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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい>掲示板

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年04月27日 13時27分05秒

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    ソクラテス ②

    ソクラテスは死について次のように言います。「〜なぜなら、死を恐れるということは、いいですか、諸君、智慧がないのに、あると思っていることにほかならないの


     ソクラテスは死について次のように言います。

     「〜なぜなら、死を恐れるということは、いいですか、諸君、智 慧がないのに、あると思っていることにほかならないのです。な ぜなら、それは知らないことを、知っていると思うことだからで す。なぜなら、死を知っている者は、だれもいないからです。ひ ょっとすると、それはまた人間にとって、いっさいの善いものの うちの、最大のものかも知れないのですが、しかしかれらは、そ れを恐れているのです。つまりそれが害悪の最大のものであるこ とを、よく知っているかのようにです。そしてこれこそ、どうみ ても、知らないのに、知っていると思う、かの不面目な無智とい うものに、ほかならないのではないでしょうか。」

     彼らは、死はひょっとする人間にとって最大の善いものかも知れないものなのに、それを恐れるというのは、これこそ無智だというのです。そして次のように言います。

     「わたしはつまりその、あの世のことについては、よくは知らな いから、そのとおりにまた、知らないと思っているという点をあ げるでしょう。これに対して、不正をなすということ、神でも、 人でも、自分よりすぐれている者があるのに、これに服従しない ということが、悪であり、醜であることは、知っているので   す。」

     「・・・・また他方、死というものが、ここから他の場所へ、旅 に出るようなものであって、ひとは死ねば、誰でもかしこへ行く という、言い伝えが本当だとするならば、これより大きい、どん な善いことがあるでしょうか、裁判官諸君。・・・・・またその うえ、最大の楽しみとしては、かの世の人たちを、この世の者と 同様に、誰がかれらのうちの智者であり、誰が智者とは思っては いるが、そうではないかと、吟味し、検査して暮らすということ があるのです。・・・・・それらの人 たちと、かの世におい  て、問答し、親しく交わり、吟味するということは、はかり知  れない幸福となるでしょう。」

     「しかしながら、諸君にも、裁判官諸君、死というものに対し  て、よい希望をもってもらわなければなりません。そして善きひ とには、生きている時も、死んでからも、悪しきことはひとつも ないのであって、そのひとは、何と取り組んでいても、神々の配 慮を受けないということは、ないのだという、この一事を、真実 のこととして、心にとめておいてもらわなければなりません。」

     ソクラテスは霊能者であり、守護霊の導きを声としてきくことができたようです。

     「・・・・・私には、何か神からの知らせとか、鬼神からの合図 とかいったものが、よく起こるのです。・・・・・これは、わた しには、子供の時から始まったもので、一種の声となってあらわ れるのでして、それがあらわれるとき時は、いつでも、わたしが 何かをしようとしている時に、それをわたしにさし止めるのでし て、なにかをせよとすすめることはいかなる場合にもないので  す。」

                              (続く)

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    from: リアリストさん

    2008年05月05日 13時08分14秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:ソクラテス②」>そうですね。

    from: tamaさん

    2008年05月05日 11時11分43秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:ソクラテス②」>>そうです。>>証

  • from: ueyonabaruさん

    2008年04月26日 20時45分41秒

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    ソクラテス

    時間・空間論などのテ-マで話し合っておりますが、ここで私自身はこの件についてしばし休み、私が読んだばかりのプラトンの「ソクラテスの弁明」について簡単に

    時間・空間論などのテ-マで話し合っておりますが、ここで私自身はこの件についてしばし休み、私が読んだばかりのプラトンの「ソクラテスの弁明」について簡単にまとめてみたいとおもいます。

     ソクラテスは私がまだ学生だったころからいつも頭の中に残っていて、プラトンの書いた「ソクラテスの弁明」はいずれ読みたいと思っていたのですが、これまで真面目に読んだことはなかったものです。だいぶの本だとの印象がありましたが、実際は、ホントに小さなもので、実際に読んでみて拍子抜けしてしまいました。
    内容はソクラテスを囲んでの会話の形式でつくられており、また平易な文章で書きつらねられており、かなりとっつきやすいものです。
     スト-リ-は、ソクラテスの友人のカイレオポンがデルポイの神殿(アポロンを祭る)に赴き、ソクラテスより智慧のあるものがギリシャにいるのかと巫女を通じ問うところから始まります。巫女はソクラテスより智慧のあるものはいないとの神の言葉を伝えます。それを聞いたソクラテスは、自分自身を智慧あるものとは思っていなかったので、この託宣の意味するところは何かと疑います。それには、世に智慧あるものといわれている者に当たり、この者が自分より智慧のあることを確かめ、デルポイの託宣が間違っていることを証明しようとするのです。多くの智慧者に当たるのですが、全てが自分より智慧があるものとは思われない、すなわち「この人間より、わたしは智慧がある。なぜなら、この男もわたしも、おそらく善美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないのに、何か知っているように思っているが、わたしは、知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、つまりこのちょっとしたことで、わたしのほうが智慧のあることになるらしい。・・・・」と結論し、さらに続け、このような調子で当時の身分あるものやその道の専門家たちのプライドを潰してゆくことになるのです。また、当時の青年たちがソクラテスに影響を受け彼の真似をしたこともあり、ついには、ソクラテスの責任を問う社会的な問題にまで発展していきます。これが後の死刑判決につながるわけです。本文では、死刑判決後にソクラテスの回想のかたちで語られます。

     なにがソクラテスをそのような行動に駆り立てたのでしょうか。単なる変人だったのでしょうか。そう、頭の良い、理屈のある変わり者なのでしょうか。
     この本を読んでとれるソクラテスの姿は、私が見る限り、そのような者ではありません。信仰者なのです。デルポイの神の託宣をホントなのかと受け取る人間なのです。託宣が間違っていたら、それに反駁もしかねない心意気さえあるのです。次は、本文からの引用です。

    「〜なぜなら、わたしは神を信じているのです。アテナイ人諸君、わたしを訴えている人の誰も、くらべものにはならないくらいに、信じているのです。そしてどうすれば、わたしのためにも、諸君のためにも一番よいことになるかということを、わたしについて判決することは、諸君に一任するとともに、これを神に委ねているのです。」

     ソクラテスは精神的価値を一番に置きます。次のようにものべています。

    「諸君のうちの若い人にも年寄りの人にも、誰にでも、精神ができるだけすぐれたものになるように、ずいぶん気をつかわなければならないのであって、それよりも先、もしくは同程度にでも、身体や金銭のことを気にしてはならないと説くわけなのです。そしてそれは、金銭をいくらつんでも、そこからすぐれた精神が生まれてくるわけではなく、金銭その他のものが、人間のために善いものとなるのは、公私いずれにおいても、すべては精神のすぐれていることによるのだからと言うわけです。〜」

                                                           (続く)




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    from: tamaさん

    2008年04月28日 23時40分27秒

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    「Re:Re:Re:Re:ソクラテス」リアリストさん。いつも真っ直ぐに真摯にお答え頂き有難うございます。私にとって学びになると思いますので、拙い私の信

    from: リアリストさん

    2008年04月27日 23時00分36秒

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    「Re:Re:Re:ソクラテス」おそらく、私の考えは様々な教えの影響を受けつつも独自の考えであると思います。現実の宇宙とその中に存在する万物を、天とし

  • from: ueyonabaruさん

    2008年04月28日 15時53分13秒

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    ソクラテス ③

    「ソクラテスの弁明」を読んでの感想を述べてみたいと思います。先にアウグスティヌスの「告白」を読みましたが、そのときに強く思ったのは、ロ-マ時代という古

     「ソクラテスの弁明」を読んでの感想を述べてみたいと思います。
     先にアウグスティヌスの「告白」を読みましたが、そのときに強く思ったのは、ロ-マ時代という古い時代背景をもつ思想家が、はたしてスム-ズに読めるだろうかということでした。時代背景が違うので、人の発想も表現方法もちがい、理解に苦しむのではないかと思っていたのです。しかし、実際に本を手にして読み進んでいくと、そのような時代背景からくる読みの難しさは確かにあるものの、たいしたことではなく、それよりも作者の考えることが、現代に生きる自分とあまり変わらないなと思え、その共感の思いが読書を後押ししてくれたのです。アウグスティヌスの考えが分かるということ、古代の賢人の言葉がわかるということに非常に感動をしました。今般、ソクラテスを読むにあたり、この方が、さらに古いギリシャ時代の人なので、時代背景などが邪魔をしないかという心配はありました。しかし、今回もやはり作者への共感が読書の後押しをしてくれました。
     今回の経験では、原典に直接あたることがとても大切なことだと痛感させられております。原典にあたることで、思わぬ世界の展開が期待できます。

     感想ですが、
    ソクラテスは、霊能者であり、当時のアテネ世界の預言者のような方です。キリスト教の教義における預言者ではなく、智を求めることに最高の価値を置き、神を最高の智者とし、アテネ市民へ精神的な価値観を啓蒙することを自己の使命と考えた人でしょう。キリスト教以前の、ギリシャの輝ける哲人の時代を思い起こさせるかたです。
     また、死後の世界を実在するものとし、現実に守護霊の言葉を聞くこともできた方です。死後世界があるのかどうかわれわれは議論をするわけですが、この本を読めば、このような議論が色あせて見えるほど、彼は霊界寄りです。
     また彼が世界にかくも有名であるのは、悪法であってもこれには従い、従容と毒杯を飲むという悲劇的な行為が後世の人の耳目を引いたからだと思います。これは、キリストが磔にされた悲劇性と相通ずるものがあるように思います。また、弟子のプラトンが師のことについてしっかり書き残した点は無視できず、同様にキリストの弟子たちが、師キリストのことを後世に書き残したわけで、これも共通する点です。
    と、このように感じました。

     次には、やはりプラトンの作で、パイドンを読んでみたいと思います。一読はしたのですが、これは「ソクラテスの弁明」に比べ分厚く、すべてを理解するには、少し荷が重いような気がしております。しかし、がんばって自分なりにまとめてみたいと思います。しばし、時間をください。

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  • from: tamaさん

    2008年04月23日 22時26分41秒

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    時空の始まり

    >私たちの人智を超え、計り知れない神の存在について議論するのは、私にとって大変恐れ多い事ではありますが、敢えて言葉で表現するならば、神(根源神)は宇宙


    >  私たちの人智を超え、計り知れない神の存在について議論するのは、私にとって大変恐れ多い事ではありますが、敢えて言葉で表現するならば、神(根源神)は宇宙を貫き偏在する愛のエネルギー・愛の法則そのものであり、人格神ではなく、ビッグバンの時に宇宙(空間や時間や物質)を創造されたが、あくまで宇宙の法則として作用されたものと思います。

    更に補足すると、約137億年前に、原初の宇宙は、現在も膨張を続けている膨大な宇宙の無数の銀河に存在する星々の全質量(=エネルギー)が、ある小さな点に集中した状態(想像を絶する高温・高密度状態)からビッグバンが発生し、この時点から時間の経過が始まり、空間が出来て膨張を始め、高温・高密度の状態から膨張に伴ってこれらは冷却され、銀河や星々が形成され、今も膨張を続けている、と理解されます(ビッグバン宇宙論)。
    僅か1グラムの質量でも1億カロリーものエネルギーを持っているので、宇宙に現存する銀河の星々の全質量でも文学的な大きさですが、それが持つエネルギーとなると、もう我々には想像さえ出来ません。
    それらのエネルギーが一点に集中した宇宙の原初状態(時空の始まり)など誰が表現できるでしょうか。
    私は、このような極めて特殊な状態から時空も始まった、これが神による宇宙の創造であり、その同じ法則で今も神は宇宙に働きかけておられるんだ、と単純に理解しています。

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    from: リアリストさん

    2008年04月26日 22時40分59秒

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    「Re:Re:Re:Re:時空の始まり」>時間・空間論については、しばし私自身考えないつもりでしたが、tamaさんのご発言を読み同感することがあり、ま

    from: ueyonabaruさん

    2008年04月26日 20時53分07秒

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    「Re:Re:Re:時空の始まり」>>それにしても、>>その当時紀元400年頃のアウグスティヌスが、時空の出発点を認める現代物理学の>>最先端に匹敵す

  • from: ueyonabaruさん

    2008年04月07日 16時52分17秒

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    アウグスティヌスの時間論、信仰 ②

    アウグスティヌスの時間論について考えているのですが、時間について言及している箇所を「告白」から引用します。第7巻第15章〜またただひとり永遠にまします

     アウグスティヌスの時間論について考えているのですが、時間について言及している箇所を「告白」から引用します。
     
     第7巻第15章

     〜またただひとり永遠にましますあなたは、はかりしれない時間の経過したのちにはじめて、創造の御業をはじめられたのではないということをみとめました。じっさい、すべての時間は、過ぎさった時間も過ぎさるであろう時間もふくめて、あなたがそこにはたらきそこにとどまるのでないならば、過ぎさることもなく、やってくることもないでしょうから。

     第11巻第30章

     〜「天地を造る以前、神は何をしていたか」とか、「それ以前、いまだかつて何もしたことがないのに、そのとき何かをしようというこころが、神の精神にうかんだのはなぜか」などといいます。
     主よ、彼らに、自分自身何をいっているのか、よく考えてみる力を与えたまえ。時間がないところでは、「いまだかつて」などというのは無意味であることを悟らしめたまえ。
     だれかが「いまだかつてしなかった」といわれるのは、「いかなる時にもしなかった」ということにほかなりません。だから彼らは、被造物がなければいかなる時間もありえないことを知って、そういう阿呆なことをいうのはやめるがよい。〜


     ueyonabaru: 

     以上がアウグスティヌスの「告白」から、時間について言及した箇所の一部です。
     結論は、神が時間と被造物を創ったということです。絶対的に流れる時間がまずあり、その上に神が被造物を創ったという考えかたを彼は明瞭に否定します。ここのところは、シッカリ抑えておきたいと思います。今後も時間について考える筈ですが、これを基礎に、またこれとの比較で時間を考えていきたいと思います。
     時間を考えること自体が、何か悟りに通じるなにものかを得ることであり、新しい心境の展開につながらないかと期待されるところです。



      

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    from: tamaさん

    2008年04月23日 05時35分42秒

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    「Re:アウグスティヌスの時間論、信仰②」>以上がアウグスティヌスの「告白」から、時間について言及した箇所の一部です。>結論は、神が時間と被造物を創っ

  • from: リアリストさん

    2008年04月20日 15時42分17秒

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    役者がそろいましたね!

    ueyonabaruさん、tamaさん、真理さん、こんにちは。幸福の科学研究会では、発言しずらいとのことでしたので私の方からここに参加させて頂きました

    ueyonabaruさん、tamaさん、真理さん、こんにちは。

    幸福の科学研究会では、発言しずらいとのことでしたので私の方から
    ここに参加させて頂きました。役者揃いとなりましたね。ueyonabaruさん
    主催ですから、決して仲良しクラブではないと確信しております。

    時間と空間ですが、物理学ではこれは切り離す事が出来ずに時空と表現
    しております。時間を止めれば空間も消滅すると考えます。空間が存在
    しなければ、また時間も単独で存在するものではないでしょう。私は現在の
    時空は、過去の時空の集積(縁)によって成り立っていると認識しております。
    そしてまた未来へと流れて行くのではないでしょうか。また万物は個別で
    存在するように見えて、実は個別で存在する事はできずに、常に互いに
    かかわり合って存在しております。これはミクロの視点でもマクロの視点でも
    成り立っていると思います。これを一即多、多即一と申し上げておきます。

    主義立場は違うかとは思いますが、互いに切磋琢磨して道を極めようでは
    ありませんか。ではどうぞよろしく、お願い致します。

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    from: リアリストさん

    2008年04月22日 07時47分43秒

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    「Re:Re:Re:Re:役者がそろいましたね!」tamaさん、お久しぶりです。先の掲示板では大変お世話になりました。ここの掲示板では、できるだけ科学

    from: tamaさん

    2008年04月22日 00時32分55秒

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    「Re:Re:Re:役者がそろいましたね!」こんにちは。リアリストさん。tamaです。お久しぶりです。「幸福の科学研究会」ではよく論戦しましたね。「幸

  • from: ueyonabaruさん

    2008年04月21日 00時03分23秒

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    リアリストさんが参加されました

    リアリストさんが参加されました。ある緊張と期待と不安が入り交じった、結局は歓迎の気持ちです。幸福の科学研究会では、遠慮もあり、確たる実りも得られないま

     リアリストさんが参加されました。ある緊張と期待と不安が入り交じった、結局は歓迎の気持ちです。幸福の科学研究会では、遠慮もあり、確たる実りも得られないまま去ることになりましたが、今度はどうなるのでしょうか。
     私は、大川隆法に一番に期待しているものです。しかし、私の周りには幸福の科学について真剣に話し合える方がおりません。反大川でも良いのですから、私には話し相手が必要です。人間は争うものだと思います。その意味は、意見の違いが必ずあるということです。人間は切磋琢磨して向上が得られるのではないかと思います。
     私には仮想の論敵として佐倉哲さんという方がおります。あなたと同じような考え方をなさる方だと思います。この方に刺激されて色々と過去の賢人の書をひもといております。現在はプラトンを読んでおりますが、これにしても大川隆法を基本には持ちながらの勉強となっております。
     
     私の読書は今後とも継続していくつもりで、折々に感想を述べていきたいと思いますので、これを材にお話しするのも結構なことかと思います。

     時間と空間のテ-マですが、リアリストさんがこれについて科学的にご説明しておりますが、光速になると時空がゆがむとかいう理論など科学的な事柄は私はその意味がよく分かりません。勉強の余地ありというところです。しかしながら、アウグスティヌスの時間
    論を読んだ際に感じた感情は忘れ得ないものでした。信仰者の敬虔さと真実追究の姿勢がいり混じったもので、不思議な感懐に包まれました。アウグスティヌスに非常に好感を持っております。

     さて、今日はこれくらいにしますが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

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    from: リアリストさん

    2008年04月21日 08時53分53秒

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    「Re:リアリストさんが参加されました」>時間と空間のテ-マですが、リアリストさんがこれについて科学的にご説明しておりますが、光速になると時空がゆがむ

  • from: ueyonabaruさん

    2008年04月11日 16時00分39秒

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    プラトンを読む

    時間、空間を学ぶため、また佐倉さんの考えに反論する目的でアウグスティヌスの「告白」を読んでまいりました。アウグスティヌスは思索を進めるにあたり当時に盛

     時間、空間を学ぶため、また佐倉さんの考えに反論する目的でアウグスティヌスの「告白」を読んでまいりました。アウグスティヌスは思索を進めるにあたり当時に盛んであったプロティノスの新プラトン主義の哲学をとりいれております。プロティノスの源流とも言うべきはもちろんプラトンですので、今度は彼の思想を学ぼうというものです。

     私は、哲学を学問として専門的に学ぶつもりはありませんし、その能力もあるとは思いません。幸福の科学の信仰者として、また一生活者としてこの古代ギリシャの賢人の思想に接してみたいだけです。プラトンといえばアイディアリズム(理想主義者)哲学の代表者のような方です。これは宗教と非常に親和性があると思われます。

     このブログを立ち上げたのは、私が幸福の科学の信仰がぐらついていたときでした。当時、いろいろと幸福の科学のマイナス面が私のまわりに立ちはだかり、内心非常に不安でした。その時は、他者の考えも聞こうと思い、幸福の科学に批判的なサイトにも参加し、意見の交換もし、宗教論争もやってまいりましたが、結局は得るところはありませんでした。ネット上の論争は、お互いの考えに大きな隔たりがあるときには、実りが期待できず、単なる口論に終わるケ-スが多いのではないかと思われます。

     このような時に出会ったのが佐倉さんのホ-ムペ-ジでした。佐倉さんは基本的に反大川隆法の立場ですが、非常に博学で、原始仏教もかなり勉強されており、独特の考え方をもっておられます。幸福の科学を批判するにも大川隆法の思想に論理的にかつ正面から対決する方です。この方が正しければ、私は幸福の科学の信仰を捨てても良いと公言しておきたいと思います。

     元来理想主義者ですので、佐倉さんの考えに同調することはできないのかも知れませんが、彼のように多くの本を読んで、ついには自分自身の言葉でもって、佐倉さん批判がきるようになりたいと思っております。

     アググスティヌスの読書を通じての感想ですが、日々のアウグスティヌスの思索が現代の自分たちの日常生活の感覚とかけ離れたものではなく、古い時代の方でもやはり同じ問題に悩み、また同じくあるできごとには喜ぶということなどは、実際に本を手にとって分かったことです。プラトンのソクラテスの弁明を読み始めたところですが、同様に古代の賢人が身近に感じられればいいなと思っております。


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  • from: ueyonabaruさん

    2008年04月08日 17時21分02秒

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    アウグスティヌスの時間とナ-ガ-ルジュナの時間の比較 ②

    前74のブログで、両者の時間論は同じであると申しましたが、アウグスティヌスの方は、時間も事物も神の創造によるとしたのに対し、ナ-ガ-ルジュナは、これら

     前74のブログで、両者の時間論は同じであると申しましたが、アウグスティヌスの方は、時間も事物も神の創造によるとしたのに対し、ナ-ガ-ルジュナは、これらが縁起に基づくものだとしたところは相違点になるかと思います。しかし、この相違点はあくまでも表層的なものでしかないのではと思われます。

     縁起はどこから来たのかというと、仏教的にいうと、縁起の法として存在していたということになる筈です。この法というのは真理という意味になるでしょう。他方、キリスト教では真理とは神のことを指すのですから、仏教の法=キリスト教の神という式になりはしないかと考えます。

     ナ-ガ-ルジュナは第一原因者に言及していたのかどうかが疑問でしたが、最初から法としての縁起を考えていたのではないでしょうか。彼にとっては法が第一原因者、すなわち仏であり、神だったのでしょう。

     西洋では人格的な表現で神をとらえ創造神に行き着くのですが、仏教では法を第一原因者、仏として考え、この法を体得したものを仏陀とし、求道者は修行によりこの仏陀の境地を求めていった考えられます。
     

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年04月08日 15時44分04秒

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    アウグスティヌスの時間とナ-ガルジュナの時間の比較

    佐倉さんが解説するナ-ガ-ルジュナの時間論は、次のとおりでした(以前のブログから引用)。そうであれば、アウグスティヌスの時間論と同じものになると思いま

     佐倉さんが解説するナ-ガ-ルジュナの時間論は、次のとおりでした(以前のブログから引用)。そうであれば、アウグスティヌスの時間論と同じものになると思います。東西の二賢人が時間について同じ考え方をしていることになり、非常に興味をそそられます。


    (1)時間論

     ナーガールジュナの時間論は、『中論』の19章「時の考察」に非常に簡単に述べられていますが、ここで「時」とは「三つの時(三世)」すなわち、過去・現在・未来のことです。これは仏教だけではなく一般にインドの思想のすべてに当てはまるものです。田端さんが想定されているようなすべての事象の背景としての「時の流れ」としてではなく、このようにインドでは「時」が「三つの時」として理解されている事実が、ここでは、ナーガールジュナの縁起説(すなわち彼の自性主義批判)にとって非常に都合のよいものとなっています。

     もし自性論を認めれば、ものの自性は自立・独立・永存していることになりますから、過去・現在・未来はそれぞれまったく別の事象を指しているのか、それとも同一の事象を指しているのか、ということになります。ところが、もし、それぞれが同じものを指しているとすると、過去も現在も未来もその区別がなくなってしまうという受け入れがたい事態に落ち込んでしまいます。他方、それぞれがまったく独立した事象であるとすると、明らかに認められる過去と現在と未来の関係が、全く説明できないという別の受け入れがたい事態に落ち込んでしまいます。こういう受け入れがたい事態に落ち込んでしまうのは、もともと、時に自立・独立・永存の自性を想定するという間違いを犯しているからだ、というのがわたしの理解するナーガールジュナの批判(1節から3節)です。

     もう一つの興味深い批判(6節)は、「もの」と「時間」との関係に関するものです。

     もしも、なんらかのものに縁って時間があるのであるならば、そのものが無いのにどうして時間があろうか。しかるに、いかなるものも存在しない。どうして時間があるであろうか。(中村元訳)
    「時間はない」というのがナーガールジュナの結論ですが、もちろん、「時間は自性として存在していない」、という意味です。これをわたしなりに具体例を挙げて解説してみますと次のようになります。
     たとえば、ふたりの子どもがかけっこをしているとします。ゴールにいる人が、まずA君が到着し、そのあとB君が到着したことを見ました。ここで「A君の到着」という事象と「B君の到着」という事象の間には、先後関係があることが認識されます。この先後関係のことを「時」というわけです。「過去・現在・未来の三世」とは、事象の先後関係のことに他なりません。さらに、A君とB君がかけっこをしている間にC君はブランコに乗って遊んでいたとすると、ブランコの「振り」の数で、A君とB君の到着の先後関係を数量可することができます。たとえば、A君が到着してからC君が「3振り半」したときB君が到着した、といった具合です。これが時計の原理です。つまり、時間という何かがあって、水が川を流れるように、存在の背景でそれが流れているのではありません。あるのは、「A君の到着」という事象とか、「B君の到着」という事象とか、「C君がブランコに乗って遊んでいた」というような事象とそれらの間にある関係だけです。これらの事象がなければそれらの先後関係、すなわち「時間」もありません。このことをナーガールジュナは

      なんらかのものに縁って時間がある・・・

     と言っているわけです。つまり、田畑さんが想定されているような、事象の背後に「時間」という背景が事象とは別に存在していて、それが「最初からプログラムされている」というようなものではなく、むしろ、ものから離れて時間は存在しないというのがナーガールジュナの語る時間です。
     ナーガールジュナは、さらに、そういう個々の事象(もの)というものも、それ自体で自立しているのではなく、さまざまな原因や条件に依存しているので、どこまでいっても、他に依存しないで自存するものはない、というぐあいに、自性論者の逃れ道をふさいでしまいます。それが、

      しかるに、いかなるものも存在しない。どうして時間があるで あろうか。

     という後半の部分の、いわば「だめ押し」とでもいうべき批判になります。
     まとめると、ナーガールジュナの時間論は次のようになります。

     (イ)「先(過去)」とか「後(現在・未来)」は独立した別々   の存在でもなく、また、同一存在の単なる別名でもない。そ   れらは依存関係(縁起)をしめす。
     (ロ)先後関係そのもの(時間)も、事象に依存している。だか   ら、事象がなければ時間もない。
     (ハ)時間が依存しているところの事象さえも、それ自体で成立   しているのではなく他に依存している。

     このように、時間はさまざまなレベルの縁起によって成立している。

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