新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

チャットに入る

サークルに参加する

ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 生成門さん

    2008年05月31日 19時14分46秒

    icon

    英知の正体




    英知の正体

    今は、簡単に述べるにとどめますが、現生人の敵は猛獣だったはずなのですが、いつからか同じ人間同士が敵と味方をはっきりさせなければならない事態が頻発したのかということです。

    確かに原自我の発達により食料事情は良くなったでしょう。それは原言語と原意識のお陰です。しかし、人口が増えて仲間がいつしか敵になってしまったのです。

    敵は追い出さなければなりません。自分(達)が生きる為には敵は否定されなければならないからです。その自分(達)とは自分(達)の身体を含むのです。

    身体とはテリトリー的身体です。従って、自分達の土地から他人を追い出さなければならいのです。自分達と同じところに住む者と土地とは、自分と同一であるというように認識することが自我の構造なのです。

    この原初の自我はテリトリーを含む身体的自我であったのです。それがだんだんと裕福になり、一緒にいる共同体が小さくなり、家族単位になり、それにともなって土地という身体を切り離していったと思うのです。

    次第に自我の領域も小さくなり、ついには身体まで切り離してしまったのです。身体と精神が分離されたのは近代になってからのことです。それでこれを近代的自我というのです。

    自我や論理的思考とは広大な海に浮かぶ氷の表面に顔を出している部分であり、水面下にあるのは無意識です。この無意識から意識の原形が生まれ、やがてそれが論理的思考する自我へと進化したのです。しかし、もとはいえばそれは混沌スポットから沸き出した妄想だったのです。

    妄想から生まれた自我ではありますが、もともとの妄想からは想像もつかない程華麗に変身したのです。妄想は支離滅裂であり区別がなく混沌でした。だから、時には狂気ともなったのです。それが料理され綺麗な秩序だった差異、区別、分別意識に加工されたのです。分別意識とは左脳優位の言語中心の世界をつくりました。これにより自分を同じものとして保ち続ける自我が生まれ固定化されました。これを自我同一性といいます。

    分別意識は、同様に分析的思考の科学として、日常の生活を維持する文化として変ぼうして、ついに人類の英知といわれる存在となったのです。

    さて、そうするともともとの妄想の特徴である、でたらめさ、柔軟さ、危うさ、混沌などはどこにいったのでしょうか。

    妄想は自我により検閲を受け、論理的思考に適合するものは想像、アイディア、仮説、想念、思案などとして大手を振って通行許可がでましたが、支離滅裂思考は表に出ないようにシャットアウトされたのです。

    しかし、この妄想というのは変幻自在なのでシャットアウトされても隙間があると出てきてしまうのであす。妄想は、いつでも無意識の中の「混沌スポット」という特別な場所(どこかは特定できないが)から沸き出しているのです。無意識は情動の力なのでエネルギーが高まれば自我の抑止も効かずに論理的思考を押し退けて出てくることがあるのです。

    どんな時に出てくるのかといえば、日常においては建前と本音が分離している時です。大概、本音は自我=建前の裏に隠れていて出番を伺っているのです。本音が完全に封じ込められると間歇泉のように飛び出してくるのです。堪忍袋がきれるとき、忍耐が出来なくなるときです。

    非常時には無意識から直ちに出動せよという指令が出されます。そういうときは自我の崩壊の時(退避)です。例えば個人や社会の反対、反動、革命、事件などの様々な形で社会現象として表出するのです。

    脳には自分をモニターする機能があるということが分っています。このモニターは自我のやることを見ていて自我の力があまり強大になることを抑止しているのではないかと推測されます。

    さて、人類はいろいろなルートを辿って移動しましたので、そのルートによって自我の形成も環境の変化に伴って異なったのです。環境によって左脳がどれだけ使うかが求められたのです。整合がとれないかも知れないが推理しておきます。図のアフリカからの旅立ちを見て下さい。中沢新一氏の芸術人類学のビジョンを基に編集して作成したもので、アフリカの新人が三つのルートを辿って世界各地に移動したこったことが説明されています。そのなかでも西方へ移動した人類が芸術の源泉であるとなっています。


    詳しくは、こちら。http://www.tamabi.ac.jp/iaa/vision/index.html

    西ヨーロッパへ進出した方はネアンデルタール人との戦いと寒冷地だったので農耕への依存が早まり(実際に寒冷地で農耕が発達したという仮説があります)。左脳への依存が過剰になったのではないかと思われます。農耕とはまさに断片化、直線化、段階化、蓄積、保存、忍耐を特徴とすしますので、左脳優位=言語機能=表音文字と一致します。この言語中心が後の科学的知を生み出す源なったのではないでしょうか。

    一方、南方へ移動した現生人(モンコロイド)は温暖で、狩猟中心だったので左脳への過剰な依存傾向はなく、言語も象形文字に見られるように包括的、感覚的であり、右脳=パターン認識機能と一致します。その後は寒冷の北方に進出した人種もいたましたが、遊牧の生活様式に移行したので、右脳優位は変わらなかったのではないかと思われます。

    どちらのルートをとったにせよアフリカを出発した時よりは言語が発達したことは確かです。それがどれだけ左脳へ傾斜したかが鍵となります。左脳へ過度に傾斜したのはヨーロッパへ移動した人種です。それが現在の欧米人であり、左脳へ傾斜がそれほどでもなかったのは現在のアジア人、中南米、太平洋の小さな島々の人種ではないかと思われるます。左脳への傾斜度合いが人種の気質や文化や文明の形、特徴に現れているのです。

    西洋人に発達した自我は区別することを徹底させ、二者択一を迫り、どちらかを正しいとして、その正しさの一貫性を追求するのです。そのために対象を分解し還元し、論理の筋を通すのです。これが分析的論理思考の自我の特徴です。東洋においてはこの徹底性があまりなかったために西洋程には科学文明が発達しなかったのです。

    しかし、今や西洋文明=石油文明はグローバリズムの波によって世界の隅々まで浸透しつつあります。

    さて、結論です。

    人類を滅亡させるかも知れない文明を発達させた人類の英知とは西洋人の左脳=言語優位の分別思考であるということです。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件