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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2010年04月30日 18時31分59秒

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    浄土の実現はできるのか

    浄土の実現はできるのか
    <プラトンとの共振>

    「二分する」を捨てるということは、科学者という立場を捨てることになるということです。「二分しない」という思考を科学に取り入れるということは、トンデモのレッテルを貼られることになるでしょう。それでは科学者として生きていけなくなるでしょう。科学者だけの問題ではありません。俗人である私達の問題でもあります。

    例えば、村には村独自の仕来たりや風習があります。それに従わなければ、村八分にされるでしょう。自=村人、他=変人という二分が出来たのです。自他反共振=村八分という選択も出来たのです。村を企業や組織、国家村八分を差別、除外と言い換えれば、何でも当てはあまるでしょう。

    何故、戦争=喧嘩がなくならないのかという疑問には、二分法では決して答えが見つからないと同じく、このような村八分現象をいくら社会学的に分析しても、答えが見つからないのです。

    それでも、二分的な思考から離れるということは容易ではありません。脱二分的な思考とは、主観的と客観的な態度を同時に取れ、科学者であると同時に芸術家であれ、政治家であると同時に宇宙人であれ、と言っているようなものだからです。

    経営の現場で同じことが言えます。科学的な経営者でなければ、通用しないのが現代企業の常識です。今時、神棚を祭って、お祈りをする経営者などいないでしょう。

    しかし、脱二分的な思考が難しい、手の届かないものだといって云っていたのでは話が先に進みません。そこで、少しでも、脱二分的な思考に近い例を探して見ましょう。そこからヒントが生まれるかもしれません。

    脱二分的な思考=直感+論理と考えて見ましょう。例えば、直感的に優れた経営者であれば、二分的構図を持ちながらも、それから離れた態度をとっている人がいないわけではありません。プロのスポーツ選手は、直感と科学的訓練がなければ大成しないでしょう。

    脱二分的な思考=客観+主観と考えて見ましょう。私達、一般人でも、主観的と客観的な態度を同時にとることはあります。それは、どんなときでしょうか。それは、感激したときや危機に陥ったときです。無我夢中のときには、無意識に事を行っています。主観的と客観的な態度を超越しているのです。危機に陥ったときでも、がむしゃらに対処しているときでも、冷静な自分がいること気づくことがあります。

    脱二分的な思考=科学+芸術と考えて見ましょう。科学者であると同時に芸術家でもある人は沢山いるでしょう。万能の天才と言われたレオナルド・ダ・ヴィンチはその典型でしょう。

    脱二分的な思考=政治+宇宙と考えて見ましょう。政治家であると同時に宇宙人という日本の政治家が現れたようですが、どうも、遊びの範囲(揶揄)で言っているようですので、現実には存在しないようです。

    政治家は国の利益代表者であり、地域や集団の代表者ですから、曖昧では成立たないのであって、右か左をはっきりさせなければならない宿命を持っています。一時的には曖昧な態度も、許されますが、切羽詰ってくるとそうは行きません。まして、宇宙人=平和=利益を求めない人などという比喩は通じないのです。

    ガンジーは無抵抗主義で理想を貫いたわけですが、それが成功して理想社会が出来たわけではありません。ダビンチでも、完全同時に科学者・芸術家だったのではないのであって、ある時は科学者であり、あるときには同時に芸術家だったのでしょう。それを、後世の人が、科学者でもあり芸術家でもある万能の人と持ち上げて言っているだけでしょう。

    脱二分的な思考を相反するものの共立と考えたわけですが、どうも難しいようです。何故、両立が難しいのでしょうか。何故、意識を科学することが難しいのでしょうか。

    それに答えるためには、宇宙の法則を知らなければならないのです。私達の世界が、何故、対称性できているのかを知ることです。例えば、電気には、何故、プラスとマイナスがあり、人間には、何故、男と女がいるのかです。

    自然界には中間的なものが、かなり、存在していますが、人間の場合には、まれにしかいません。生物には、雌雄同体という中間態が存在していますが、それらは主流の生物ではありません。一体、何故なのでしょうか。ミクロの世界では、対称性が破れるという現象もありますが、物質にはその反物質があることが基本です。何故、中間的な状態が基本ではないのでしょうか。

    これに明確に答えられれば、シムダンスの探検は終りであり、四次元能の幕は降ります。その答えを探すために、四次元能はシムダンス等方法を用いて、共振の旅を続けているのです。その鍵は「意識のプレートテクトニクス」=空のダイナミックス=イデア的知性と「即非共振」なのです。

    「意識のプレートテクトニクス」とは、これまで言ってきた「空のダイナミズム」のことであり、共振とは、空のダイナミズムを、要約した概念「即非」なのです。「即非」とは、相反するものの完全同時存在という意味です。科学者・芸術家が一人の人間に完全同時に存在する状態をいうのです。

    しかし、それは、有り得ないことなのです。ですから、この世では、宇宙人ではない政治家しかいないのです。宇宙人であると同時に政治家である人なんて存在できないのです。即非的な人とは、中間態であるということです。性同一性障害者は中間態のようなものなのです。

    性同一性障害者は理想的な人間ではないのが、この三次元の世界の常識ですが、即非状態を理想とするなら、性同一性障害者は理想ということになります。

    空のダイナミクスというのは、宇宙の法則なのですが、それによると、基本は対称性です。三次元では、その対称性が二項(±、オスメス)として分離して現象化するのです。その対称性が破れて現れることがありますが、あくまで基本は対称なのです。その対称性を与えているのが四次元のイデアの対称性=陰陽にイデアであり、三次元はそのイデアの影であり、その影を作っているのが空なのです。

    政治的な話をすると、長くなるのですが、簡単に言いますと、政治とは対称性が破れる現象です。つまり、政治とは、利害が対立して、分裂するのですが、共振=調和することはなく、どちらかが強くなるという反共振のゲームなのです。

    全てが平和=共振になるというのが理想ですが、それは、地球が政治的中立で覆われるということです。政治的中立とは即非ですから、性同一性障害者と同じ、雌雄同体というような中間的な形が理想国家ということになります。しかし、中間的という形は、それが理想であっても、現実には、政治的対立が続くのです。

    それを分かりやすい例で言いますと、人間関係も政治ですから、即非という態度が如何に難しいかが分かるでしょう。

    例えば、政治的中立とは、曖昧な態度をとると言うことです。優柔不断、決断できない、玉石混合、フンギリがつかないなどという態度は全て、即非の状態であるということです。このような即非の態度を取ることは、世間では長くは通用しません。だらしない人、弱い人というレッテルを貼られてしまい、経営者なら失格の烙印を押されるでしょう。政治家なら尚更のことです。そんな結婚相手ならすぐに別れるでしょう。

    ということで、即非の態度とは、「である」と「ではない」の相反する状態が完全同時に同居するという立場に立つということです。そのような位置にいることは、三次元の俗世界では、居場所のない、存在が困難な態度となるでしょう。

    お互いの違いを認めて、平和に暮らしたいと思う心は誰で持っているのですが、それが、世界平和主義の運動をしようとすると、ままならない現実が突きつけられるでしょう。

    イデア的知性が、意識を自我をして二分的思考を選択させているということを知らないで、意識変革をすれば、平和がたらされると思っていることに、落とし穴があるのです。

    意識が現象化するというのは、宇宙の法則である対称性に依拠しているのです。ですから、虚(陰・陽イデア)が先ずあり、それが、現象化したときに、実(陰陽)が対立して現象化するのです。区別(陰陽)があっても、共振すれば、平和が訪れるのですが、政治的な人間社会に於いては、欲が絡むので、なかなか共振できないのが現実なのです。ですから、世界平和は容易には実現できないのです。

    共振するには、完全調和しなければ無理なのです。完全調和とは、±がバランスすることです。しかし、オスメスがバランスしないように、利害関係はバランスしないのです。

    宇宙では対称性が原則ですが、実は、私達の小宇宙では物質世界のみが優勢となっています。反物質がないのです。宇宙は巨大ですから、宇宙のどこかにあるのでしょうが、まだ、出会っていないのです。もし、出会ったとしたら大変なことになります。完全調和、即非が生まれるのです。対立の消滅です。つまり、私達の宇宙の消滅なのです。

    同じように、人間社会も完全調和、即非が生まれるなら、利害がなくなって、曖昧な態度の優柔不断、決断できない、玉石混合、フンギリがつかない人ばっかりになって、穏やかで、争いはなくなり、平和になるでしょう。しかし、現実はそういうことにはならなくて、天気のように、いつも高気圧と低気圧がせめぎあって、対立して、嵐や雨を起こして、それが治まって、しばらくはいい天気が続いたと思ったら、また、次の不安定な天気が来るのです。

    それでも、私達は共振的即非を求めて、完全調和を求めて行きたいのです。それには、曖昧、優柔不断、決断できない、玉石混合、フンギリのつかない人が持っている本質は、即非であるというように態度の評価を改めなければならないのです。曖昧なのは偏らない心を持っているからであり、玉石混合になるのはハードソフト的しなやかさを兼ね備えているからであり、そのような人を無位の真人と呼ぶことにしたいのです。

    そのような人間を多く輩出するためには、意識のプレートテクトニクスを、空のダイナミズムを学んで共振しなければならないのでしょう。

    空のダイナミズムを学ぶということは、即非を理想とする場所=桃源郷に行くことであり、それが空とのシムダンスなのです。ガンジーでも成し得なかった世界平和、仏教でも成し得なかった浄土が果たして可能なのでしょうか。それは甘幻想なのでしょうか。


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