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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2009年06月17日 15時08分44秒

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    アカシックレコード

    アカシックレコード
    <補完共振>

    虚と実は空を介してどのように繋がっているのでしょうか。虚が実になるというのは、実体のない虚が三次元実軸に現象として何かの形となって現われるということです。現象とは、三次元の物体、エネルギーであり、人間であり、石ころであり、意識であり、精神です。

    正確には、実軸に現れた物体は正四面体重合の形であり、精神はその正四面体がさらに多重層化して創発したものです。空には精神や物質の正四面体の形の元があり、更にその大元は正四面体イデアであり、虚軸にあるのです。これらを説明するには、正四面体の重合、複素平面の丸め化と回転による球面=天球、膨張反転の現象化と収縮反転の次元化、畳み込み、正四面体の多重層化、次元誕生の仕組みといった空のダイナミズムを理解しなければなりません。これまでは、それらを断片的には話してきましてが、ようやくそれらを纏めるときがきたようです。

    三次元の現象は、虚からダイレクトに現れるのではなく、混沌であると同時に空っぽの器から生成されるのであり、卵が孵化するイメージです。卵が空っぽであるというのはイメージしにくいですが、何もないところからいくらでも出てくる綿飴機を想像してください。子供のころは、回転さえすればどんどん綿飴が生成されてくるので不思議に思ったのではないでしょうか。実際は砂糖が入っているので空っぽではないのですが、空には砂糖に相当する虚エネルギーが絶え間なく供給されているのです。

    その虚エネルギーが反転して実エネルギーに変わり現象化するのです。その現象化する仕組みは、何もない空から生成されるのですが、何もないというには余りにも複雑です。その仕組みをこれから明らかにしようと思います。もっとも、ゼロ次元から膨張反転(現象化)と収縮反転(次元化)とを繰り返し、そのつど、過去を畳み込んで一次元、二次元、三次元と進化・進展してきたのですから、ゼロと謂えども侮ってはならないのです。

    現象するということは、虚エネルギーが絶え間なく供給されていることを忘れないでおいてください。現象化の前提なのです。私達が日常においてスポーツをするときは食事に気を使います。それはエネルギーが必要だからです。しかし、頭を使うときは余り気にしません。ところが、考え事をするときでも相当のエネルギーが消費されているのです。現象とはエネルギーの消費が前提なのです。

    ただ、この話は三次元現象の連鎖に必要な実エネルギーのことです。エネルギーが無くなれば死んで解体されるのです。つまり、次元を落とすわけです。無に戻り再び次元化のプロセスを繰り返すだけなのです。

    しばらく休んで休息を取って、食事して、再び活動するときは、三次元にとどまって、現象化と次元化を繰り返しているということです。ただし、その場合、畳み込みがありますので進化学習があります。

    こうした生成消滅のサイクルは、ゼロ次元に戻るときも、三次元に留まった場合でも、物質現象が連続しているように見えます。
    死んだ場合で、灰になっても元素に戻るだけですから、ゼロ次元とはいえないのです。一旦生まれた物質は完全にゼロ次元に戻り事はないでしょう。素粒子レベルのようなときだけが、ゼロ次元に戻る事があるだけでしょう。私達が普段目にしている多くに現象は、三次元の連続した物質現象なのです。ただ、それで説明できない現象が心とか意識とかという精神の現象です。心はそれぞれの固体にあるのですが、死んでしまうと心もなくなります。しかし、新たな生命が生まれてくると、勝手に心が芽生えてきます。これは三次元の連続した物質現象では説明が出来ないのです。生成消滅のサイクル=次元化と現象化は、どの次元であろうと存在しており、実と虚が交互に入れ替わっているのです。ただ、三次元の私達には、それが見えないので、物質は三次元の実軸における連続した現象に映り、精神は勝手に現れるのです。

    何故見えないのでしょうか。それを説明するには複素球面の回転を持ち込むことです。波を想像して下さい。サッカーのときのウェーブでも良いでしょう。波は時間軸に添って進みますから、サインカーブを描きます。しかし、これは時間軸、つまり、横から見ているからそう見えるのです。これを波が進んで来る方向から見てみましょう。
    人が立ったり座ったりするのが見えるだけです。これは人の波の場合なので、立ったり座ったりするのが見えるのですが、もし、それが、上下方向が虚であるとしましょう。つまり、見えなくなるのです。三次元に交差した時だけが見えるのです。それは点として見えるでしょう。

    列車を横から見ていると進んでいくのが見えますが、上下方向が虚なら、時々見えなくなるのでしょう。進むスピードが速くなると、連続しているように見えますから、真っ直ぐに進んでいるように見えるでしょう。

    線路に座ってみているとどう見えるでしょうか。遠くにいるときは、こちらに向かっているのかどうかは分かりません。むしろそこにとまっているように見えるでしょう。縦方向が虚軸なら、時々姿が見えなくなり、又見えるというようになります。進むスピードが速くなると、連続しているように見えますから、いつでもそこにいるように見えるでしょう。

    この波の例で言いたいことは、私達には虚の次元は見えないということであり、見えるのは実軸に交差したときだけであり、それを連続していると思うのは錯覚だということなのです。交差した点の現象は、毎回異なっているのです。連続しているように見えるので、ずっーと変わらないと思っているだけなのです。いつも顔を合わせていると、その人が年をとったことに気がつきませんが、しばらく会わずにいると、ずいぶんと年を取ったことに気がつくでしょう。

    こうしたことが問題になるのは、列車が見えるとか見えないとか年を取ったこと、つまり連続の中の不連続ではありません。波には始点と終点があります。問題はここにあるのです。つまり、突然、不連続な現象が起きることです。生や死がそれであり、意思や精神がそれなのです。こうした不連続な現象をどう説明するのかが、この混沌としての空っぽの器のテーマなのです。

    さて、全く何もないところから何かが現れる・無くなるというのは、どのようなことが隠されているのでしょうか。誕生や死は、嬉しいことでもあり、悲しいことでもありますが、大きな変化であることには違いありません。親しくしていた人が突然怒り出したりしたら、びっくりしますが、相当ストレスがたまっていいたのだと解釈するでしょう。しかし、これらはある程度は、三次元の連続した因果で説明出来るでしょう。誕生は受精であり、死は老化や病気が原因であるとか、意識は脳の働きであるとかです。

    しかし、それでは説明がつかないことが余りにも多くあり過ぎるのです。何故、心は脳にあるのか、何故、心にはパラノとスキゾがあるのか、何故、命が無機物な世界から出現したのか、何故、宗教には対立があるのかなどなどです。これに一貫した答えを用意するのは容易ではありません。

    科学が答えられないからであり、宗教は対立しているぐらいですから答えはないでしょう。科学は論理的にいいところまでは辿りつくでしょう。宗教は本質をつき、いい線を行くのですが、どうにもなりません。となると、残された方法は、科学と宗教を合体させることです。合体は無理としても、共生はできるでしょう。それがこの四次元能の狙いでもあるのです。イデア論的な科学とでもしておきましょう。

    波の図で示したように、複素平面がこの世界の有り様であり、それは回転しているのです。ところが、三次元の実軸にいる私達は、それを波のようにしか見ることが出来ません。つまり、虚軸は見えないのですから、現象はいつも連続しているようにしか見えないのであり、たまたま、突然に現れたときは、偶然であるとして片付けてしまい、時には、神を持ち出して奇跡としてしまうのです。

    複素平面の回転という考えを導入すれば、不連続な現象を神や偶然の精にして終わりにする必要はなくなります。回転するごとに、すべてが収縮反転して、空に畳み込まれて、更に、膨張反転して、現象化するという空のダイナミックな運動=生成消滅のリサイクルがあるのです。

    この様な考え方は仏教にも見られます。仏教では、阿頼耶識にすべての過去の行ないが収蔵されるとしていて、アカシックレコードとも繋がると思います。アカシックレコードとは、宇宙や人類の過去から未来までの歴史全てが宇宙バンクに記されているというものです。アカシャとはサンスクリットで「虚空」、「空間」を意味するのです。空っぽの器とはアカシックレコードといってもよいでしょう。
    その他にも似たような考え方があります。ルパート・シェルドレイクの形態形成場やC・G・ユングの集合無意識、プラトンのイデア論でいう「真なる世界」も、実はこれと同じものを指していると思われるのです。

    このような考え方を、命の誕生にも当てはめると、すべてはアカシックレコード=空に溜め込まれるのですから、特別な場所が形態形成場となり、アカシックレコードからの情報が伝わり、命が誕生してもおかしくないでしょう。また、脳が形態形成場=空となり、無意識=阿頼耶識となりアカシックレコードからの情報が伝わり、意識が創発してもおかしくないでしょう。

    科学ではこのような考え方は認めないので、例えば、進化論では、生命は有機物な核酸から生まれたとされますが、その究極の答えはなんと偶然であるというのです。核酸は塩基には入れるですが、それが突然に変異したことが原因だというのです。最近、新型インフルエンザのパンデミック(感染の世界的な流行)がおきていますが、その原因はこれまでのウイルスに突然変異が起きて、人間の細胞に入りやすいウイルスに変わったからとされています。そうなのです。生命現象は偶然の作用なのです。

    しかし、それで終わってしまってよいのでしょうか。偶然に見えるのは、私達が虚の次元が見えていないからなのであり、宇宙はアカシックレコード=空で繋がっているのではないでしょうか。私達は空であり、すべてに空があるのではないでしょうか。アカシックレコードを大空とすれば、私達の空は小さな空であるのではないでしょうか。もっとも、大きいとか小さいというのは三次元的な言い方であり、四次元では関係のないことなのです。ゼロの次元は無限のゼロを含んであり、それが三次元の土台になっていたことを思い出してください。


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