にベクトルの生成であるということですね。従って、色即是空・空即是色は、ベクトル⇒単位ベクトル⇒ベクトルと表現できますね。

    続く

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 生成門さん

    2012年12月27日 09時58分11秒

    icon

    「観念する」は離散(ディアスポラ)の勧め

    「観念する」は離散(ディアスポラ)の勧め
    <三角錐を内包する象徴方程式>

    記憶はベクトルか?
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200099874

    の続きです。

    リンゴという概念は意味空間にあり、それが記憶であり、情報であり、ベクトルであるというのは真実なのでしょうか?

    概念は観念と似ていますので、「観念」を鍵にしてそのあたりを探ってみましょう。観念とは文字通り「観る+念ずる」という述語動詞が名詞化されたものです。名詞はスカラー、述語動詞はベクトルと言っても良いも知れませんね。もしそうなら、名詞を動詞化すればスカラーをベクトル化したことにもなるでしょう。観念を動詞化すると「観念する」となります。では「観念する」にはどんな意味があるのでしょうか?

    良く「観念しろ」などと言いますが、それは十手持ちが泥棒を追い詰めたときに使うセリフです。現代では、「観念する」とは「絶体絶命に追い込まれたときにしか使わないようですが、要するに「スタック(袋小路)」したときに「諦める」という意味に使われているのですね。

    本来、「諦める」は仏教用語であり、「真理を悟る」であり、「諦」は「あきらかにする」「つまびらかにする」という意味なのですね。それが俗化されて「断念する」=諦めるとなったのですね。スタックしたのは自業自得であり、自分のエゴ、欲望が原因なのですから、その「執着を捨てろ=断念しろ=諦めろ=観念せよ」というのは筋が通っているのですね。

    「執着する」とは欲望の対象があり、それに心的エネルギーが向けられることなのですね。それはまさにベクトルですね。そのベクトルが三次元実在空間を要請することなど有り得ませんよね。「執着する」ことがベクトルなら「断念する」のはそれと反対に心を向けることを「止める」ということですね。つまり、反対のベクトルですね。よって、観念する=「見る+断念する=見ることを止める=心で念ずる」となって意味が転じてきたのですね。もっと簡単に言えば、あらゆる外にある物からの離散(ディアスポラ)を勧める意味に転じてきたのではないでしょうか?

    続く

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 生成門さん

    2012年12月26日 12時35分18秒

    icon

    記憶はベクトルか?

    記憶はベクトルか?
    <三角錐を内包する象徴方程式>

    回転も情報http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/latest

    の続きです。

    四元数で回転を予測するのはどんな方法で行うのでしょうか?

    3次元の回転 (原点を通る任意方向の回転軸まわり)
    http://www5d.biglobe.ne.jp/~noocyte/Programming/Geometry/3DRotation.html

    既に述べたようにこの図には世界の座標がありません。どこに所在しているかなどの情報は要らないと言うのですね。普通、回転をイメージする場合、コマを想像しますよね。軸があって、その周りが回転するという具合です。原点があって軸がありさえすれば、ある位置にいるものが、次にどこにいくのかが分かってしまうのですね。直感的にはこれは当たり前ですねよ。

    自分がその中心にいるのですからね。自分が世界の中に「いる」ことすら忘れてしまいますね。まあ、実際はコマも廻っている土台があるのですから何かしらの空間があるのですが、それは普通では三次元空間の座標として表現するわけですね。ところがベクトルという概念を使うと、その自己中心的定義(線分と向き)からして、先端と末端と向きを何かしらで指定できれば、あたかもそれ自身が存在する空間など存在しないかのように扱うことができるのですね。それがベクトルを意味空間で扱うことができるようになった契機となったのですね。四元数が象徴方程式によって拡張されることもその定義の仕方が寄与しているのではないでしょうか?

    確かに意味空間などというのは脳内にしか「ない」のであって、脳の外に実在するものではありませんし、意味が三次元物理空間に存在するなどといっても意味がありません。リンゴが目の前にあるのは確か(?)かもしれませんが、リンゴという観念が頭にあってそれをイメージしているから「ある」のですね。

    実際、目の前になくてもリンゴを想起できますよね。それは記憶があるからなのですね。しかし、その記憶がある場所が具体的に指定しなくても、想起できているのですね。それは記憶がベクトルだからなのですね。

    話がどんどん飛んでしまいますので、少し、落ち着きましょう。今年も後わずかになってきたという焦りあるのでしょうか?

    続く

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 生成門さん

    2012年12月23日 13時18分58秒

    icon

    回転も情報

    回転も情報
    <三角錐を内包する象徴方程式>

    思考盗聴は可能か?
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200090602

    の続きです。

    話がずれてきましたのでイオタに戻ります。

    3次元の回転 (原点を通る任意方向の回転軸まわり)
    http://www5d.biglobe.ne.jp/~noocyte/Programming/Geometry/3DRotation.html


    時間が情報であるなら「回転」も情報であると看做せないでしょうか? なぜなら、円盤は時間線と看做せるからですね。現在という時間は原点(MP:過去)からの円錐線と円盤が交わるPから垂直に落とした点と(MP:現在)の長さにOAの単位ベクトルを掛けて求められました。ということは円盤が原点から派生している以上、それはOAと同じ時間属性を持っているということですね。

    つまり、円盤は螺旋状に回転して時間線を進むのですね。ということは、円盤は時間線であり、回転は時間だということになりますね。そして、時間が情報であるなら「回転」も情報であるということになるのではないでしょうか? 回転を情報と看做すとどんなメリットがあるのでしょうか?

    回転が情報であるなら余計な情報を落として、つまり、次元を落とせば答えが見つけられるということですね。回転にとって余計な情報とは何でしょうか? 時間の場合はすべての時間の情報です。その代わりに単位ベクトルがあったのです。単位ベクトルがあったお陰ですべての時間を持っておく必要がなかったのですね。スカラー時間を足しこんでいく時計は必要がないのです。その都度、計算が出来てしまうのですね。それはベクトルが過去から現在・未来までを同時に処理してしまうからなのですね。これを回転に当てはめるとどうなるのでしょうか?

    当然、時刻に相当するのが角度ですね。全ての角度に対する位置を予め持って置くというのが余計なことですよね。ベクトルの並列性、同時性を利用すれば、現在の位置と角度さえあれば、その角度の場合の位置が分かれば良いのですよね。

    それが、不要な情報を落として最短でP'の位置を予測(計算)することであり、回転が情報だということの意味だということになります。

    続く

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 生成門さん

    2012年12月20日 11時02分56秒

    icon

    思考盗聴は可能か?

    思考盗聴は可能か?
    三角錐を内包する象徴方程式>

    感情をベクトルで解明する
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200090558

    の続きです。

    文章をベクトルとする場合は、意味空間の中でベクトル化して、文章同士の文意の類似度について、双方の意味ベクトルの間の距離で判定するといったことが行われているようですね。意味空間というのは並列同時なのでしょうなのでしょうね。だからマトリックスが出て来るのですね。

    特に動きのあるもの意味を時系列変化させて期待値を使い、過去の経験から予測を立てて、予測からの誤差をベクトル化することもできるそうですね。たとえば、誰かが話すパターンにはその人の個性が現れるでしょうね。そうすると話す内容とかテキストには無関係に、人の認識、人のアイデンティファイができたるのですね。こういうのも、一つのベクトル化ですね。ベクトル化というには次元を落として、つまり、情報を捨てて「答え」を求める方法だと言えるのではないでしょうか?もちろん、情報を捨てた分、ツケは払わなければなりませんが。

    思考を理解するというのは四次元能の最大の課題ですが、レーダーを応用した機器を使って、離れた場所から脳波を計測し、その脳波をニューラル・ネットワーク・コンピュータに入力して思考を解読する装置があるようですね。これもベクトルを利用しているのでしょうね。

    思考が盗聴されるなどはあってはならないことですが、内容にはかかわらないいで思考が分かるといっているのですから文章解析と同じなのでしょうね。つまり、脳波が何かの思考を意味するとしても、具体的な指し示しまでを脳波で特定できるとは思えないのですね。つまり、simbolがないのですね。確かに、ブロックサインは意味が分かりますが、それは内部の人にしか分かりません。暗号も同じですね。

    続く

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 生成門さん

    2012年12月20日 10時24分48秒

    icon

    感情をべクトルで解明する

    感情をべクトルで解明する
    <三角錐を内包する象徴方程式>

    脳はベクトル脳かも?
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200090542

    の続きです。

    ベクトルを並列認識、同時の認識のシテとして見ていくと、脳の仕組みが解明できるもしれませんね。ベクトルは文章解析の分野でも利用されているそうからね。大きなベクトル化の流れがあるのかも知れませんね。

    文章というのは思考の反映なのですから、思考がベクトルなら文章を解析すれば思考が分かるのは当然ですね。思考に限らず感情もベクトルですから表出したものを追跡すれば、それを捕まえることができるのでしょう。

    四次元能は「言語はイデアの表出である」として、自然言語から人工言語(manadoや玄語)を使って解明すると宣言したのですが、四元数に掴まって、まだそれを探求するところまでいっていませんが、その代わりにベクトルという大スターを連れて帰ることができそうです。

    凡そ、すべての思考・感情・意志は志向性を持っているのですね。つまり、対象を持っているのですね。対象とはindexです。そしてそれが何かを意味(symbol)しているのですね。例えば、怒りの感情は何か(対象)に向けられます。{怒り→対象}べクトルですね。しかし、これは表面的なベクトルです。三角錐を使うともっとよくベクトルが見えて来ます。

    怒りの感情は主体(MP)から出るのですからMP→怒りj(initial)となり、それが対象に向かうのでMP→i(index)となり、そして、それは裏切り(symbol)を意味しているならMP→k(symbol)となりPS三角錐となります。MPをはずしてみると、三角形が現れてきますね。

    感情三角錐

    怒り(j:initial)→対象(i:index)
    対象(i:index)→裏切り(k:symbol)
    怒り(j:initial)→裏切り(k:symbol)

    感情については宿題となっていたのですが、べクトルという視点が得られたので、更に前進しそうですね。

    続く

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 生成門さん

    2012年12月20日 10時12分52秒

    icon

    脳はベクトル脳かも?

    脳はベクトル脳かも?
    <三角錐を内包する象徴方程式>

    時間とは情報である
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200088884

    の続きです。

    ベクトルというと力学的なイメージが先にきてしまうので、なかなかシンボルがベクトルだと言われても馴染めないのですが、ベクトルを理解するにはベクトル計機算を想像すると良いかもしれません。ベクトル計算機というのはスーパーコンピュータで使われている計算方式で並列計算のことです。脳でも並列処理さているので、脳はベクトル脳なのかもしれませんね。

    並列計算とは、例えば1から10までを足す場合、ソロバンだと1+1=2+1=3・・・54+1=55としますね。これが順番に計算するスカラー計算機なのですね。しかし、ソロバンを10個用意して、1+1=a,a+1=b,b+1=c...54+1=z としておけば、命令すれば、あっというまに55という答えがでてきます。時間がかからないのですね。並列させることがベクトルなのでしょうか?

    再び運動の例で考えてみましょう。

    それは運動会です。リレーという競技がありますね。一人100メートルを1000メートル走るなら10人が必要ですね。ランナーはベクトルです。しかし、10回トラックを廻らなければなりません。

    見ている人は何人目のランナーかとか何位かということに関心があるのですね。それは皆時間に関係していますね。ランナーは何位とか何分とかにスカラー化かされているので、そのベクトル(運動)は見ていないのですね。ゴール間じかでは真剣にみているでしょうが、それも一瞬ですね。

    熱中を持続するのは見る側もベクトルにならなければならないのですね。しかし、人間はプールの中の人間でも示したように「持続する+見る」というスカラー+ベクトル内観人間なのですね。ですから、必然と時間というスカラーをベクトル化しているのですね。それを人間は当たり前にやっているのですから、それがどうなっているのかを説明できなければなりませんが、今のところ脳科学では満足できる説明をしてくれていないのですね。

    そこでベクトル脳という視点で見るとすくなくとも並列処理については明確になるのではないでしょうか? PS理論には観念同時の認識という考えがありますが、それも並列思考ができるからこそ、可能なのではないでしょうか? 無限速度の思考もしかりですね。

    そこで、これらの仕組みを説明するためにリレー運動会を脳に喩えてみましょう。ベクトル計算機を思い出してください。それは並列処理するのでしたね。リレーを並列にすることはできませんが、思考実験としてならできます。仮にトラックを10個用意します。そしてヨーイドンでスタートしたとします。リレーですが一周で決まりですね。

    要するにベクトルは時間短縮の仕組みなのですね。私達は危険な状態に合ったとき、瞬時に判断して危機を脱出することができますが、それも皆ベクトルのお陰なのではないでしょうか? 複雑な思考ができるのも並列に考えているからなのですね。単純なスカラー思考では答えが出ないのですね。たとえ答えが出たとしても、間に合わなくて死んでしまいますね。どうやらべクトルは並列認識、同時の認識を可能とする「脳の中の能」のシテのようですね。

    クォータニオンの乗法マトリックスは観念的同時の認識http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200028011


    続く

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

もっと見る icon