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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2010年06月19日 19時43分32秒

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    PS理論の基本2=超越すること

    PS理論の基本2=超越すること
    <PSとの共振>

    PS理論の中核である自己認識方程式、即ち、(+i)*(-i)⇒+1はオイラーの公式を活用したものです。自己認識方程式の諸要素、+i, -i, +1, -1, *, ⇒(Media Point)の説明は
    http://ameblo.jp/renshi/entry-10221750748.htmlに詳しく述べられています。以下、編集して、引用しました

    オイラー公式とは、
    e^iθ=cosθ+isinθ
    と表現されるものです。

    この式は、単位円を回転させることで導かれ、これを時間軸に沿って、引き伸ばすと「ばね」を伸ばしたような螺旋上の渦巻回転になり、この渦巻回転は、二つの波、つまり、横波と縦波で合成されるとも言いました。

    横波は実軸上のcos波であり、縦波は、虚軸上のsin波であり、この波から世界の解釈が始まるのです。

    さて、オイラー公式を

    e^iθ-isinθ⇒cosθ

    (⇒は次元の違いを表す。)と変形しておきます。

    何故、変形するのかですが、iのある部分と無い方に分離するためです。

    何故、分離するでしょうか。

    人間世界、その他、森羅万象の現象に応用するためです。

    i は虚数であり、想像上の数字ですので、iのある左辺は、まさに、そうした観念的世界、霊性の世界、超越的・精神的世界を代表させるのに都合が良いのです。

    当然、右辺=コサイン波は物質、現象世界に対応することになります。

    何故、このオイラーの公式が超越的な世界と現象的世界の関係を表現できるのでしょうか。それは、この変形した式にヒントが隠されているのです。

    オイラーの式を見れば分かりますが、変数はθだけです。これほど簡単な式のどこに、その力があるのでしょうか。

    それを探るトレックですから、どんなTVのサスペンスドラマよりワクワクするものがあります。

    θがゼロ(Media Point φ)になると、
    e^iθ-isinθ⇒cosθ
    の値は、+1になります。

    本当にそうなるか、単位円で確認しておきましょう。θをπに置き換えて見ます。下図の複素平面上の単位円の図は
    http://www12.plala.or.jp/mz80k2/electronics/complex/complex.html
    から引用しました。



    πを0度とすると、電卓をたたくまでもなく、cos(π)=1、sin(π) =0です。
    従って、e^iφ-isinφ⇒cosφ=+1となりました。

    e^iπは、π=0度では+1、180度ではー1となるわけです。これがPS理論では、どのような意味を表現しているのでしょうか。

    それを考えるには、実数軸上のゼロ点の意味を知る必要があります。

    ゼロ点には、相対的ゼロ点と絶対的ゼロ点があります。現在の居る場所が相対的ゼロ点です。

    そんなことを言われても、ゼロはゼロではないかと言わないでください。私も困っているのですから。でも、原点をスタート地点と考えれば、納得してもらえるのではないでしょうか。

    スタート地点にいるにはあなたです。あなたには、心があるはずです。その心は、揺らいでいるでしょう。未来がどうなるか心配しているからです。そのような地点にあなたは立っていると想像してください。

    その揺らいでいる心が、相対的ゼロ点と絶対的ゼロの心なのです。

    企業で言えば、絶対的ゼロとは、創業当初の状態です。相対的ゼロ点とは現在の地点で成長が止まってしまった点です。

    成長ゼロにゼロを重ねても、何時までも成長ゼロであるように、常に同じことを繰返しているのが相対的ゼロの地点なのです。

    喩えれば、金利ゼロでは、何時になっても預金総額は増えないということです。これが相対的ゼロの地点です。

    誰にでも、金利が上がるという既成の観念があります。金利がゼロでは経済が成り立たないと考えるでしょう。金利が上がるからこそ、経済が発展し、生活の未来が保証されるという暗黙の了解があるのです。

    このような常識を持っているというとは、第一象限の生活物質世界に棲んでいるということを意味しているのです。

    しかし、この既成の観念が通用しなくなったらどうなるでしょうか。つまり、預金者にとって、預金しておけば、将来は安全だという常識が否定されてしまうのです。これは過去との断絶です。これまで考えてきた将来の生活設計も捨てなければならないのですから、未来とも断絶されてしまうでしょう。

    過去・未来と断絶するということは、希望がなくなるということですから、絶望の淵に立たされることになるでしょう。

    一方、預金のない人にとっては、これまで抱いていた、預金がなければ幸せになれないという脅迫観念から解放されることになります。

    つまり、しがらみに捕らわれてきた自分を、その呪縛から開放されるということです。何もない原点に戻れたとも言えるでしょう。

    そのときに、その人に何が起こるのでしょうか。過去との断絶、既成の枠の否定、常識との決別、そして、新しい可能性の招来です。

    企業の場合でも、何をやっても、巧く行かないときは、金利ゼロと同じ状態です。成長ゼロの地点で堂々巡りしているのです。その地点とは絶対的なゼロの地点ではないのです。

    そういう時は、しがらみを断ち切って、ご破算にして、もう一度ゼロベースで考えることなのです。企業の創業当初の精神、つまり、絶対的なゼロの地点=原点へ回帰することなのです。

    絶対的なゼロの点とは、企業なら創業当初の精神、人生なら生きる原点などですが、一般的に言えば、現実の枠や習慣や、自分を呪縛しているものから解放され、乗越えるという意味で現実を超越するということです。そうした原点の精神が純粋化する地点なのです。

    そして、そこから、再び、企業や人生の原点回帰、つまり、再起、再生が始まるのです。

    日本はいずれ財政破綻に追い込まれるでしょうが、そこから、再び、日本の原点回帰、つまり、再起、再生が始まるのです。否、そのとき、日本が日本であるかどうかは保証の限りではありませんが。

    ということで、実数軸上のゼロ点とは、超越性と現実性が重なっている領域であるということです。

    もっと分かりやすく言えば、超越性を精神性と置き換えればよいでしょう。精神性とは、「やる気」や「希望」であり、現実性とは決算書や家計簿に反映された行動や言動であると言えるでしょう。

    しかし、超越性と現実性とが心の中では、明確に分離されているわけではありません。生活や企業を続けなければならないという責任や使命感があるでしょうし、そこには、現実に生活をしなければという切迫感や物的欲望が背景となっているでしょうし、やる気や希望の背景には、未来への達成志向や物的欲望や自己実現といったより高い精神などがあるでしょう。そしてそれらは渾然一体としているでしょう。

    つまり、原点には二面性があるということです。

    このように考えると、未来や過去と断絶して、しがらみと切断するという原点回帰の本当の意味が明確になるでしょう。

    それは、実数軸上のゼロ点を虚数軸のゼロ点へと転換することです。

    四次元能では、これを実空と虚空の二面性・二重性と言い、実空から虚空への反転する空のダイナミックスという言い方をしてきました。虚空から実空への反転もあります。

    つまり、虚軸と実軸が交差する点では、実数軸上のゼロ点=実空と虚数軸上のゼロ点=虚空があるということです。

    つまり、実数軸のゼロ点と虚数軸のゼロ点は重なっているのですが、繋がってはいないという、不思議な状態があるということになるでしょう。

    問題は、実数軸上のゼロ点(実空)と虚数軸上のゼロ点(虚空)との関係がどうなっているかです。

    ここには、即非関係があるということです。つまり、「ある」と同時に「ない」のです。これが不思議な事態なのです。

    「ある」ようでいて「ない」というのは、「ある」と思ったのに「ない」という事態も含まれるのでしょうか。つまり、物忘れや錯覚のような事態なのでしょうか。

    自身のある人は、「私は私である」と主張するでしょう。又、未来に向かっているときは、「これは本当の私でない」と未来志向を訴えるでしょう。自身のない人は、「こんな私は私でない、本当に私は別にある」と弁明するでしょう。しかし、どちらの人間も、同時に、「私は私であり、私はない」とは言わないでしょう。

    同時に、「あり・ない」とは言えないので、タイムシェアリングして、建前と本音を使いわけるのです。

    政治家が演説で、このマニフェストは「私達の約束であるが、約束ではない」などと言うものなら、大ブーイングを食らうでしょう。

    即非というのは、政治の世界では、曖昧、玉石混合、どっちつかずの態度であり、生活世界では、決断のできない優柔不断な人と批判されるのです。

    演劇の世界では、「いる」ようでいて、「いない」というような影のように付き添う人や黒子のことに相当するでしょう。

    生活や政治に舞台でも、黒子に徹するなどと言いますが、それは演じているだけであり、本当に、そういう態度を貫いているのかは疑わしいのです。

    常識の世界では、このような即非人間は病的な人なのです。ときに間違って、超人扱いされるときもありますが、それは資本によって消費されるということなのです。それは本当には存在してはならないのです。

    しかし、常識では受け入れられないこの即非という不可思議な状態を最も基本とするのがPS理論であり、ゼロ点なのです。

    何故、このような「点」の話をしたのかと言いますと、オイラーの公式の=がPS理論では⇒に変わっているからです。

    もう一度、式を良く見てください。
    e^iθ=cosθ+isinθ
    が、

    e^iφ-isinφ⇒cosφ=+1
    に変わっているのです。

    普通なら、
    e^iφ-isinφ=cosφ
    となるべきなのです。

    では、この式の⇒は、何を意味しているのでしょうか。これがPS理論の核心中の核心なのです。

    単に、同じことを繰返すなら=で良い訳です。実際、数式のすべては=によって、展開されているのです。=によって、置換し、代入し、変形し、結論を導くのです。ですから、同じ土俵の上では、必ず「問」と「答」が一致するのです。同じ土俵の上とは、次元が同じだと言う意味です。

    e^iφ-isinφ⇒cosφ(=+1)の左辺を精神性、右辺を物質性にすると言いましたが、それは、式を見ても分かるように、〓があるかないかの違いだけです。〓とは現象していないことを意味しているのです。

    この現象していないものを記号iとして、式に持ち込んで、しかも、超越数eと三角関数を媒介して、纏めてしまっているというのがオイラーに式のすごいところなのです。

    四次元能は数学や哲学の専門ではないので、できるだけ式や難しい用語は避けたいのですが、脳の中を探るには、ある程度仕方がありません。

    そこで、超越数と超越性という言葉が出てきましたので、ある程度説明しておかなければならないでしょう。説明が不十分だと思われる人は、海舌氏のhttp://ps-theory.kaisetsu.org/を参照してください。

    超越数というのは数学の概念であり、超越性とは、霊的なことを意味しており、更には、哲学で使われる概念です。それが、何故、ここで出てくるのかということです。
    それは、不思議な事態=即非を明確にするためです。

    数学が嫌いでも、神を信じる人も信じない人も、超越的なことを知っておくことは、即非状態でも生き生きと生きさせる魔法ような概念だということを覚えてください。

    生活の場で、何故、お前はのろいのかとか、はっきりしないのかとかと批判されたり、死にたくなるような境地に追い込まれたとき、或いは、決断しなければならなくなったとき、恋人との別れに悩み苦しんだときに、この超越という言葉が、しがらみから抜けださせる、つまり、即非状態でも生き生きと生きさせる魔法のような概念なのです。

    その答えは、もっと後になるとして、先ずは、超越数からはじめましょう。

    自然対数の底 e は超越数であるといわれています。 お馴染みの円周率π も、超越数です。

    e、 πは、数学の独占のような記号ですが、実は、宇宙を初めとするこの森羅万象を生成している神の手に何らかの形で関わっていると思うのです。

    宇宙のどこを探しても、直ぐに見つかるのが螺旋と渦です。もっといえば、球の形と放物線様のような曲線です。地球や水滴は何故、丸いのでしょうか。

    これに答えるのは物理が専売でしょうが、個々の現象にはそれなりの説明はしてくれるのですが、何故、あまねく丸いのかについては答えてくれないのです。

    四次元能は、それに関わっているのが、超越数であり、それが神の手=霊性であると考えています。ですから、霊性=超越性と関係してくるということになるわけです。でも、それは本当に本当なのでしょうか。

    もう少し、超越数について見ておきましょう。「奇妙なネイピア数」を参照してください。
    http://blog.goo.ne.jp/myfantasista21/e/f8925aaf04dd3dcab1cd29cabc84afda
    以下、編集して引用しました。

    超越数とは、簡単に言えば、無限に続く数で、自然対数のネイピア数eや円周率πを言います。

    ネイピア数eを知らない人でも、円周率π(パイ)は知っているでしょう。どちらも超越数、限りなく数字が続くので、文字で代わりに置いているのです。

    e=2.71828 18284 59045 23536 02874 71352 …

    π=3.14159 26535 89793 23846 26433 83279 …
    このネイピア数eが、実は、最も身近な生活に関係しているのです。それが金利です。銀行にお金を預けていると、少しは複利で貯金が増えます。実質金利ゼロでは、すずめの涙ほどですが。

    それでも、少しずつ少しずつ、貯金額は増えていくのです。これが魔法みたいなのですが、これを長期的に見る、つまり、数学的にいえば「無限大に引き伸ばす」と、最初に預けていた額の約2.7(=e)倍にまで増えるのです。

    闇金業者は、この真理を知っているのかのようです。
    ―――
    ネイピア数eが金利と関係しているというだけで親近感が湧いてきたでしょうか。預金していない人には話が通じませんでしょう。それではということで、
    もっと身近な例を出しましょう。「寒い夜はあったかいお風呂が一番」を参照してください。
    http://www.toyokeizai.net/life/column/detail/AC/a280b047fa44d0b84e04c768703d0301/
    以下、図を引用しました。



    ―――
    どうでしょうか。自然界には、こうした曲線が多いのです。ネイピア数eは曲線を作るのです。富士山の稜線は「指数曲線」の形をしています。北斎の「凱風快晴」の富士も見事に指数曲線に一致しています。

    右肩上がりの指数的爆発(ランナウェー)という現象もネイピア数eの曲線なのです。温暖化で気候変動していますが、これもランナウェーという現象の兆候を見せているのです。

    只今は、富士山の裾野あたりにいるのでしょうが、それが、しばらくすると、急激に立ち上がるのです。そうなるともはや手遅れです。これがランナウェーの怖さなのです。

    一方、釣瓶落としとか、指数的爆発の反対の指数的破壊という現象もあります。これは指数曲線のカーブが逆なっているだけなのです。また、図ではなだらかですが、カーブの角度は式の形を変えるだけで様々に変化します。

    こうした自然の形の不思議を思うと自然界には神が宿っていると思うたくなるでしょう。それでも、それを信じられないならば、「超越数 eとπ」を参照してください。http://shoichi-oosaki.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/e-afa2.html
    以下、編集して引用しました。

    もう一つの超越数である、円周率πは、π = 3.14159 26535 89793 23846 26433 83279 50288 …
    ですが、円の内角は 360°です。そしてπ の小数点以下 358〜360 桁は「360」なんです。

    これは偶然でしょうか。まあ、偶然としましょう。

    でも、河川の長さと水源 〜 河口間の直線距離との比は、平均すると円周率の値に近いそうです。このような不可思議なことが多いのです。
    ―――
    美しいと感じられる形には、必ず黄金比がありますが、その黄金比には円周比がからんでいるのです。その説明は省略しますが、詳しくは、http://homepage3.nifty.com/y_sugi/sp/sp53.htmを参照してください。

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