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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2008年06月29日 22時39分06秒

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    悟りは宇宙的精神

    悟りは宇宙的精神

    生成門は生成の舞い、シムダンス「四次元能」を演出していきます。シムダンスとは宇宙からのメッセージに共振して、心身を調教することであり、そのためには蝶のように舞うことです。シムダンスをよく舞うためには、宇宙の法則(宇宙精神)、生成の原理(揺らぎによる生成)、シムパラダイム(即非的四次元の世界観)を受け入れなければならないでしょう。

    シムダンスとは「脳の中の能」=四次元能ですから、世阿弥が考えた「序破急成就」を実現するために「秘すれば花」とした奥義「風姿花伝」=ノウハウが必要でしょう。シムパラダイムを実践展開するにはガイドやノウハウが必要だということです。そのガイドやノウハウを支えるのがシム方程式(即非的思考を実践するための思考=世界解釈)です。

    シム方程式を応用すれば悟り(四次元脳へ転換すること)を得て現実の様々な問題を解決できるのです。現実の最大の問題は温暖化問題です。これにまさる問題はないでしょう。この問題を解決するには結局のところ個々の人の解釈の問題に帰結するのです。解釈とは三次元解釈と四次元解釈があります。文明を発達させたのは自我意識=三次元解釈です。これを解体し再生させなければ人類は破滅するのです。自我を解体し再生するための四次元世界解釈がシム方程式ならば、その「秘すれば花」=奥義「風姿花伝」=ノウハウがシムダイアグラムです。シムダイアグラムは四次元脳への変革実現するためのブースター(即時転換媒体)です。これを開発し普及させることがシムダンスのミッションです。

    シムダンス「四次元能」では悟りを獲得した人をシムピープル(悟りを獲得した人=仏)といい、温暖化防止の仕組み人として排出することを狙っています。

    ただし、四次元能を演ずるにあって注意があります。温暖化問題は時限付きであるということです。しかも、その時限が目前に迫っています。今すぐに、石油文明(化石燃料を含む)と決別しなければならないのです。そのためにはCO2削減のテクノロジーも必要です。しかし、それ以上に心の問題を解決しなければならないことは既に述べた通りです。エゴで凝り固まった国益中心主義を捨てなければならないのです。このような大問題をゼロから始めていては間に合わないでしょう。そこで東洋の智恵の出番です。東洋には昔から「足るを知る」「自然と共生する」といった右脳的文化があります。特に仏教では意識の改革、無我になることを説いてきました。道元は悟りを四次元的に捉えていました。シムパラダイムでいうところの悟りとは四次元的思考の獲得のことであると考えます。何故悟り=四次元かは追々と明らかにします。三次元とは俗世間的常識のことであり、四次元とは本来の人間としてのあり方であり、本来成仏のことです。人間はもともと四次元人間だったのですが左脳が優位となり次元降下したのですから、右脳を優位にさせバランスを取り戻し、次元昇華しなければならないのです。

    ですからシムパラダイムでは、オカルティックな四次元や高次元という精神世界を設定しません。有りもしない世界を想定し、それに拘泥して、盲目的なビジョンを目指す等という愚かしいアプローチは採らないのです。あくまでも三次元を基盤にした四次元であり、本来の姿を取り戻すことを目指すのです。

    道元禅では、その方法として座禅による瞑想が只一つの方法であるとしましたが、四次元能ではインターネット禅による瞑想の支援ツール、シムダイアグラムを用意します。シムダイアグラムの詳細については、四次元のイメージが固まった後に説明します。

    さて、三次元を基盤とする四次元とはどういうものでしょうか。三次元とは馴染みのある世界です。縦・横・高の三つの軸で空間が成立っているという所謂常識で理解できる空間の概念です。これに時間が加わり、日常の世界はできています。空間と時間は別の軸であり、空間は時間軸に沿って変化します。日の出から日没の変化が一日であり、その中で生活しています。これが生活空間です。時間は時計で測れるように未来にしか進みません。過去は記憶であり現在に属するでしょう。

    道元は、このような三次元の世界を否定しなければ悟りは得られないといいます。そんなことができるのでしょうか。空間は三次元であり、時間は一つの軸ですから次元の数からだけ言えば、四次元です。だから人間は四次元に住んでいると言えなくもないのです。しかし、時間と空間が別軸であるというのが問題です。時間と空間は一体でなければならないのです。もともとは一体だったのです。いつのころからか別離したのです。それには青天の霹靂の出来事が隠されているのです。しかし、それに触れるのは止めておきます。今は農業を営んだ時からであるとしておきます。

    いずれにしても私達は三次元+時間=疑似四次元世界に住んでいるのです。私達の生活空間では時間は特別扱いです。生活のリズムとは言いますが生活時間とは言いません。空間が主体であり時間は物指しです。ですから人間は三次元的生物なのです。リズムを時間と考えれば時間と空間を融合させることができそうです。音楽を聴きダンスをしているときは四次元世界に浸っているといいかも知れません。これが悟りへのヒントです。

    本来時間は空間によって生成される属性です。そのよい例が体内時計(リズム)です。身体とともに時間が刻まれているのです。これを見ても時間(リズム)と空間は一体なのです。空間が三次元ならばそれに付属する時間にも一次元時間、二次元時間、三次元時間があるのでしょう。尺取り虫は一次元的生物のようです。一次元生物は、本当はいないのですが、居ると想像してみましょう。

    尺取り虫は直線的に進むしか方法がないとします。石に行く手を塞がれたら横に行くでしょう。しかし、本人にとってはそれが直線です。そういう時間は一次元時間です。これが三次元時間になると、それぞれ進み方が違ってくるでしょうから、歪んだ空間ができることになります。実際宇宙は歪曲しているといいます。しかし、大概の星は丸い形をしています。三つの時間は三方に対して等しいのではないでしょうか。ここでは一応等方だということにしておきます。

    三つの時間があるとするならば、私達の世界は六次元の世界ということになります。又、宇宙は10次元であるという考え方もあります。下記の「有機的宇宙論」参照して下さい。
    http://blog.goo.ne.jp/utyuron/d/20080120

    いずれにしても、それは考え方であり、何を軸(要素)として論ずるのかという視点の違いが次元の違いとなっているのです。そのような考え方でより高度の議論が展開できるのであれば、それに越したことはないでしょう。

    シムダンスの目標は、悟りの獲得、精神の変革、自我の解体、温暖化防止であるのですから、徒に次元を高度化しても実行が伴わなければ意味がないのです。高次元といったところで、イメージさえ提示できないようでは理解もできないだろうと思います。

    スピリット系では高次元という言葉が頻繁に使われているようですが、その実体は不明なままです。言葉だけが踊っていると思います。シムダンス「四次元能」では三次元空間と時間によって立つ生活空間は疑似四次元時間空間として扱います。本来の四次元とは空間と時間が一体となっている真正四次元(時空)を指すものとしていきたいと思います。時空の哲学ではどうなっているのでしょうか。一応概観しておきます。下記の時空の哲学を参照してください。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E7%A9%BA%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6"

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    以下編集的引用です。

    これによると時間や空間は物と関係ない/ある説があり、「ある」とするのが主流です。つまり、時空は歪むのです。光速を超えて移動することで逆向き因果の可能性も示唆されているのです。
    ---
    さて、宗教家で時間と空間を考察したのは道元です。ところが道元のテキストを読んでも、チンプンカンプンなので困ってしまいます。「春の次に夏にはならない」というのですが、何のことが分からないのが当り前でしょう。ただ、道元は徹底して三次元的時間と空間の概念を破壊しようとしたのは間違いないようです。

    例えば、正法眼蔵・現成公案の一節にその典型があります。意訳ですが示しておきます。
    ---
    薪が燃えると灰となる。そして元の薪にはもどらない。だからといって、薪が燃えたら灰となるという考え方は捨てるべきである。確かにそれは事実であるが、この事実を否定しなければならない。薪の時は薪そのものであり、時間的因果で灰と結び付けてはならない。灰が薪に戻らないように、人は死後、生き返ることはない。「生きているものは死なない」というのが仏法の教えである。
    ---
    ここで仏法の教えとして大事なことは次の点です。三次元的出来事(燃える)と時間の因果関係は疑いのない事実です。しかし、悟りを得るにはそれを否定しなければならないということです。

    つまり、薪として有る時は薪そのものであり、それ以外の何ものでもないのです。「燃えたら灰になる」というのは三次元思考によって生み出されたものです。これが常識であり苦の元凶となっているというわけです。要するに、三段論法で因果を作るのをやめなさいといっているのです。禅の究極の目的は、悟りであり、生死を諦めることです。そこから生てきいる時は、「今ここで」、生きていることに一生懸命になりなさいということを言おうとしているのでしょう。

    四次元との関係で大事なことは「今ここで」ということです。「今」というこの瞬間と「ここ」という場所が時空を意味しているのです。

    「今ここで」を延長して考えると、生きている時は死んではいない。死んだらどうしようか等と心配するのは愚の骨頂だということになります。これが悟りへの突破口なのです。

    三次元的時間と空間の概念を破壊するとは三段論法的に因果を関係付ける思考をしないということであり、左脳で考えないということです。これが自我の解体になるということです。

    このように考えていくと、三次元的時間と空間の概念を破壊するために三段論法をしないという非因果的思考をどうすれば身につけることができるのかということになってきます。これがなかなか難問なのですが理屈はそういうことです。因果を捨てたら世俗では生きていけないでしょう。因果が苦の元凶だとすると「分っちゃいるけどやめられない」ということになりそうです。

    ですから、道元は世間との関係を立ち、柵を捨てて座禅をしなさいといったのです。しかし、いくら道元のテキストを読んでも、どうも悟りのイメージが湧かないのです。それではシムピープルにはなれそうもないようです。それでは四次元能のプロデューサー・生成門としては困ってしまいます。ではどうするかです。その答えは四次元思考=述語思考にあります。道元の「燃えても灰にならない」は四次元時空です。これを説明するにはクラインの壷という四次元のシンボルを持ち出さないといけないのですが、今は簡単に説明しておきます。

    四次元のイメージ「クラインの壷」のついては下記を参照して下さい。

    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068779165

    クラインの壷の図は下記から引用しました。

    http://static.wikipedia.org/new/wikipedia/en/articles/k/l/e/Klein_bottle.html




    クラインの壷は差異(A,B=即非)が共生するのです。つまり反転して繋がる(A=B)のです。「薪(A)は燃えて灰(B)になる」というのは、「物質はエネルギーになる」という三次元時間の因果律を前提にしています。ですから、同時刻の於いてはA=A、B=B、A≠Bです。一方「薪を燃やしても灰にならない」は「物質はエネルギーにならない」と四次元時間で表現しているのです。道元は四次元時間で言っているのです。四次元時間というのはどういうことでしょうか。それは時間=物質、時間=エネルギーだということです。時間を述語に位置づければ、物質がエネルギーになるのではなく、物質=エネルギーだということなのです。薪は時間であり、灰は時間なのです。このような解釈から道元の薪=灰=「有る時」=有時(うじ)を理解できるのです。道元は全てを有時=物質=エネルギーとするのです。主語論理(因果)では物質はエネルギーになりますが、述語論理では物質はエネルギーなのです。このように四次元的思考(三次元を含む)をすれば、物質、空間、精神の関係も突き詰めることができるでしょう。空間も精神も時間なのでしょうか。

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