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  • from: ueyonabaruさん

    2008年09月27日 15時03分05秒

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    沖縄戦の軍人たち

     7回にわたり、梅沢元隊長の裁判について書いてきました。これは、私がどうしても書きたいという思いがあったからです。
     知事を先頭に県民大会を開催したことが、私にとっては衝撃であり、残念なことでもありました。この大会の目的は何だったのでしょう。梅沢氏を代表とする旧軍人たちの悪を糾弾することだったのでしょうか、教科書の右傾化を阻止することなのか、沖縄戦で被った沖縄住民の悲惨を忘れるなと主張したかったのでしょうか。大会には、参加者の送迎のバスさえ準備されました。

     沖縄では、沖縄戦については住民の悲惨な体験が強調されます。マスコミは、それらを中心に報道するのです。マスコミ人が左派史観に染まっているとしか言えません。県民の中には、私のようなものも多数いるのでしょうが、自由に意見を述べることは憚られます。

     ここで、軍人について考えてみます。戦争の主役は軍人に違いないでしょう。この軍人たちは戦争で負けてしまいました。先に、軍人への嫌悪感が私自身にもあったということ申しましたが、これは、彼ら軍人が戦に負けたことにも起因すると思われます。勝っていれば、私の評価も、また県民の評価も違ったものになっていたかも知れません。勝てば官軍負ければ賊の原理はここでも働いています。戦には負け、住民には非道をしたとなっては、どうしても悪感情の対象です。かわいそうな日本軍人、弁護してやらねばなりません。

     沖縄守備隊、第32軍司令官牛島満中将は、陸軍士官学校の校長から32軍司令官として赴任しております。参謀長、長勇(チョウイサミ)中将は、関東軍の武人として名をはせた人でした。八原博通高級参謀は32軍の作戦参謀で、戦後「沖縄決戦」を書きました。海軍の太田中将は、海軍指揮官として豊見城の壕で自決をしております。さらに、軍人ではないが、沖縄県の島田知事も重要な人物です。戦争の主役たちには、上層部にこのような軍人、行政官がおりました。

     中でも、一般に人気が高いのが、海軍司令官の太田実中将でしょう。豊見城の壕で自決をするのですが、壕内での看護兵の作業をしていた、若い看護婦たち(現地召集の十代の学生)の献身ぶりを称えて大本営に送った、「沖縄県民かく戦えり」の打電文は有名です。これは歴史に残すべき文章となると思われます。うろ覚えですが、内容は、「この若い女子学徒たちの献身ぶりは、単に一時的な熱情からのものでもなく真情からでた行為であり、沖縄の県民はこのように戦ったということを報告する。このような報告は県知事によりなされるべきであるが、すでに県に通信手段が残されていない状況であるので、私から報告する」という風な内容だったと思います。県民は本当はこのように、軍とともに戦ったのです。この事実は決して忘れてはなりません。

     島田知事と県職員の戦死者を祀った碑が島守の塔として、摩文仁の丘の登り口の右側にあります。これは、戦後すぐに造られているもので、摩文仁の丘に各県の慰霊碑が整備されるようになる前からある古いものです。島田知事は、戦場となるのが予想されていた沖縄県の知事として、他が後込みする中で、沖縄に行くことを任務として受け入れ赴任してこられました。最後まで職員とともに行動し、南部の摩文仁の周辺で戦死したのです。幼い頃、大人たちにつれられここを訪れたたとき、大人たちの、ある感情のこもった話しぶりで島田知事について語る調子が、今でも脳裏に残っております。

     ほかの方々はどうでしょうか。誰もが、最後の決戦場となる過酷な戦いを予想しながら、この地に赴いてきたのです。ご苦労様というのがホントのところです。住民の体験した悲惨なことがらが、戦争体験として語られることが多いのですが、これら上層部の軍人たちを含め、下級兵士たちのことはあまり語られませんし、ましてやマスコミが取り上げることはまれです。実際に沖縄戦に従軍し戦った兵士たちの手記などは結構多くが書籍として発行されています。これらを読むと、兵士の立場から、多くのことが語られていることに気づくはずです。沖縄の住民との関係についても、加害者、被害者の立場でなく、ともに戦う国民としての協力や、戦中の苦労を分かち合う様子がうかがえるのです。

     我々は、沖縄戦のことについて、その功罪の両面を見る複眼を持たねばならないと思うのです。その全容をまず知るべきで、その上での反省がなされなければなりません。軍人は、日本のすべての家族から徴兵されていった、我々の日米戦争の代表選手です。戦争における主人公たちです。おろそかに扱うことは決して許されません。左派史観に影響を受けた方々は、軍人を蔑み、忌避し、軍と名が付くものをすべて悪とします。戦争が忌むべき悲惨なものであり、これを回避するためには、自衛隊にに反対し、日米安保に反対することだと喧伝します。しかし、これは一方的な見方です。

     軍人は戦争における我々の代表選手だと申しましたが、このことは一度は言いたかったことの一つです。冷静に今度の戦争を反省するためにも、軍人のことをないがしろにすべきではありません。  我々の父親であり叔父であり、祖父たちが軍人なのです。戦争の原因、敗因などについては、総合的に別途追求されるべきであり、場合によっては、軍人すら犠牲者となるのかも知れません。

      

     

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年09月24日 11時28分12秒

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    沖縄の集団自決 ⑦

     梅沢裁判には、背景に右派の自由主義史観派と左派の平和主義史観派の対立があると申しました。後者の左派を平和主義史観派と括ってみましたが、これはもともと唯物主義、マルクス主義の要素を多く含んだ歴史観なのであり、必ずしも適当な呼び名ではないのかもしれませんが、とりあえずそのようにしておきます。

     県民大会には、平和主義団体の活動が大きな役割を果たしたと見ています。日本軍の非道を声高く叫び、反日本軍感情をあおり、自衛隊反対、憲法改正反対などの左翼イエオロギ-を広げるため、県民の心情をリ-ドしていったのです。

     右派の自由主義史観派は梅沢氏の無実を証明し、教科書に正しい記述をさせることにより教育の方面での改革を狙っているのです。

     両派の主張が今後ますます対立することになるでしょう。この対立は、沖縄問題に限らず、日本の近現代史の諸問題にもわたっており、今後この両派の対立から、明らかになってくることも多いと思われます。我々は、戦後日本の近現代史を学校教育で教えられてこなかったという大きな問題を抱えています。戦争に負け、占領軍政策により国民史がゆがめられ、あるいは隠されてきたわけですが、今般の集団自決裁判では、判決がどうでるかは別にして、国民が歴史を振り返って見るというきっかけになってくれればいいと思います。

     沖縄問題を考えるに当たって、大江健三郎氏の持つ左派史観だけで見ることが果たして良いのかなど、今後国民は考えてゆくべきでしょう。これまで、あまりにも左派史観が強かったと思います。

     県民感情は複雑です。戦争への忌避感、恐怖感にはまだまだ強いものがあります。そのような状況ではあるが、さらに、国民として、沖縄戦だけでなく、広島、長崎の原爆投下の悲惨、東京空襲など、満州での悲劇、南方戦線での玉砕の数々など、このような悲惨な体験を踏まえた上での、新しい国史を築いていくことが、今後の我々の課題だと思っております。

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年09月23日 23時45分30秒

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    沖縄の集団自決 ⑥ 

     沖縄で県民大会が開催されたということについて、再度考えてみます。

     今度の戦いで、決戦場となり住民が多大な被害を被った悲惨な体験が県民大会というものにまで発展したのですが、梅沢元隊長が命令が出したために渡嘉敷などでの集団自決が起こったとしなければ沖縄の住民の被害が過小に評価されるということでもあるのでしょうか。集団自決事件があったにせよなかったにせよ、沖縄の被った被害は甚大なものであることには変わりないと思います。これは国民周知の事実ではないでしょうか。日本軍が悪かったといわねばならない必然性はないと思います。軍人を悪人にしたいのでしょうか。しかし、どうもこのような気持ちがなくもないようにも思えます。
     
     私自身がまだ小さい頃、多分終戦5,6年ぐらいのこと、大人たちの体験でしょうが、アメリカ軍より友軍の方が怖かったと言っていたのを覚えています。この方が、どのようなシチュエ-ションでそのような怖い体験をしたのか分からないので、確たることは言えませんが、日本軍が住民に害を及ぼしたことは、当時の幼い頃の 自分にもそんなことはあっただろうとは思えました。日本軍の非道な行為がさらに分かってきたのは、もっと自分が成長してからのことです。友人から聞いたのか、ラジオで聞いたのか学校で教えられたのか本を読み知ったのかは覚えていません。戦争の最中だからそんなことは当然あっただろうとは思っていましたが、戦争への恐怖感と日本軍に対する嫌悪感は長らく自分の中に残ることになります。

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年09月23日 15時16分14秒

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    沖縄の集団自決 ⑤

     この裁判の帰趨は冷静に見つめてゆきたい旨申しました。そして、いざ判決が下ればそれには従うべきでありましょう。

     第一審では、梅沢氏側の負けとなりましたが、これには裁判官の状況把握力の結果だということができます。証言は両者に有利なもの不利なもの双方があい乱れて存在し、決定的な証拠がありません。

     ここで、裁判官でない私の感想も述べておきたいと思います。梅沢氏は、戦後この渡嘉敷島を訪れています。そのとき関係者とも会っているということです。住民に対し自決命令を出したものが、この土地に再度訪れるということが、心情的に可能であったのかという疑問があります。私が梅沢氏であったとしたら、再度の訪問はナカナカできなかったと思うのです。このことを考えると、真実はそう単純なものでもなさそうに思えます。

     あと一点、これは梅沢氏を利する事実ですが、大きなことがあります。これら集団自決者には現在軍人恩給が支給されているとのことです。軍人恩給は、軍人の身分で戦死したものにしか支給されない筈のものです。しかし、渡嘉敷島などでは、この事件で死亡したものたちにも支給されているそうです。戦後になって、軍命令により集団自決をしたことにすれば、恩給が支払われるとの厚生省役人の指導があり、渡嘉敷村などは遺族救済の為、梅沢氏に対し自決命令を出したことにしてくれと依頼したそうです。これに梅沢氏は協力したというもので、これに関する証言もあります。

     以上の二点の状況証拠から私は自決命令はなかったと考えておりますが、専門である裁判所の方々がどのように判断するのかは分かりません。一審が梅沢氏側の敗訴になったこともよく分かりませんが。 

     

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年09月22日 12時27分56秒

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    沖縄の集団自決 ④

     前回、沖縄で県民大会が開催されたのは、沖縄戦での県民の悲惨な体験があるからだと申しました。沖縄戦の死者は、軍人8万人、民間人12万、米軍人1万余だったかと記憶してます。
     イギリスのチャ-チル首相は、今次大戦での最も過酷な戦いが沖縄戦だと言ったといいます。また、戦記によると、ヨ-ロッパ戦線でナチ軍がすでに降伏し、その後の余剰の戦力、物資が沖縄戦には投入され、さらには、イギリス艦隊までもが沖縄くんだりまでやってきて戦ったのが、ここでの戦争ということです。対する日本軍も、南方へ送るつもりの物資、武器が南洋諸島の戦いで日本軍がすべて玉砕したため、沖縄守備隊(第32軍 牛島中将)へ多く供給されたとのことです。ここは日米最後の決戦場となりました。
     神風特攻機がもっとも多く突っ込んだのがこの沖縄戦であり、海軍の戦艦大和は航空機の援護なく沖縄へ向け発進しました。

     南洋諸島のグアム島、サイパン島、テニアン島、などとは違い、この地には多くの民間人が住んでおり、この人たちが戦闘に巻き込まれていったのです。そのような状況では様々な悲劇が起こらないはずがありません。集団自決もその中の一つであり、渡嘉敷や座間味島のほかでも大小の規模で同様の事件が発生しております。日本軍による住民殺し、スパイ殺し、幼児殺しなどもありました。

     沖縄戦の悲惨な体験が、梅沢元隊長の裁判に対する県民の過剰な反応となったといえましょう。しかし、梅沢氏は単に名誉毀損の訴えをしているに過ぎません。ここでは、沖縄戦の悲惨な体験も県民にはあるでしょうが、裁判については冷静に見ていく必要があると私は思っています。

     

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年09月21日 16時21分55秒

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    沖縄の集団自決 ③

     梅沢元隊長の二審の判決がどうなるか興味深いことです。

     ご本人によれば、命令は決して出しておらず、住民から自決したい旨の申し出があったが、これに対し、死ぬことはならぬと逆に叱りつけたとも述べております。これには証言もあるようです。住民側の証言は、梅沢氏を駁するもの援護するもの双方があり、混沌としているように見えます。状況はこのように混沌としているのですが、一審では、梅沢氏側の負けとなっております。その理由は住民の証言等、当時の状況から判断し、命令が出された蓋然性が高いというものでした。これは、現在よく言われるいわゆる状況証拠によるものでしょう。状況証拠によるものであるならば、裁判官の状況把握能力に左右されるのですね。

     真実はどうなのかは梅沢氏の良心が一番よく知っているでしょう。もし梅沢氏の命令によるものであるのならば、氏は断罪されねばなりません。現地駐屯部隊の一司令官に、住民に対し自決命令を出すことは当時としても許されてはいなかったはずです。違法な殺人となるでしょうから。

     この裁判は、梅沢氏が名誉毀損として、大江健三郎氏と出版社の岩波書店を訴えたものです。単に名誉毀損にかかる裁判でしかありません。
     しかし、これがなぜ沖縄では県民大会開催にまで発展してしまったのか。これには、国内で唯一地上戦が行われた県民の悲惨な経験がまずあるわけです。しかし、またこれに加え別の問題もあるように思えます。それは、前にも申しましたように、左派史観と右派史観(自由主義史観研究会)の対立であり、これを支えるそれぞれの団体の運動のぶつかり合いが存在しているからなのです。この裁判が教育界に与える影響は大きく、結果によって、学校教科書の記述さえ変えてしまうのですから、双方ともに頑張っているのでしょう。

     

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年09月21日 12時23分44秒

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    沖縄の集団自決 ②

     集団自決にかかる2審の結論はどのようなものになるのでしょうか。一審を踏襲するのでしょうか。

     渡嘉敷島のこの事件については、これまで作家の曾野綾子氏が詳細な記事を書いており、書籍として文春から出版されたことがあります。もうずいぶん前のことです。私が読んだのは、学生時代のことでしたから、30年は超えるかと思います。その内容というか結論は、異常事態下における集団心理(ヒステリア)による自決というものでした。彼女の出した結論に当時納得したことを覚えており、実は現在も同様の見方をしております。戦場下の極端な恐怖心による行動であったことは確かだと思います。

     このことは、これより先に起こった南洋諸島のグアム等などで崖から飛び降り自殺をした住民たちの心理とも共通するものでしょう。
     当時の時代背景も考えなければなりません。兵隊には軍人勅諭(戦陣訓)があり、敵に降伏することは決して許されなかった状況があります。小さな島の住民もこの兵隊たちと同様、敵に降伏することを潔しとしない心情に支配されていたはずです。敵に降伏はできず、さりとて抵抗する武器もないとき、残された道は死のみとはならないでしょうか。住民の死への圧力は大きかったと言わねばなりません。

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年09月20日 16時12分00秒

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    沖縄の集団自決

     沖縄では、沖縄戦のさなかに住民が集団自決をした事件があります。戦争中、沖縄各地にそのような事件が発生したわけですが、今般問題になっているのは、渡嘉敷島及び周辺の集団自決事件のことです。問題の焦点は、集団自決が住民の自発性によるものか、又は、同島駐屯の日本軍部隊の命令でそのような事件が起こったのかなのです。

     具体的には、同島駐屯の元日本軍部隊長梅沢氏が自決命令は出していない旨の主張をし、小説家大江健三郎氏が著書の「沖縄ノ-ト」において梅沢氏を自決命令を出したとして弾劾したことに対し、大阪地裁に名誉毀損の訴えを出しているものです。一審では、梅沢氏の訴えは退けられました。その理由は、住民の証言、当時の軍と住民の関係などから判断し、軍命令が出された蓋然性が高いというものでした。現在は、大阪高裁の判断を待つ状況にありますが、今月中には結審するとの新聞報道があったところです。

     この裁判に対しては、県内で大きな問題となり、集団自決は軍命令によるものであり、学校教科書の内容も事実を曲げることなく、軍命令により事件が起こったと記述すべきであるとの文科省への抗議運動が起こりました。知事、県議会議長、教育長をはじめとして行政のリ-ダ-などが率先し数万人の規模の県民大会まで行われました。

     多くの教科書裁判があり、これに深く立ち入ることはしませんが、この集団自決問題も大きくは自由主義史観研究会の史観と、それに対立する左派史観(家永氏などの史観)との争いの構図を抜きには考えられない問題だと思います。

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年09月19日 23時39分18秒

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    次のテ-マは何か

     幸福の科学の信憑性との関わりで、これまでに幸福の科学の批判者である佐倉さんのブログを一生懸命読みました。彼が仏教を原始仏教の原典(翻訳)まで読み進み、ついには、独自の考え方に到達したことに対し大いに刺激を受けました。彼は、結論として、幸福の科学を独裁主義の宗教と断じます。また、大川仏教をホントの仏教ではないとも言います。私は、佐倉さんの仰ることも一理はあるとは思いますが、佐倉さんに同調することはできないのです。

     その後、自分なりにソクラテス(プラトン)やアウグスティヌスも、さらには石原慎太郎氏の法華経論も読み、自分の属する宗教の真偽を確かめる作業を続けたつもりです。大川先生が間違っているらしいことは、この作業では浮かび上がってくることはありませんでした。逆に、ソクラテスの対話編では、幸福の科学に似た霊界観が古代のギリシャ時代の哲人の中にあったことを発見し、感動をしたものです。

     佐倉さんが、ブッダは霊界について説くことはなかったと言い、また、信仰というものを否定したのが仏教だということに対し、賛成することはできないので、しばし、佐倉さんからは離れることとします。

     次になにについて考えるかなのですが、日本の近現代史関係の記事を雑誌などでよく読んでいるので、これについて、大川先生の歴史観をも引き合いにしながら、勉強してみたいと思います。私は、政治・経済なども非常に興味があります。

     

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