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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2008年08月11日 13時08分09秒

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    道元宇宙への接近(2)

    図の引用先:http://www.d-b.ne.jp/exist/

    道元宇宙への接近(2)
    <道元との共振>

    悟りを会得するとは、四次元時空体=仏=シムピープル=玄生人へ回生することです。回生ですから、四次元の世界に行くことではありません。もともと四次元時空体であった状態に戻ることを意味します。


    ありもしない彼岸を想定して、つまり、四次元を想定して、そこに行くのではなく、三次元にいながらにして四次元世界を作り出すのです。それが編集するということです。編集するには材料がいります。その材料が道元の宇宙なのです。

    ですから、道元の宇宙を解釈することは、即ち、四次元を編集するということになります。それが悟りを開くことに直結すると考えています。そこで四次元能は、道元の宇宙はシムパラダイムの世界観と同じであるという仮説を設定し、シム方程式による述語的思考によって悟りを解釈します。そして、シムパラダイムの視点、トレジャーハンティングアプローチ「シムダンス」によって、宇宙精神とはなにかを提示します。

    既に、<ティトム共振>では多面的に検証を進行させています。今の所齟齬は起きていないと思います。色々なシムダンスの舞が繰り広げられますが、それぞれ特有の舞=編集=振り付けやステップがあります。その特徴は次の通りです。

    シムダンスですから共振パートナーがいます。例えば<道元との共振>では、当然道元です。その舞=編集=振り付けやステップは道元の表現から現代に合わない古い言葉は取り除き、鍵となる言葉も徹底してシムパラダイム用語に置換します。更に、文脈もシムパラダイム側に引き寄せます。最終的には道元の本質だけが残ります。それが、シム方程式が成功したがどうかの評価されるポイントになるでしょう。以下、シムパラダイムの用語説明と道元と置換させる用語について整理しておきます。

    シムパラダイムは仏道と置換されるでしょう。シムパラダイムは宇宙の法則、生成の原理という新しい世界観を代表します。この世界観を駆使して自我の解体、欲望の制御、脱炭素エネルギーの普及、温暖化防止、人類滅亡の回避を願うという筋書きです。

    シムパラダイムとは西洋的思考、環元主義、主語論理、パラノ的思考、左脳優位、言語優位、二元対立などで代表される価値観、思考体系の対極にある世界観です。シムパラダイムは宇宙の法則を基礎としており、特に仏教の思想、無常・無自性に類似しています。又、相対性理論の四次元時空と量子論的非因果律とも親和的です。無常とは、何事もとどまっていない現在進行形であることを意味します。留まっているように見えるのは時間の進みが遅いだけに過ぎません。無自性とは、何物も他と関係なく存在しているものはないという意味です。見えなくても相互作用しているのです。シムパラダイムでは時間と空間を一体と考え、宇宙全体を支配する絶対時間と絶対空間は存在せず、あくまで時空は自律分散のローカリズムであると考えます。更に、人間は本来四次元時空体であり、それが仏であるとします。つまり、仏とは四次元時空体のことであり、本来の人間の姿です。ただ、自我の発達で次元降下しており、疑似四次元時空体になっているのが現代人です。それを回復させるのが自我の解体であり、四次元の編集です。四次元の世界に行くのではなく編集するのです。四次元世界の編集とは次元の昇華であり、それが悟りの状態です。

    シムパラダイムが基礎をおく宇宙の法則とは、対称性、非環元主義、述語論理、スキゾ的思考、右脳優位、感性優位、対生成、対消滅、色即是空、空即是色、四次元時空、非因果律などで代表される生成原理をもっています。生成原理とは、揺らぎによる秩序の生成であり、対生成、対消滅、輪廻する宇宙生成モデルとして示されます。宇宙生成モデルとは、ミクロからマクロに貫通する生成原理を内包したモナドです。モナドとは窓がない天球です。モナドは、因果律に従わなくても、モナドと協調して予定調和をもたらすことができる四次元宇宙の原理です。

    シムパラダイムは、西洋的思考、環元主義、主語論理、パラノ文明、二元対立などと対極にあるといいましたが、正確には、四次元宇宙の原理ですので三次元を含んでいる包括的モナドです。即非的価値観、非思考の思考といった共振的共生的天球なのです。

    シムパラダイムを持った精神を宇宙精神といいます。宇宙精神とはモナドです。この宇宙精神は悟りに置換されるでしょう。シムパラダイムを持った宇宙精神を持っている人をシムピープル、玄生人ということにします。シムピープル、玄生人は仏と置換されるでしょう。その逆もあるでしょう。シムパラダイムによる宇宙精神を探し求める人をシムハンターといいます。シムハンターは菩薩であるということになります。

    シムパラダイムの生成原理にもとづいて行動することをシムダンスといいます。シムダンスとは、日常的、社会的、経済的、環境的、科学的実践に共振的編集・臨床・瞑想を取り入れた生成の舞いです。禅修行の日常への適用に置換されるでしょう。シムパラダイムの生成原理にもとづいて、精神的探検することをトレジャーハンティングといいます。トレジャーハンティングは、シムダンスの一つのスタイルです。トレジャーハンティングは座禅修行に置換されるでしょう。

    シムパラダイムの生成原理にもとづいて、インターネットを駆使して瞑想することをインターネット禅といいます。インターネット禅もシムダンスの一つの振り付けです。瞑想には二つあり、道元禅の瞑想とインターネット禅による瞑想です。この二つはシムダンスするでしょう。シムパラダイムの生成原理にもとづいて、瞑想したものを表現することをシムダイアグラムといいます。シムダイアグラムは瞑想に置換されるでしょう。シムダイアグラムは、シムダンスの一つの要素です。シムパラダイム、生成原理に基づく、悟りへの道筋、つまり、四次元の編集をシム方程式といいます。シム方程式は禅論理に置換されるでしょう。

    これで準備は整ったようです。それでは臨床として道元の言いそうなことを、シム用語を使って表現してみることにします。シムピープルは「宇宙精神」をもっています。この精神は俗人の意識とは異なっています。それは夢と現実についての理解に表れます。俗人にとって「夢は仮想」です。現実は仮想ではないでしょう。目覚めたら現実と思っていたものが夢だったとわかるのが通常の意識です。俗人にとって、目が覚めた時に確認できる意識が確信のできる絶対の現実の世界なのです。ところが、シムピープルはこの夢のみが真実であり実相であると考えます。これがシムピープル流の逆説的世界観です。シムピープルにとって夢は現実です。つまり夢は仮想の世界ではなく、目前にある具体的現象なのです。それを俗人は勘違いして夢は現実ではなく、現実を実相だと思うのです。それが迷を生じる原因なのです。迷いがあって苦しんでいるのですから、それは確かな現実です。そう確信をもっているのです。目覚めた時に夢だったら良かったと思うのです。しかし、それが現実だと確認すると又苦悩が始まるのです。逆のケースもあります。嬉しいことがあって夢を見たとします。目が覚めたら夢ではないかと思います。頬を抓ってみるでしょう。しかし、現実です。要するに、夢は現実ではないという訳です。現実は、目が覚めている時に起きていることです。これが俗人の意識です。

    シムパラダイムでは、「夢が現実である」となります。その意味はこういう解釈になります。俗人には、現実は確実で、夢ははかないものであると言う先入観があります。それを先ず打破しなければなりません。それには夢と現実の関係を吟味しておかなければなりません。夢は目が覚めて夢だと気がついたときには意識から消えてしまうでしょう。現実は、夢から目が覚めても、その苦悩は消えません。苦悩の原因である柵もなくなりません。現実とはどこまでも追掛けてくるのです。これが、俗人の認識でしょう。しかし、現実が確信であると言っても本当でしょうか。現実と言っているのは、一体何なのでしょう。人によって現実のあり方は異なっています。関心の有る無しによって違うでしょう。遠い国の子供が飢えに苦しんでいると聞いても、実感が湧かないのが俗人の意識です。同情したとしても一時ことです。しかし、それは現実なのです。だから、現実というのは自分にとっての現実であり、他人とは違うものです。ということは、現実とは絶対的なものではないということになります。自分の心の問題であると言うことになります。通りすがりに肩がぶつかったら怒るのに、石に足をぶつけたら、こっちの方が痛いのに怒らないでしょう。これはどうしたことなのでしょう。要するに心の問題なのです。

    見れども見えず。心ここに在らず。忙しいとは心がないと書きます。これらは、現実が心によって限定されていると言うことを意味しています。この考え方を広げていくと、すべては心であると言うことになります。確かに私達には脳があり、意識は脳で生まれます。現実というのも意識です。すべては意識です。夕日が美しいと感じるのは、美しいと感じる心の現れです。失恋で苦しんでいる時には、寂しく感じるものです。現実とは心の反映なのです。現実は確実に在るものではなく、うつろいものであり、その時の意識の反映なのです。すべては意識の反映ですから、意識の外に現実と言う客観的実体があるわけではないのです。私達は意識を通じて認識し、それを現実と言っているのです。現実だから確実だとはいえないのです。

    虹の例を出します。虹は七色です。これは科学的事実であるから確実です。そのように学校で教わったし、そう思っています。しかし、それが実は嘘なのです。虹は七色に見えるのは事実であるが、私達の意識とは関係なく、実体としてあるという意味では、嘘なのです。というのは外国のある国では、三色、五色というのです。なぜ色々に見えるのかと言うと、虹は光のスペクトルであり、波長があるからです。その波長を人間が適当に区切って見ているのです。その見え方は環境や生存の条件などが関係してくるのです。一人の子供だけが、五色に見えると言うならば、それは異常であるということになりますが、すべての人がそう見えるのだからこれは異常ではないでしょう。彼らはそれが現実だと言うのです。私達も又、七色を現実だと言います。現実が一つの対象に対して複数あることになります。これでは現実が絶対とはいえなくなります。

    更に例を上げます。私達にとって氷は白一色です。しかし、エスキモーは氷には色々異な白があります。それは薄いところは危険だから、その微妙な白の違いを知っているのです。これは生活の条件によって対象の区切りが細かになっていることを示しているだけなのです。これを言分け、見分け、事分けといいます。現実が様々に現れる証拠なのです。日本には独特の四季があるために、折々の言葉があります。風景に対する感受性が多様であり、それを風流とも言います。雨にしても五月雨、時雨といいます。

    こういう具合に、現実とは何かという命題をもって、現場の出来事を吟味してみると、現実とは生きるために差異を切り出して、名前をつけて、それを現実と言っているに過ぎないということが分かります。これらのすべてを森羅万象=差異の体系といいます。差異の体系とは、意識の体系でもあります。このような視点で、生活全般、科学的思考と言うものを見てみると、更に現実という確信が揺らぐのです。差異の体系とは文化です。文化は意識の収蔵庫です。文化はコミュニケーションのメディアです。価値観、教育、仕付け、道徳、生活のすべてに反映するのです。こうして出来た差異の体系が文化として、既成概念として身体に織り込まれるのです。そして、常識となるのです。その一つが虹は七色となるわけです。問題はここからです。


    続く。

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