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  • from: tamaさん

    2008年05月26日 00時30分09秒

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    「Re:マーラーについて」
    > tamaさん、丁寧な解説ありがとうございます。マーラーの8番ですが、スケッチが完成した
    > 1906年8月18日、マーラーが指揮者メンゲルベルクに宛てた手紙には
    > 「今しがた8番を完成させました。私が書いた最大の作品であるばかりでなく、内容・形式とも
    > に類のないものなので言葉では言い表せません。宇宙が震え鳴り響くさまを想像してください。
    > それはもはや人間の声ではなく、惑星や太陽のそれなのです。」とあります。
    > http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler8.htm

    リアリストさん。マーラーの8番へのマーラー自身の手紙に書かれた貴重な見解、有難う御座います。
    私にはキリスト教的な無限の神への賛美の範疇に聞こえましたが、惑星や太陽などを意識していたものとは思いませんでした(なお、書き忘れましたが、私が聞いた第2部は、ショルティ・シカゴ響のCDです)。
    本当にスケールの大きな深みのある音楽ですね。

    > 大地の歌に番号が付いていないのは、ベートーヴェンやブルックナーがそうだった
    > ように「第9」を書くと死ぬのではないか、と恐れて番号をつけなかったのである、とあります。
    > http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler0.htm

    私もこの話は聞いた事があります。

    > マーラーの10番は、ラトルがクック版の全曲演奏をしたEMIのCDを私はよく聴くのですが、
    > 最終楽章は死から黄泉の世界へ赴く様子が伺えます。この曲は、もう20年以上前の学生の頃に
    > 初めてマーラーの巨人を聴いた衝撃から、彼の最後の最後をどうしても知りたくなり、当時
    > 1万円以上した10番の全曲スコア(輸入版)を入手した念の入れようです。このスコアとラトル
    > のCDは私の宝です。私の葬式はこの曲と決めてあります。また、モチーフを自分で弾いてみたり
    > もします。バイオリンを習わせた親に今ではとても感謝しております。

    リアリストさんのマーラーへの思い入れが、これほど深いとは知りませんでした。
    マーラーの10番は1楽章しか知りませんが(アバド、ウィーンフィル)、機会があればラトルのクック版も聞いてみたいと思います。
    それにしても、私達にとって親の恩は大きいものですね。

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  • from: リアリストさん

    2008年05月25日 21時57分15秒

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    マーラーについて

    tamaさん、丁寧な解説ありがとうございます。マーラーの8番ですが、スケッチが完成した
    1906年8月18日、マーラーが指揮者メンゲルベルクに宛てた手紙には

    「今しがた8番を完成させました。私が書いた最大の作品であるばかりでなく、内容・形式とも
    に類のないものなので言葉では言い表せません。宇宙が震え鳴り響くさまを想像してください。
    それはもはや人間の声ではなく、惑星や太陽のそれなのです。」とあります。
    http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler8.htm

    これだけの、完成度の高い8番なのですが、マーラーはそこで終わらずに関心を東洋に向けて
    おります。その後に大地の歌、9番、10番と作曲を続けて行きます。そこには、キリスト教の
    神とはまた違ったものが感じられます。現実の死との直面、黄泉の世界、このようなものが
    感じられます。大地の歌に番号が付いていないのは、ベートーヴェンやブルックナーがそうだった
    ように「第9」を書くと死ぬのではないか、と恐れて番号をつけなかったのである、とあります。
    http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler0.htm

    マーラーの10番は、ラトルがクック版の全曲演奏をしたEMIのCDを私はよく聴くのですが、
    最終楽章は死から黄泉の世界へ赴く様子が伺えます。この曲は、もう20年以上前の学生の頃に
    初めてマーラーの巨人を聴いた衝撃から、彼の最後の最後をどうしても知りたくなり、当時
    1万円以上した10番の全曲スコア(輸入版)を入手した念の入れようです。このスコアとラトル
    のCDは私の宝です。私の葬式はこの曲と決めてあります。また、モチーフを自分で弾いてみたり
    もします。バイオリンを習わせた親に今ではとても感謝しております。

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  • from: tamaさん

    2008年05月24日 20時53分38秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:レムリアルネッサンスのことについて ④」
    > そうでしたか。私は子供の頃からバイオリンをしております。昔はアマチュアで
    > オケをしておりました。現在は主に室内楽をしております。バイオリンは弦楽器では
    > 花形のイメージがありますが皆で練習を重ねて、全体で一つの音楽を作る事はとても
    > 楽しいです。

    リアリストさん。室内楽でバイオリンを演奏され楽しんでおられるとのこと。
    音楽のお仲間達と楽しく表現し創造されている。いいですね。

    > 丁度、昨晩BSで悲愴と復活を観ておりました。サントリーホールでの演奏でした。やはり
    > 、ラストは圧巻でした。マーラーの素晴らしいところは、重厚なオーケストラが鳴り響いた
    > かと思うと、突然ソロが出てきて、実に一人一人、一つ一つの楽器を発揮させて、それで
    > いて全体としての調和が創られているところでしょうか。私は千人のシンフォニーも好き
    > なのですが、千人のどの一人も疎かにしていない。千人の一人一人が大切で素晴らしいの
    > である。私はそこに宇宙や神の意思を感じております。

    リアリストさんに刺激され、久しぶりに(20年ぶり)マーラーの「一千人の交響曲」を聞いてみました。
    第一部はWeb上にある動画で観て、第2部は保有していたCDで聞きました。
    うまく表現できるかどうか解かりませんが、私の受けた感動を書いて見ます(感動をうまく表現するのも一つの修行?言葉で書こうとすると少し上滑りになってしまいますがご容赦を。CDの解説か何かを引用したのではないので・・・)。
    第1部は、観たところでも1千人に迫る大編成のオーケストラ、アンサンブル、数々の合唱団体が、サイモン・ラトルの一千人を束ねるほどのすごい気迫のこもった指揮の元に何度も何度も起伏を繰り返しながら、本当に怒涛のような神を賛美する光り輝くような荘厳な音の奔流、「来たれ、創造主たる聖霊よ」から始まる深いキリストの信仰者だけが表明できる信仰の真髄にような歌詞に乗せて神の栄光と神の無限の力と敬虔な信仰者の魂の叫びを音楽で表現しようと試みたような力強く美しく、幅広くダイナミックな音楽、もうフルオーケストラ、全合唱団の絶叫に近いクライマックスで音楽が頂点に達した時の胸一杯に広がった大きな感動と心の高揚感。このあと、第2部が1時間も続くとは信じられないほどの完全燃焼感に包まれた思いでした。
    それにしてもマイクがこの重厚・壮大でダイナミックで多彩な音の奔流を拾い切っていない(Web上のオマケだから仕方ない)。
    それでも、感動は少しも減じる事がないのが不思議です。
    音楽はやはり音質ではないですね。
     第2部はCDで聞きました。
    CDには解説書が無かったので予めゲーテの「ファウスト」から引用された歌詞をWebで読み(これがまた素晴らしい日本語訳表現でした)、この歌詞が神の救いを心の底から希求し神やマリア様を賛美する、光に満ちたものであることに感銘を受けたので、これを理解した後は目を閉じて音楽に聞き入りました(字幕のあるDVDなどと違い、聞きながら歌唱と歌詞とを合わせるのが面倒で音楽への集中を妨げられるからです)。
    第1部と違い、静かな祈りのような音楽の流れ、それぞれの独唱の、信仰に裏付けられた心から救いを求めるような個性感のある美しさなどを経て、何度も起伏を繰り返し、そして最大のクライマックスに向けてオルガンが加わり、おそらくはオーケストラ全員が力の限りで強奏し、全合唱者が心からの叫びのように絶叫し、神とマリア様への賛美、光に包まれた怒涛のような音楽の奔流の中で、胸の中がもうこれ以上は無いほどに高揚し、一杯になり、はちきれそうな感動をこらえながら音楽が終わった感じです。
    20年ぐらい前に聞いた時は迫力だけがやや空しく響き、歌詞の内容にもありきたりで今回ほどは感動しなかった事を覚えています。
    やはり、あの頃は演奏者たちや作曲者の人間性などを表面的にしか理解せず、先入観を持っていたのです。
    今は、指揮者を含め演奏者一人一人がかけがえの無い素晴らしい才能を持った神の子であり、それぞれ幅広い個性を持ちながらも心の底に神性を宿しており、皆が心の底では神を求めており、なによりもマーラー自身が神の救いを魂の底から求めていた偉大な作曲者であった事を知る事が出来たので、同じ音楽を聴いても昔と比べると色眼鏡なしで在りのままを真実に近い姿を見たり聞いたりする事が出来るようになり、感動を感じる感性が少し研ぎ澄まされて来たのではないか、と自分では思います。
    私を含めて全ての人が神の子である事に気づいた事、本当の神の恵みです。
    リアリストさんの言われる「神の計らい」かも知れませんね。
    リアリストさんはマーラーの音楽に宇宙や神の意思を感じるとのこと。
    素晴らしいですね。
    登る道は違うけれど、目指す方向は同じ方向のようです。

    > ところでtamaさんは、もうトランペットはされていないのですか?

    中学・高校・大学とラッパを吹いていましたが、その後は吹いていません。
    高校時代のブラバンの連中とは、今でも正月と盆休みには毎年集まりますが、ただ単なる「飲み会」です。

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  • from: リアリストさん

    2008年05月23日 08時32分19秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:レムリアルネッサンスのことについて ④」
    > 私は実はトランペットを吹いていました。
    >
    そうでしたか。私は子供の頃からバイオリンをしております。昔はアマチュアで
    オケをしておりました。現在は主に室内楽をしております。バイオリンは弦楽器では
    花形のイメージがありますが皆で練習を重ねて、全体で一つの音楽を作る事はとても
    楽しいです。

    > マーラーの「復活」(No.2)はバーンスタインの演奏(DVD)が大好きです。
    特に終楽章でバーンスタインが全身全霊を込めてアメリカ人らしくマーラーの音楽を
    全身で真摯に表現する姿は実に感動的です。

    丁度、昨晩BSで悲愴と復活を観ておりました。サントリーホールでの演奏でした。やはり
    、ラストは圧巻でした。マーラーの素晴らしいところは、重厚なオーケストラが鳴り響いた
    かと思うと、突然ソロが出てきて、実に一人一人、一つ一つの楽器を発揮させて、それで
    いて全体としての調和が創られているところでしょうか。私は千人のシンフォニーも好き
    なのですが、千人のどの一人も疎かにしていない。千人の一人一人が大切で素晴らしいの
    である。私はそこに宇宙や神の意思を感じております。

    > 一番好きなのははモーツアルト、ベートーヴェン、マーラー、ブルックナーあたりです。
    > その次に、バッハ、ブラームス、ショパン、チャイコフスキーなどでしょうか。
    >
    > > 弦楽器の響きには悟りを感じております。私などは、より直接的に訴えかけられるのですが。
    > 弦楽器は独特の、心に響くものがありますね。
    > 感性から悟性へ探求を深めたいものです。

    そうですね。ところでtamaさんは、もうトランペットはされていないのですか?

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  • from: tamaさん

    2008年05月23日 01時41分58秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:レムリアルネッサンスのことについて ④」
    > 音楽の話も面白そうですね。tamaさんは、ブラスですか。チューバかホルンのイメージが
    > ぴったりです。ラッパ程派手ではありませんが、オーケストラを支えている大事なパートです。

    私は実はトランペットを吹いていました。

    > ワグナーなどは如何でしょうか?

    ワグナーは余にも長大すぎてあまり聞きません。前奏曲などを少し聴く程度です。

    > バッハにしろマーラー、ベートーベンにしても、宗教や神をモチーフにしたものは多々ありますね。
    > 特に、金管の響きは神やキリストを感じます。マーラーのシンフォニーなどは如何でしょうか。

    マーラーの「復活」(No.2)はバーンスタインの演奏(DVD)が大好きです。特に終楽章でバーンスタインが全身全霊を込めてアメリカ人らしくマーラーの音楽を全身で真摯に表現する姿は実に感動的です。
    一番好きなのははモーツアルト、ベートーヴェン、マーラー、ブルックナーあたりです。
    その次に、バッハ、ブラームス、ショパン、チャイコフスキーなどでしょうか。

    > 弦楽器の響きには悟りを感じております。私などは、より直接的に訴えかけられるのですが。
    弦楽器は独特の、心に響くものがありますね。
    感性から悟性へ探求を深めたいものです。

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  • from: リアリストさん

    2008年05月22日 22時10分50秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:レムリアルネッサンスのことについて ④」
    お二人の対話、興味深く拝見しております。

    >  tamaさんがクラッシックを好きだとは知りませんでした。そういえば、リアリストさんも
    モ-ツアルトが好きだと言っておりましたよ。
    >  宗教や哲学などと、音楽はとても深い関係があるのではないかと思っております。音楽が
    かもし出す言葉にあらわせないあの感情は、きっと実在界に通ずるものでしょう。

    音楽の話も面白そうですね。tamaさんは、ブラスですか。チューバかホルンのイメージが
    ぴったりです。ラッパ程派手ではありませんが、オーケストラを支えている大事なパートです。
    ワグナーなどは如何でしょうか?

    バッハにしろマーラー、ベートーベンにしても、宗教や神をモチーフにしたものは多々ありますね。
    特に、金管の響きは神やキリストを感じます。マーラーのシンフォニーなどは如何でしょうか。
    弦楽器の響きには悟りを感じております。私などは、より直接的に訴えかけられるのですが。

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年05月22日 00時41分54秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:レムリアルネッサンスのことについて ④」
     お便りありがとうございました。

    > 例えば、愛=真剣な行動、という事について、聖母マリア様が次のように語っておられ印象深く思います(シリーズ7「ファティマの真実」より)。
    > 「あなた方も数々の霊言を、もう世に問うてこられています。以前の方が、霊言というものは降ろされているのです。でもいっこうに世の中が良くならないのはどういうことかと申しますと、知的な好奇心だけでいくら信仰心というものを、愛というものを学んだとしても、少しもそれは世の中が良くはならないということなのです。
    >  愛というものは、神よりの知恵というものは、一度学んだものを我が人生の中に引き寄せてみて、そして、それをそれぞれの人生の思いの中で、自分のできる、いや、自分でしかできないこと、自分がどのようにしたら自分だけではなく、ほかの方々の慰めの愛の光となって生きられるか、ということを真剣に問い、真剣に生きよう、真剣に語り、真剣に行動として、人生の中で映そうと思う方々が、あまりにも少ないから、このような現状が起きているのだと思うのです。
    >  マザー・テレサという方はあまり難しいことをおっしゃいませんでした。でも、彼女は自らの信仰の中で、キリストより学ばれた愛が何であるかということを、ただただ神の愛というものを生き切った方なのです。難しい理屈ではなく、愛というものを生きるというその姿の中に、彼女は信仰心の、神の子としての光の柱としてのご自分の人生を輝かされたのです。
    >  あなた方は、ほんとうの意味で、愛というものを自分の、神の子の本体として、人生を愛に輝かせ、愛の通路として、愛の奔流として生きておられるかということを、私は地上の皆さま方にうかがいたいのです。
    >  愛というものは、語るだけでは愛にはならないのです。言動をもって、一途にひたむきに、自分以外の方々に、工夫をし、知恵を出して、どのようにしたら自分が他者への奉仕の姿を、愛の奉仕の中で生きることができるかと、真剣に行動に移すために、自分の人生のありとあらゆるエネルギーの中で工夫して生きようとした瞬間から、その方の中を、その方の個性を通して、愛というものが噴き上がってくるものなのです。あなた方はもう少しそのことを学ばねばなりません。・・・・」
    > なんという厳しくも慈愛溢れるメッセージでしょうか。

     聖母マリアのお言葉、そのとおりに考えるようにしたいと思います。肝に銘じないといけないですね。近くに、経営にゆきずまっている後輩がおりますが、自分として何ができるか真剣に考えてみたいと思います。あたたかく見守ることしかできないのかも知れませんが、色々工夫してみます。


    > その通りですね。
    > 私たちにとっては、霊言は実証出来ないものですし、また、いつ何時地下からの通信に置き換わっているかも知れないものですから、先入観を払うが受身にならず、疑問は疑問として残し、謙虚な気持ちで神の子としての自分自身が感銘を受け共感した部分を自分のこれからの人生に、自分の心境に応じて生かして行くだけですね。

     「いつ何時地下からの通信に置き換わっているかも知れない」というのは、衝撃的です。そのためには、私は知性を磨くことにしているのですが、しかし、知性が強くなりすぎると愛や許しの徳目が逆にあろそかになり、両立は難しいものがあります。ともかく、両方とも努力を続けるしかないでしょう。

    > 私は見た事がありませんが、フランス映画独特の芸術の薫り高く聴衆に考えさせる映画のようですね。
    > 機会があれば見てみたいです。
    > 私も学生時代にブラスバンドをやっていたので音楽は大好きです。
    > 特にクラシック音楽が好きです。
    > でも、CD・DVD売り場やレンタルショップに行くと寂しい思いがします。
    > こんなに好きな音楽が、こんなに人気が無いとは・・・。

     tamaさんがクラッシックを好きだとは知りませんでした。そういえば、リアリストさんもモ-ツアルトが好きだと言っておりましたよ。
     宗教や哲学などと、音楽はとても深い関係があるのではないかと思っております。音楽がかもし出す言葉にあらわせないあの感情は、きっと実在界に通ずるものでしょう。今朝はモ-ツアルトのピアノ協奏曲(ケンプ)を大きな音で聞いておりましたが、とても楽しい気持ちになりました。しかし、午後になると、そんなことも全く忘れてしまい、現世の暗い、苦しいお話が周りに飛び交う状況が続いたため、すっかりしぼんでしまいました。人間の心の状況は刻々変わるもので全く始末におえませんが、できるだけ明るい心でいられるようシッカリ心のコントロ-ルをしたいものです。

     以上ですが、また素晴らしいお言葉をお待ちします。現在、こちらは、プラトンと格闘中です。

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  • from: tamaさん

    2008年05月19日 01時33分57秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:レムリアルネッサンスのことについて ④」
    >  落ち着いて読んでいらっしゃるのですね。tamaさんのご勉強の中で特に印象深いものがあれば、ぜひ、お便り下さい。

    例えば、愛=真剣な行動、という事について、聖母マリア様が次のように語っておられ印象深く思います(シリーズ7「ファティマの真実」より)。
    「あなた方も数々の霊言を、もう世に問うてこられています。以前の方が、霊言というものは降ろされているのです。でもいっこうに世の中が良くならないのはどういうことかと申しますと、知的な好奇心だけでいくら信仰心というものを、愛というものを学んだとしても、少しもそれは世の中が良くはならないということなのです。
     愛というものは、神よりの知恵というものは、一度学んだものを我が人生の中に引き寄せてみて、そして、それをそれぞれの人生の思いの中で、自分のできる、いや、自分でしかできないこと、自分がどのようにしたら自分だけではなく、ほかの方々の慰めの愛の光となって生きられるか、ということを真剣に問い、真剣に生きよう、真剣に語り、真剣に行動として、人生の中で映そうと思う方々が、あまりにも少ないから、このような現状が起きているのだと思うのです。
     マザー・テレサという方はあまり難しいことをおっしゃいませんでした。でも、彼女は自らの信仰の中で、キリストより学ばれた愛が何であるかということを、ただただ神の愛というものを生き切った方なのです。難しい理屈ではなく、愛というものを生きるというその姿の中に、彼女は信仰心の、神の子としての光の柱としてのご自分の人生を輝かされたのです。
     あなた方は、ほんとうの意味で、愛というものを自分の、神の子の本体として、人生を愛に輝かせ、愛の通路として、愛の奔流として生きておられるかということを、私は地上の皆さま方にうかがいたいのです。
     愛というものは、語るだけでは愛にはならないのです。言動をもって、一途にひたむきに、自分以外の方々に、工夫をし、知恵を出して、どのようにしたら自分が他者への奉仕の姿を、愛の奉仕の中で生きることができるかと、真剣に行動に移すために、自分の人生のありとあらゆるエネルギーの中で工夫して生きようとした瞬間から、その方の中を、その方の個性を通して、愛というものが噴き上がってくるものなのです。あなた方はもう少しそのことを学ばねばなりません。・・・・」
    なんという厳しくも慈愛溢れるメッセージでしょうか。


    > また、実証性は重視する方だと思っております。しかし、霊言には、実証性は求められないのではないかと思っており、説かれる真理を学ぶだけですが。

    その通りですね。
    私たちにとっては、霊言は実証出来ないものですし、また、いつ何時地下からの通信に置き換わっているかも知れないものですから、先入観を払うが受身にならず、疑問は疑問として残し、謙虚な気持ちで神の子としての自分自身が感銘を受け共感した部分を自分のこれからの人生に、自分の心境に応じて生かして行くだけですね。

    >  話題はガラリと変わりますが、この間フランスのコ-ラスという映画をNHKで見て、感動しました。少年のボ-イソプラノの歌があまりにも美しいので、ついには、ビデオを取り寄せ再度見たほどです。スト-リ-は少年院のような施設の子供達が、マチュ-先生のあたたかい合唱指導などで生長してゆく姿を描いたものです。自身の子供の頃の思いでと重なり、久しぶりに感動しました。

    私は見た事がありませんが、フランス映画独特の芸術の薫り高く聴衆に考えさせる映画のようですね。
    機会があれば見てみたいです。
    私も学生時代にブラスバンドをやっていたので音楽は大好きです。
    特にクラシック音楽が好きです。
    でも、CD・DVD売り場やレンタルショップに行くと寂しい思いがします。
    こんなに好きな音楽が、こんなに人気が無いとは・・・。

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年05月16日 20時09分51秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:レムリアルネッサンスのことについて ④」
    > 私が霊言を読む時の心構えとしては、まず、出来るだけ先入観を捨て、理解を超えている所は解からない、と保留しておく、しかし決して頭から否定はしない(先入観を捨てる)。
    > つまり、理解できない所は何れ解かるかもしれない、と疑問点として残しておき、全体を判断し、世の中の為になる主張かどうか、長い目で見て自分の為になるかどうかを吟味する、という姿勢です。
    > それと、もう一つは、心で読む、と言う事です。
    > 感動を探しながら感じやすい心で、謙虚な気持ちで虚心坦懐になって読む、という感じです。

     ご返事ありがとうございました。

     落ち着いて読んでいらっしゃるのですね。tamaさんのご勉強の中で特に印象深いものがあれば、ぜひ、お便り下さい。私自身は、霊言が落ち着いて読めませんが、これは、なにか性格的な傾向がいつの時点かわかりませんが、心に植え付けられているのかも知れません。
     自分自身のことを振り返って点検してみますと、理屈っぽい面、頑固な面がありますが、その反対の単純性もあるような性格とおもいます。また、実証性は重視する方だと思っております。しかし、霊言には、実証性は求められないのではないかと思っており、説かれる真理を学ぶだけですが。

     石原慎太郎の法華経論も読んでおります。石原さんは、思いの外思索の深い方だと思われます。この方の時間、空間論については、いずれこのサイトでご紹介したいと思います。ただ今は、まだプラトンの読書中ですが、忙しくて、よっぽど気をつけないと勉強しません。tamaさん現役でお忙しいようで、こちらは、暇なのにさぼってはいけませんね。

     話題はガラリと変わりますが、この間フランスのコ-ラスという映画をNHKで見て、感動しました。少年のボ-イソプラノの歌があまりにも美しいので、ついには、ビデオを取り寄せ再度見たほどです。スト-リ-は少年院のような施設の子供達が、マチュ-先生のあたたかい合唱指導などで生長してゆく姿を描いたものです。自身の子供の頃の思いでと重なり、久しぶりに感動しました。

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  • from: tamaさん

    2008年05月15日 04時09分20秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:レムリアルネッサンスのことについて ④」
    ueyonabaruさん。返事が遅れ申し訳ありません。

    >  霊言の勉強をしておられるtamaさんとの対話がキッカケとなり久しぶりに大川隆法の霊言集を見ることになってしまいました。私の場合、霊言集を読むと、学ぶべきものも多いと思う反面、言いしれぬ不安感におそわれることがあります。書かれている内容が、予言であったりすると特にそのような感情がおこります。どうしたものでしょうか。これが何に起因するかわからないのです。ですから、過日、霊言による学びはできないと申しあげたことがあります。また、霊言を読むとある寂寥感にも似た感情が起こることもあります。大地に立つべき人間が、ヨロヨロと空中(霊界か)にさまよっている感じでしょうか。不安なのです。
    >  tamaさんは私のこの感情が少しでもお分かりいただけますか。tamaさんは霊言を読むときどのようなお気持ちかお聞かせください。

    私が霊言を読む時の心構えとしては、まず、出来るだけ先入観を捨て、理解を超えている所は解からない、と保留しておく、しかし決して頭から否定はしない(先入観を捨てる)。
    つまり、理解できない所は何れ解かるかもしれない、と疑問点として残しておき、全体を判断し、世の中の為になる主張かどうか、長い目で見て自分の為になるかどうかを吟味する、という姿勢です。
    それと、もう一つは、心で読む、と言う事です。
    感動を探しながら感じやすい心で、謙虚な気持ちで虚心坦懐になって読む、という感じです。

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