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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2010年06月05日 12時08分00秒

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    ティトム球を原子に見立てる

    ティトム球を原子に見立てる
    <ティトムとの共振>

    四次元ツールとは、四次元にいるものが使うツールではなく、三次元にいる人間が三次元から四次元を操り・作るツールであると言いました。

    それを説明するために蟻が蟻塚を作る場合と同じ状況ではないかと思って蟻さんにもお出ましして貰いました。

    そこには、観察者と当事者の視点、現実と非現実、仮の内部と真正の内部を混同するという複雑な問題があることが分かりました。

    そこで、それらをすっきりさせるために、ティトム球を原子核と見立てることで、その問題の核心に迫ってみようと思います。

    原子とは内部の陰陽イデアの対称性がエネルギー的に中性化された形であるところから話を続けます。

    水素原子単体(陽子が一個で構成される軽水素)で、それがどのように「現れる」のかを見てみましょう。

    水素原子単体の原子核の場合、核外には電荷的にマイナスの電荷を持った電子が一つだけ配置されますが、核内には当然それに見合う電荷的にプラスの陽子が配置されるというのが、今日認められた原子の姿です。これが三次元の原子モデルです。何故なら、内部=核内部が、顕わになっているからです。

    これを、内部を内部のままにして表現する四次元能流で表現すると、核外に電子、核内に陽子という配置は、陰陽イデアの対称性が、空を介してエネルギー的に中性化された形で「現れる」ということです。つまり、現れた核内部とは仮に内部であり、真の内部は空として保持されているのです。

    中性化された形で「現れる」という表現が曲者なのです。これを、詳しく言えば、三次元の実軸へ「現象化する」ということであり、物質化された現象とも言います。この当たりから混同が始まります。

    現象→物質化現象→実体化→現実となるのですが、実は、それは記号化されたものです。記号化とは物理の場合は数式や図で表現されたものです。ですから、記号化されたものは、言語化でもあり、現実ではないいうことです。それでも、それを私達は、それを現実と言っているのです。

    そこまでならまだ良いのですが、見えない内部を見えたかのように思ってしまうことが錯誤なのです。

    水素の次に「現れる」原子はヘリウムですが、これになると電子2と陽子2、中性子2となってきます。確かに、中性子2は中性なので、電子2と陽子2で、電荷的には陰陽イデアの対称性がエネルギー的に中性化された形で「現れ」ています。

    ここでも同じように、内部は見えないはずなのに、どうして、このように内部構造を示すことが出来るかというのは、水素の場合と同じ疑問です。

    更なる疑問は、内部は空であると言いながら、原子核内部と言っていることです。核の内部は仮なのですから、空ではありえないのですが、初めに、ティトム球を核と見立てるとしたことと矛盾してしまうのです。

    空は即非(±の中性)のはずが、核内では陽子と中性子という非即非(プラスに偏っている)になってしまうのです。電子イデアは電子となって核外に出て行ってしまうのです。元の内部の対称性は、どうなったのでしょうか。

    元の内部の対称性とは、ティトム球の内部のことです。それは電位の餅鏡として、陰陽イデアの対称性がエネルギー的に中性化されていたことを指します。

    これは、真空で言えば、電子と陽電子が中性状態としてあるということと同じです。

    プラスとマイナスが分離してバランスされて存在するのと、±が同居して、しかも中和して存在するというのでは、大きな違いがあるのです。

    例えば、オスとメスは性としては分離していますが、「つがい」になると一体として生活します。一見、オスとメス同居ですから中性状態と言ってよいでしょう。独身は中性と言いません。原子とはこのような中性状態なのです。時として原子も、電子を失って中性ではない、即ちイオン状態のときもあります。

    中性状態が生物に現れるときもあります。雌雄同体がその例であり、性として分離せず固体として存在するのです。オスとメス同居とは、まるで違うのです。この違いが原子とティトム球の違いなのです。

    雌雄同体=中性=固体としては一つ=中性

    原子=オスメス同居=内部と外部と言う形としては二つ=見かけは中性

    これを四次元能の文脈で言いますと、もっと、はっきりします。

    四次元ゲートの空では、陰陽イデアが共振又は反共振の即非状態として中性=雌雄同体で存在しています。それが現象化して原子になると、核外に電子が核内に陽子が配置されて、全体として中性化された形=「つがい」になっています。

    ティトム球=原子核
    内部=空=中性=即非状態=雌雄同体=陰陽イデア

    原子=中性=つがい
    原子核の外部=電子
    原子核の内部=陽子・中性子

    ティトム球の内部=空とすれば矛盾はないのですが、ティトム球の内部=核内としたので、核内=空となり矛盾しているのです。

    ティトム球の内部はそれ自体で、陰陽イデアの即非(電位の餅鏡)で完結(一体としてある)ということしていたのですが、原子になると核外と核内で中性化された形になっています。これを即非とは言わないのです。

    「正四面体イデアはまるで生き物(1)」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100083371614以下、引用しました。


    ヘリウムは中性子2、陽子2、電子2で構成されています。原子核には中性子2、陽子2の4つの粒子があります。この四つが正四面体の頂点に対応します。原子核の外側には、K殻(もっとも内核に近い軌道)に二つの電子があります。

    K殻の二つの電子と四つの粒子の正4面体を一体として、一つの粒子と看做します。この粒子をヘリウムモナドといいます。

    ただし、点としての粒子と複合粒子とは次元に於いては区別されなければなりません。ヘリウムモナドは三次元の現象であり、波動性を持ち、磁場を発現する粒子なのです。
    ―――
    ここでヘリウムモナドは「三次元の現象である」という言い方をしていますが、内部についての混同があり、混乱しています。正確には、ヘリウム原子は三次元の現象であり外部です。原子核の内部は、仮の内部です。従って、ヘリウムモナドは、ティトム球ですから真正の内部=空であると言った方が適切でしょう。

    矢印が→となっていますが、空から現象化すると言う意味では←が適切です。しかし、現象が畳み込まれて空になるのですから、色即是空・空即是色でありことを理解していれば、このままにしておきます。

    このように混乱する原因は、ティトム球の内部=空=核内としたことにあります。その結果、

    (1)見えないはずの内部が見えてしまう
    (2)ティトム球が空であるという前提が核では崩れてしまう
    (3)原子核内は空ではない

    という三つの疑問・矛盾が出てしまいます。これをどう解釈したらよいでしょうか。

    先ず、(1)の見えないはずの内部が見えてしまうという疑問から解釈しましょう。

    これは現在の量子力学でも、まだ解決していない問題です。つまり、粒子は飛んでいるときは波であり、実体のない存在であり、どこにでも存在しうるという、不思議な存在です。それが一旦観測されると実体のある粒子になるとされています。これを波動の消滅ないし収縮といいます。

    極論すれば、あらゆるところに雲のように存在しているものが、「見る」という行為をしただけで、魔法のように時間をかけずに一点に集約されるというのです。これが粒子であるというのです。

    言い方を変えれば、空のダイナミックスでいうところの、偏在ないし遍在する空としての原点が反転して実軸に粒子として現象化するということに対応します。

    というわけで、見えない波としての電子は、見るという行為をすると粒子として表出するというわけです。

    何故、見えないはずの内部(波)が見える(粒子)ようになるのかです。

    今問題にしているのは核の内部です。「三次元のムジナは特異点にいることはできない」でも説明しましたが、http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100094105992ブラックホールは見えないのであり、見てしまったら、それは外部であり、真の内部とは言えないのです。

    真の内部とは四次元空間のことであり、ここで言う内部とは三次元実軸上の内部ではなく空であるということです。

    空は四次元のゲートであると言いました。「心理の事象の地平面」も参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100094310284以下、引用しました。

    見えないものが見たということは、もうその時点で、その内部は四次元ではないのです。その内部と呼んでいたところのものは仮の内部だったということです。
    ―――
    真の内部はいつもその後に隠れてしまうのです。しかし、それでは、何時になっても内部を見ることができません。蟻でも、立派な三次元建造物の蟻塚を作ったように二次元にいながらも、三次元を操ったり、作ったり出来るのですから、私達も、三次元に居ながらにして四次元を操ったり、作ったり出来るのではないでしょうか。それを四次元ツールと云ったのですが、その説明をするために探求を始めたのですが、準備に手間取っています。

    四次元そのものを見ることはできないかも知れませんが、影なら見ることが出来るとして、ティトム球を原子核と見立てて進めてきたのですが、どうも矛盾に突き当たってしまいました。

    内部ということが問題なのです。内部とは何かです。見えないものの代表としてはブラックホールです。これこそは真正の内部です。光さえ出て来られないのですから、見ることはできないのです。私達は「見る」というのは光に頼っているのです。光がなければ闇なのです。

    その真正の内部であるブラックホールから、ティトム球を原子核と見立てたことによる矛盾を解くヒントが得られるかもしれません。

    ブラックホールは宇宙では見つかっていないのですが、候補として上がっているのは沢山あります。それを人類が見るときは来るのでしょうか。それが見たときは、真正の内部ではないのですから、又、真相は遠退いてしまいます。

    それでは困ってしまします。

    ところが、「心理の事象の地平面」では、身近なところにブラックホールがることを示しました。それが私達の心です。ブラックホールとは心だったのです。

    これがヒントなのです。

    確かに心は見ることもさわることもできません。これこそ、真正の内部といっても良いでしょう。脳を解剖しても内部は見えてこないのです。しかし、心ならブラックホールのようにと遠くの銀河まで目を伸ばす必要がありません。いつも近くにあるのです。心とは空ですから、遍在し偏在するのです。好きなだけ接する?ことが出来るでしょう。

    心がブラックホールなら外部と内部を区切る事象の地平面もあるということです。その区切りは、三次元の便宜的な区切りとは違います。何故なら、三次元の便宜的な区切は、仮ですから、いつでもその内部を見ることができるからです。三次元の内部とは仮の内部なのです。

    心は直接見ることができません。ですから真の内部なのです。

    これを、どうすれば見ることが出来るのでしょうか。内観したものをどう報告することが出来るのでしょうか。

    見ることに出来ないものを見るというのは、どうすれば出来るのでしょうか。

    それにはアクロバットな展開が必要でしょう。

    そうなのです。四次元能は見えない真正の内部を見ようとしてアクロバットな展開をしているのです。無駄な努力をしているのでしょうか。

    そうならないように祈りつつ続けましょう。

    心とは、四次元のゲートである空のことです。この空が見えない内部ですから、見えたというならそれは嘘なのです。

    それが原子核の問題なのです。原子核が内部なら、内部にあるはずの電子が、どうして核外に出てきて、核内に陽子という配置になるのでしょうか。配置するということは見えたということです。

    核内=空ならば、見えないはずであり、電子と陽子のイデア共振、反共振の即非状態でなければならないのです。見えるとうことは、イデア共振、反共振の即非状態が解けるということなのです。

    これを、卵で説明すれば、生成卵(虚空)が受胎卵(実空)になって、胎児に入っている胎内(粒子)となることです。受胎卵では性別は見ることができないのです。これまでの内部とは、受胎卵を内部と呼んだり、胎内を内部と呼んだりしているのです。受胎卵は真正の内部であり、胎内は仮の内部なのです。

    空と核を胎内と受精卵に対応させると理解できそうなきがするのですが、この問題はもっと奥に深い複雑な内容を含んでいるのです。

    既に述べてきたことなのですが、見ることのできない内部を見てきたと報告し、表現してしまうと、それは外部だということです。それを真正の内部だと思ってしまうという自我の偽装にも引っかかっているのです。

    つまり、これには観察者視点と当事者視点という問題が絡んでいるのです。「事象の地平面はどういう形で現れるか」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100094306536
    以下、引用しました。

    こうして自我の拡大が事象の地平面を拡大するという構図が見えてきました。しかし、観察者の視点に立っているので、外部が広がって行くだけなのです。自我にとっての事象の地平面とは、対象の外部=境界を向こう側に押しやることなのです。

    それに対して、当事者視点から言うと、無我にとっての事象の地平面とは、対象の内部=境界を向こう側に押しやることなのです。

    この違いは、とてつもなく大きいものなのです。
    ―――
    要するに、内部を外部化しているのは、自我の力=観察者視点であり、外部を内部化するのが無我の力=当事者視点であり、自他反共振と自他共振の違いに対応するのです。

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