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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2009年06月29日 16時00分33秒

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    四次元に因果はない

    四次元に因果はない
    <補完共振>

    三次元の世界に現象化する四次元性(らしい)の代表的な現象は、人間であるといいましたが、それをもっと限定すれば脳に現れる意識です。もっとも、どのような現象もイデアの力で現象化するのですから四次元性なのですが、大概の物質現象は因果で説明できますので、取り立てて四次元性などという必要はないのでしょう。それでも因果で説明できないような不思議な現象もあります。そのすべてが因果で説明できないとは言えないのですが、その背後にあるイデアの力を認めなければ説明できないものがあることを示したいと思います。

    脳現象は因果で説明できない不思議のナンバーワンでしょう。脳に非物質の意識が生成されたということは、それだけでも不思議なことですが、それを神経ネットのメカニズムで説明するのは今のところ成功はしていないようです。単なる物質現象とは違った特別な四次元性(因果のない)なのではないでしょうか。

    ただ因果的な説明の可能性が全くないのでしょうか。意識は脳という三次元物質を基盤としています。その証拠は、やる気を引き起こしたり、切れたりするという人間的な意識や感情や行為に脳内物質が関与しているということです。つまり、意識や感情が現象化したのは物質的な因果が関係しているということです。もしそれで説明ができれば、四次元性=四次元のイメージを持ち込むことは必要がないでしょう。

    ここでは脳内物質と意識の関係を掘り下げませんが、物質だけの因果で意識現象を説明できるとはとても思えません。

    物質は正四面体イデアが重合して生成され、更に、いろいろな性質を創発してきましたが、その物質の性質が創発されてことと意識のような現象が創発してきたことは似ているように見えます。物質であれ、意識であれ、そこに共通していることは正四面体イデアの畳み込みが関係していることだけを予告しておきます。

    その前にやるべきことがあるのです。
    それは因果のない四次元性をしっかりと把握しておくことです。

    因果で説明できないのは虚という概念です。虚を持ち出されると因果も形無しでしょう。

    その究めつけは「すべての現象化が、i*-i⇒+1、i*-(-i) ⇒-1で示される」とする考え方です。この式は、iと-iという四次元の対称性(陰陽イデアぺアリング)が、実軸に形を変えて現れること意味します。iと-iのペアリングは、虚の陰陽イデアエネルギーであり、イデアはペアとして、陰陽イデア、±イデア、原自己、原他者などの名称で虚軸を構成するわけです。こうした考え方は因果を超えてしまいます。複素平面を持ち出したときから、既に、四次元能は因果とは決別していたのです。

    では、因果のないイデアに向かいます。人間におけるイデアペアリングは、自己と他者を区別する自他イデアですが、これが三次元では自己、他者となるわけです。

    虚のイデアペアリング(陰陽)は、その他に様々な形を伴って実軸に現れます。電気の±、雄雌、凸凹、陰陽などです。

    四次元能で最も重要な対称性は、脳を基盤とした意識の現象化であり、パラノ=アポロとスキゾ=ディオニッソスというペアリングです。脳は右脳と左脳のペアリングですが、そこにパラノ=アポロとスキゾ=ディオニッソスが乗っているのです。

    自然の対称性は、磁気のようにいつも完全に現れるようです。しかし、対称性は破れることのほうが多いのです。意識の対称性はアルカリと酸性を示すペーハーのように混在し、雄雌比は偏っています。男女の恋愛も破れることがあります。

    ただ、破れたペアリングは元の鞘に戻ろうとするのが自然です。人間では、元の鞘=復縁を意味しますが、再婚も元の鞘=回帰でしょうか。

    元の対称性に戻ろうとするのは、宇宙の生成消滅原理=回帰なのです。対称性が破れても復元しようとするのは、虚のエネルギーの有様に関係しています。

    対称性がどのような形であれ、現象化する場合、その有様は分裂・分離・対立から共鳴・融和・結合・共感・共生まで多様です。それは虚のエネルギーの共振、反共振の程度によって現象化するからです。

    虚が実になることをi*-i⇒+1、i*-(-i) ⇒-1と表わしますが、これはイデアエネルギーの共振、反共振を意味します。
    共振、反共振は因果とは反対にある響きのある言葉です。対象に共感・共鳴するという感覚を私達は実感していますが、例えば、相性が良いという現象を説明することは因果論では説明が出来ないでしょう。

    共感・共鳴という現象は「これはこうすればこうなる」という因果論ではなく、イデアエネルギーの共振、反共振の陰陽論で説明ができるのです。

    陰陽論では現象を分類すると64パターンにもなります。どのような現象も、始めは陽または陰が強く、陰(陽)が弱く、だんだんと、陽(陰)が弱く、陰(陽)が強くなって、逆転し、循環するのですが、それが64パターンあるのです。これはイデアエネルギーの綱引きがあり、対称性を取り戻そうとする性質を示しています。

    人間の場合も、イデアエネルギーの綱引きがあるので、右脳と左脳の働きには偏りができます。つまり、対称性が破れるのです。その良い例が、パラノドライブがかかることです。その原因は虚エネルギーのバランスが破れるからです。それが空の自他共振i*-iと自他反共振i*-(-i)を媒介して現象化するのです。i*-iよりi*-(-i)が強くなると、パラノドライブがかかり三次元脳が強くなるのです。

    つまり、i*-i⇒+1自他共振=四次元脳よりi*-(-i) ⇒-1自他反共振=三次元脳が強くなるのです。パラノドライブばかりが可能性ではありません。パラノとスキゾのイデアエネルギーの共振、反共振を陰陽論で表せば64パターンにもなるでしょう。

    このパターンが現象化されるということは、人間は四次元人間でありながら、三次元脳と四次元脳を混在させているということです。ただ、現代は圧倒的にパラノが優位となっています。いずれは、スキゾ優位になるのでしょうが、それを自然に待っていても対称性が回復するというような甘いものではないようです。

    三次元脳とは自我意識であり、この世界を三次元と認識する脳ですが、四次元脳は潜在意識と繋がった脳であり、本来の自己であり、この世界を四次元であると認識できる能力をもった脳です。ですから、四次元脳を持った人間を四次元人間というべきなのですが、三次元脳をもった人間でも、四次元脳を持っているのですから、四次元人間であることには代わりがありません。陰陽のバランスが異なるだけなのです。

    その三次元脳=自我に強く支配されている人間は、主語論理を中心として思考しますので、因果が無ければ世界認識が崩壊してしまいます。

    一方、四次元脳を持っている人間は、述語論理を中心として思考しますので、因果に縛られることはありません。道元のように、「春の後に夏は来ない」などというのです。四次元脳人間は即非的な空を自覚しているのです。

    悟りの実践とは、まさに、四次元性を空の認識を通じて自覚しようとするものであり、三次元に現象化した三次元脳から四次元脳を持った人間への挑戦なのです。

    悟りの実践とは瞑想を中心とした脳の四次元の編集です。瞑想とは光の影響を遮断して左脳の働きを封じ込めるために目を閉じるのです。そして音を見るのです。ですから観音なのです。

    瞑想すれば、因果のない自在な編集が可能となります。何故、道元禅では座禅瞑想=只管打座としたのかが、これで分かったでしょうか。光を遮断して右脳優位の述語的編集=四次元の編集を行い、イメージの早送り、巻戻し、停止、拡大、縮小、ズームインとズームアウトと自在に操作するのです。

    四次元の編集は瞑想によって四次元性を想像して、操作するということです。それによって、パラノドライブを沈めるという狙いがあります。

    どのように瞑想をするのでしょうか。目の前に広がる大海原は、今日は大きく荒れています。だからといって、昨日あった海であることには代わりがありません。まして、宇宙の姿は毎日同じように見えます。しかし、本当にそうなのでしょうか。

    宇宙や海のように手で掴めないような対象ではなく、粘土のような手で捏ねられるようなものはどうでしょうか。粘土なら直に接触し、操作することが出来ます。すると、どうでしょう。契ったり、くっ付けたりして自在に形を変形することが出来ます。しかし、内と外をひっくり返して繋げるなどは、どうでしょうか。所謂、クラインの壷です。これだけはできないでしょう。これが次元の壁なのです。この次元の壁は乗り越えられるのでしょうか。

    四次元は手では操作できないのです。宇宙のような大きな対象は手に余ることは当然ですが、さてどうでしょうか。

    遥か彼方の宇宙をデジタル画像や焼き付けられた写真で見るということは、三次元を二次元に落としてみていることになります。見ている私達は三次元に現象した四次元人間ですから、写っている対象(銀河)を三次元と認識して、二次元的な映像を三次元に再現して、その銀河の後ろ側を想像することができます。

    比較的近い距離なら後ろに回りこんで見ることもできます。実際に月の裏側に廻って見ることが出来ています。

    しかし、さすがに銀河や星の中に自在に出たり入ったりはできません。これが三次元に現象した四次元人間の壁なのです。

    遠くの銀河は映像を見て構造が分かっても、実際に出たり入ったり出来ません。しかし、想像することはできます。想像には、三次元的な想像と四次元的な想像があります。三次元的な想像とは因果の律に従うことです。つまり、科学的な根拠によることです。しかし、それでは見落としてしまうものがあります。単なる不思議として処理されてしまうような現象です。それを救う手立ては四次元の
    メガネと鏡で見ることです。そして、四次元的な瞑想をすることです。四次元能では、これを明晰夢で瞑想するといいます。四次元的想像とは単なる思索ではないのです。想像とは瞑想なのです。

    問題は、その三次元の映像を見て想像=瞑想する場合、その正確さを確かめられるかどうかということです。映像だけでは解釈のズレが大きくなってしまうでしょう。

    解釈上のズレを少なくするためには、静止画を連続させて精度を上げることになるでしょう。銀河が大規模になると一枚の静止画から想像すると、その違いは今から50億年前だったり、50億年後だったりします。

    これが誤差なのか、解釈の違いなのかをどうしたら分かるのでしょうか。この難しさが画像から四次元性を正しく把握するための大きな障害となるのです。

    因果が連続している現象なら誤差かもしれないし、因果が不連続なら解釈の違いとなるでしょう。つまり、ある銀河の映像が50億年前だったり、50億年後だったりするのは、三次元では有り得ないことなのですが、それが四次元空間に属しているならば有り得るのです。

    どのような映像なら因果の無い四次元性を示しているのでしょうか。ただ只管に宇宙の映像を片端から見るしかないのでしょうか。それだけでは四次元らしい因果の無い不可解な現象は上手く探せないでしょう。

    四次元性(因果のない)は、三次元では奇怪な現象でも、四次元では当たり前ですが、その四次元性に対して確信が持てるようなイメージを映像から得られなければ、瞑想などしても意味はないでしょう。

    最も四次元性を示すのは、球体流の生成原理で示した先進波と後進波のような現象です。球体流では、内と外が入れ替わるようなイメージであり、そこでは時間が逆行するのです。そのような因果が逆転する現象があればいいのです。

    そのような映像はないでしょうか。今のところ、四次元性を際立たせるものは見つけることは出来ていません。又、宇宙のどこを見ても、内と外が反転するような現象は見つけることはできていません。

    いつもパラノ意識に縛られているので、四次元性を探すというのは、大変なのです。一気に核心に迫ることはできなくても、焦らないで行きましょう。探検は長いのですから。映像を見ていれば何がしかの副産物があるものです。

    副産物を示しておきます。四つほどありました。

    一つは、太陽のイメージが果物のライチによく似ていたことです。これが四次元イメージを示すヒントなのです。

    二つは、映像を見るだけで、世俗の柵、苦が簡単に吹き飛んでしまう効果があります。いろいろ抱いていた畏れのようなものが吹き飛んでしまうでしょう。実に宇宙は美しいのです。四次元は精神を開放する効果もあるのです。

    三つは、虚のエネルギーを得られることです。ご来光を拝むと、この身に力がみなぎりますが、それが虚のエネルギーです。宇宙では、数万年とか、数百個の銀河を重ね合わせて、物質を押し込めています。このあたりの動きを見ると壮観です。パワーが違うのです。気のパワーと同じエネルギーでしょうか。

    四つは、宇宙はちょうど「精霊流しの明かり」のようだということです。夜の高速道路のイメージに似ているでしょう。いや、もっと動きがあります。灯りが点いたり、消えたり、ゆっくりと銀河のような点や球が膨らんで、しぼんでいくのです。超新星の爆発もゆっくり膨らむ球のように見えるのが印象的でしょう。

    その瞬間、稲光りのような、背景の明暗にチカチカッと光るような現象がないかつぶさに見たのですが、漆黒の背景ばかりです。もし稲光りや背景のゆらぎがあれば、これは光を越えたタキオンかもしれないと言いたくなるのですが、それはありません。

    「因果のない」世界に行ける可能性を見つけるために、その四次元性を探して、こまでやってきました。随分と遠くまで来ました。いや、遠くというのは正しくないでしょう。四次元では遠いは近いのですから。

    三次元に現れた四次元性をちょっと瞑想しただけで体調は良くなり、精神も安定するでしょう。これは副産物以上のものです。しかし、注意も必要です。因果の除去、物質や時間のかかわりを確証するりません。それには正しい四次元性=四次元イメージを持つことです。

    宇宙の映像を見たら、日常の小さな流体的な三次元の現象、例えば、水道の蛇口を捻ったときに勢いよく飛び出す水の流れとか、水飛沫の散らばり方とかをよく観察しましょう。それらはエネルギーに相関しますから、それが大規模になったらどうなるのかを想像することで、四次元イメージを補完することができるでしょう。

    パラノ的な記憶や三段論法、主語論理との隔絶し、文脈を断ち切り、解体するにはエネルギーを消耗します。それに対する体力、知力をもたなければならないのでしょう。

    四次元イメージをもつということは、現実を離れるということです。座禅している時ならば、重力を感じて、足が痛くなるでしょうが、待ちを歩いている時は、携帯をしながらの運転は危険であるように、ビジネスの場面でも非因果の意識を出すのは危険です。このところを忘れてはなりません。

    本格的に四次元に行くためには、それなりの心構えが必要なのです。

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