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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2010年04月30日 19時13分30秒

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    奇人変人の立つ位置

    奇人変人の立つ位置
    <プラトンとの共振>

    脳には、意識を発生させるイデア知性があり、それは複素関数が表現される複素平面であり、意識のプレートテクトニクス(空のダイナミズム=場)そのものだといいました。

    更に、実空が意識の作用であり、自我を生み、虚空が無意識の作用であり、無自我を生むと言いました。このことを三次元サイドから言いますと、自我が反共振的なパラノ思考=二分法的な態度を選択させ、無我が共振的なスキゾ思考=即非的な態度(ああでもあり、こうでもある、ああでもないこうでもない)を選択させるでしょう。

    ここで最も重要なことは、空のダイナミズムには、脱魂(次元化)・入魂(現象化)があり、現象化の段階では対称性が破れるというということです。更に、陰陽のサイクルがあります。陰陽のサイクルとは、陽が強くなった後、次第に弱まって、陰が強くなるということです。サイクルの期間は現象によって異なります。

    現在の私達の選択は二分法というパラノ思考や態度が主流になっていて、それが温暖化をもたらしていることを確認してきました。意識のプレートテクトニクスの場では、自我が主流となっているのですが、陰陽のサイクルを待てば、いずれは、無我の力が強まってくるのではないかと思われます。しかし、それを待っていたのでは、人類が滅びてしまうのです。

    ですから、三次元サイドから空のダイナミズムに働きかけて、いかにしてパラノドライブを弱めるのかという方策が必要なのです。そのためには、疫病のパンデミックスに対処する様な二分的な方法では立ち向かえないことは、これまで現実が示すように明白になっています。

    対処すべき敵はパラノパンデミックスなのです。これに立ち向かうには、パラノでは元の木阿弥になるだけなのです。

    パラノ思考と対峙するためには、その思考の本質を知らなければならないのです。その本質が、科学的な枠組みや社会の常識を作っているのであり、それの根本は、自分を特権的立場、つまり、自分を蚊帳の外に置くということです。

    パラノ思考と対峙するということの意味は、この態度を変えるということなのです。これが難物だと言うことです。ですから、しっかりとその敵を研究しておきましょう。

    これまでの科学や政治や俗的人間の態度は、見るもの・・・見られるものという二分的な構図を設定して、見る者の位置を特権としてきたことです。見るものは蚊帳の外において、見られるものを支配してきたということです。その典型が科学であり、政治なのです。政治ということを、政治家だけの世界と思ってはなりません。政治というのは欲望のコントロールです。欲しい物があったときに、どのように振舞うのかを決めるのが政治なのです。

    二分的なやり方というのは、善悪や正義と不正義という基準に従うと言うことです。基準に従うということは戦うと言うことです。これが政治です。

    政治とは、力を行使するという意思であり、パラノドライブをかけると言うことなのです。ですから、政治とは特別な世界という意味ではなく、家庭でも、職場でも、学校でも、人間がいる場なら、いや生物がいる場なら、どこでもあることなのです。

    パラノドライブとは、見るものと見られるものという二分から始まって、全ての対象を二分して、価値によって、つまり、好き嫌いによって選択すると言い換えることが出来るでしょう。これは私達の日常の態度なのです。ですから、パラノドライブを弱めることが如何に困難化かが予想できるでしょう。

    パラノドライブを弱める一番の方法は芸術家や奇人変人の思考方法を取り入れることです。彼らの思考には、見るもの・・・見られるものという二分的な構図を無視して、見る者の位置を特権としないことに特徴があります。

    つまり、見られるものの中に「自己を含む」ということです。実は、この「自己を含む」という態度は、特別な位置に身を置くということではありません。私達の場合でも、無我夢中の時などは、そのような位置に自然となっているのです。ただ、そういう位置があることを、普段は忘れているだけであり、政治的な場面でも、本音と建前という形で、やりくりしているだけなのです。この当たりにパラノドライブを弱めるヒントが隠されているかもしれません。

    「自己を含む」態度は、見るものを蚊帳の外に置かないことであり、見られるものに中に溶け込むということです。腹を割って本音で話そうと言うときの態度です。その典型が芸術であり、本音人間の思考なのです。

    どちらも、見るものは見られるものを二分せず、価値によって選択せず、真理を持って対処するのです。これが簡単な耀で難しいのは、日常においては本音が出せないことが多いからです。

    「自己を含む」という位置に立つということは本音で立ち向かうと言うことであり、そうなると、社会では問題視されるでしょう。それで、諺では「天に唾」と言って諌めているのです。自分勝手に、他を批判したりすると、相手から「それなら自分自身はどうか」などと攻撃されてしまいます。つまり、ブーメランのように帰ってきてしまうということです。大人になるということは、それを知っているということです。村八分にされないために、長いものに巻かれると言う態度を選択して、言いたいこともとも言えずに、優柔不断になるのです。

    このブーメランを自己言及のパラドックスというのですが、本音と建前を使い分けて、何とかやりくりしているのが俗人の態度なのです。このような一時凌ぎが、大人の解決方法なのですが、真に、解決しているとは言えないのです。

    では、真の解決とはなんでしょうでしょうか。それが、脱二分化、脱パラノ、脱反共振的な態度だということです。もっと言えば、科学的芸術の態度、芸術的科学の態度であり、宇宙人的センスを持った政治家であり、奇人変人的俗人と言うことです。

    このような人間は身近なところでは、見たことがないでしょう。そんな人間は、見たこともないキメラですから、いたとしても、見つからないようにヒッソリと暮らしていることでしょう。

    しかし、それが突然、私達の目の前に現れることがあります。「雪男現れる」などと一大ニュースになったりします。そこまでいかなくて、奇人変人の類で、紹介されることもあるでしょう。パラノドライブとは資本の論理ですので、あらゆるゲテモノを記号化して、消費してしまうという特徴があるのです。

    その一大ニュースを取り上げて見ましょう。それがこれまでも何度となく紹介してきた、量子力学が到達した結論「波のような粒子」です。これが現れた衝撃は、パラノドライブ=資本の論理=ゲテモノを記号化=消費というメカニズムではすまないインパクトを持っているということです。

    奇人変人がテレビで紹介されて、笑いを誘っているうちは、すぐに忘れられてしまうのですが、奇人変人が、人類が滅びた後に栄える人類であるということになると、笑って済ますことなど出来ないでしょう。

    それと同じか、それ以上のインパクトをもって現れたのが「波のような粒子」という事態なのです。「波のような粒子」を受け入れるということは、日常の思考=二分化を否定することなのです。否定しないまでも、共存するということです。
    人間社会で言えば、建前人間が本音で物を言う割合を反転させるくらいのことなのです。

    このことを、四次元能では、「四次元脳を持った三次元人間になること、或いは、三次元脳と四次元脳を調和させることがシムダンスをする目的であり、シムハンターがシムピープルになることでしょう。」といってきました。

    奇人変人=シムピープルでは、イメージが悪いので、シムピープル=悟りを開いた人=脱二分化思考・即非的思考のできる人=仏ということにしておきましょう。

    さて、ようやく、シムピープルの立つ位置をどのように、設定するかというところまできました。

    実は、その答えは既に出ています。それが複素平面です。複素平面が、立つ位置の問題を解消する考え方=脱二分的思考であるとは、詳しくは述べてきませんでしたが、そろそろ、取り掛かることにします。

    その前に、二分的思考の本家の科学者・政治家と脱二分的思考の本家の芸術家・本音人間の立つ位置の違いを纏めておきましょう。

    科学の態度
    見るもの→見られるもの(-・・・・+)
    電気工学は、電気特性を支配して家電を作る。

    政治の態度
    見るもの→見られるもの(左・・・・右)
    政治は、利害特性を支配して国家、家庭、学校を導く。

    俗人の態度
    見るもの→見られるもの(損・・・・得)
    俗人は、損得勘定を計算して人生を渡る。

    芸術家の態度
    見るもの⇔見られるもの(美⇔醜)
    芸術家は、利害特性を無視して芸術を表現する。

    奇人変人の態度=本音人間
    見るもの⇔見られるもの(善⇔悪)
    奇人変人は、俗世世間の価値を無視してわが道を行く。

    これらのそれぞれの態度=立つ位置を融合すれば、科学的芸術の態度、芸術的科学の態度、宇宙人的センスを持った政治家、奇人変人的俗人、つまり、シムピープルの立つ位置となるのです。

    そういうことなのですが、では、どのように融合を図るのでしょうか。実現性のない、空理空論になってしまわないという保証はどこにあるのでしょうか。それを保証するのが宇宙の法則であり、虚軸を組み込んだ複素平面の「空のダイナミズム」なのです。

    空理空論にならないことを保証するのが「虚と空」であるとは皮肉なものです。虚空とは、むなしい、意味のない、うつろなという意味ですから、全く、困ったものです。しかし、仏教では虚空蔵菩薩というシムハンター(悟りを求める修行者=菩薩)がいて、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩という意味があります。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰されているのです。まさに、三次元の利益を超えたところに、真の利益があるというのですから、虚空という概念もまんざらではないようです。

    それでは、奇人変人の立つ位置が、虚軸を組み込んだ複素平面であり、彼らの思考が「空のダイナミズム」=意識のプレートニクス=パラノとスキゾの鬩ぎ合い=二分思考と非二分思考の戦い=即非的カオスによっていることを説明することにしましょう。

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