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  • from: 生成門さん

    2008年12月10日 18時09分50秒

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    この世は幻か

    この世は幻か
    <華厳と物理の共振>

    お釈迦様は、仏教=悟りの効用として自我の解体を説いたのですが、それを受け継いだ華厳経は、更に、大きな世界を構想しました。華厳経に書かれていることは、まさに、現代物理が発見してしまったのと同じ宇宙観が、既に一千年も前に構想されていたのです。その華厳経の世界とはどういうものなのでしょうか。華厳経についてはこちらを参照してください。http://homepage3.nifty.com/huayan/eirei.htm

    現代物理学の先端から「東洋の世紀」が始まることを、最初に示したのは、物理学者「フリッチョフ・カプラ」ですが、内容は、物理と東洋に思想が相似していることを対比させているだけです。しかも、物理の内容はカプラ自身が専門ですから詳しいのですが、東洋に思想についてはやや断片的です。それは仕方のないことでしょう。そうでなくても東洋に思想というのは、禅問答の様に散文的で、非日常語なのですから。それを融合したり、混合したりして、もっと近づけてみたいと思います。そして、違う何かを見つけてみたいと思うのです。そのために<華厳と物理の共振>のシムダンスパートナーとして選んだのは、「現代物理と仏教を考えるページ」のオーナー「岸 善生」氏です。このページがすごいのは、華厳の構造を現代物理の波動方程式を使って、表現してしまうことです。色即是空や諸行無常でさえ、方程式で表すことが出来てしまうのです。確かに言語的な表現には限界があります。その意味ではこの試みは大変に意義のあることです。しかし、残念ながら数式を見ただけで頭が痛くなってしまいます。私達のような数学はもとより物理の素人にはそれだけで拒否反応が出てしまいます。全く歯が立たたないのです。これでは共振のしようがありません。ダンスどころではありません。でも、安心してください。岸氏は、数式を省いても理解できるような説明をしてくれています。何とか食らい付いてみましょう。それでは<華厳と物理の共振>の始まりです。先ずは下記を参照してください。
    http://www6.ocn.ne.jp/~kishi123/page021.html

    以下、編集して引用しました。

    「現代物理と仏教を考えるページ」が主張したいことは次のことです。

    ・この世界は、波動性で説明できます。
    ・部分が集まった結果、全体が出来るのではありません。従って、素粒子などの概念は否定します。
    ・粒子性(部分)は、波動性を示す全体性の中から一時的に顕現しているものに過ぎないのです。
    ・現象も、波動性を示す全体性の中から最も起こりやすいものとして顕現しているに過ぎません。
    ・一瞬の中に、過去、現在、未来が含まれています。また、一点の中に全宇宙が含まれているのです。
    ・時間のあらゆる二点間、空間のあらゆる二点間の関係の中で、この世界は成り立っています。
    ・時間の進み方は一定ではありません。エネルギーが大きい、つまり波動の振動数が大きい程、時間の進み方は遅くなります。
    ―――

    ここで述べていることは、現代物理のおかしいところをついています。波であると同時に粒子であるという現代物理に対して岸氏は「すべては波である」というのです。これはかなりショッキングな言い回しです。ところが、このような言い方が華厳経と、とても相性がよいのです。華厳経の表現を見ておきましょう。

    http://www6.ocn.ne.jp/~kishi123/page003.html
    以下、編集して引用しました。

    ミクロな世界はマクロな世界と同じであると知りましょう。

    マクロの世界はミクロな世界と同じであると知りましょう。

    少しの世界は多くの世界と同じであると知りましょう。

    多くの世界は少しの世界と同じであると知りましょう。

    広い世界は狭い世界と同じであると知りましょう。

    狭い世界は広い世界と同じであると知りましょう。

    一つの世界は限りない世界と同じであると知りましょう。

    限りない世界は一つの世界と同じであると知りましょう。

    限りない世界は一つの世界の中に入ることを知りましょう。

    一つの世界は限りない世界の中に入ることを知りましょう。

    限りなく長い時間はほんの一瞬であり、ほんの一瞬は限りなく長い時間であると知りましょう。

    異なる時間の中に異ならない時間があることを知りましょう。

    異ならない時間の中に異なる時間があることを知りましょう。

    限りある時間は限り無い時間であると知りましょう。

    限り無い時間は限りある時間であると知りましょう。

    無量の時間は一念であると知りましょう。

    一念は無量の時間であると知りましょう。

    一切の時間は無時間に入ることを知りましょう。

    無時間はあらゆる時間に入ることを知りましょう。
    ―――
    この華厳経では、反対のものは同じだと繰り返して言っています。特に前半では空間を、後半では時間のことを言っています。大きいも小さいも同じだという言い方は、トポロジーとも似ています。トポロジーとは、曲げたり、ねじったり、引き伸ばしても変わらない物を研究する幾何学です。例えば、コーヒーカップを引っ張ったり縮めると、ドーナツの形へ移し変えができます。つまり、「変形する」という述語によってコーヒーカップとドーナツを同じと看做すのです。これは述語的同一視です。

    さて、この華厳経と現代物理はどこが同じ、つまり、述語的に同じだと看做せるのでしょうか。例えば、岸氏の表現の中に「一瞬の中に、過去、現在、未来が含まれています。また、一点の中に全宇宙が含まれているのです。」という部分があります。この当たりは、華厳らしいですが、その他は、必ずしもそうではありません。これについて、もう少し、探求してみましょう。

    この世は空蝉であり、夢幻であるなどと、良くいいますが、果たして、この世は現実なのでしょうか。それとも幻なのでしょうか。ミクロな世界では、波の中から、ミルククラウンのように波の固まりが現れては消え現れては消えていきます。ミルククラウンについては下記を参照してください。
    http://milk.asm.ne.jp/chishiki/crown.htm
    以下、引用しました。


    ミルク・クラウン現象というのは、容器に入ったミルクの上面にミルクを1滴垂らすと、きれいな王冠状になる現象です。王冠は中心部からの波の伝達が不安定な液体の増幅が原因で起こります。
    ―――
    これが粒子と呼ばれているものの実態のようです。波に働きかけると粒子が現れます。そして、また全体性の中に消えてゆくのです。でも、いま触っているパソコンのキーボードやマウスは確固とした存在です。
    このミクロとマクロのギャップはあまりにも大きいと思うのです。ですから、どんなに、華厳経が有難くても近づけないのではないのでしょうか。もう少し、イメージが湧くような言い方はないのでしょうか。

    マクロな世界も波のような実体のないミクロな粒子の上に成り立っているとすれば、この世界も虚偽虚妄なのでしょうか。「我見るゆえに月あり」といいます。月があるから見えるのでしょうか。見るから月が存在するのでしょうか。そして、この波という全体性と、そこから現れる粒子性は、「空」と「色」にそれぞれ対応するのでしょうか。
    だとすれば、「空」に対応する全体性の波には、開闢以来の宇宙が畳み込まれているので、「空」は決してからっぽではなく、むしろ満ち満ちているということになります。
    そして、あらゆる部分とあらゆる時間が関わり合って、この世界が現出しているのですから、これが華厳の構造(理と事が映りあう世界)と対応しているのでしょうか。

    問題の設定は出来たようです。華厳の構造がどのようなイメージで姿を現すのか乞うご期待です。

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