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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2009年01月26日 16時32分01秒

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    虚実の世界は繋がっている(2)

    虚実の世界は繋がっている(2)
    <ティトムとの共振>

    サブプライム問題に始まった世界同時経済危機は、いってみればグローバリズムの破綻です。アメリカはこれから大きく転回するでしょう。某経済学者がグローバリズム理論を推奨していた自らの理論を破棄して、ローカリズムに転向してしまいました。環境を重視して、モンスター=自由主義経済に鎖をつけなければならないと言うのです。ここまでは当然なのですが、しかし、その、締めくくりに唖然としました。なんと、「欲望を抑制しなければならない」と言う精神論で終わっているのです。何のことはない、仏教と同じです。四次元能では、それでは解決にならない。だから、「如何にして、欲望を抑えるか」を、主題にしているのです。

    今回の舞台は「クラインの壷と虚の世界」の続きです。下記を参照してください。

    http://momloveu.com/titom-teller-j/index.files/Page897.htm

    以下、その編集的引用です。

    光の欲望は苦を随伴しますが、そこには必ず時間が隠れています。この時間は空間から分離されたものです。時間が分離された時からが苦が始まったのです。今さら、光の甘言に載せられた現生人に文句を行っても始まらないでしょう。簡単に乗せられるだけの理由があったのです。悟りを得るためにも、四次元時空意識を取り戻すためにも、その理由を知っておくべきでしょう。

    時間を空間から分離させるのは簡単です。定規を用いて線を引くことを考えてください。その線は時間を書き込むのに便利でしょう。それを時間軸といいます。それに沿って行動を書き込むでしょう。これがスケジュール、つまり時間割り表です。このスケジュールには、過去・現在・未来が表現されています。これによって、思考が発散しやすい右脳を規制して効率的に行動ができることになります。左脳の振る回転です。左脳優位は、優等生ですが、実は、次元低下、つまり二次元人間の生成なのです。学校というのは、二次元、三次元人間の作り出す次元低下装置なのです。始業のベルがなります。一斉に本を開くでしょう。そして、終業のベルがなります。一斉にルームを飛び出すでしょう。このように集団的整列行動は次元低下のなにものでもありません。このような標準化は文明全体の問題なのです。標準化、効率化という欲望の過剰生産が資本主義という装置の中で循環しているのです。その循環の度に時間が空間から分離される反動として、人間は苦を何重にも塗装されるのです。

    そのような光の欲望と時間について考えたことがあるでしょうか。時間について、よくよく考えてみると、その必要があるのです。学校のベルならば、パプロフの犬のことを思い出すでしょう。しかし、それを思い出しても何の足しにもならないでしょう。私達はもっと時間と光について真剣に向き合わなければならないのです。これは光害問題なのです。現在とは何時のことなのでしょうか。時間には巾があるのでしょうか。時間を物指しに例えると言うことは暗黙に、直線的に進むことを前提としています。直線的に進むというのは光の性質です。しかし、それは実は光のまやかしなのです。只今の時刻を、丁度正午とします、しかし、正午の時報がなった時は、すでに過去です。禅では生死を諦めることが、修行の目的であるといいます。それで「生の死にならない」という言い方で、時間の直線性を否定して、死に対する悟りを開かせようとするのです。禅では、時間について次のように説明するのです。

    生きている時は死んではいない。死んだ時は生きてはいないから、死を体験できない。死につつある時は、まだ生きて、死を体験できない。だから死の時という現在はあり得ない。死の恐れとは、死そのものではなく、死に対する恐怖なのである。

    分ったような分からない説明ですが、要するに、私達は時間については分っているつもりなのですが、実は明確ではないのです。私達の常識では、死の瞬間とは医者が御臨終ですと宣告した時です。しかし、よくよく考えてみれば、それは本人には関係のないことです。その時は意識がないでしょうから、その瞬間という現在はないことになります。この本人だけの時間を主観的時間といい、御臨終という時間の方は、客観的時間というでしょう。禅がいうところの「生の死にならない」というのは、この客観的時間で物事を考えてはならないということなのです。俗世界ではこの客観的時間認識がなければ、生きていけません。禅とは無意味なことをいっているのでしょうか。
    そうではないでしょう。死のような最大の恐怖こそが人間の解決すべき課題なのです。日常は客観的時間感覚でも良いのですが、いざと言う時のために、心の準備をしておかなければならないというのが禅の基本です。それは死の間際になってから修行しても間に合わないからです。日常を営みながら修行すべきだと教えてくれているのです。

    それには死と言う特殊な状態だけを想定するのではなく、万事において主観的、四次元時空意識を持つことなのです。もちろん、三次元意識を捨てることはできないことですから、共生する術を知ることが肝腎なのです。主観的ばかりでは精神病院行きです。

    万事において四次元時空の主観意識をもつということは、やさしいことではありません。ですから、道元の宇宙は難しいのです。ティトムでは、それを宇宙の四次元から攻めていこうということです。客観性をとことん突き詰めていけば主観に反転するというのです。本当にそうなるのでしょうか。

    客観的現在時間、即ち、只今の瞬間があるとします。それはどのくらいの瞬間なのでしょうか。正午時報の例で話したように、今、思っていたことを振り変えれば、それは過去であり、どうしようと考えれば、それは未来になります。考えている時は現在です。このように時間が列車のように通り過ぎていくというように考えると、今は今ではなく、過去は今でもなく、まして、未来は今ではないということになります。時間は不確定になるのです。客観的時間における、未来と過去と現在の区切りは曖昧なのです。俗世界では、曖昧でも生活には困らないので、どうでもいいのですが、苦からの解放を問題にすると大問題なのです。ですから、時間の意味を厳密に把握しておかなくてはならないのです。

    時間は通り過ぎる列車、いや、それより早い光です。光は直線的に進むのが好きです。時間とは光なのです。光は過去と現在と未来を通過します。光が通過する時に苦という現実=過去・現在・未来を意識化するのです。よって、苦とは時間=光です。苦からの解放とは時間=光の意識を無くすことなのです。この場合の時間意識とは光の直線的指向性です。この光が四次元時空を三次元空間と時間に分離したのです。時間が、何時分離したかを考えてみましょう。

    現生人は四次元時空体であったと言いました。西ヨーロッパに移動した現生人が洞窟から出て来た時に137億年から来た光の使者の甘言に載り、直線的思考により、文明という便利と快適さを選択して、それまで四次元時空体から次元低下させて、三次元空間と時間に分離してしまったのです。その最初の事件が日時計です。日時計とは、二次元平面に太陽の動きを直線で示したものです。こうして直線化が加速したのです。光の思考の特徴は断片化、段階化、線型化であり、それが、自我、都市、科学、生活、社会、組織等のすべての左脳の文明的側面に露出しています。ですから、悟りとはなにかというならば光意識からの解放であり、三次元空間と時間の再構成であるということのなるのです。つまり、四次元時空意識=四次元脳の回生なのです。

    これまで、欲望=時間=光といってきましたが、実は、実世界には陰と陽がありますが、往々にしてその対称性が破れて現れることがあります。つまり、欲望=時間=光にも、対称性があると言うことです。私達は、その片方を見ていません。真の欲望=真の時間=真の光を見ていないのです。対称性の破れがどのようにして現れ、どのようにバランスされるのかを説明するには、その仕組み、ダイナミズムが余りにも複雑なので、簡単には行きません。簡単に説明するには、複素平面を駆使しなければなりません。複素平面は四次元なのです。ですから、まだ準備が足りません。しかし、まもなく、シムハンターは、その仕組みにチャレンジすることになるでしょう。

    簡単に言えば、陰と陽を生成する仕組みがあるということです。それが宇宙の法則であり、生成の元になる虚にも陰と陽があります。つまり、虚の欲望、虚の時間、虚の光があると言うことなのです。それらの二つ虚が空というカオスを媒介にして実に反転するのです。その逆もあります。

    「虚を真」と読み替えれば、シムダンスは究極に真実=宇宙精神=悟りを探しているトレジャーハンティングだということになります。

    こういうわけで、悟りの実現とは四次元時空の述語的編集であり、編集行為それ自体が意識の反転、即ち、即非の証明なのです。実を物的俗世間として、虚を非日常的世界とすれば、悟りとは虚実を反転し、四次元時空の実現によって、虚実を禅循環、善循環させるのです。循環する毎に悟りが深まるという仕掛けがあるのです。同じ循環でも欲望生産の悪循環とは大きな違いです。悟りの善循環とはこういうことです。

    A悟(言語)によって理解して、C悟(瞑想)によって心身脱落して、D悟(表現)によって実証するのです。それを再び、A悟(言語)によって検証するのです。
    悟りについては、道元の悟りを参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070723845
    続く。

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