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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2008年12月08日 21時55分34秒

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    モナドロジーはアンチ機械文明

    モナドロジーはアンチ機械文明
    <補完共振>


    モナドロジーの考え方は、仏教に近いところがあります。その代表である華厳経では、「いま」、「この場所」に「過去も未来も現在も」、そして「全宇宙」が包み込まれているといいます。四次元を編集するには、モナドのイメージをもっと明確にしておかなければならないようです。その点、述語的編集のアプローチをしている四次元能としては、ブログは最高です。ブログにはいろいろな視点からのユニークな主張があります。それらを材料にしてこちらの文脈に組み込めるからです。視点とは「見る」という述語です。いろいろな視点からのユニークな主張を引用するということは、述語の複合した多様体を生成することを意味します。四次元能は生成される現在進行形のモナドなのです。決して四次元能という主語が先にあって、あるべき姿を展開しているのではありません。あるべき姿ではなく、望ましい姿が予定調和として現出するのです。それでは風雅のブリキ缶に着目してみましょう。モナドロジーと「自然は空虚」を参照してください。http://members.jcom.home.ne.jp/fuga-buriki-can/comparative%20study1-4.htm
    以下、編集して引用しました。

    心と肉体を切り離しては考えられないことは分かっています。東洋には、「心頭滅却すれば、火も亦涼し」「精神一到何事かならざらん」「心身脱落」と言ったような精神優位の諌める言葉が多いようです。一方、西洋では、当たり前のように精神と物質を切り離して考える(二元論)のです。その典型が自我であり、科学です。ところが、西洋人の中にも東洋的な考えをする人がいます。その代表が今回取上げるモナドロジーの提唱者、ライプニッツです。ライプニッツはドイツ人ということになっていますが、墓石を掘り起こしてみると、身長175㌢、頭蓋骨は身の丈に比して小さく、平たく、顎骨その他は普通のスラブ人と変わらない特徴が見られたと報告されています。スラブ地域は戦争の激しい地域でしたから混血によってモンゴロイド系が含まれていても不思議ではありません。ライプニッツがその血を受け継いでいることは十分にあるのでしょう。

    さて、ライプニッツは、「一」が「多」を孕むとする多元論的立場であり、所謂モナドロジーです。「一」が「多」を孕むというような考え方は、珍しくありません。新プラトン主義の「一者」にも、「一」である唯一の神を持つイスラム教にも、芭蕉が影響を受けた中国の古い思想にも見られます。例えば、老子には「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負いて陽を抱き、冲気以って和することを為す」とあります。

    「一」が「多」を孕むという考えを持っているのは曼荼羅と言われるように仏教でしょう。その中でも代表的な経典である「華厳経」には、ライプニッツが言っているかのような、それに近い表現があります。時代的には、ライプニッツ方が後なので華厳経の影響を受けたのかもしれません。では、華厳経を読んでみましょう。「個は全体を包含し、個は他のあらゆる物の中に含まれる。自己の中に宇宙があり、同時に、自己は宇宙の他のあらゆるものに含まれる。従って、自我に執着する根拠はない。」といいます。
    更に、仏は法=宇宙の真理=「全即一」「一即全」であり、「一片の花びらが全宇宙であり、全宇宙は一片の花びらなのだ」といいます。中国では、華厳宗は、「天地は一指、万物は一馬なり」(『荘子』斉物篇)といった老荘思想と結びつきました。それが日本に伝わったのです。ライプニッツは、東洋に自分の心=モナドロジー思想と共鳴するものを発見していたのではないでしょうか。

    モナドロジーというのは、「予定調和」という意味でもあります。予定調和というのは、個々のモナドが全宇宙を映すように予め定められているかのように振舞うことを言います。その振舞いは、独立したモナドがそれぞれの自由に活動しながらも、それでも混乱した状態にならず、互いに影響し合って調和を保つのです。例えば、各国がそれぞれの自国の利益を優先しながらも、互いに協力し合って調和を保つのです。この場合、金融危機を回避するのが調和を保つことを意味するのかは別です。新しい調和が生成されるのかもしれません。それをモナドの内部の当事者には知る由がありません。それでも「予定調和」はあるのです。

    モナドは複合体です。国をモナドとすれば、様々な多数の要素が錯綜して出来ている複合された実体なのです。単一民族といわれる日本でも、言語だけを見て小、関西弁があり、熊本弁があります。多民族の国と言われるアメリカでも、言語は一つです。しかし、厳密に言えば、多様な方言があるでしょう。一人の人間をとっても、その性格は多様です。誰一人として同じ人はいません。親子関係を調べる遺伝子診断が当たり前になってきましたが、その多様性は常識になってきました。

    このように多様でかつ複合していながらも意味のある一つの固まりとしてあるものを「単一な実体」といいましょう。単一とは、部分がないという意味です。国は一つの実体です。しかし、一人一人という個人に分解できません。国は人の集合ではないのです。複合なのです。時計は様々な部品があります。それらの部品をバラバラにしても、組み立てれば、動き出します。人間の体はそうはいきません。心臓は移植できますが頭は移植できません。どこまでが集合体なのか、どこからが複合体なのかを見極めるのは微妙ですが、ともかくモナドは機械ではないということです。

    モナドは機械ではないのですから、部分のないところには、広がりも、形もないのです。分割することができないのです。ここが難しいところです。免疫系を考えて見ましょう。免疫というのは、非自己と自己を区別して、非自己が体内に入ってきったら、攻撃して排除するというものです。しかし、免疫系という仕組みはあるのですが免疫実体というのがありません。リンパ球、ヘルパー細胞などという実体はありますが、「免疫する」述語はありますが、そのような一つの実体はないのです。それを「免疫系という仕組み」という仮想の実体をイメージすることは出来ますが、そうすると、その免疫の範囲、形は見えてこないのです。つまり、広がりも、形もないのです。まして、分割することができないのです。最近に情報で、免疫と脳がコミュニケーションしていることが分かってきました。「ストレスによる免疫能の変化と脳・免疫連関」を参照してください。http://ci.nii.ac.jp/naid/110001261921/

    以下、引用しました。

    心理・社会的ストレスによって免疫系が影響を受けることは,一般に知られているが,近年の神経科学,免疫学の進歩により,その機序が詳細に解明されつつあり,脳と免疫系が共通の情報伝達機構を持っていることが明らかになってきた。心理・社会的ストレスによって細菌やウイルスに対する感染抵抗性が低下することや生活変化に伴うストレス,適切でない対処行動や感情の障害された状態によって,好中球の貪食能,リンパ球反応性,NK活性が抑制されること,またこれらが発癌にも関与することを示唆する成績について紹介した。脳と免疫系の相互作用について,視床下部-脳下垂体-副腎系のほかに,自律神経系を介した免疫系への制御系の存在,免疫・アレルギー反応の外部刺激による条件づけ,サイトカインの中枢作用,免疫細胞からの神経ペプチド類の産生などについて,著者らの成績も含めて解説した。
    ―――
    病は気からといいますが、ストレスによって免疫系が影響を受けるのですから医学的に証明されたということです。生命体は、ここまでが身体でここからが心というように簡単に区別することなど出来ないのです。部分のないのですから、広がりも、形もないのです。私達は、自己という概念を持っていますが、その自己を生み出しているのは、脳だと思っています。その脳には精神が宿っており、身体と区別していると考えているのです。しかし、そうではないのです。「自己」を規定しているのは脳ではなく免疫系であるというのです。多田富雄氏の著書『免疫の意味論』を紹介している下記のブログを参照して下さい。
    http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20081028/p1

    以下、編集的に引用しました。

    人体は常に病原菌にさらされており、ミクロの戦場では熾烈な攻防が繰り広げられています。健康が維持できるのは、免疫系が日夜奮闘しているおかげであり、病原菌が大量殺戮されている証拠でもあります。生きるか死ぬか――これが進化の実相なのです。免疫系を調べる目的で遺伝子操作による異種交配が行われています。こうして生まれた動物を「キメラ」と呼びます。スフィンクスや鵺(ぬえ)みたいなものと思えばよいでしょう。ニワトリとウズラを合体させます。すると、ウズラの羽根を持つニワトリが誕生します。しかし、2ヶ月ほど経つと羽根が麻痺して、歩行も摂食もできなくなり死んでしまいます。ところが、免疫の中枢臓器である「胸腺」になる原基を胚に移植すると、拒絶反応が起こらないのです。免疫とは「自己」以外の異物を攻撃するシステムです。ニワトリにとって、ウズラの羽根は異物に他なりません。これは、どうしたことでしょうか。もっとわかりやすくするためには、脳だけ別の動物にしてみればよいでしょう。

    しかし、ここではっきりしたことは、個体の行動様式、いわば精神的「自己」を支配している脳が、もうひとつの「自己」を規定する免疫系によって、いともやすやすと「非自己」として排除されてしまうことです。つまり、身体的に「自己」を規定しているのは免疫系であって、脳ではないのです。脳は免疫系を拒絶できませんが、免疫系は脳を異物として拒絶したのです。【『免疫の意味論』多田富雄(青土社)】

    私達たちは、普段、「意識」が自分を支配していると思いがちですが、緊張した場面になると、脳は身体の一部に過ぎないことがよくわかります。「自己」を考える際、免疫系のことを考えてなくてはならないのです。多田富雄氏の指摘は、ゲームの佳境で将棋盤を引っくり返すほどの衝撃があります。しかし、私達は再び将棋の駒を並べる羽目になります。では、免疫系さえあれば、脳は不要なのでしょうか。もちろん、そんなわけがありません。複雑にして精妙なるネットワークによって「自己」が成り立っている事実を再確認する必要があるのです。人体を貫く様々な系が「生」という名の交響曲を奏でているのです。脳科学がビッグバンにさかのぼるかの如き発想であるのに対し、ネットワークという発想は開かれた宇宙を展望するような広がりがあります。多田富雄氏は生命という機能を「超(スーパー)システム」と名づけました。
    ―――
    多田富雄氏には、「脳の中の能舞台」という著書もあり、機械文明が、もたらす様々な弊害を警告する意味で、仏教的な思想を反映した演劇=能の果たす役割は重要であることを提示しました。四次元能は、多田富雄氏の考えに共感してシムダンス=生成の舞=「脳の中の能」としました。

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