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シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2015年01月31日 17時00分50秒

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    事実とは何か。それは感性によって感知された目撃事件のことである。事件を事実として認知するのは一人称から三人称に変換される必要がある。しかしまだ言語ゲームは始まっていない。

    意識の量子化は感性と知性と理性、事実と真実と真理の言語ゲームによって解明されるようである。それらは対応する。

    言語ゲームの構成

    感性・・・知性・・・理性
    事実・・・真実・・・真理

    ではどんなふうに対応するのだろうか。又、それぞれの言語ゲームとはどんな内容なのだろうか。

    言語ゲームの総体はPS理論を援用するとi*-i⇒±1で表現される。iを自己とすると-iは他者である。原点がi*-iである。これは即非の原点であり自他共振することで実軸に現象するメカニズムを表す。メカニズムも言語ゲームである。

    事実の言語ゲームから説明しよう。

    外界の現象を事実として認識されるためには言語ゲームが開始されなければならない。「これは事実だ」と発話されなければならない。その場所での出来事が言語として表見されなければならないのである。

    しかし、重要なことは言語を使うことは他者を意識していることを意味するということである。言い換えると他者が存在しなければ言語ゲームは存在しないのである。仮に内語(一人言)を言ったとしてもそれは他者が内在しているのである。

    言語は他者を意識させるのである。だから、i*-i⇒+1によって意味が生成するのである。しかし、この論議は単純化されている。

    ここには二つの意味が隠れているのである。自他の関係には対象と他者と二つがあるからである。対象も他であり他者も他である。だから言語ゲームは対象と他者とに分けて考えないといけないのである。

    i*-i⇒+1を厳密に表現すると-1⇐(i,-i)⇒+1である。だから-1と+1に分けて考えないといけないのである。

    +1のメカニズムは
    i*-i⇒+1

    であり

    (自己と他)⇒+1(外在する事件という対象物に対する感性による認知)

    -1のメカニズムは

    (自己と他)⇒-1(外在する事件という対象物に対する認知)

    +1と-1の違いは+1が一人称=内在的、-1が三人称=外在的と考えて良いだろう。要するに対象と一体化しているか分離しているかの違いである。熱いかクールかである。

    i,-i⇒-1となるのは原点の構造が(i,-i)のセットで存在して、意識が発動するとi*-(-i)⇒-1となるからである。*を自他の共振とするなら(-i)は他=自己の否定だから-(-i)は他の否定=自己である。対象に向かった意識が他を否定して自己に戻って来るというのは自他の切断である。反共振である。

    つまり、i*-i⇒+1で対象を外界の事実+1として認識したのであるが、それをi*-(-i)⇒-1として確認したのである。

    このことは感性としての認知が二階建てで行われることを意味する。

    1階>事件の目撃:i*-i⇒+1
    2階>事件の確認:i*-(-i)⇒-1

    この二階の作用によって目撃者は-1を事件=事実として認識するのである。しかし、まだ言語ゲームは始まっていない。

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  • from: 生成門さん

    2015年01月31日 16時14分38秒

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    ベクトルは座標に持ってこられて初めてベクトルとなる。言語ゲームは意識のベクトルを駆動させる。そしてその言語ゲームは事実(感性)と真実(知性)と真理(理性)の言語ゲームを織りなす。

    生命は生きているだけではない。言語(記号)ゲームをするのが生命である。バクテリアだって言語ゲームをしているのである。言語ゲームと言うと言葉を使って話すというイメージが強いからバクテリアが言語ゲームをしていると言うと抵抗があるかもしれない。それを記号ゲームと言うと抵抗が少なくなるだろう。しかし、それをゲームと言うとまだ抵抗があるかも知れない。ゲームを過程と言えば更に抵抗が少なくなるだろう。

    記号過程は生命の生成の根幹なのである。バクテリアは塩分濃度を感知してそこから離散するのである。そこには感性と知性がある。理性はないのだろうか。それがあるのである。

    感性・知性・理性は生成の三項(起源・規範・変化)である。何故なら、塩分濃度を感知するのは感性であり、その濃度勾配を計算するのは知性であり、危険と判断するのは論理であり、理性的判断である。

    理性は人間だけのものというのは身びいきである。確かに人間の理性は高尚であると言うのは正しいかもしれない。しかし、どんな生命にもそれなりの理性はあるのである。

    言語ゲームという視点を入れることに意識を量子化する上でどんなメリットがあるのだろうか。生成の三項を感性・知性・理性としたので言語ゲームには感性・知性・理性の三つのタイプがあると看做すことができる。

    感性とは芸術が依拠する言語ゲームである。知性は科学、理性は哲学や倫理や宗教である。感性は事実をどう表現するか、知性は真実の認識をどうするか、理性は真理にどう接近するかに貢献する。

    日常会話では事実と真実と真理は混同されることが多い。この際だから、四次元能らしい定義をしておこう。言い換えると事実と真実と真理を語る言語ゲームはどう違うのだろうかということである。

    事実を語る言語ゲームとは、現実に起きた事を表現することである。事件と言った方が分かり易い。事実=事件は場所と時間が特定される。具体的な事柄がなければならない。極めて外在的である。その事件を目撃する。まだ言語ゲームは開始されていない。アッ!と思っただけではまだ開始ではない。

    私的言語は言語ゲームではない。確かに意識はあるだろう。しかし、原点⇒意味ではない。今ここで起きている事がなにであるかを自己認識しなければまだ言語ゲームは始まっていない。意識は志向されなければならないのである。志向されて意味が生成されるのである。

    意識の原点⇒?ではまだ意識が生成されたたとは言えない。間欠泉は完結しなければならない。原点⇒意味となってベクトルとしての言語ゲームが成り立つ。ベクトルは囲碁の石(意思)のようなものである。石が碁笥に入れられているうちはまだ石には意思がない。ベクトルは座標に置かれて初めてベクトルとなる。ポストイットの記入さて紙に貼られて意味が生まれのである。

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  • from: 生成門さん

    2015年01月31日 15時57分21秒

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    意識の最小単位を単位ベクトルとする。そのスカラー倍が意識の持続である。恋人に気を取られているその関心が意識のベクトルなのである。だからベクトルは持続である。

    意識の単位ベクトルが意識の量子だとした。意識子である。こうすると意識を対象に向かわせる関数を存在させることが可能となる。それがベクトルなら単位ベクトルがあることになる。単位ベクトルは量子化された意識と看做すことが許されるなら単位ベクトルは意識の最小単位である。

    意識は持続する。持続された意識は単位ベクトルVがスカラー倍nされたベクトルである。意識の単位ベクトルを⇒とすると意識の持続とはその時間発展である。つまり、nVである。図で表現すると

    意識の持続:起点⇒⇒⇒⇒終点

    である。意識は起点があり終点があるのである。生命は意識があるが漠然とした意識があるのではなく、単位ベクトルがありそれが成長してベクトルとなって意識を構成しているのである。これを意識野=内在空間と言う。内在空間には様々なベクトルが布置されており地図化されている。温度勾配だけを取り出したのが温度のベクトル地図である。

    このベクトルの視点に立って生きることを表現してみよう。生きるということの側面にはいろいろあるが、ここでは意識があることの絞ってみよう。

    意識のない状態は死である。脳死は生の終わりである。睡眠や植物状態は仮死であるから死ではない。パソコンで言えばスリープである。しかし、スリープから起きないこともある。障害である。その障害を死とするとかどうかは倫理の問題であってここでは深入りしない。

    生命は生(意識がある)から死(意識がない)に向かっているのである。無意識と言うのは意識がないというのでない。表層に出てこない意識があるという意味である。だから無意識は意識があるのである。だから無意識という表現は適切ではない。深層意識の方が良い。しかし一般的には無意識が使われているので仕方がない。だから、ここでは意識と言った時は無意識を含むことにする。

    その意識が持続するためにはエネルギーが必要である。だから生の意識エネルギーはベクトルである。現代物理ではエネルギーがスカラーであるがS科学ではベクトルである。だから現代物理は生を扱えない。

    意識の持続(ベクトル)
    生⇒⇒・・・・⇒死

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  • from: 生成門さん

    2015年01月31日 15時00分38秒

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    意識を量子化できるだろうか。そのヒントが量子論にある。量子論は波を量子化し場を量子化した達人である。数えられるようにしないと何事も始まらない。

    意識を量子化できるだろうか。唯識を数学すると宣言した四次元能であるが、まだその試みは成功していない。数学とは計算することである。計算するためには数えられなければならない。意識は思考を可能とするが意識を量化できるなら思考も数えることができるだろう。

    意識をどのように量子化できるだろうか。意識には流れがあり表面的には連続しているように思える。しかし、意識がどこかで切れる。良く頭が血に登って「切れた」という。これは意識の切断である。このような方向が変わる場合だけでなく表面的には繋がっているように見える場合でもミクロではぶつぶつなのではないだろうか。

    意識には志向性がある。対象に対して意識が向かうのである。ということは意識には原点があるということである。意識の原点とは何かである。

    意識は意味を生成するのだから言語ゲームを駆動させるモノである。つまり、意識はエネルギーである。意識は間欠泉のエネルギーである。その大元はマグマという無意識である。間欠泉から飛び出したものが意識である。その間欠が意識の原点である。意識は意味を目指して原点から向かう。向かうとは移しである記号論的に言えば生成は指示しである。原点は指し示す記号であり、指示されたものが意味である。

    意識の生成:記号⇒意味

    これを言語ゲームに翻訳すると意識の生成は言語ゲームである。

    言語ゲーム:物語の原点⇒物語の完結

    生成条件は三項(起源・規範・変化)があるが言語ゲーム=意識の志向性はこの三項を満足している。⇒は志向性、変化、規範を表現している。

    一方で意識はエネルギーだから⇒はエネルギーの方向性を、エネルギーが移ることを意味する。又、移しは写しである。生成とは根元があって先端があって方向と力がある写しなのである。言い換えると、生成はベクトル関数(⇒)である。

    エネルギーは現代科学では方向性のないスカラー(値)であるがS科学ではエネルギーは方向性のあるベクトルである。この違いが現代科学とS科学の物語の大きな差異である。

    S科学ではEt=ダブルフラクタル分割(F*v)である。t=1とすると一回分のフラクタル分割だからE=F*vである。Fとvはベクトルだから、*が外積と看做すことができる。従って、Eもベクトルである。実際、これは右ネジの法則であり、螺旋波のモデルである。その運動の式F1*v1=-F2*v2はS科学の基盤である。

    話が意識から逸れそうなので戻そう。

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  • from: 生成門さん

    2015年01月28日 09時52分03秒

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    精神革命の臨床は意識の量子化の挑戦である。

    以下は昨日のツイッターも纏めである。纏めとはΣである。御賞味を。


    フラクタル宇宙論は相似宇宙が存在する可能性とビッグ何宇宙論が逆立ちしていることを示すのである。これはSFよりはるかにSF的な精神革命の物語である。 http://t.co/aShvhtrtHt

    フラクタル分割は相似である。地球が137回目に誕生したなら他の137回目の星があるはずである。それは相似だから生命がいるかもしれない。 http://t.co/LVQw0TO2jZ

    微細構造定数がフラクタル分割の回数だとするとプランクの定数も変化することになる。始源の時のhは137hである。これは正しいだろうか。 http://t.co/1Aku1eNQv6

    微細構造定数は宇宙の誕生の番号である。地球は137番目。だから宇宙の果てが137億光年、水素原子の電子の速度は光速度の1/137となる。ここにイデアの影がある。 http://t.co/LogNg1hl22

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  • from: 生成門さん

    2015年01月28日 09時39分14秒

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    式は識である。だから唯物物理は唯識物理である。その証拠が上がった。それは運動方程式に螺旋が隠れていることを発見したからである。

    物理は唯物論だというのは常識である。では数学は唯物論だろうか。物理と数学は地続きである。だから数学も唯物である。こんなことが本当に言えるのだろうか。

    これに真っ向から違うと答えたのがS科学である。S科学は物理=唯物という常識を覆す。その証拠が直線運動に指数関数があることを発見したことである。この発見は物理がイデア由来であり、唯識であることの確証になった。

    数学観の違いが直線運動から指数関数が隠れていることを発見できたのである。これはプラトンに通じる道である。
    http://symdance.blog.fc2.com/blog-entry-243.html

    何故、運動の式に指数関数が含まれていることがイデアに通じる話になるのだろうか。それは唯識物理の確証になるのだろうか。

    この事を時間するためには固定観念・先入観を取っ払うことから始めよう。

    指数関数をe^tと表現した場合、tは時間だと思うだろう。tは物理の式では時間の代理表象だからである。しかし、これは単なる物理学の習慣に慣れ親しんでいるからそう思うにすぎない。少なくとも数学の範囲ではこれは指数に過ぎない。

    確かに物理と数学は地続きである。数学は物理現象の説明には欠かせない。だからe^tを物理現象に適用する場合は、tを時間と解釈するのである。この場合は時間が指数になるのだから時間が経つと増大する現象を説明できるのである。このような解釈があって初めて数学と物理とが繋がるのである。

    だから純粋に数学の観点から見るとこれは指数の関数であって物理現象とは切り離されているのである。言い換えると物理現象を説明する為に指数関数が都合良いというだけである。では物理現象が単独にあってそれを表現するために数学が道具として使われているのだろうか。

    そう考えるのが普通だろう。しかし、元の等加速度直線運動の式はx=x0+v0*t+(1/2)a0*t^2であってこれが指数関数だということを指摘した人はいない。この式に出て来る時間t・距離x・初期位置x0・初速度v0・初期加速度a0はすべて物理量という単位を持っており、右辺と左辺の単位等しくなければならないという縛りがある。これなくしては式そのものが成り立たない。

    ところが指数関数e^tをテイラー展開した

    x=e^t=e^0*t^0+(e^0/1!)* t^1+(e^0 / 2!)*t^2 + ..

    には、物理量がない。ここが重要なところである。物理量がない式がどうして観測から導かれた式と同じになるのだろうか。

    同じどころか、テイラー展開した後にxを距離、tを時間と解釈すると、観測から表彰された運動の式と同じになるのである。つまり、物理量を前提とした直線運動が物理量を持たない螺旋運動になるのである。これが何を意味しているのかを考えなければならない。

    物理は物理量があって学として成り立つ。或いは実在として意味を持つ。だから唯物論としての物理学なのである。ところが、物理量を持たない指数関数で表現された式は識である。つまり、頭の中で考えた識(式)である。全く物理とは関係ない式である。x=x0+v0*t+(1/2)a0*t^2は物理学者が運動を観測して式に表現したものである。だから物理現象が実在しており、それを表象したにすぎないと考えるのである。これが唯物論を支えている。しかし、唯物論はその物質現象がどこから来たのかは説明できない。説明できないことは沈黙するしかないのである。

    では何故、指数関数e^tをテイラー展開した

    x=e^t=e^0*t^0+(e^0/1!)* t^1+(e^0 / 2!)*t^2 + ..

    が運動の式と酷似しているのだろうか。単なる偶然なのだろうか。既にそうではないことを見てきた。指数関数は対数螺旋の式であり、宇宙には螺旋が多いことを多くの事実が物語っている。

    スパイラル(螺旋)運動は生命現象http://www.kmk21.com/new_page_48.htm

    固定概念の宇宙が崩壊。太陽系が「生命のように躍動する」ことを解説する、衝撃的な美しい映像【翻訳付き】
    http://japan.digitaldj-network.com/articles/28209.html

    はまぐりの数学
    http://www.rd.mmtr.or.jp/~bunryu/hamaguri1.shtml

    螺旋の波は成長過程では必ず現れるのではないだろうか。マウスの毛にはその模様がみられる。
    http://symdance.blog.fc2.com/blog-entry-234.html

    物理量を持たない指数関数が変幻自在に物理現象(螺旋)に現れるということは物理量を超越しているということである。物理現象が物理量を超越するということは唯物を超越しているということになる。つまり、物理は唯物ではないと言うことである。式は識なのだから唯識物理である。物理現象の唯物的な解釈によって式で表象されたのが物理学ではない。

    現象を齎すイデアがあってそれが指数関数という媒体(エージェント)を使い、具体的に現象させたのである。それを数学者の識作用によって発見されたイデアの式を物理学者が使って現象を式で表象したのである。

    そういうことができるのは唯物を超越したイデアの原理が先ずあって、物理現象を生成すると同時に心的現象(思考)もまた生成しているのである。だから思考が式を作ることができるのである。そしてその式と観測によって表象された現象の式とが一致するのは必然なのである。決して偶然などではないのである。

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  • from: 生成門さん

    2015年01月25日 13時45分28秒

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    フラクタル宇宙論は相似宇宙が存在する可能性とビッグ何宇宙論が逆立ちしていることを示すのである。これはSFよりはるかにSF的な精神革命の物語である。

    ビッグバン論では中心(特異点)から膨張したことになる。従って現在の宇宙の果てがあることになる。この論では宇宙の果ては未来の方向である。一方でフラクタル宇宙論では最初に巨大太陽があってそこから空間を分割しながら中心に向かっていることになる。こちらが現実だとすると宇宙の果てに向かうことは過去に遡ることになる。

    本当は、時間は中心に向かっているのに未来に向かっているように見えるのである。これは錯覚なのである。これは電車に乗っている時に、自分が止まっていて景色が後ろに動いて行くように錯覚するのと同じ現象である。

    地球という場所にいて観測すると時間の流れは止まっているように見えるだろう。何故なら分割が起きるのは億年単位だからである。

    止まっている地球(螺旋運動は無視する)から過去に起きたフラクタル分割を見ると膨張しているように見え、時間も過去が未来に見えるのである。

    フラクタル分割の収縮宇宙論
    中心⇐⇐⇐⇐⇐地球⇐⇐⇐⇐⇐始源(過去)

    地球から過去を見ると

    ビッグバン宇宙論
    特異点⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒果て(未来)

    時間流れが逆転する。だから膨張しているように見える。

    フラクタル宇宙論は相似宇宙が存在する可能性とビッグ何宇宙論が逆立ちしていることを示すのである。これはSFよりはるかにSF的な精神革命の物語である。

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  • from: 生成門さん

    2015年01月25日 13時34分11秒

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    フラクタル分割は相似である。地球が137回目に誕生したなら他の137回目の星があるはずである。それは相似だから生命がいるかもしれない。

    現在の時点での宇宙の果ては137億光年である。これは始源の宇宙の大きさを意味する。これを水星で測定すると、水星は139回目に分割してできた惑星だから宇宙の果ては139億光年ということになる。

    では、始源の時はどう見えるのだろうか。1回目に分割してできた星から宇宙の果てを測定してみると1億光年となる。これは宇宙の果てはフラクタル分割の回数が小さいほど宇宙の果ては近いことになる。それは外側から分割が起きるかである。従って、フラクタル分割が進むほど果てが遠くなるということになる。果てが逃げて行くのではなく、測定する方の星(小宇宙)が遠くなって行くのである。つまり、中心に向かって行くのである。そうなるとどこまで行くのかということになる。中心は無限の彼方である。ということは宇宙の大きさは無限ということになる。

    フラクタル分割の方向と回数139⇐⇐⇐⇐⇐⇐・・・・・⇐1
    中心⦿・・・・・・・・・・@地球・・・・・・・*(宇宙の果て)

    しかし、いくら大きな宇宙だからと言って無限には続けられないだろう。しかも、我々の宇宙は太陽系である。太陽の中心に向かって分割するとしても重力は強大だから誕生して出て来た星は戻ってしまうのではないだろうか。

    つまり、流産してしまうのではないだろうか。分割の臨界点があるということを意味するのではないだろうか。

    このように類推すると新たな疑問が出て来る。

    黄金比というのはフラクタル分割によっては変化しない数である。黄金比から導かれる黄金角137は、円周を黄金分割{1:(1+√5)/2)}した角だから

    黄金角=360°*0.618=173.5,,

    である。

    これは地球上の固有の値ではないのである。測定して決めるのでないのである。つまり、フラクタル分割とは関係なく存在する数値である。言い換えると、植物が黄金角で葉っぱの位置を決めるのであるがそれは他の星でも同じということである。

    そうなると微細構造定数と黄金比の相関が崩れてしまうことになる。これは由々しき問題である。どう解釈すればよいだろうか。

    微細構造定数は測定値である。黄金比は数学的な計算の値である。だから一致する必然性がない。しかし、地球でだけ一致した。これは偶然だろうか。もし、水星に木があるとしたら葉っぱの出る位置は137になるだろう。しかし、水星の微細構造定数は139である。この違いが何を齎すのかは想像できない。

    やはり、微細構造定数(逆数)と黄金角が一致した地球というのは特別な星である。一致したからこそ、生命が太陽系で誕生したただ一つの星とも言える。

    そこでまた発想を逞しくしてみるとフラクタル分割は同時に起きているのだから、同時進行の現象があるはずである。

    137の秘密
    http://golden-tamatama.com/blog-entry-1728.html


    このフラクタルな手は気持ちが悪いが大きな手⇒小さなな手⇒更に小さな手⇒と続くのがフラクタル分割のイメージである。この分割の137回目で地球が誕生したことになる。ということは別の分割径路の137回目のフラクタル分割で誕生した星が存在するということになる。

    フラクタル分割というのは相似であるから地球とまったく同じ星が存在することになる。もし、微細構造定数が同じなら生命が存在する可能性がある。そんな星はあるのだろうか。

    これは多世界解釈とは異なる。フラクタル分割は実際に起きたのである。
    だから137で分割された相似地球が存在するのである。その宇宙との連絡は可能だろうか。相似地球の探索のプロジェクトが必要になりそうである。

    フラクタル分割の宇宙論をフラクタル宇宙論と言うことにするとビッグバン宇宙論とは逆さまである。これから面白いことが言える。

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  • from: 生成門さん

    2015年01月25日 13時02分33秒

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    微細構造定数がフラクタル分割の回数だとするとプランクの定数も変化することになる。始源の時のhは137hである。これは正しいだろうか。

    宇宙の始源の最初のフラクタル分割で誕生した宇宙の微細構造定数は1だから

    α=e^2/4πεh'c=1

    である。この式の物理定数で変化する可能性があるのは何だろうか。四次元能が注目するのはプランクの定数である。

    E=nhν

    だから

    h=E/nν

    である。nは粒子の数だからn=1とすると

    h=ΔE/ν

    となる。

    フラクタル分割は時間空間分割である。分割によって空間が小さくなるならプランクの定数も変化するのではないだろうか。h=ΔE/νの式で変化する要因はエネルギーである。最小単位のエネルギーが変化するのではないだろうか。

    電子の速度を決める式

    v=Zc/137

    がある。αがフラクタル分割の関数だとすると

    v=Zc/α

    α=F(n)=n:n=1,2,...137,138,139,,,

    現在は地球、金星、水星と進んでいる。137は地球の番号だから

    v=Zc/137

    となる。Z=1(水素の原子番号)とするとv=c/137である。これは水素の軌道電子の速度が光速度の1/137だということを意味する。では最初の分割の時はどうだったのだろうか。

    v=c/1=cである。つまり、電子の速度は光速に近かったことになる。逆に言えば速度がフラクタル分割毎に低下してきたということを意味する。

    因みに、地球の原子の電子が光速に近いのは当然原子番号が137の理論上存在する原子(ウントリセプチウム)である。

    このことは重要である。フラクタル分割してできた宇宙毎に存在可能な原子が決まり、もっとも新しい原子の電子の速度は光速に近いということである。更に又、既存の電子の速度はフラクタル分割する毎に1/137の割合で落ちていると言うことになる。

    速度が落ちるということはどういう意味があるのだろうか。

    E=(1/2)mv^2からも分かるようにエネルギーが低下するということである。電子を撥ね飛ばす一個の光のエネルギーの最小値はΔE=hνだから始源の宇宙の水素の電子の速度は137倍だったのだから、ΔE(1)/ΔE(137)=137である。これは始源の時の電子を飛び出させるエネルギーは現在のエネルギーより137倍必要だということになる。ということはプランクの定数も大きかったということになる。

    従ってh(1)/h(137)=137となる。

    h(137)は137回目のフラクタル分割した宇宙のプランクの定数、つまり、現在の地球の定数である。h(1)は1回目のフラクタル分割した宇宙のプランクの定数、つまり、始源のプランクの定数である。

    微細構造定数はプランクの定数に依拠しており、プランクの定数はエネンルギーの最小単位によって決まり、その最小単位のエネルギーが電子の速度で決まり、電子の速度がフラクタル分割で決まるのだからフラクタル分割が微細構造定数を決めるというのはこの類推が正しければ当然だろう。

    ただし、素人の浅はかさかもしれない。鵜呑みにせず注意しよう。

    我々は現在の宇宙(地球)しか知らない。地球から見た宇宙である。地球で測定したプランクの定数である。これをフラクタル分割する全過程という神の全知の視点で見ると、不変と思われていた物理定数も変化するということである。

    それにしても微細構造定数がフラクタル分割の回数を意味していると指摘した佐野博士の慧眼には恐れ入る。

    これから類推するどうなるだろうか。

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  • from: 生成門さん

    2015年01月25日 12時45分01秒

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    微細構造定数がフラクタル分割によって変化するなら、その変化させるものはなにだろうか。それはプランクの定数である。物理定数は変化しないはずである。さてこれをどう切り抜けるか。

    微細構造定数が変化するとどうなるのだろうか。もし、地球の微細構造定数が示すように137番目に誕生したからだとすると1番目はどうなっているのだろうか。ここはS科学に頼ろう。

    アインシュタインに代わってニュートン・スミルノフ・佐野千遥宇宙方程式を日本に開示
    http://d.hatena.ne.jp/yositronik/20081210/p2

    ∑t∑t [{∆t∆tMxyz Lxyz + 2 ∆t Mxyz ∆t Lxyz + Mxyz ∆t∆t Lxyz} ∆t Lxyz ]
    = M0 c^2 t0
    =Et
    = h/4π

    これが宇宙方程式である。この式を簡単にしておこう。

    二重フラクタル分割(動的相互作用)=全宇宙エネルギー*寿命= h/4π

    この式の意味はこうである。核に動的因果作用があってそれはミクロとマクロ二つの方向のフラクタル分割が同時に進行して正の世界を形成する。フラクタルの各時点で見るとその宇宙の正の全エネルギーと寿命の積が一定(プランクの定数の1/4π)だということである。寿命というのは始源から終末の向かって行く残り時間を意味する。S科学ではメービウス構造になっているので正の世界と負の世界とが変転することになる。

    だから、最初に正の世界がスタートする。その時に負の世界からエネルギーをもらって質量を増大させていく。エネルギーと時間の積は反比例するからエネルギーが最大になると残り時間が無くなり反転する。

    これを図で示してみよう。

    始原・・・現在・・・終末
    フラクタル分割⇒
    ⇐フラクタル分割
    時間t=0・・・・・・・・t=∞
    正のエネルギーE=0・・・E=∞
    α=1,2,3,,,,,,,137,138,139,,,,
    h/4π=一定

    この図を説明してみよう。

    始源の時は正のエネルギーは0である。Et0=一定だから、t0は無限である。一体このt0というのは何だろうか。

    始源⇒終末t0

    t=0・・・t・・・・・t∞

    t0=t∞-t

    つまり、t0は残りの時間=寿命である。ということは、始源のときはt=0だから、寿命はt∞である。では、寿命が尽きるとどうなるのだろうか。

    それはx=1/t0だからt0=0でxが無限大。つまり、始源t=0に戻るのである。これがメービウス構造の宇宙である。正の世界から負の世界に反転する仕組みと言っても良いだろう。

    現在時点ではフラクタル分割によって時間が経ち正のエネルギーが増大してきたところである。hが一定だから更に時間が経てば残り時間=寿命は少なくなる。
    正の世界の残りの時間が小さくなると正のエネルギーが増大するのである。

    つまり、初期の宇宙は正のエネルギーを持っていないのだから、その時のαは0である。そして最初にフラクタル分割が起きた時がα=1である。

    α=e^2/4πεh'c=1

    この物理定数で変化する可能性があるのは何だろうか。四次元能が注目するのはプランクの定数である。

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