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シムダンス「四次元能」

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from: 生成門さん

2011年03月13日 11時37分37秒

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観念的同時と共時性の関係

観念的同時と共時性の関係<PS理論の応用>共時性に付いてはまだまだ不明なところがありますが、現段階間での認識を纏めておきました。

観念的同時と共時性の関係
<PS理論の応用>

共時性に付いてはまだまだ不明なところがありますが、現段階間での認識を纏めておきました。

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from: 生成門さん

2011年03月17日 11時24分49秒

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「Re:余談:光と闇の関係」
海舌さん

> 生成門さんは、「光の使者:使徒」を「悪者」に分類しているのでしょうか。前から、少し、気になっていましたが、そうなのでしょうか。

光と闇の関係から見て、光とは陽光を陰光の陰陽の対と考えています。

ただし、自我に取り付かれた人間は、光=陽=凸だけを光としていると考えています。光の使者:使徒としたのは、自我に取り付かれた人間のことを示したいと思ってそうしたのです。

> > 一般的に、洋の東西を問わず、歴史的にも、「光」「光の使者」は「善」に分類されることが多いと思いますし、一般的な「通念」だと思いますが、如何でしょうか。

この場合の光は、陰の光なのではないでしょうか。

> > 勿論、善・悪も相対的なもので、この意味から、相対的な善悪を説く宗教分野は、第2象限に入れています。第3象限は、絶対的善、超越的善の世界でしょう。

光と闇の共立から、-1には第2象限と第3象限に凸と凹の鬩ぎ合いで、混在や分岐して出てくると思いますが、第2象限に明確に出てくる場合は、例えば、陽光=凸優位の宗教となるケースとなると理解しています。

一方で、第3象限に明確に出てくる場合が、例えば、陰光=凹優位の宗教だと理解しています。

> > マニ教との関連で、光の粒が肉体に閉じ込められている、という場合に、この光は、絶対的善として扱われるべきものでしょう。

この光が物理的な陽光ではないということは明らかだと思います。陽光は、止まらず、進むだけであり、これが自我との共謀で線型的思考を加速させるのでないかと思っているのですが、いずれにしても、光そのものには善悪はなく、善悪を作りだす根源が陰陽イデアにあり、それがたまたま、分岐して、第2象限に出てきた場合が相対的な善悪の宗教などと認識できるのではないでしょうか。

私は、話を面白くするために、逆に解釈して光の使者が善悪を相対化する自我人間を作るという話にしているのですが、本来は何故、自我人間は陽光だけを光とするのかを解明する必要があるでしょうね。

当初、私は光の陰謀を想定したときは、光と自我の関係を人類の進化、原生人にまで遡って試みたのですが、その段階では、PS理論の応用はしていませんでしたので、光に陰陽の光があるとは考えていませんでした。

PS理論を知って、それを陰陽論との関係とボルトとナットの原理などを取り入れて、光を陽の光と陰の光として修正しています。ただ、単に光と言った場合は陽の光を指していると考えてください。

ところで、光がフラクタルな空間に閉じ込められるという実験に成功したという報告があります。光は吸収されるか屈折・反射以外は空間に歪みに沿って前に進むしかないわけで、このように停止する現象を物理学では説明が出来ないようです。

このような不可解な現象に対しても、光が陽光と陰光であるとするとフラクタルな空間なら光が閉じ込められる理由を巧く説明が出来るのではないでしょうか。この解明こそPS理論の出番ではないでしょうか。

> > 同じ「光」と言っても、物理的光もあり、そもそも、この物理的光の実態も、現代物理学では不確かですが、光についても、性質や機能に注目して、差異を区別して扱う段階に来ているようにも思います。

全くその通りです。今は、光=陽光として進めているので、光=悪者というイメージを与えてしまっていますが、共時性に解明から、実は光の本当の正体は、「こうだった」というシナリオで大逆転(光=悪者というイメージからの反転)を狙っています。

今は、観念同時の解明が先になってしまいましたので、話が止まっています。

しかし、観念同時の解明で、かなり頭が整理されたと思っています。

> この意味でも、一度、生成門さんの「光」に関する見方・研究態度、立ち位置のようなものを教えてください。

研究態度といわれる慎重になってしましますが探求なら気が楽ですので、思考実験として話をすすめています。

この後の私の話の展開ですが、科学的態度としては当たり前となっている、森羅万象の舞台は時間・空間であるというその発想を逆転させて、時間や空間は光が作るということでいきたいと思っています。時間や空間さえも光が作ってしまうと言うことですね。

その場合の光は、陽光ではなく、当然即非の光です。光が時間だとしますと、虚時間と実時間がありますので、脳の中の精神作用の解明が最後のターゲットですので、それを光の作用として説明できるのではないかと思っています。

その場合、光が何かということを明確にする必要があると思っています。

脳の中で光が飛び通っているとは考えにくい想定ですが、光が閉じ込められるとことが分かったことからしても、光の虚性を解明しなければならないと思っています。

陽の光でも実と虚部があるのですから、光を時間と看做せば、実時間と虚時間があることになります。実だけを見ているのが、私達の日常だということではないでしょうか。この当たりから、脳を解明していきたいと思っています。

生成門

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