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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2009年02月11日 19時18分40秒

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    明晰夢は24時間稼動

    明晰夢は24時間稼動
    <補完共振>

    四次元能のシムダンスはシムハンター自身にクラインの壷を装填し、四次元脳に変身させる仕組み能、宇宙精神を探索するファンタジック能です。この能を完成するには主語論理を封じ込め、右脳優位に転換し、自我を解体し、地上の失楽園から地上の楽園にシフトしなければなりません。


    そのためには述語的思考を得意とするインターネット禅を使って瞑想=明晰夢を支援しなければなりません。「述語で繋がる世界」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076550110

    インターネットは三次元から四次元に変身させる反転酵素なのです。インターネット禅の最大の特徴は述語思考を可能にする反転酵素=クラインの壷の高速回転にあります。インターネット禅(i禅)は反転酵素の力でA悟C悟D悟のサイクルを高速で回転させますが、その仕組みは、C悟が核となり、A(四次元能コンテンツのブログ理解)→C(瞑想=明晰夢)、C(瞑想=明晰夢)→D(四次元ブログへの表現)というサイクルであり、内外反転するクラインの壷となっています。i禅では座禅瞑想をしません。その代わりに明晰夢という現代版の瞑想をします。言ってみれば、四次元能は四次元脳になるために禅の瞑想(C悟)を明晰夢に、禅の修業(A・D悟)をインターネットに置換したと言えるでしょう。
    その中でも、現代版の瞑想として位置づける明晰夢はトンデモない発見です。明晰夢とは、夢という名称が付いていますが夢などではないのです。明晰夢は最近の脳科学が明らかにした脳の働きですが、神秘主義というところの様々な不思議現象は、明晰夢の働きを意味しているのではないでしょうか。また、奇跡を起こしてとされる出来事なども、これを使っていたのではないでしょうか。夢といえば、フロイトやユングが言うような無意識の夢を指すと思っていたのですが、明晰夢とはもはや、そのような夢ではなく、れっきとした意識状態にある思考なのです。私達が無意識にやってしまうという振る舞いは、かなり明晰夢的意識行動なのです。無意識と意識の中間にあるといったほうが正しいかもしれません。

    プロセス指向心理学の創設者であるミンデルは明晰夢をドリーミングという概念と関連づけて紹介しています。彼は「ドリーミング」とは「寝ている時に見る夢」のことを言っていないのです。「ドリーミング」とは「根源的な力」「タオ」ユングの「セルフ」に近いものです。つまり全てのことに影響を及ぼすとんでもない「力」がドリーミングなのです。このドリーミングという力のシグナルに「明晰になりなさい」というのです。しかも四六時中=24時間と言うのがミンデルの主張するところです。

    このドリーミングを、虚を実に現象化させる力=空と解釈すれば、悟りの方程式(i)*(-i) ⇒1がそのまま当てはまります。
    イデアのエネルギーが即非状態(i)*(-i) にあるのですが、何かのきっかけで、揺らぎが発生して(i)*(-i) ⇒1となるわけです。揺らぎを起こす何かのきっかけというのが、インターネット禅ということです。

    明晰夢は無意識的な夢ではないということは間違いありません。脳はレム催眠時の思考であり、活性常態にあるのです。ですから、自らの四次元ブログを持ち、四次元能を通じて四次元について検索して、四次元についての理解を深め、自分の四次元についてのどう理解(A悟)したかを示し、C悟としての瞑想=明晰夢で思索を深め、その内容を表現(D悟)するのです。これがクラインの壷を内蔵したインターネット禅の仕組みです。

    A悟のための四次元ブログは、主語無しの即非状態(自他共振)で満たされていなければなりません。四次元能のブログはインターネットがweb2.0時代になって、ますます、一段と即非の凄みを増してくるでしょう。凄みとは検索等による逸脱のしやすさです。左脳は逸脱を嫌いますが、検索は右脳と親和性が良いので、インターネット禅は多重層的(ハイパーリンク)に述語的編集装置(他の文脈に瞬間移動できる)で接続された状態になります。(隠喩的引用が多いのはその例です)

    四次元脳を生成するには、インターネットの多重層型の述語的編集装置を最大に利用しなければなりません。そのために、インターネットを脳の延長としてクラインの壷に組み込みました。舞台装置は整ったので、後はどうすれば四次元脳に変身できるのかというシムダンスの舞いそのものになってきました。そこで、またシム方程式です。この式を解けば四次元脳を生成させることができるでしょう。
    ∫t{(+i)*(-i)⇒+1}/4d,g→V

    四次元脳へ変身するためにこのシム方程式をどのように解くかです。シム方程式はシムダンスをする汎脚本です。具体化はその場の状況に応じて編集しなければならないのですが、どう編集したらよいのでしょうか。こういうときは、シムダンスは四次元脳の生成の舞いですから述語思考で考えてみることです。生成の舞いという述語によって、能との共通性を考えてみましょう。能もまた生成の舞いです。能は観客を四次元の世界、時間回廊に連れていくのです。

    能といえば世阿弥ですが、彼は仏教的視点から逆説の美学や隠喩を駆使して観客を魅了(無我の境地)する難題に取り組んだのです。ですから、シムダンスとは四次元能なのです。シムダンスが四次元脳を生成する能ならば、シム方程式は、四次元能の汎脚本です。世阿弥の風姿花伝(シムテクノロジー=四次元脳への変身術)に相当するでしょう。個々のシムハンターの脚本をも生み出す生成の舞いの奥義なのです。シム方程式の骨格、つまり、∫t{(+i)*(-i)⇒=1}/4d,g→Vについては、既に述べた通りです。簡単にレビューすれば、悟り(V)とは四次元意識=悟りのことであり、それを獲得するためには、クラインの壷を脳に組み込み、生成原理(g)と複素平面(4d)を駆使して、自他共振 (+i)*(-i)⇒+1するように、脳を編集(∫)することです。その最も強力な武器がインターネットを利用することです。

    世阿弥の風姿花伝は「秘すれば花」といいます。花という隠喩を使って悟り生成の美を伝えているのです。「秘す」ということですから、悟りの秘訣を「種あかし」してはならないというのです。しかし、現代のマジシャンでも、種あかしをして観客の関心をとっています。種あかしをしても、種が尽きなければ良いのでしょう。実際、世阿弥の風姿花伝は今では公になっています。それを知ったからといって、種が尽きることはないのです。花とはあらゆる物が生成される四次元のイデアであり、尽きることのない生成の泉「空」を媒介して、三次元の花になるのです。イデアの花は三次元の花として現象化するのです。現象化とは三次元脳で見れば「花が咲く」であり、四次元脳で見れば「咲いている花」ということです。「花が咲く」と「咲いている花」の違いが理解できれば、四次元能の真髄に近づいているということになります。「花が咲く」という理解は、花を対象化しているということです。見る自分と花が対立しているのです。科学者のように花を観察しているのです。責任のない評論家の態度です。「咲いている花」という理解は、花と自分が一体となっているということであり、感動しているということです。周りが見えていないということです。シム方程式は、悟りという花を対象として見るのではなく「咲いている花」としての悟りを自覚させるという四次元脳への変身のシナリオを提供するのです。それを簡単に表現すれば、自他共振 (+i)*(-i)⇒+1となるわけです。

    シム方程式のtとはteamです。チームという隠喩です。モナドです。モナドは予定調和するのです。予定調和とは美の極限、つまりそれが花です。

    さて、そのteamですが、これは、更に、t/e/a/mです。それぞれが花=イデアです。これらの花が述語的瞑想=明晰夢の鍵となります。能は、演ずるものと見るものという二元対立の舞台形式をとっているように見えますが、それはあくまで表面的です。世阿弥が苦労したのは二元対立の解消です。どのように一回限りの舞台で観客を満足(没頭)させるかです。仏教の自我解体の悟りにも通じるのです。

    風姿花伝は、二元対立の解消の奥義を述べているのです。つまり、種明かしをしてしまうと能とは「脳の中に能」を作ることなのです。観客(他)と演ずる者(自)が自他共振によって、一体になるという意味では演劇的ですが、むしろ禅的な自我解体のドラマなのです。そのために脳を自我解体の舞台の場、意外性の生成場としたのです。そのために観客の脳を場にしたのです。しかし、現代の能は演劇化、形式化されてしまったように見えるのです。現代の演劇、映画では、顧客の関心を維持するといっても、自我の解体までは踏み込まないでしょう。見るものと見られるものという二元対立の構造を維持したままなのです。ですから現実的ストーリー性が重要視されるのであり、一体感をつくりだす表現力にこだわるのです。その表現とは換喩的(身の回りの喩え)、主語的同一性による展開が主となるのでしょう。それは反復であり、自我同一性の確認です。「水戸黄門」「相棒」しかりです。

    シムダンスは、世阿弥の企てと同じように脳の中に能の舞台を作るのです。ただ、世阿弥との違いは、演ずるものと見るものという二元対立の図式はありません。能は初めから二元対立の図式があり、それを解消するために、観客の脳の中に侵入しなければならなかったのです。シムダンスでは、演ずるものと見るものの二元対立はありません。初めから演ずるものと見るものは自分です。しかし、演ずるものと見るものの二元対立はないからといって、世阿弥の苦労がなくなるわけではないのです。自分の中の自己と自我が問題なのです。自分の中で演ずるものと見るものが対立しているのです。この対立が最初からの問題だったのです。しかも、シムダンスを舞う現実の自分は左脳の優位のシムハンターです。この自分を右脳の優位の四次元脳に変身するというのが、そもそもの起点だったのです。

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