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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい>掲示板

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  • from: cosmo77さん

    2009年09月30日 23時19分20秒

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    因果律関連


    hikaru0827さん みなさま 話題がほとんど因果律になっていますので 新規スレッドを作らせていただきます

    >まずあれだけ、会の中心で頑張っていたと見えた景山氏が、なぜあんな死に方をしたのか…。例えば「自分はこんなに頑張ってるのに評価されてない」と不満を抱いた。(景山さん、すみません。あくまで想像です。)裁判も思うようにいかず、疑いの心が芽生えた。心が曇り、彼を取り巻く霊的環境は最悪の状態だった。

    hikaru0827さん うわー マズイですねー
    景山さんは 7次元菩薩界に行かれてるらしいですよね

    ついに 菩薩まで敵に回されるとは・・・・ (屮゜Д゜)屮

    ところで 大川先生は 異熟果についても書かれていますよね
    http://blog.goo.ne.jp/mryupa/e/87044f59e5a58ef37a3dce848e8783f2

    不幸な最期になっても その人が必ず 悪いカルマを作っていたとは限らないということですね

    hikaru0827さんは あまりに 因果の連鎖を完璧に考えすぎではないでしょうか

    >その経験を意義ある事と感じてられるようですし、その経験こそが、本来の目的だったとしたら… その挫折から得る教訓こそが目的だったとしたら…魂の成長の点からは大成功と言えます。

    なるほど ありがとうございます。その通りかもしれませんね
    時間がもったいなかった気もしますが。

    >事実を重視する場合、認識力が低ければ、間違った結論になります。蛇縄麻の話のように、そこに落ちているものが「蛇」だと思って、逃げ出した人にとって、それは「蛇」であったという事実認識です。その人の「事実」が真実とは限らないわけです。

    ですからそれが白紙ではない見方だということですよね
    白紙で見るというのが 事実を事実として見るということですね
    そういう見方を直しなさい というのが教えですよね

    >他の道を探しもしない、行政に改善要求もしない、それでいて、愚痴だけは言うんです。

    無力感で 変えられるという希望が持てなくなっている人もいるんじゃないでしょうか
    hikaru0827さんのようなエリートの方には 理解ができないということもないでしょうか

    いわゆる弱者という人たち(ボクもそうかもしれません)にはhikaru0827さんのようなツワモノと一緒に考えられない部分はないんでしょうか
    元々能力のない人はどうすればいいんでしょうか

    実際 子供のころなど 勉強をする気がぜんぜんわかないとしか思えない子がたくさんいましたが。
    元々やる気がない子はどうすればいいですか

    親鸞聖人もある種の無力感がなければ 絶対他力を説かなかったのではないでしょうか
    キリストさまもそうでしょう
    現実 弱者が圧倒的多数の世界を どうやって救えるのでしょうか

    >いじめられる方に原因がある、なんて言ったら総攻撃を食らいます。そんな発言すら許さない「空気」が今の日本にはあります。いえ、ありました。幸福の科学が、この件で主張を始めた事について、思い切ったな〜という感です。実際は、1方だけが悪いのでなくて、いじめる側も、いじめられる側も、学校も、家庭も、社会も、それぞれに原因があるはずです。なのに、マスコミは学校と社会についてしか言いません。そこにまず、風穴を開ける必要もあったでしょう。

    この点 hikaru0827さんの認識は違うのではないでしょうか
    大川先生の息子さんがいじめにあった後 いじめ防止運動がはじまったのです
    初期のころから 先生はいじめは いじめられる側に責任があるしかほとんど言われていません

    >幸福の科学会員の傾向性についてですが、おっしゃるように、師が法の色メインの方ですから、集まる諸々の比丘比丘尼たちも、仏教的自力論者が多いでしょうね。イエス様や、親鸞さんのように、愛一筋の人とは、少し違います。

    少し違うというより その点は 真逆と言える程に見えますが。
    また 大川先生は 法の色では なくて 確か 七色光線を統合した黄金色と聞いたことがありますけど。

    でも いじめは 自分のせいだ自分のせいだ といわれていたら 誰もいじめられてる人を助けようマインドは出てこなくなる ということには 問題意識は 持たれないわけですか

    自分が悪いんだ 助ける必要なんかない こういう論理になってしまいます

    支部長クラスの人でも こういうマインドの人に 何人か会ってきました

    これは自分で直接聞いたのかどうか忘れてしまったのですが
    息子さんがいじめに会っていて 助けようとされたときに 会員さんから こんな意見がたくさん来たそうです
    何で助けるんだ 自助努力じゃなかったのか とか。

    これを聞いてボクは はっきり言って びっくりして コワかったです
    しかし 幸福の科学には こんなマインドが巣食っている というのはなんとなく あり得るお話です

    こういったいろいろな お話を見聞きするうちに 思うのは
    幸福の科学は ホントに愛の薄い宗教だなー というところでしょうか

    これに類する お話として 今年の書籍の 朝の来ない夜はない の中 1章の1でしたかに 幸福の科学はいわゆる弱者に救済をしてこなかった これからは すこしずつやっていく というお話が出てきます

    弱者の救済は宗教の当然のミッションなんだ といわれています

    ボクはその通りなんだと思いました
    幸福の科学が このミッションを果たしていくのは 私は 今の指導原理が相当変わらないと 難しいのでは と思っています

    つまり エリートの人たちが自分の勉強をして満足し 弱者には冷淡な団体というイメージでしょうか

    今の指導原理では このマインドを変えていくのは 相当難しいと私は思います

    この団体が 人を救済しようという団体だとは 疑問としか思えないのです
    悪性の小乗といってもいいのでしょうか

    幸福実現党が大敗したのも 結局 弱者への裾野や 支持を得られないからではないのかと 思うのです

    そういう裾野が広がらなければ 多数の得票がられるわけないです

    このままいくと
    それは自分が悪いんだ オレは関係ない
    のような 文化が 歴史的に形成されていくのではないでしょうか

    結局 これが修正されるのは 400年後と言われる キリストの再誕を待つということでしょうか
    それとも大乗の菩薩の再来を待つのか?

    何か私のいうことは違いますでしょうか


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  • from: ueyonabaruさん

    2009年09月30日 13時22分23秒

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    「Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
    > 尊敬されるべき個人は神格化すべきか? あるいは、信仰とは個人を神格化することであるか?
    >
    > ぼくとueyonabaruさんの最大の違いは、
    >  ↓これだろうと思うのです。
    >
    > >クリスチャンがイエスを神、神の子として信仰するように、幸福の科学の信者は、大川隆法を神、神の子として信仰するのです。
    >
    > ぼくは、その道の選択は、「自分自身にとっても、社会にとっても危険だろう」と思っているのです。
    > とは云え、ueyonabaruさんと真反対が良いと云っているわけではありません。

     そこが違うんですね。
     危険とおっしゃるのは、具体的には何なんでしょうか。戦前の軍国主義や十字軍、イスラムのテロなどをお考えなのでしょうか。これらは、全て宗教の信仰とからんでおります。しかし、それだけが原因といえるでしょうか。ともあれ、危険の具体的なご説明をお願いします。



    > ueyonabaruさんの云われる、「大川さんを信仰する」と云うことは、戦前の天皇を「現人神」として崇敬信仰すると云う意味でしょうか?

     天皇を現人神とするのと似ているのかもしれません。心理的には同じものではないでしょうか。

     生長の家の谷口先生は、天皇を神とし、天皇を神と見る国民もまた神であるとお説きになりました。見る主体が神なので、見られる客体である天皇もまた神であるというのです。大川隆法もまたそのように考えていいのではないでしょうか。



    > >そうでなければ、幸福の科学を理解することも不可能ではないでしょうか。三帰誓願をしないとしても、仮定の信仰でももたない限り、幸福の科学の理解は深まらないでしょう。

    > なぜ、そのように思われるのでしょうか?
    > 「もう、何度もその指摘は聞いた」と云われるかもしれませんが、信仰が欲しいからですね。
    > つまり、信仰の対象を持つことによって、自分の存在根拠を確認したいのです。

     上の私の理屈からすると、大川隆法も神であり、私も神としなければなりません。しかし、私は大川隆法を偉大なる神として尊敬するのです。同格ではなく、一目も二目いやそれ以上に目数を置かねばならないのです。大先生といってよいでしょう。




    > ほんとうは、信仰を持たなくても自己を確立している人はたくさん居ますが、たしかにそれも危ない道である確率は高いものです。

     信仰を公にもっていない方々にもご立派な方々がいらっしゃいます。それは構わないのです。異なる宗派でもりっぱな方々がおります。宗教心なくして偏る人が問題です。


     
    > ぼくは、イエス、ソクラテス、孔子、仏陀を、尊敬すべき敬愛すべき大偉人、人類の恩人と思うと同時に、かれらをひじょうに善き友人、善き先輩、善き先達と実感します。
    > おそらく、かれらと一緒に楽しく歓談できるような気がします。
    > もちろん、ぼくが教えてもらうことばかりでしょうが、ときには冗談も云いあえるような気がするんです。
    > ぼくには、これこそほんとうの「信仰」のすがたと思えるのです。

     ここのところは、賛成します。友人とまでいえるかどうかはあります。宮沢賢治は、自分のことを仏の子と言っていたそうです。仏様が大好きだったのでしょうね。私は自分のことをエル・カンタ-レの子、大川隆法の弟子というぐらいに位置づけておきたいと思います。
    >


    > 9次元の神が居たとして、よるべなき迷えるたましいが救いを求めにやってきたとき、そのあわれなたましいを邪険に追い払うでしょうか?
    > 9次元の霊は、自分をいくつにでも分けることができる存在です。
    > ueyonabaruさんに、会えないはずはありません。
    > ueyonabaruさんが霊界に帰ったとき、大川さんの分霊にせよ会ってもらえるのでしょうか?

     霊界で先生の霊(分霊)に会いたいのかなんて考えたこともないです。その様な欲求は今のところありません。

     景山民雄さんのことをおっしゃておられるようですが、もういい加減に心からお解きになられてはどうですか。いつかの月刊誌かなにかで、先生が、景山さんもやがて幸福の科学の霊界における講師になるというようなお話をされてましたよ。このことは、前にもお話したつもりです。それでも、大川隆法はおかしいとおっしゃるのであれば、逆にhiraokaさんがおかしいのではと思えますね。



    > >パウロもアウグスティヌスもイエスを神として信仰したので、その点では何の間違いもありません。
    >
    > その点では間違いではありません。当時としては、ほとんどのひとたちがほんの瞬間にしか思い至れなかった境地です。
    > しかし、「これこそが信仰」と思う「信仰」が、時代の制約なのです。そして、この過程が人類史を織りなすドラマなのです。

     ここでも、難しいhiraokaさんが登場しました。信仰心は時代を超えているのではないですか。




    > そして、パウロ、アウグスティヌスより以降の人たちはたとえ善人であったとしても、信仰するがゆえにさらに分からなくなってゆき、歴史に汚点も残したんですよ。
    >

     科学的な過ちのことでしょうか。

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  • from: にしき鯉さん

    2009年09月30日 12時52分01秒

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    「Re:Re:八正道」
    cosmo77 さん、hikaru0827 さん
    真摯に回答を下さってありがとうございます

    本当に真面目に信仰というものを考えている事がわかります
    反論などはもちろんありません、このまま真理を探究して欲しいと思います
    ここに書くのは私がたぶんお二人より少しだけ早く「道」に入ったからだと思います
    だから知識がちょっと多いだけで信仰に対する熱意などはお二人にはかなわないかも知れません
    ・・・
    お二人とも多面的に見ると言ってますので是非一考してもらえればと思います


    私の考える正見です、
    まず、誰でも先入観は排除できないでしょう、理由としては親の観念を教えてもらって育ったからです
    ・・・
    私は八正道は心の矯正と浄化(クリアにする)だと思うんです

    ありのまま物事を見て下さい、自分で良いとか悪いの判断を下すんではなく第三者的立場で解析だけにとどめるんです
    人生はいろんな事で悩みます、
    友人との付き合い方、仕事上のストレス、家庭の事などもあります
    それを経験から受け継いだ観念で判断しながら見ているのが現実です

    八正道は「あるがままに物事を観察する」が「正見」の基本なんです
    では判断の基準はどこにあるかです、これは十善戒を置きます
    皆さん、御存知の
    ①不殺生
    ②不偸盗
    ③不邪淫
    ・・・
    ④不妄語
    ⑤不綺語
    ⑥不悪口
    ⑦不両舌
    ・・・
    ⑧不慳貪
    ⑨不瞋恚
    ⑩不邪見
    と言われる十個の戒めです
    (最後の不邪見は原始仏教では無知と捉えています)

    これを土台として次の正思惟で対応していくんです
    最初の三つ、殺生、偸盗、邪淫は身の行いを浄化するものです
    次の四つ、妄語・綺語・悪口・両舌は話す言葉を浄化します
    最後の三つ、慳貪・瞋恚・無知は心を浄化します

    ありのままに事実を見て戒を基準にものを考えて進んでいくのが「正見」と「正思惟」だと思っています

    尚、これは「和」を大切にする在家の八正道です
    出家者に対する八正道は「正見」から違います

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  • from: hiraokaさん

    2009年09月30日 01時06分22秒

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    信仰とは個人を神格化することであるか?

    尊敬されるべき個人は神格化すべきか? あるいは、信仰とは個人を神格化することであるか?


    みなさん、こんばんは。

    >hikaru0827さん

    ものみの塔(エホバの証人)の重要教義は、じつに簡単に証明できるんですよ。
    でも、彼らはこの証明を認めないんですねぇ・・・。
    認めたくないと云う心理と、もうひとつは論理思考になじみが薄いのだろうと思うんです。
    でもでも、だからと云って・・・、 「論理」の勝利ではないんです。

    >ueyonabaruさん

    ぼくとueyonabaruさんの最大の違いは、
     ↓これだろうと思うのです。

    >クリスチャンがイエスを神、神の子として信仰するように、幸福の科学の信者は、大川隆法を神、神の子として信仰するのです。

    ぼくは、その道の選択は、「自分自身にとっても、社会にとっても危険だろう」と思っているのです。
    とは云え、ueyonabaruさんと真反対が良いと云っているわけではありません。

    ueyonabaruさんの云われる、「大川さんを信仰する」と云うことは、戦前の天皇を「現人神」として崇敬信仰すると云う意味でしょうか?

    >そうでなければ、幸福の科学を理解することも不可能ではないでしょうか。三帰誓願をしないとしても、仮定の信仰でももたない限り、幸福の科学の理解は深まらないでしょう。

    なぜ、そのように思われるのでしょうか?
    「もう、何度もその指摘は聞いた」と云われるかもしれませんが、信仰が欲しいからですね。
    つまり、信仰の対象を持つことによって、自分の存在根拠を確認したいのです。
    ほんとうは、信仰を持たなくても自己を確立している人はたくさん居ますが、たしかにそれも危ない道である確率は高いものです。

    信仰するがゆえに、信仰しない人が見ているものを見ようとしない事はいくらでもあります。
    僕らから見れば、ものみの塔の教義上の間違いは明らかです。
    おそらく、幸福の科学の会員にとっては、「どうして、かれらはこんな簡単なことがわからないんだろうか?」と、笑ってしまうくらいの間違いです。

    そのような、まちがいを幸福の科学の会員はしていないと云いきれるとは思えないのです。
    これこそ、「贔屓の引き倒し」かも知れないのです。

    ぼくは、イエス、ソクラテス、孔子、仏陀を、尊敬すべき敬愛すべき大偉人、人類の恩人と思うと同時に、かれらをひじょうに善き友人、善き先輩、善き先達と実感します。
    おそらく、かれらと一緒に楽しく歓談できるような気がします。
    もちろん、ぼくが教えてもらうことばかりでしょうが、ときには冗談も云いあえるような気がするんです。
    ぼくには、これこそほんとうの「信仰」のすがたと思えるのです。

    この考えは、けっして彼らを冒涜するものではありません。
    また、自分を「偉し」と、うぬぼれるものでもありません。

    それどころか、歴史的偉人はこのように寄ってくる人をこそ、もっともよろこぶ人たちなはずです。
    なぜなら、かれらはみな「ひとを愛するひと」だからです。
    かならずや、究極の神も同じはずなのです。

    >大川隆法が9次元の神であることを認めるかどうかは、その人によるわけで、そうだと感じるものがその様に思い決め信仰するということなんでしょう。

    9次元の神が居たとして、よるべなき迷えるたましいが救いを求めにやってきたとき、そのあわれなたましいを邪険に追い払うでしょうか?
    9次元の霊は、自分をいくつにでも分けることができる存在です。
    ueyonabaruさんに、会えないはずはありません。
    ueyonabaruさんが霊界に帰ったとき、大川さんの分霊にせよ会ってもらえるのでしょうか?


    >パウロもアウグスティヌスもイエスを神として信仰したので、その点では何の間違いもありません。

    その点では間違いではありません。当時としては、ほとんどのひとたちがほんの瞬間にしか思い至れなかった境地です。
    しかし、「これこそが信仰」と思う「信仰」が、時代の制約なのです。そして、この過程が人類史を織りなすドラマなのです。

    そして、パウロ、アウグスティヌスより以降の人たちはたとえ善人であったとしても、信仰するがゆえにさらに分からなくなってゆき、歴史に汚点も残したんですよ。

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  • from: hikaru0827さん

    2009年09月29日 22時50分33秒

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    「Re:八正道」
    にしき鯉さんへ

    お待たせしました。

    >その中の「正見」ですが大川さんは何を基準にして正しい見方としているんでしょうか?

    これはCOSMO77さんが、言われている通りです。


    >ぜひ、hikaru0827さんとcosmo77さんの「正見」に対する意見を聞かせて下さい

    まず、正見と、正思と、正念の違いについて、一言。
    八正道を実践していると、特に正見と、正思って、かぶるんですね。
    正見を突き詰めていると、正思も終わってるみたいな感じです。
    にしき鯉さんに、正見について話せ、と言われ改めてそのあたり考えてみますと、こんなイメージになりました。
    正見→ 一見して、何を感じたか?第一印象ですね。
    図形で言うと、点や線の段階です。
    正思→ 第一印象で何を感じたかに加え、様々な前後や周囲の状況も勘案し、どう思ったか。
    図形的には、点や線から、平面や立体になり、考えもまとまってきた感じです。
    正念→ まとまった考えを、社会や個人に対して、どういった働きかけを行うか
    図形的には、正思で出来た立体物で、どんな仕事をするのか?
    と、こんな感じです。


    次に、何を正しさの基準にするか、という事ですが、
    まず、自らの思いや行為を振り返る事、それが適切だったのかどうかを考える事自体に意義があると思うのです。(正見に限らないかもしれませんが)
    習慣化出来ればベストです。
    しかし、八正道をより効果的に行うには、高い認識力が必要です。
    高い認識力を得るには、経験・学習・思索などがポイントでしょうか。
    そういえば、読書も有効だそうです。
    どんなジャンルでも良いし、ORの本でなくてもいいわけですが、…確か100冊…300だったかな…それだけ読むと、知識が知恵と呼べるものに変わり、急に視界が広がるように、認識力が上がるんだそうです。
    それだけ読むのは大変ですが、でも誰でも出来る有効な方法です。

    認識力と、似ていますが、様々な修行の結果、自分の中に「モノサシ」が出来ます。
    釈迦であっても、総裁先生であっても、逐一全ての事柄について、手取り足取りこうしなさい、と正しい道を示してくれるわけではありません。
    「基本的な考え方は教えます。後は自分で考えなさい」
    なんだと思います。

    では、「お前の正見についてのモノサシはどんなだ?」って事ですね。
    やっと、にしき鯉さんの問に辿り着きました。

    ポイントは、「色眼鏡を掛けずに見たか」です。
    具体的には、2点。
    1心が波打ってるような不安定な状態、感情的な状態で、見なかったか?
    2偏見を持たずに見たか?

    1は、怒りや、不安や、恐怖を持った状態で見なかったか?という事ですね。
    2も当然ですね。正しく相手を理解しているか?相手の立場や、考えを正しく理解しているか?という事です。
    国が違っても、相手の立場を理解する事が大切です。

    ・・・この答えは、にしき鯉さんの問いに答えるものでしょうか・・・。
    「正しさの基準は?」でしたね。「偏見を持たずに、正しく理解する」では答えになりませんね。

    究極的には、神仏の意思となります。
    cosmo77さんが「大川先生のお考えということになると思われます」と言われた事と同様です。

    しかし、神仏の意思はなかなか計り知れません。
    そもそも、八正道とは、「正しさの基準を据えて、それに自分の心が合っているのかどうかを確認するもの」なのでしょうか?
    そうではなくて、「正しいかどうかを常に自問自答せよ」という教えではないでしょうか?

    ここまで書いて、「幸福の科学出版:新説八正道」を引っ張り出しました。
    やっぱり奥深いです。
    内容も膨大ですんで、とりあえず正見の章の目次を紹介します。

    1 見る事に伴う責任
    2 神の業を見る
    3 「正見」の出発点
    4 自他の姿は合わせ鏡
    5 正しく人を見るための判断基準
     ①映像を客観的にとらえる
     ②自分の感じ方を知る
     ③相手を相手の立場から見る
     ④神理の立場から見る
    6 愛に先立つ知恵
    7 多様なる認識の上に
    8 イエスが導いた悲劇
    9 環境に対する視点
    10 植物・動物へのまなざし

    気になる部分あれば、ご質問ください。

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  • from: hikaru0827さん

    2009年09月29日 22時28分10秒

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    「Re:聖書解釈」
    hiraokaさんへ

    返信ありがとうございます。[819]

    取り急ぎお礼申し上げます。

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  • from: ueyonabaruさん

    2009年09月29日 08時37分35秒

    icon

    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:地獄論 2」
    hiraokaさんへ


    > ueyonabaruさんは、「ソクラテスは霊能が無く、プラトンは霊能者であったと大川さんは云っていた」と書いていました。

     これは私の考えです。プラトンが不思議なことを語れる霊能者的な能力があると思っておりました。ソクラテスは、哲学の祖であり、霊能力とは関係がない人だとの若いころからの思い込みがありました。実際に対話編を読んでから、ソクラテスの知らなかった神秘的一面を知った次第です。大川先生がそのようにおっしゃったと、いう記憶はございませんが、よく覚えておりません。


     ピタゴラスが神秘主義者であったことも最近知ったのです。あの時代はなんとも魅力的に感じます。人間がのびのびとしているようですね。

     大川先生は、ソクラテスの評価を変更したというわけですね。霊言内容の変更もありますし、これらからすると、先生は間違わない人であるということはいえないようです。

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  • from: にしき鯉さん

    2009年09月29日 06時19分08秒

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    「Re:Re:八正道」
    cosmo77 さん、返事、ありがとうございます
    ホントに大川さんを敬愛なさってるんですね、尊敬の気持ちがビシビシ伝わってきます
    ・・・
    すみません、hikaru0827さんの意見がくるまでしばし静観させて下さい

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  • from: hiraokaさん

    2009年09月29日 01時02分24秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:地獄論 2」
    >にしき鯉さん
    >私は「移植ネットワーク」とは何の関係もありません

    あっ、そうなんですか・・・、ぼくはてっきりその関係の人かと思い込んでいました。
    「こりゃぁ、うかつなことは書けないぞ・・・」って、・・・
    ある意味、ちょっと安心です。(*^_^*)

    魂の座は、古今東西の本によって諸説あります。
    ほんとはみんなわからないんですよ。

    人工臓器の完璧なものと云うのは、まず当分は無理でしょう。
    種を越えた移植の可能性は、同じくらいむずかしいかもしれませんが、角膜などでしたら、種を選びしかるべき処理をほどこせば・・・・どうなんでしょうね?
    IPS細胞は、一番可能性が高そうです。ガンにならない保障のめどさえ付けば・・・・。

    死直後の魂の状況については、幸福の科学のみなさんが教えてくれると思います。
    ぼくも、ほぼ同じ考えです。

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  • from: hiraokaさん

    2009年09月29日 00時42分55秒

    icon

    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:地獄論 2」
    >ueyonabaruさん
    ありがとう、ございます。無事に届きました。
    大変だったようでご迷惑をおかけいたしました。
    ぼくはソクラテスの大ファンですので、ueyonabaruさんの好意に感謝いたしております。 <m(__)m>

    おおむね、大川さんの云われる事は正しいと思います。
    以前、ソクラテスについて話し合ったことがありました。憶えていらっしゃるでしょうか。

    ueyonabaruさんは、「ソクラテスは霊能が無く、プラトンは霊能者であったと大川さんは云っていた」と書いていました。

    ぼくは「ソクラテスは霊能者であり、プラトンは霊能者ではなかった。プラトンはソクラテスのような霊能が欲しくてピタゴラス派の人達と接した。」と書きました。

    また、大川さんは講演で「ソクラテスはたいした人では無かったと思います」と発言し、この発言は、高橋圭子さんの「真創世記」(平井和正・・作?)に「ソクラテスはたいした人では無かったと思います」の言葉があり、大川さんは真創世記を読んでいて影響された可能性があることを指摘
    しました。

    やはり、微妙に云っている事が違いますね。

    送っていただいた本文についてです。

    「ソクラテスは、転生輪廻、すなわち、生まれ変わりの思想を信じていました。」

    これは、プラトンが書き残してくれています。
    ソクラテスの住んでいるところから少し離れたところに居た人の話の風聞です。
    彼は生まれる寸前の状況を細かに覚えていて、その話しをソクラテスは皆に話します。

    それによると、あるとき大勢の人達が広場に集められ、
    役人が来て「これから、あなたたちは生まれ変わることになる。どのような境遇に生まれるかは、これから配るくじによって決まるが、不服な境遇に生まれ変わるくじを引いても、かならずしもそれはいやなことばかりとは限らないからガッカリしないように。また、この上もない身分に生まれるくじをひいたとしても、それはかならずしもよいことばかりとは限らないから、喜びすぎないように。」
    と云われ、集まった人達はみなくじを引きます。
    あるひとは喜びの歓声をあげ、ある人はしょげこんでいます、またなかには起こりだすひともいます。
    そして、次に男が気付いたときは、この世に生まれていた。 と云うのです。

    ソクラテスはこの話を披露したあと、「ぼくはこのおとこの云う話を、ほんとうのことらしく思えるのだよ」と皆に云います。

    「弟子たちや、あるいは牢番たちまでが、『牢から逃げるように』とすすめたにもかかわらず、それを拒否し、・・・・」

    ソクラテスの弁明はプラトン以外のもあるようですから断定はできませんが、・・・・
    「牢番たちまでが薦めた」と云うのは違うと思います。

    ありがとう、ございました。

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