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  • from: 生成門さん

    2010年06月19日 21時12分47秒

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    PS理論の基本4=指し示しとは

    PS理論の基本4=指し示しとは
    <PSとの共振>

    古典科学とは指し示しを無視していると言いました。

    指し示しとは、心⇒物質、精神⇒現象、魂⇒身体、気⇒身体などのように物質ではないものと物質を繋ぐ行為なのです。

    そのよい例が食塩水から塩を作る場合です。食塩水から塩を作るのは心のない科学で説明が十分にできるのですが、ところが、ここでも指し示し(心)があるというのですから驚きです。

    海舌氏の「質と量の反転」http://blog.kaisetsu.org/?eid=810771を編集して引用しました。
    これが、又、難解なのですが、やっていきましょう。塩水の話が指し示しの例になる驚きの例です。

    塩の作り方は、だれでも知っている通り,きれいな海で海水を汲み、強火で熱するだけです。これだけなら古典科学です。指し示しを無視しているのです。

    海水の温度が上がると、水が蒸発して、海水中の塩分が凝結し、結晶化していきます。つまり、水に塩が溶けた流動状態から硬い状態に質的に変化するのです。

    これを、
    流動状態→硬い状態
    と表現しておきます。

    塩の水溶液とは、「水」の中に「塩」があるという意味です。「水」が主であり、「塩」は、味付けのようなものです。

    水という場に、塩(NaCl)が点在している感じです。つまり、水が背景となって「塩」を指し示しているのです。

    この段階で、何が変わったか感じてください。表現に心が入ってきたことを理解してください。

    水が塩を包む、含みむと言った方が感覚的には分かりやすいでしょうが、それがどうして指し示しとなるのかです。

    流動状態→硬い状態
    水⇒塩

    このような言い方をしても、どうしてこれが指し示し=心と言えるのか、理解できないでしょう。先に述べた弓矢の指差しの例とは違うからです。

    弓矢の場に戻って考えることにします。弓があります。そこから放れた矢が的に達します。表面的にはこれだけです。

    弓・矢・的です。矢を⇒とすれば、弓⇒的です。弓・矢・的を一つの場と考えて見ましょう。弓を引く前は、弓の場が先行してあり、的が後にあります。でも、大事なことは、こうして講釈しているのは私がいるということです。

    私は弓⇒的と解釈しているのです。弓というのを心と解釈しているのです。流動的と解釈してもよいでしょう。つまり、まだ状態が確定していないのです。これから矢が放されると状態が変化します。

    不確定から確定へと状態が進んでいくのです。そして、矢が的に接した瞬間に確定するのです。状態が固定するのです。

    矢の状態とは、不確定と確定状態が混在した中間状態にあります。

    ですから、弓と矢と的の関係を、
    不確定状態⇒確定状態
    と表現することができます。

    そして、それを観察している私という存在がいます。すべて、私という観察者が、事態を解釈しているのです。

    ですから、
    私を含む場があって、弓と矢と的があって、
    場<私:不確定状態⇒確定状態>
    が成り立っているのです。この私を弓を射る人に置き換えれば、
    場<弓を射る人:不確定状態⇒確定状態>
    場<弓を射る人:弓⇒的>
    となるでしょう。

    この場合、「場」の中心は、弓を射る人であり、弓を引くときは弓と一体となっているのですから、弓が主役=背景となって、その場に的を照らしているといってよいでしょう。

    これは演劇に喩えた方がよく分かるかもしれません。舞台が場であり、役者ないし演劇全体が的です。視線を送る観客は、舞台から見ると背景となっているのです。

    背景を従であり、役者が主であると考えがちですが、そうは考えないでください。
    視線を送る側が主なのです。舞台という場を支配している方が主なのです。視線がなければ場は成り立たないのですから、背景が主であり、役者ないし演劇が従なのです。

    不確定な状態の方が主=背景であり、確定される方が従なのです。ですから、観客にとっては、演劇を見るまでは不確定なのですから視線を送るのです。つまり、視線を送るということが、指し示す行為なのです。演劇を、役者を見ることによって、感動が得られたなら状態が確定したということです。

    演劇が開始する舞台の場<観客:不確定状態⇒確定状態>
    舞台の場<観客:観客自身⇒役者ないし演劇全体>

    この論理を塩の場合に適用して見ましょう。
    流動状態→硬い状態
    水⇒塩
    は、
    海水の場<観察者:不確定状態⇒確定状態>
    となるでしょう。
    当然、
    海水の場<観察者:水⇒塩>
    となるでしょう。

    最初の場では、海水の場ですから、水が支配しています。それは、その海水を観察者が水溶液と解釈しているのですから、そうだと言えるのです。

    これが、水が背景となって塩を指し示しているということの意味なのです。

    水が塩を指し示すというような言い方は、擬人的な表現と思うでしょうが、これは詩ではないのです。観察者という存在を組み入れることで、不確定と確定の状態の変化を指し示しと捉えることができるのです。

    これは、弓矢、演劇、駅員の指差し、贈与など、すべての森羅万象に言えることなのです。

    さて、海舌氏の説明が続きます。
    しかし、水に中に塩が溶ける割合は、温度によらず、3割を越えることはないと言います。つまり、3割を超えない範囲で、塩が溶けるということであり、それが、臨界点であり、Media Point であるということです。

    この値がネイピア数e=2.7とほぼ同じだということが不思議です。この不思議さを感じてください。

    海水の状態では、この範囲を越えることが無いのですが、確定した状態=結晶化になるとどうなるのでしょうか。

    弓矢にしても、演劇にしても、確定した後の話はしませんでした。演劇で言えることは、ブラボーの感動の嵐です。そこで、何が起きるのかです。弓が的を射たときに何が起きるのかです。

    結論を先に言えば主客の反転です。観客が舞台から見られるのです。舞台の役者は反応を知りたいのです。それで視線を観客に向けるのです。

    舞台の場はここで反転するのです。演劇が開始する舞台の場から、演劇が終了した舞台の場へと反転するのです。

    何が反転するのでしょうか。

    不確定の主体が変わるのです。観察者が変わるのです。観察者が舞台の役者に変わり、彼らの心の不確定が、動機となって指し示す行為となるのです。

    これを表現すれば、
    演劇が終了した舞台の場<役者:不確定状態⇒確定状態>
    舞台の場<役者:観客自身⇒役者ないし演劇全体>
    となるでしょう。

    ところで、「おーい、お茶」のケースでは、

    心:お茶を飲みたい(不確定)
    ⇒:「おい!お茶」
    現象:意思を理解した奥さん(確定)

    心:お茶を入れる(不確定)
    ⇒:奥さんがお茶を注ぎ、手元に運ぶ
    現象:手元に運ばれてきたお茶(確定)

    としましたから、すでに、反転した例を示していました。つまり、日常とは反転の繰り返しだということです。

    海水の場では、確定した状態からの反転はどうなるのでしょうか。

    水分が蒸発して、塩が結晶化するによって、質的変化をして凝結、固形化するでしょう。その状態を観察者は水溶液とは看做さないでしょう。

    質的変化したとは、塩の状態が流動的から固形化したということですから、位置が確定したということです。

    このような状態になると観察者は塩の結晶という名前で呼ぶでしょう。この状態こそが、塩(NaCl)が主体=背景となって、僅かとなった水分(H2O)を指し示す形になるでしょう。

    つまり、結晶とは、背景と指し示しの「反転」なのです。主客転倒の事件なのです。事件というには大げさかもしれませんが、名前が変わるということ事態が反転なのです。

    私達は名前で対象を呼びますが、それは、その度に指し示しているのです。ブーメランというのは、指し示しが自分に帰ってきたことを意味するのです。

    一般的な指し示しは命名です。命名とは、新たな事態=現象に対して、名前をつけることです。今度の菅内閣は奇兵隊内閣と名付けて欲しいようですが、果たしそうなるかどうかは分かりません。まだ確定していないからです。

    名付けるのは観察者=場の支配する方であって、支配される方ではないのです。ただ、主客は転倒するのですから、奇兵隊内閣から始まっても、それで終わりとことにとはなりません。

    出世魚という魚がいます。日本において、稚魚から成魚までの魚の成長に応じて異なる名前で呼ばれる魚のことで、ボラでは、ハク→オボッコ(イナッコ)→スバシリ→イナ→ボラ→トドと変化していきます。

    これも、不確定から確定した状態とみなすことができ、その成長の都度、観測者とボラとの間には反転があるのです。

    観測者:幼魚⇒ハク(生まれて間もない稚魚に名前をつける)
    反転した観測者:ハク⇒観測者(ハクに生態が変化していく)
    観測者:ハクとは呼べない魚⇒オボッコ
    以下、省略します。

    再び、海舌氏の塩に戻ります。

    塩の溶液では、指し示しの主体は背景としての量的に多い水であり、指し示し対象は量的に少ない塩です。ですから、これに観察者は水溶液と命名したのでした。

    一方、塩の結晶化が進むと、もはや水溶液とは言えなくなります。量的にも塩の結晶が多くなってくるからです。そこで、塩を主体として観察すると、そこに、指し示されるのは、量的に少なくなった水があるということになります。

    つまり、水溶液の塩水が、徐々に、水気の少ない結晶になっていくのですが、その中間状態というものがないのです。それが出世魚のように明確であれば、その段階毎に命名されるのですが、命名できないということは、それが観測できないということです。

    塩の結晶化が進んでいることは間違いないのですが、塩では不確定なのです。状態は曖昧模糊、混沌としているのです。

    それを弓矢で言うなら、矢が走っている最中なのです。演劇でいうなら、演劇が行われている最中なのです。この段階では、確定した状態、つまり、的の命中するのか、外れるのか、感動が得られるのか、ブーイングにされるのかは誰にも分からないのです。

    このどっちとも付かない、歯痒い時間帯、或いは状態をMedia Point=空というのです。

    ですから、Media Pointが開くときは、劇的なのです。それは演劇が終わった瞬間であり、矢が突き刺さった瞬間なのです。

    結晶化に於けるMedia Pointでも、同じような劇的な瞬間となるのです。

    結晶化が進んで、現象化すると観察者は、それを感知します。結晶化の程度は、何パーセントなどとは言わないのです。そこに現れた塩は水溶液でもなく、水気の多い塩などでもなく、明らかに結晶化した塩なのです。

    これが、塩が主役となった反転劇であり、背景と指し示しの対象が反転すると言ことの意味であり、急激な質的変化であり、不連続的変化なのです。

    観測者の立場でいうと不確定が確定した瞬間なのです。

    水溶液⇒結晶化した塩

    以上、指し示しの理解でした。

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from: 生成門さん

2010年06月22日 14時14分48秒

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「Re:Re:PS理論の基本4=指し示しとは」
Renshiさん

コメント、ありがとうございます。

>  私の単純な発想では、
> +iを水、-iを塩にして、
> (+i)*(-i)⇒塩水
> というように考えたくなります。

結論としてはそこに行くのかもしれませんが、私はまだ五合目にも達していないようです。

指し示しの作用がどうして、 (+i)*(-i)⇒塩水
なるのかを考えたいと思います。

> そうすると、水からの指し示しと
> 塩からの指し示しの両方向が
> 可能ではないかと思います。


私の方は交互の指し示しに限定していました。

同時の指し示しがあることは事実ですが、それが(+i)*(-i)ということなのでしょうか。

もしそうなら、どのような過程で、どのような説明で(+i)*(-i)⇒塩水になるのかを考えて見たいと思います。

私は同時の指し示しは、二つの(+i)*(-i)⇒を考えなければならないと考えていました。一般的には主体の数だけあるという考えです。


> おそらく、この問題は、科学的に
> 意味合いが違うのではないかと感じられます。

(+i)*(-i)⇒塩水と示したとしても、
(+i)*(-i)⇒塩に変わる瞬間を説明できないといけないのではないでしょうか。

+iを水、-iを塩にしていますから、

(+i)*-(-i)⇒水
-(+i)*(-i)⇒塩

となりますが、その場合、何時誰が-を付けるのかという疑問が出てきます。


> 直感的には、水が指し示しの主体と見る方が的確なようです。
> つまり、水の方が賦活されたエネルギーがあるということではないかと思います。

指し示しの主体をエネルギーがある方と見るのは面白いですね。
視線を送る方がエネルギーがあるのは確かです。

FIFAのオランダ・日本戦はどっちが指し示していたのでしょうか。結果論ではオランダということになるでしょうが。

>  とまれ、これからの展開を楽しみにしています。

やはり、指し示すというのは人の行為ですから、人を入れないと指し示す基準が定まらない感じがするような気がします。


もう少し考えてみます。

生成門

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from: Renshiさん

2010年06月22日 09時04分19秒

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「Re:PS理論の基本4=指し示しとは」
生成門様

本稿を興味深く読みました。
Kaisetsu氏の指し示し論を巧妙に
説明していると思います。
塩水を作る場合の、背景の水が
指し示しの主体になり、
対象が塩であるというのは、
面白い考え方です。
 私の単純な発想では、
+iを水、-iを塩にして、
(+i)*(-i)⇒塩水
というように考えたくなります。
そうすると、水からの指し示しと
塩からの指し示しの両方向が
可能ではないかと思います。
おそらく、この問題は、科学的に
意味合いが違うのではないかと感じられます。
直感的には、水が指し示しの主体と見る方が的確なようです。
つまり、水の方が賦活されたエネルギーがあるということではないかと思います。
 とまれ、これからの展開を楽しみにしています。

> PS理論の基本4=指し示しとは
> <PSとの共振>
>
> 古典科学とは指し示しを無視していると言いました。
>
> 指し示しとは、心⇒物質、精神⇒現象、魂⇒身体、気⇒身体などのように物質ではないものと物質を繋ぐ行為なのです。
>
> そのよい例が食塩水から塩を作る場合です。食塩水から塩を作るのは心のない科学で説明が十分にできるのですが、ところが、ここでも指し示し(心)があるというのですから驚きです。
>
> 海舌氏の「質と量の反転」http://blog.kaisetsu.org/?eid=810771を編集して引用しました。
> これが、又、難解なのですが、やっていきましょう。塩水の話が指し示しの例になる驚きの例です。
>
> 塩の作り方は、だれでも知っている通り,きれいな海で海水を汲み、強火で熱するだけです。これだけなら古典科学です。指し示しを無視しているのです。
>
> 海水の温度が上がると、水が蒸発して、海水中の塩分が凝結し、結晶化していきます。つまり、水に塩が溶けた流動状態から硬い状態に質的に変化するのです。
>
> これを、
> 流動状態→硬い状態
> と表現しておきます。
>
> 塩の水溶液とは、「水」の中に「塩」があるという意味です。「水」が主であり、「塩」は、味付けのようなものです。
>
> 水という場に、塩(NaCl)が点在している感じです。つまり、水が背景となって「塩」を指し示しているのです。
>
> この段階で、何が変わったか感じてください。表現に心が入ってきたことを理解してください。
>
> 水が塩を包む、含みむと言った方が感覚的には分かりやすいでしょうが、それがどうして指し示しとなるのかです。
>
> 流動状態→硬い状態
> 水⇒塩
>
> このような言い方をしても、どうしてこれが指し示し=心と言えるのか、理解できないでしょう。先に述べた弓矢の指差しの例とは違うからです。
>
> 弓矢の場に戻って考えることにします。弓があります。そこから放れた矢が的に達します。表面的にはこれだけです。
>
> 弓・矢・的です。矢を⇒とすれば、弓⇒的です。弓・矢・的を一つの場と考えて見ましょう。弓を引く前は、弓の場が先行してあり、的が後にあります。でも、大事なことは、こうして講釈しているのは私がいるということです。
>
> 私は弓⇒的と解釈しているのです。弓というのを心と解釈しているのです。流動的と解釈してもよいでしょう。つまり、まだ状態が確定していないのです。これから矢が放されると状態が変化します。
>
> 不確定から確定へと状態が進んでいくのです。そして、矢が的に接した瞬間に確定するのです。状態が固定するのです。
>
> 矢の状態とは、不確定と確定状態が混在した中間状態にあります。
>
> ですから、弓と矢と的の関係を、
> 不確定状態⇒確定状態
> と表現することができます。
>
> そして、それを観察している私という存在がいます。すべて、私という観察者が、事態を解釈しているのです。
>
> ですから、
> 私を含む場があって、弓と矢と的があって、
> 場<私:不確定状態⇒確定状態>
> が成り立っているのです。この私を弓を射る人に置き換えれば、
> 場<弓を射る人:不確定状態⇒確定状態>
> 場<弓を射る人:弓⇒的>
> となるでしょう。
>
> この場合、「場」の中心は、弓を射る人であり、弓を引くときは弓と一体となっているのですから、弓が主役=背景となって、その場に的を照らしているといってよいでしょう。
>
> これは演劇に喩えた方がよく分かるかもしれません。舞台が場であり、役者ないし演劇全体が的です。視線を送る観客は、舞台から見ると背景となっているのです。
>
> 背景を従であり、役者が主であると考えがちですが、そうは考えないでください。
> 視線を送る側が主なのです。舞台という場を支配している方が主なのです。視線がなければ場は成り立たないのですから、背景が主であり、役者ないし演劇が従なのです。
>
> 不確定な状態の方が主=背景であり、確定される方が従なのです。ですから、観客にとっては、演劇を見るまでは不確定なのですから視線を送るのです。つまり、視線を送るということが、指し示す行為なのです。演劇を、役者を見ることによって、感動が得られたなら状態が確定したということです。
>
> 演劇が開始する舞台の場<観客:不確定状態⇒確定状態>
> 舞台の場<観客:観客自身⇒役者ないし演劇全体>
>
> この論理を塩の場合に適用して見ましょう。
> 流動状態→硬い状態
> 水⇒塩
> は、
> 海水の場<観察者:不確定状態⇒確定状態>
> となるでしょう。
> 当然、
> 海水の場<観察者:水⇒塩>
> となるでしょう。
>
> 最初の場では、海水の場ですから、水が支配しています。それは、その海水を観察者が水溶液と解釈しているのですから、そうだと言えるのです。
>
> これが、水が背景となって塩を指し示しているということの意味なのです。
>
> 水が塩を指し示すというような言い方は、擬人的な表現と思うでしょうが、これは詩ではないのです。観察者という存在を組み入れることで、不確定と確定の状態の変化を指し示しと捉えることができるのです。
>
> これは、弓矢、演劇、駅員の指差し、贈与など、すべての森羅万象に言えることなのです。
>
> さて、海舌氏の説明が続きます。
> しかし、水に中に塩が溶ける割合は、温度によらず、3割を越えることはないと言います。つまり、3割を超えない範囲で、塩が溶けるということであり、それが、臨界点であり、Media Point であるということです。
>
> この値がネイピア数e=2.7とほぼ同じだということが不思議です。この不思議さを感じてください。
>
> 海水の状態では、この範囲を越えることが無いのですが、確定した状態=結晶化になるとどうなるのでしょうか。
>
> 弓矢にしても、演劇にしても、確定した後の話はしませんでした。演劇で言えることは、ブラボーの感動の嵐です。そこで、何が起きるのかです。弓が的を射たときに何が起きるのかです。
>
> 結論を先に言えば主客の反転です。観客が舞台から見られるのです。舞台の役者は反応を知りたいのです。それで視線を観客に向けるのです。
>
> 舞台の場はここで反転するのです。演劇が開始する舞台の場から、演劇が終了した舞台の場へと反転するのです。
>
> 何が反転するのでしょうか。
>
> 不確定の主体が変わるのです。観察者が変わるのです。観察者が舞台の役者に変わり、彼らの心の不確定が、動機となって指し示す行為となるのです。
>
> これを表現すれば、
> 演劇が終了した舞台の場<役者:不確定状態⇒確定状態>
> 舞台の場<役者:観客自身⇒役者ないし演劇全体>
> となるでしょう。
>
> ところで、「おーい、お茶」のケースでは、
>
> 心:お茶を飲みたい(不確定)
> ⇒:「おい!お茶」
> 現象:意思を理解した奥さん(確定)
>
> 心:お茶を入れる(不確定)
> ⇒:奥さんがお茶を注ぎ、手元に運ぶ
> 現象:手元に運ばれてきたお茶(確定)
>
> としましたから、すでに、反転した例を示していました。つまり、日常とは反転の繰り返しだということです。
>
> 海水の場では、確定した状態からの反転はどうなるのでしょうか。
>
> 水分が蒸発して、塩が結晶化するによって、質的変化をして凝結、固形化するでしょう。その状態を観察者は水溶液とは看做さないでしょう。
>
> 質的変化したとは、塩の状態が流動的から固形化したということですから、位置が確定したということです。
>
> このような状態になると観察者は塩の結晶という名前で呼ぶでしょう。この状態こそが、塩(NaCl)が主体=背景となって、僅かとなった水分(H2O)を指し示す形になるでしょう。
>
> つまり、結晶とは、背景と指し示しの「反転」なのです。主客転倒の事件なのです。事件というには大げさかもしれませんが、名前が変わるということ事態が反転なのです。
>
> 私達は名前で対象を呼びますが、それは、その度に指し示しているのです。ブーメランというのは、指し示しが自分に帰ってきたことを意味するのです。
>
> 一般的な指し示しは命名です。命名とは、新たな事態=現象に対して、名前をつけることです。今度の菅内閣は奇兵隊内閣と名付けて欲しいようですが、果たしそうなるかどうかは分かりません。まだ確定していないからです。
>
> 名付けるのは観察者=場の支配する方であって、支配される方ではないのです。ただ、主客は転倒するのですから、奇兵隊内閣から始まっても、それで終わりとことにとはなりません。
>
> 出世魚という魚がいます。日本において、稚魚から成魚までの魚の成長に応じて異なる名前で呼ばれる魚のことで、ボラでは、ハク→オボッコ(イナッコ)→スバシリ→イナ→ボラ→トドと変化していきます。
>
> これも、不確定から確定した状態とみなすことができ、その成長の都度、観測者とボラとの間には反転があるのです。
>
> 観測者:幼魚⇒ハク(生まれて間もない稚魚に名前をつける)
> 反転した観測者:ハク⇒観測者(ハクに生態が変化していく)
> 観測者:ハクとは呼べない魚⇒オボッコ
> 以下、省略します。
>
> 再び、海舌氏の塩に戻ります。
>
> 塩の溶液では、指し示しの主体は背景としての量的に多い水であり、指し示し対象は量的に少ない塩です。ですから、これに観察者は水溶液と命名したのでした。
>
> 一方、塩の結晶化が進むと、もはや水溶液とは言えなくなります。量的にも塩の結晶が多くなってくるからです。そこで、塩を主体として観察すると、そこに、指し示されるのは、量的に少なくなった水があるということになります。
>
> つまり、水溶液の塩水が、徐々に、水気の少ない結晶になっていくのですが、その中間状態というものがないのです。それが出世魚のように明確であれば、その段階毎に命名されるのですが、命名できないということは、それが観測できないということです。
>
> 塩の結晶化が進んでいることは間違いないのですが、塩では不確定なのです。状態は曖昧模糊、混沌としているのです。
>
> それを弓矢で言うなら、矢が走っている最中なのです。演劇でいうなら、演劇が行われている最中なのです。この段階では、確定した状態、つまり、的の命中するのか、外れるのか、感動が得られるのか、ブーイングにされるのかは誰にも分からないのです。
>
> このどっちとも付かない、歯痒い時間帯、或いは状態をMedia Point=空というのです。
>
> ですから、Media Pointが開くときは、劇的なのです。それは演劇が終わった瞬間であり、矢が突き刺さった瞬間なのです。
>
> 結晶化に於けるMedia Pointでも、同じような劇的な瞬間となるのです。
>
> 結晶化が進んで、現象化すると観察者は、それを感知します。結晶化の程度は、何パーセントなどとは言わないのです。そこに現れた塩は水溶液でもなく、水気の多い塩などでもなく、明らかに結晶化した塩なのです。
>
> これが、塩が主役となった反転劇であり、背景と指し示しの対象が反転すると言ことの意味であり、急激な質的変化であり、不連続的変化なのです。
>
> 観測者の立場でいうと不確定が確定した瞬間なのです。
>
> 水溶液⇒結晶化した塩
>
> 以上、指し示しの理解でした。
>

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from: kaisetsuさん

2010年06月19日 22時43分47秒

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「Re:PS理論の基本4=指し示しとは」
 とても楽しく読みました。こんなに楽しく、分り易く説明して頂いて、とても嬉しいです。

 以前から感じていたことですが、生成門氏はPS理論の発展に、新しい境地を開拓されていると確信しました。

 また、これも以前から感じていましたが、生成門氏は、「事物の生成の根源」を既に「見ている」、つまり、シムダンス「四次元能」で、既に「見えている」ものを、PS理論を道具として使って、説明されている、と感じています。これは、海舌の気持も同じで、数年前、Renshi氏との遭遇で「直感した世界」を、それからは、いろいろなテーマを用いて、説明しているだけなのです。多分、Renshi氏も同じ御気持ちだろうと思っています。

 また、

e^iθ-isinθ⇒cosθ

の変型は、面白いと思います。
今後、「生成門氏の変型(SIM変型)」という名称で使わせて頂きたいと思います。

今後とも宜しく御願いします。

海舌(明日野)

補足:臨界点がネイピア数に近値していること、書いている時に海舌も感じました。不思議です。

.....................................


> PS理論の基本4=指し示しとは
> <PSとの共振>
>
> 古典科学とは指し示しを無視していると言いました。
>
> 指し示しとは、心⇒物質、精神⇒現象、魂⇒身体、気⇒身体などのように物質ではないものと物質を繋ぐ行為なのです。
>
> そのよい例が食塩水から塩を作る場合です。食塩水から塩を作るのは心のない科学で説明が十分にできるのですが、ところが、ここでも指し示し(心)があるというのですから驚きです。
>
> 海舌氏の「質と量の反転」http://blog.kaisetsu.org/?eid=810771を編集して引用しました。
> これが、又、難解なのですが、やっていきましょう。塩水の話が指し示しの例になる驚きの例です。
>
> 塩の作り方は、だれでも知っている通り,きれいな海で海水を汲み、強火で熱するだけです。これだけなら古典科学です。指し示しを無視しているのです。
>
> 海水の温度が上がると、水が蒸発して、海水中の塩分が凝結し、結晶化していきます。つまり、水に塩が溶けた流動状態から硬い状態に質的に変化するのです。
>
> これを、
> 流動状態→硬い状態
> と表現しておきます。

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