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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2009年01月16日 11時40分05秒

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    未来とは虚である

    未来とは虚である
    <ティトとの共振>

    双曲線軌道を描く彗星は、戻ってこないとされていますが、ティトムでは戻ってくると考えています。それは、双曲線は楕円を二つに割って、お椀にして球の中に捻って閉じ込めて考えてください。そうすると実の方の軌道が「行き」で、反転して、途中に虚の軌道に移り、又実に戻ってきます。これが、未来に行って戻ってきたとする輪廻の彗星です。この虚についてはもう少し詳しい説明が必要でしょう。何しろ四次元能の四次元と言う意味は「虚」なのですから。今回の舞台は「オールトの雲」の続きです。下記を参照してください。
    http://momloveu.com/titom-teller-j/index.htm

    以下、その編集的引用です。

    ボイジャー1号は双曲線軌道で飛んでいるそうです。もう既に、未来にいっているのでしょうか。「オールトの雲」付近では、双曲線軌道はねじれているのでしょうか。もしそうならば、その当たりで彗星は虚の軌道に移るのでしょうか。虚の軌道に移れば、私達には見えなくなるでしょう。では、虚と何かでしょうか。その答のヒントがここにあります。すばらしいページです。以下の「原子構造の変遷」を参照してください。
    http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/koramu/gensi.htm
    以下、編集して引用しました。

    原子とは小さな電子という惑星が中心にある原子核という太陽の回りを旋回するというイメージをいまも多くの人が思い浮かべてしまうでしょう。ハレー彗星が出現した1910年、人類はまだ原子がどのような構造であるのかさえもよくわかっていなかったのです。先ず、最初にあらわれたのが、トムソンが考えたブドウパン・モデルです。プラスの電荷がパンで、電子が点々している状態を考えたのです。次に現れたのが、長岡・ラザフォードモデルであり、太陽系をモデルとしました。α線散乱実験によって確認されたのですが、α粒子の軌跡は双曲線を描き、原子核のまわりを電子が円運動しているイメージです。原子の中はほとんど空虚であるとしました。このモデルにはいくつかの難点がありました。円運動をする電子は、電磁波を放出してエネルギーを失い、らせん運動をし、ごく短時間に原子核にぶつかり吸収されるのです。すなわち、原子は閃光を発してたちまちにして消滅し、物質は跡形もなくこの世から姿を消してしまうのです。しかし、現実の原子は安定しています。このように安定しているのに、消滅してしまうという矛盾を説明できないのでした。

    そして、しんがりに出てきたのが、ボーアモデルです。このモデルは、三つの不連続性を明らかにして、自然の秘密を暴きました。その三つとは、原子と電気素量とエネルギーの不連続性です。不連続のように見えるものを量子化の概念で連続かして、長岡・ラザフォードモデルの難点を解決したのです。量子化とは、アナログをデジタルにしたようなものです。しかし、このモデルにも不具合がありました。電子の運動を古典物理で説明しようとしたために複雑になってしまったからです。

    そして、ついに真のしんがりが登場しました。それは、電子は粒子と同時に電子が波動であるという量子力学的原子モデルです。それらはコインの裏表であり、電子は原子内の任意の点に確率で存在します。電子は粒子でも波でもなく、粒子であると同時に空間に広がる波です。電子は原子核を取り巻く雲として存在するのです。こうして電子の粒子性と波動性の二重性格が暴かれたのです。電子は理解しにくい二重人格者なのです。
    ―――
    電子の軌道は太陽系の軌道から類推されました。そして、電子は雲として存在するのです。まるで「オールとの雲」と同じです。「オールトの雲」付近では、彗星は消えてしまいます。つまり、未来に行ったのです。同じように、電子が雲ならば、未来に行って戻ってくるということになるのでしょうか。その様にいう根拠は、電子が波動と粒子の二重性格を持っているからです。波であれば、どこに行っても不思議ではないでしょう。しかし、その波が粒子でもあると言うのですから、もうこれは「悟りそのもの」というしかありません。悟りとは、色即是空・空即是色という、「有る・無し」が同時にあるような、絶対的に自己矛盾なのです。もしそうならば、二重性格者(ジキルとハイド)は仏なのでしょうか。ジキルとハイドは交互に現れ、同時ではありませんから、それを仏というのは乱暴な言い方でしょう。ただ、分裂していると言うことでは、左脳(パラノ)と右脳(スキゾ)に分裂した現代人は二重性格者であるともいえるでしょう。本音と建前を使い分ける日本人は、二重性格者ももどきと言っても良いでしょう。もどきと言ったのは、本音→建前→本音→だからです。これは同時ではありません。タイムシェアリング(時分割)なのです。ですから、二重性格者も本音・建前人間も、絶対的に自己矛盾=仏ではありません。

    精神分析では、パラノイアとは偏執型の執着性気質、スキゾフレニーを分裂型気質と言うようですが、ここでは、一般的な性格、つまり、スキゾーとは気分屋、引越し好き、一匹狼、運まかせ、いきあたりばったり、ワイルドと言った、右脳人間に見られる傾向を言います。パラノは日本人に多いでしょう。定住し、その道一筋の頑固さをもち、協調性や家族愛を重んじ、過去を引きずる左脳人間に見られる傾向を言います。ですから、スキゾは分裂病のことではないのですが、分裂病と親和性があるとは言えます。四次元能では精神病理学者の中井久夫氏の仮説を支持しています。以下を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070762988
    以下、引用しました。

    精神病理学者の中井久夫氏の著書「分裂病と人類」の中にも分裂的親和性=右脳であることが著されています。中井久夫氏は次のように述べています。

    狩猟民は分裂病親和的であり、「かすかな兆候」を敏感に察知します。農耕民は几帳面に田んぼをこまめに手入れします。ですから、狩猟民の中では分裂病者は正常ですが、農耕社会では分裂病親和者は疎外されるのです。と述べています。

    確かに、スキゾは自分の近い空間のことは無関心で遠い空間のことに敏感です。遊牧民が地平線に敏感なのは視野の地平に現れた敵を素早く感知することが生きる智恵だったに違いないと思います。農耕民族は自分に近いところの空間、つまり畠、田圃で何が起きているのかが最大の関心です。こういうことからも農耕民族と遊牧狩猟民族では脳の働きが違うのです。
    ―――
    分裂病的親和性=スキゾは原生人=四次元時空体の気質だと思います。ではなぜ淘汰されずに残ったのでしょうか。その最大の特徴は「かすかな徴候を読む能力」であり、それが傑出しているから生き残ったのです。そしてその気質は原生人からモンゴロイドに受け継がれました。現代では農業と共にパラノ気質が優位になり、多数ですから、その集団の中では、かすかな徴候を読む能力の有用性が低下してしまい、時に失調を起こして病になるのが、自閉症であり精神分裂病なのです。このスキゾの最大の特徴である、「かすかな兆候を読む」という能力は時に占いに利用されたり、透視といったところに現われます。占いの起源が遊牧民であるというのも、このスキゾの気質に由来するだろうと思います。「かすかな兆候を読む」とはどういうことなのでしょうか。未来を読むなどという未来予測とは違います。それは左脳のすることです。占う、透視、読むというのは感じることであって、計算することではないからです。現代の占う、透視は左脳によって、ビジネス化されましたが、本来は、聴覚→右脳の脳力なのです。「かすかな兆候を読む」とは、未来を読むのではなく、未来がやってくるという性質のものなのです。いわゆる先進波(未来からやってくる波)です。ティトムの文脈で言えば未来をラッチ(記憶)するということです。未来から過去の時間をすべて畳み込んでいるので「物が見える」という話をしました。「何故物が見えるのか(1)」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076588450
    「何故物が見えるのか(2)」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076614037

    この物が見えるというのも、実は聴覚→右脳の畳みこみを利用しているのです。ということは、脳は時間が止まる特異な場所
    であるのですので、脳には未来が含まれているということになります。「脳は時間が止まる特異な場所」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076954760

    スキゾの「かすかな兆候を読むという能力」や、昔からよく言う、「枕元に現われる」といった類の現象は、脳には未来が含まれているということを示しているということになるのではないでしょうか。それをスキゾの代表である西田幾太郎は即非の論理として表現してのではないでしょうか。即非の論理には、時間がないのです。すべてが同時なのです。西田幾太郎は悟りのプロセスを次のように定義しました。

      出立ち  A=A
      踏み迷い A≠非A
      知り覚え A=A、A=非A
      還りゆく A≠A、A≠非A

    「電子は粒子でも波でもなく、粒子であると同時に空間に広がる波である」を即の論理で表現すると、次のようになるでしょう。

    A=A、A=非Aとは、
    A(電子は)=A(粒子である)
    A(電子は)=非A(波動である)
    つまり、電子は粒子であり波動でもある。

    A≠A、A≠非Aとは、
    A(電子は)≠A(粒子ではない)
    A(電子は)≠非A(波動ではない)
    つまり、電子は粒子ではなく波動でもない。

    悟りのプロセス(出で立ち、踏み迷い、知り覚え、還り行く)は、三次元的な時間の経過ですが、その論理には時間がないのです。時間がないということは、既にそこは三次元ではなく、四次元だということです。粒子が見えるのは実の三次元、波動は、すべてにあるのですから、時間がない、つまり、虚です。これを、色即是空・空即是色とも表現できます。この即非の論理の説明はこのくらいにしておきます。これから、たびたび出てきますので、覚えて置いてください。


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