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  • from: 生成門さん

    2010年06月22日 17時37分55秒

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    PS理論の基本5:認識のカラクリ

    PS理論の基本5:認識のカラクリ
    <PSとの共振>

    まだまだ、PS理論の学習は基本段階なので、応用問題は解けないのですが、そんなことにはお構いなしに、どんどん応用問題が出てきてしまいます。

    その一つが、Renshi氏から、指し示しには同時の指し示しがあるという指摘です。それはその通りです。これに答えるには、まだ、準備が足りません。

    テンポよく進めましょう。

    オイラー公式を変形して、e^iθ-isinθ⇒cosθとしました。

    ここで、θがゼロ(Media Point φ)になると、e^iθ-isinθ⇒cosθの値は、+1になります。これを示したのが次の図です。
    「数の認識とeiπ=-1の意味」から引用しました。
    http://www.togami.net/deep/potential/chapter33.html



    これを単位円にしたのが下の図です。これは
    http://www12.plala.or.jp/mz80k2/electronics/complex/complex.html
    から引用しました。




    θがゼロのとき、e^iφの矢印が、ゼロ点から伸びてその先端が円の淵に触れてゼロ→円の淵となっていることが+1の説明となります。

    もう一つの説明としては、Φをπとすると、eiπは、+1から単位円上を反時計回りに回転させたときに、距離πだけ進んだときの値ですので、それが、360度して戻ってくると+1になるという言い方もできます。

    どちらにしても、π=0のとき、ゼロ点からでた矢印の先端が+1を指し示しているのです。

    しかし、図を見れば分かるように、いつも+1であるとは限りません。何故なら、Media Pointは動いているのです。θがπ(パイ)の場合はどうなるでしょうか。Πとは角度のことで、180度を意味します。ゼロ点からでた矢印の先端がー1を指し示しているのが分かるでしょう。

    +1を示したり、-1を示したりするこの矢印⇒は一体何を意味しているのでしょうか。

    これをPS理論の文脈で言うと、変数シータがMedia Pointの「φ(ゼロの値)」を取る時に、精神世界のMedia Point=ゼロ点からでた矢印は、現象界ではゼロではなくて、+1となって、自己を指し示すと解釈するのです。-1は、自己の指し示しの対極にあることになります。

    ちょっと分かりにくいので、⇒+1とは方位磁針と考えて見ましょう。方位磁針は常に北を指すようにできているのですが、⇒+1を常に自己を指すようにできている自己方位磁針としましょう。

    でも、方位磁針は進む方向を示しているのでなく、現在の位置が進むべき方向に対して、どれだけ「ずれ」ているかを示すものです。ですから、方位磁針の示す北は、間接的に自分の進むべき方向を示しているとは言えるでしょう。

    一方、自分の進むべき方向を示すダイレクトに示す磁針を逆針というようです。従って、自己方位磁針とは逆針なのです。その意味で⇒+1は逆針と言えるでしょう。ただ、逆針という言葉からすると、逆方向を指すようなイメージと捉えてしまいますが、そうではないようです。

    でも、自己を指し示すというのは、不思議だと思いませんか。進む方向を示すのなら話は分かりますが、自己自身を示すなんて。そんな必要があるのでしょうか。一体、自己を示すのは誰なのでしょうか。

    もう一度図を見てください。矢印のへ根元は、ゼロから出ています。ゼロが自分なのでしょうか。自分が自己を示すのでしょうか。自分と自己は違うのでしょうか。

    自分を指し示すのなら、Uターンして戻って来なければならないでしょう。そうではないようですので、自分(0)と自己(+1)とは違うということでしょう。

    自分と自己の違いは0と+1の違いですから図的には明らかなのですが、これが何を意味するのかと言うことになるとさっぱりです。自分と自己の定義についても曖昧のままです。何かを引用して説明しても、深みにはまりそうですので止めておきます。

    そこで、オイラーの式、心⇒現象というところに戻りましょう。これを、自分の心⇒現象としての自己とします。

    現象としての自己から⇒をとれば、現象としての自己となり、心のない物理的身体ないし、心があると看做される概念的な客体としての身体となります。

    もっと簡単に言えば、
    ⇒現象としての自己とは、人間味のある自己
    ⇒が切り離された、現象としての自己とは、無味乾燥な自己
    ということになるでしょう。

    まるで、心⇒現象は、宇宙船に向かうロケットのようですね。心は、宇宙に思いを届けたい皆の心です。⇒はロケットです。その先端に載っている宇宙船は人間味のある自己です。

    宇宙船はいずれ、ロケットから切り離され一人寂しい旅が始まるのです。この状態を無味乾燥な自己とします。
    このロケットから切り離された宇宙船を無味乾燥な自己=船体としないために、もう一つのチャンネル⇒がロケットに代わって開かれるのです。

    ですから、ロケットから切り離されても地上との心は繋がっているのです。地上を私すれば、宇宙船も私です。同じ自分であり自己なのです。

    このように現象としての自己を人間味のある自己のまま、取り扱うには、心⇒現象の構図を守ることなのです。

    これではっきりしたと思うのですが、自己とは、指し示しをしている「あなた」自身であり、「私」自身のことなのです。「指し示された」あなたではないということです。

    あなたとあなたが切り離されてしまったらどっちのあなたが本当のあなたなのでしょうか。切り離されてしまったら、もはや、見られているあなたでしょう。過去のあなたです。今、現在、こくこくと交信して進行しているあなたではないでしょう。

    現在進行形のあなた、私は本来の自己であり、過去形のあなたや私は本来の自己ではないということです。まして、第三者の自己など、ずっと過去のことなのです。

    切り離されたということは見ると言うことです。観察すると言うことです。人間にとって見るということの一番分かりやすい例は、批判するということです。

    誰でも人のことについて語るのは簡単です。サッカーの試合でも、直ぐに失敗すると、監督や選手の悪口を言いたがります。

    そうした批判は大切ですが、今問題にしているのは、そのような批判が良い悪いとかいうことではありません。内面をどう見るのかということです。批判は現在を見ていないのです。批判は過去を見ているのです。


    ある選手が「下手は下手なりにやる」にやると言っていましたが、これは正直な内面の告白でしょう。

    しかし、本当に内面なのでしょうか。もう、シムハンターに皆さんは、これを内面だとは思はないでしょう。自己反省して対象化して、脚色して、「下手は下手なりにやる」と言ったのでしょう。本当の現在とは、そのことが報道されて、反応がどうなったのか気にしている今の姿でしょう。それは見えないのです。何故なら、それが心の内面だからです。

    同じく、自白というのは内面でしょうか。これも内面ではないですね。

    では、内面はどうすれば見えるのでしょうか。見えたのならそれは外面だということですから、内面ではないことになります。このジレンマをどうすれば解決できるのでしょうか。

    こうしたことを言うのはくどいと感じるかもしれませんが、これがボデイブローのように、後で効いてくるのです。

    今、私は内面のことをどう表現するのかで苦しんでいるのです。ですから、オイラーの式を変形して心⇒現象と理解して、心⇒のことを知りたいと思っているのです。

    それを、i*-iだと言ってしまうと、生半可にPS理論を理解して応用しようとするでしょう。何故そうなるのかが理解できないままでは、正しい応用はできないと思うのです。

    ⇒現象から⇒と現象を切断して、現象だけで心のことを述べようとするでしょう。或いは、i*-iを使って、強引に、心⇒現象を説明しようとするでしょう。その結果は、Renshi氏が指摘したように、-1と+1の意味を取り違えてしまったということです。

    そうならないためには、門前の小僧、習わぬ経を読むではないですが、PS理論にどっぷり浸かってみるしかないと思うのです。

    そこで、大きな関門です。

    オイラー公式が示す単位円は、心の内面を示しているということです。

    これが大きな関門だというのは、これが出発点だからです。これが間違っていたら、どうしようもありません。

    心とは見えない触れない内面なのです。誰かが、「私は悲しんでいる」などと言っても、それをその人の心などと思わないでください。心情を吐くと言いますが、まさしく吐いたのです。懺悔、告白、宣誓などはすべて、心ではないのです。

    心の映像ではあるでしょう。

    心の世界とは、そこには決して行くことのできないブラックホールなのです。つまり、Media Pointとは心のブラックホールなのです。

    その心から吐き出されたものは、言葉であり、行動で示された場合は、振る舞いなのです。激情して喧嘩をして、相手を殴ったら、その怪我をした証拠が現象なのです。

    このことを簡単に、
    心⇒現象
    と表現したのです。

    ただ、くどいようですが注意してください。

    単位円でさえ指し示したものです。ですから、単位円は心の内面と言いましたが、この時点で、過ちを犯しているのです。どうして見えない触れない心のブラックホールを、単位円という現象化した図で指し示すことができるのでしょうか。

    どうすれば、切り離された宇宙船が交信して繋がっているように、いつもでも、内面の心と繋がっていることができるのでしょうか。

    単位円は心の内面などではなく、心の内面を表現した図なのです。表現されたものは現象したものなのです。

    私がそれを心の内面として解釈して指し示したもの(概念)なのです。概念ですから、私の心の内面ではないのです。でも、それをシムハンターの皆さんが、それを心の内面と理解すれば、この概念を共有したことにはなります。

    私の心⇒単位円として表わした心の概念図(現象したもの)
    私の心⇒から、「単位円として表わした心の概念図(現象したもの)」を切断なする

    あなたの心⇒心として解釈した単位円の概念図

    共有の意味:私の心≒あなたの心

    ただ、全く同じであるという保証はないのですが、これを繰り返すことで、心の内面についての会話が成り立つと言うことになるわけです。

    同じように、海舌氏の描いた認識の概念図(下図)も、海舌氏の心そのものでありません。海舌氏が世界はこうであるとして解釈した概念なのです。

    心を映す鏡があるとしましょう。占いでよく出てくる水晶がそれです。心を映す鏡ですから、心そのものではないことは初めから分かっているのですが、占ってもらった人は、本当にそれが自分の心を映し出したものと信じてしまうのですから、占いという場所は不思議な力があることは確かです。

    このように、心とそれを映すものとが混同されてしまうのです。それが問題の所在を分かり難くしているのです。

    占い師の心⇒水晶にあなたの未来が映ったというお告げ(現象)

    お告げを⇒から切断する

    あなたの心⇒お告げを自分の未来と錯覚する(現象)

    海舌氏の描いた認識の概念が水晶に映ったお告げと同じだという喩えは適切ではないのですが、どちらも心そのものではないという点では同じなのです。

    単位円として示された心は記号化された心の概念図です。これを心´としましょう。ですから、心⇒概念=単位円=心´です。それを心=心´と勘違いしてしまうのです。

    まるで、「絵に描いた餅」を餅と思って喰らいついてしまうようなものです。この喩えが意味していることは、「絵に描いた餅」は概念であり、本物は餅のほうであるということなのですが、本物の餅を心と解釈すると、少々問題があります。

    本物の餅を心に喩えているのですが、その餅も現象なのです。

    ですから、正確に表現すれば、餅を思う心⇒餅、餅を思う心⇒絵に描いた餅であり、それを見た人が、餅を思う心で絵に描いた餅を見る⇒絵に描いた餅を餅と看做す、となるのです。

    今後、心のことをいう場合、このような混同を避けるために、「私がこう解釈した」という注釈をつけなければならないでしょう。しかし、それでは面倒です。ですから省略するのですが、シムハンターの皆さんは、もう混同することはないでしょう。

    つまり、心を「私がこう解釈した」のが心´なのです。心=心´ではなく、心⇒心´なのだということをしっかりと心に刻んでください。

    なぜ、こんな当たり前のことを、くどくど言うのでしょうか。言う方も疲れてきました。この辺で切り上げて、先に行きたいのですが、実はこの心⇒心´を心=心´と看做してしまうカラクリが巧妙なのです。

    オレオレ詐欺と言うのは、このカラクリを巧妙に使っているのです。「あばたもえくぼ」と言いますが、ひいき目で見れば、どんな欠点でも長所に見えるものです。人間は錯覚の中で生きているかも知れません。これを特別なことと思わないでください。

    皆さんもそのような錯覚の中で生きているのです。

    これでは、自己認識の方程式に辿り着くのは何時のことになるでしょう。

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