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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2010年06月09日 14時12分36秒

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    PS理論を正しく適用できているか(1)

    PS理論を正しく適用できているか(1)
    <プラトンとの共振>

    共振モデルと反共振モデルによって森羅万象を説明しようとしているのですが、PS理論を利用しないとこう巧くは説明が出来ないでしょう。

    ただ、四次元能が正しくPS理論を適用しているかどうかは、保証の限りではありません。実際に、シムダンス「四次元能」は、「-1の理解の問題がある」と指摘されています。http://ameblo.jp/renshi/theme-10002674224.html
    以下、引用しました。

    シムダンス「四次元能」は最近投稿が活発であるが、-1の理解の問題があると思う。

    Media Pointは、⇒である。そして、+1は物質である。量である。では、-1とは何か。これは、現象的反対ではないだろうか。+1が右ならば、-1は左ではないだろうか。
    ―――
    これによると共振モデル(+1)が物質現象であり、反共振モデル(-1)が、精神現象ということになりそうなので、四次元能の解釈はまるで反対になっているように見えます。これは困りました。

    PS理論
    MP ⇒+1 共振モデル(+1)=量的物質現象
    MP ⇒-1 反共振モデル(-1)=非量的、非物質的現象

    四次元能では、物質・非物質(精神)という区別をしないで、反共振か共振かで⇒-1と⇒+1を配当させています。

    つまり、物質状態にも、+1、-1があり、精神状態にも+1、-1があるということです。ただし、精神そのものが実軸上に現象化することはないので、正しくは、精神的状態が現象化するのです。

    例えば、芸術的直感そのものは現れないでしょうが、それが反映した作品は見ることができるわけです。

    人間に関して言えば、人間の身体は物質的存在ですが、同時に精神を持った存在です。

    ですから、精神状態にも+1、-1があると言っているので、まるで、人間の思考や精神がそれ自身、現象化されるように聞こえるかもしれませんが、そういうことはありません。

    誰も身体のない精神がこの世=三次元世界に存在するとは考えないでしょう。あるとすれば、空ないしイデア界ならあるでしょう。霊魂とはそういうものです。

    気というのは、精神的なエネルギーと解釈されますが、それ自体として、三次元に浮遊するというのは考えにくいところです。気力が充実するというように、身体上に現象化することはあり得ると思うのです。

    空は偏在し、遍在すると表現してきましたが、気を空とすると、気は偏在し、遍在するとなります。気は偏在するとは身体とともにあるということで良いのですが、気が遍在するとなるととたんに分かりにくくなります。

    空が遍在することを集合無意識で説明したことを思い出してください。もし、気が精神的エネルギー=電磁波だとすると、集合無意識は電磁波ということになり、遍在するということになります。

    実際に、無数の電波は空中を飛びまわり、ごちゃごちゃになっていますが、それを取り出すときは、ちゃんと周波数を合わせれば済みます。気も伝達されれば、ちゃんとチャンエンルを合わせれば、取り出せるのかもしれません。

    いずれにしても、それは空の世界の話であり、見えないので、実軸上ではなんとも表現できないのです。

    気が働いたとしても、身体上に何らかの形で現象化したものを観測ないし観察したときでないと分からないのです。

    このように、物質も気力を持った人間も、空から生成された現象であることには違いがないのですが、物質と人間を実軸上では区別する必要がないのです。

    むしろ区別すべきことは、現象化されたもの(物質や精神)とその精神作用(空)とその大元の精神(イデア)を区別すべきだということです。

    愛社精神・愛国精神・友愛精神と言ったときは、これはそのような精神を持った現象としての人のことを指しています。精神そのものが現象化することはないのです。

    言い換えれば、愛国精神そのものではなく、愛国精神が反映された行為や言動が見られるということであり、それには常に観測=観察→表現、即ち、記号化=実体化=物質化が随伴するのです。

    愛国精神を持った人と持っていない人とがいるとします。愛国精神を持った人は自己と国を一体化しているのですから自他=自分と国が共振している状態と言えるでしょう。

    愛国精神を持っていない人は、自己と国を一体化していないのですから、反共振状態と言えるでしょう。このように、愛国精神が単独で現象化することはないので、肉体と精神を分けて考えることはできないのです。

    そのような人間を現象化させる精神・イデアが空ないし虚にあると考えるべきなのです。

    前置きはこのくらいにして、共振モデルと反共振モデルの解説をしておきます。

    空から共振したままの状態で現象化することを⇒+1と記号化して表現します。これによって現象化したものを共振モデル(+1)と言います。

    共振モデルは、混沌のまま一体化している状態であり、中間態となる現象であり、例えば、ポジトロニウム、雌雄同体、悟りなどがあります。

    空からの反共振のまま現象化することを⇒-1と記号化して表現します。これによって現象化したものを反共振モデル(-1)と言います。分岐・対立して全体として一体化ないし中性となっている形態、例えば、水素など多くの物質、男女などがあります。

    この共振、反共振を政治的な体制や夫婦関係で考えれば、分かりやすいかもれません。

    共振モデル(+1)は、空の射影であり、玉石混合・和合・混沌、悟りの状態であり、反共振モデル(-1)は、対立・分岐・戦争・平和ということになります。

    共振モデル(+1)は、良くも悪くも、平和的陶酔や雑踏の混乱であり、それらの玉石混合の混沌状態が存在し得るでしょう。なにしろ、即非がもろに現象化した状態なので、裸の特異点のようなものです。

    夫婦で言えば、結婚当初の甘い水蜜の関係なので共振状態と言えるのです。しかし、この関係は、直ぐに、仮面夫婦となって反共振の方にシフトするでしょう。

    政治的な反共振・共振とは何なのでしょうか。単純に、反共振=戦争、共振=平和としてよいのでしょうか。

    そうはならないことを示して見ましょう。

    かつて人類は未開の時代には共振状態で幸せに生活をしていたでしょう。しかし、自我の洗礼を受けてからは、共振状態を再現したことがありません。汝の敵を愛せよとかの言葉はあるのですが、なかなか現実としては、それを具現することは難しいようです。
    しかし、汝の敵を愛するまではいかないにしても、汝の敵を許し、偽りの関係を続けることは出来るのです。それを現代は国連的平和と言っているのです。

    国連的平和は偽装平和であり、共振モデル=真の平和とすることはできないのです。

    ですから、最初に、反共振モデルに戦争と平和が入れたのは、偽装平和を平和と錯覚しているからなのです。

    これを理解すれば、反共振モデルと共振モデルとの違いの本質が理解できるのではないでしょうか。

    戦争が反共振モデルであるというのは分かりやすいでしょう。敵(他)と味方(自己)に別れ自己を肯定し、他者を否定する典型的分岐モデルです。喧嘩、競争というのはすべて反共振モデルなのです。

    一方、真の平和とは、敵(他)と味方(自己)に別れないで、自己を肯定、他者を肯定する共生的モデルです。ですから、友愛、恋愛、非競争は共振モデルであるでしょう。

    ただ、この共振状態を持続することが難しいのです。そこに利害打算が絡んでくるので、他者を否定し始めるのです。その反動、即ち、他者を肯定して、自己を否定するパターンもあります。この場合も、反共振であることに変わりはありません。

    利害打算とは自我の作用であり、反共振の結果なのです。

    雑踏の混沌を共振モデルに入れているのは、敵も味方もない原始的状態があるからです。

    人類の最初のころは、相手を肯定し穏やかな状態で生活していたと思うのですが、利害打算が働くようになって、次第に、まとまりがなくって混乱したことでしょう。しかし、やがて、力が支配して秩序が生まれ、偽装的共振、つまり、反共振へとシフトしたのです。

    良くも悪くも、草の根民主主義とは雑踏のざわめき=共振=カオスなのです。また、良くも悪くも、戦争と平和は反共振によって生まれた秩序なのです。

    近代以降では、共振モデルから反共振モデルへとシフトするのが自然のようです。それは熱気あふれる起業家精神を持った企業が、やがて官僚的精神を重視する企業への道を歩むことになることや熱々の新婚夫婦が、年を重ねることで冷めた偽装関係に移行するのを見ても容易に想像できるでしょう。

    逆に、偽装から真の関係、つまり、反共振モデルから共振モデルへシフトするケースはないのでしょうか。未開人は共振から反共振へと進みましたが、その過程で戦争を儀式化しました。それは、戦争による損失をなくすための妥協として、表面的な偽装平和を選択したということです。

    これで反共振から共振に移ったと言えるのでしょうか。真に敵を認めたわけではないので、共振とは言えないでしょう。反共振(戦争)から反共振(戦争の儀式化=偽装)に移ったにすぎないのです。

    自我に支配された人類には、共振状態を復活するのは難しいというのが実態ではないでしょうか。

    現代の人間社会においては、共振モデルの現象化である真の平和は存在しえないのです。すべては妥協的な形式的偽装関係=反共振的モデルでしか存在し得ないという悲しい状況なのです。

    仮に真の平和が存在してとしてもそれは瞬間的であり、短期間でしか存在できないのです。真の平和とは陽炎のようなものなのです。

    実際、結婚当初の甘い水蜜の夫婦関係は共振モデルとしましたが、直ぐに、それは形式的な偽装関係に変質することからも言えるでしょう。

    政治的な関係で言えば、平和とは外交的平和であり、この関係は見せ掛けの偽装平和なのです。

    従って、平和は真の共振モデルではないのです。ガンジーのような平和主義は実現できない理想主義なのです。

    外交的平和はないよりましなのですが、あくまで形式的、偽装的なのです。従って、平和とは反共振モデルなのです。

    仮面夫婦というような形が反共振モデルの典型でしょう。仮面夫婦とまで言わなくても、程度の違いがありますが、普通の夫婦でも本質的には反共振モデルなのです。

    ですから、戦争も平和も反共振モデルなのです。

    一般論として言えば、反共振モデル(-1)の方が、二元化した現象ですから純粋の物質的現象でも、人間のように精神的媒介現象でも、良く見られる形態なのです。

    ただ、電離水素、バツイチなどのように片割れを失って不安定になる反共振モデルもあり得ます。ただし、この場合でも直ぐに相方を求めて形式的な安定を求めてさまようのです。

    指摘にあるように、+1が右、-1は左と、単純に配置させると、右でもない左でもない状態をどこに配置させて良いかがわからかなくなってしまします。

    例えば、右を保守的な人として、左を革新的な人とします。メディアポイント=空では、つまり、無意識=虚空レベルでは、i*(-i)とi*-(-i)が拮抗しているでしょうが、実空レベルではi*(-i)とi*-(-i)のどちらかが優位となっているでしょう。

    当然、実空では自我が支配的ですから打算が横行しているとうことから類推してもi*-(-i)が優位となっているでしょう。

    その結果が現象化することになります。これを簡単にi*-(-i)⇒-1という式で表します。

    i=自=保守的な人の意識、-i=他=革新的な人の意識としたときに、i*-(-i)が優位ということは、保守的な人にとって革新的な人は、否定しなければならない対象となります。

    従って、-1とは、保守的な人にとって革新的な人との対立が構図として現象化したことになるのです。これを、右を革新的な人として、左を保守的な人としても同じです。

    i*(-i)が優位となっているときはどうなるでしょうか。自我が押さえ込まれている状態であり、即非がそのまま現れているということです。その結果が現象化することになります。これを簡単にi*(-i)⇒+1という式で表します。

    i*(-i)が優位ということは、保守的でもあり、革新的な人でもあるというような振動状態になるでしょう。実際このような態度を取り続けることは現実生活では難しいので、大概の人はi*-(-i)⇒-1へシフトしてしまうのです。

    要するに、+1=右=保守、-1=左=革新といった構図では、自と他の共振状態を実軸上に配置できないと思うのです。

    更に、愛国精神を持っている人、持っていない人、保守的な人と革新的な人が混在すると事態はややこしくなるでしょう。

    愛国精神を持っている人は国と一体化させている人ということで、共振状態にあるとしたのですが、もし、国を自、他国を他とすれば、国益中心主義となり、反共振になるのです。また、経済世界を自として、環境を他とすれば、これも反共振になるのです。

    革新的な人にとって、国レベルでは反共振の位置づけでも、経済世界を自として、環境を他とすれば共振的になるのです。

    つまり、自と他を何にするかで共振状態が反共振、反共振が共振にもなるのです。

    人間の精神状態を持ち出すと、わかったような気分になるのですが、厳密性に欠けるような気もします。


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