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  • from: 生成門さん

    2010年04月04日 19時42分27秒

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    空間は歪んでいる

    空間は歪んでいる
    <時空との共振>

    私達は無意識にこの世界を二つの世界に分けて考えていると言いました。それを主観的、客観的世界と呼んだり、芸術的態度、古典科学的態度と呼んだりしました。

    この態度や世界は、三次元空間上に実体として実在するものを、どのように見るかという見方の問題であり、実体が客観的に実在するとする見方を古典科学的物質世界(唯物)、実体を実在させる心の作用があるという見方を主観的精神世界(唯心)といっても良いでしょう。

    古典科学的といったのは最近の先端の科学(量子力学)では、見るものと見られるものを切り離して論じられなくなっているからです。いずれにしても、このような世界は、三次元世界(空間)の見解の相違であって、真の世界=四次元を見ていないのです。

    先端の物理(相対性理論)では、空間に時間を加えた次元を四次元と言っているのですが、この考え方は、まだ、物質的な容器というイメージから抜け出ていないのです。つまり、三次元空間を延長的している考え方なのです。

    現象を探求するに際して、空間と時間を別々に扱う態度から時間と空間を分離せず時空として対処するという態度に変えるというのは、呉越同舟と同じくらいの大事件だったことでしょう。現象というのは、空間の中にある物体=実体が時間と共に移動ないし、変化することを意味しています。そのような空間では、時間は別に扱われています。私達の常識もそれに近いものです。「経済成長率3%」などと表現しますが、成長はまさに時間軸に沿って変化するのです。つまり、市場という空間があり、経済取引される物質的な量が時間軸に沿って表現されるのです。新幹線が走るような場合も同じです。これをグラフで表せば、縦軸が取引量や距離で、横軸が時間となるでしょう。ここではグラフそのものを空間と看做しています。

    ところが、物理の先端で空間が歪んでいるとアインシュタインは言い出したものですから、とんでもないことになったわけです。今で言うトンデモ科学のレッテルを貼られたことでしょう。

    空間が歪むということをどうイメージすれば分かり易いでしょうか。トランポリンで飛び跳ねている体操を想像してください。トランポリンが場であり、空間です。それは飛び跳ねる重さで歪んでいます。ただし、トランポリンの場は観戦者からは見えないとします。観戦している者は、選手だけが見えているのです。
    選手は様々な姿勢をとって、体制が崩れても、うまく対応しています。「うまく」というのは上手く、巧くという意味ですが、そこに空間の歪みを体勢で調整している何らかの仕組みがることを示唆しています。つまり、場から受ける力が変化するので、ある時は、落下するタイミングを少し遅らせたり、早めたりして、調整しているわけです。それが姿勢の調整という形で観戦者には見えるということです。

    このような例は日常的にはいくらでもあることです。スポーツが一番分かる易いでしょう。柔道なら受身を取る時、野球ならスライデング、サッカーなら、シュートするときなど、すべてが姿勢の調整によって空間の歪みを調整しているのです。スポーツでは空間=場の歪みが見えないので、トランポリンを例にして示したわけです。

    トランポリンを例に出したのは、空間=場に対する常識的に思っている平らでテーブルのようなもの、容器のようなものというイメージを捨てなければならないことを言いたいからです。

    それが分かればトランポリンのことは忘れてよいでしょう。スポーツの場では、空間が歪んでいることを気づかされる場面、つまり、それが露出するときがあります。それを示して見ましょう。

    野球場(グラウンド)は、見た目では平らな空間=平面です。ドームに囲まれているのですから球状=球場であっても事情は同じです。その空間が実は歪んでいるのです。

    では、その場面を実況中継して見ましょう。2ストライクとバッターは追い込まれました。ピッチャーはここでチャンジェアップを投げました。バッターは空振り三振です。バッターはタイミングが合わず、体勢を乱して、もんどりうって倒れてしまいました。

    この瞬間はピッチャーからすると「してやったり」の場面なのですが、バッターからすると悔しくて仕方がありません。でも、その姿を見ている観戦者には、とても可笑しいものに映るのでしょう。この場面に、空間の歪みがどうして露出していると言えるのでしょうか。

    場には、様々な力が働いているということです。物理的なグラウンドという平らな空間だけが場ではないのです。心理的な空間の場なのです。熱気や期待、駆け引き、作戦などの圧力、速球とチェンジアップとの緩急の差異が空間を構成しているのです。バッターボックスは見えないトランポリンなのです。

    それが、バッターが空振りした姿を見ることによって、「そうだったのか」と気づかされるのです。それが空間の歪みの露出なのです。

    場を物理的な空間としか見ないバッターはマシーンであり、とても良いバッターとは言えないのです。プロ野球でさえデータ中心と言われるようになったのは最近のことであり、そのように考えるのは、つまり、野球は腕力が強い者が勝つなどという単純な物理的な力と力の鬩ぎ合いではなく、心理的な力も加えた様々な力がせめぎ合う場と考えているからです。当然そのような場は平坦ではなく歪んでいるでしょう。

    場を物理的な空間としか見ないような見方には、心理的な力=差異を無視した見方であって、地球を平らとする見方と同じなのです。近似的にはそれでも良いのですが、必ず、どこかで三振したバッターのように、その考え方が間違っていることが露出するのです。

    バッターが空振り三振すると空間の歪みが露出して「笑い」が起きるのですが、その笑いの本質とは何でしょうか。それが時間なのです。それをもっと詳しく説明して見ましょう。

    心理的な空間を場といい、熱気や期待、駆け引き、作戦などの圧力、速球とチェンジアップとの緩急の差異が空間を構成していると言いましたが、最終的には、緩急の差異に集約されるでしょう。緩急の差異が空間の歪みなのです。

    バッターは速球が来ると、その速度が残像として残ります。次にチェンジアップが来ても、身体は速球の速度に反応してしまい、バットが出てしまいます。しかし、ボールはまだきません。それでタイミングが外れるのです。バッティングはタイミングがすべてですから、タイミングが外されるとどうにも始末が悪いのです。脳は騙されるのです。このことから、世界は解釈であり、実在は錯覚であるという話にに繋がっていくのですが、もう少し後の話になります。

    緩急の差異によって、空間の歪んでいることになったのですが、具体的に言えば、どういうことでしょうか。通常、つまり、平坦な空間を場とするならば、ボールはある速度で投げられたならば、ベース上のある時間にある位置にあるでしょう。それをバッターは頼りにするのです。ですから、そこに来ると思ってバットを振るのです。しかし、現実にはボールがそこにこないのです。ボールの速度が思ったより遅いので、そこに「ない」のです。「そこ」とは、打つポイントであり、三次元空間の一点です。

    ボールが来るのが遅いと言いましたが、バッターからすると時間が遅れているということです。この結果として、空振りして笑いを誘うのです。

    笑いを誘う差異があるとは、後から言えるのでであって、現在進行形にあるバッターにとって、その場の歪みは見えていないのです。それでも、巧いバッターになると、自分でタイミング調整するのです。つまり、遅いボールが来るかもしれないという「読み」をするのです。事前にそのような読みをするとうことは、その場を歪んだ空間であると想定していることになります。これによって、ボールの来るポイントを遅らせて、つまり、バットを振る時間を遅らせて調整するのです。勿論このようにすると、早いボールが来たときには振り遅れる可能性があります。リスクがあるわけですから、そこに難しさ、面白さがあるのです。

    これで、場は空間であり、場には差異があり、差異とは力であり、空間とは力のせめぎ合う場であり、差異が空間を歪めるのです。その空間の差異が時間の差異となって、場を作っているのですが、それは普段は隠れているので、見えないのです。それが、時に露出するのです。そしてそれを見たものが笑うのです。ですから、笑いとは差異の発見であり、場の発見であり、時間の発見であり、空間の歪みの発見の証拠なのです。

    このように、バッターにとって時間が遅れたり進んだりするというような事態は、現実に起きることであり、当たり前のことなのですが、素人の観戦者にとっては、そのような空間であると知りませんから、難しさ、面白さも感じられないのですが、そういうことが分かってくると、野球の醍醐味を味わえるということになるのです。

    素人の観戦者にとっての空間=ベース上の空間=場とは、所謂、無味乾燥な、機械的な平らな空間であるにすぎません。ですから、空間とは絶対であり、どこでも一様であり、普遍であるというように短絡してしまうのです。しかし、バッターにとっての空間とは、その場限りの空間であって、自分にとっての固有の場です。ですから、他の球場の場と同じであるとは言えないのであり、まして他人とも同じ場とも言えないし、自分自身であっても、たとえ、同じ場=試合であっても、次の場面=打席では違う場になってしまうのです。場とは固有なのです。ここから、時間の進みも固有であると言えるのです。

    このような空間=場という考え方は、スポーツに限らず、私達にとっては常識でしょう。素人でも、その対象に真剣に向き合えば、自然に受け入れるものです。ところが、それが逆転している世界が古典科学の世界なのです。古典科学の代表であるニュートン力学では、野球の素人の感覚が真実とされているのです。そこでは、空間は絶対であり、どこでも一様であり普遍なのです。

    従って、アインシュタインが発表した当時は、ニュートンのいう絶対空間が唯一つの真理でしたから、空間と時間は共にあり、空間は歪んでいるなどという考え方は、そう簡単に受け入れられるものではなかったと容易に想像できるでしょう。でも、いったん、学問から離れた学者でも、歪んだ生活空間の中で、生きているのですが、それをアインシュタインが指摘したのですから皮肉としか言いようがありません。

    スポーツに限らず、生きるものにとって、時間と空間はいつも共にあり、その場限りの関係であるというのは当たり前のことなのです。世界のすべてがどこでも同じように分刻みで動いているなどというのは、時計が発明されてからのことであり、それがいつの間にか、主流になってしまったのですが、そのことについては、ニュートン以前のことであり、「光の陰謀」で述べましたので省略します。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100077569992


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